2008年4月26日土曜日

TATTOO

 温度差。時差。季節の差。
 北半球と南半球では、季節が正反対に巡っている。北半球の日本が冬なら、南半球のブラジルは夏。イタリアは冬でもスリランカは30度。世界各地、季節には違いがあり、自らそこには温度差がある。時差もそうだが、短期間に世界各地を飛び回るとなれば、これがなかなか身体に堪える。
 この宇宙、この地球上、北半球だろうが南半球だろうが、季節や温度が変わっても決して変わらないのが御仏の真実の教え、上行所伝の御題目。そうであるし、そうでなければならない。本門佛立宗、本物の仏教、仏の教えに温度差があっては残念なことだし、そうであってはならないのだ
 何度か紹介したが、ブラジルの教講は本門佛立宗のことを「Buddhismo Primordial」と題してご弘通しておられる。これは、茨木日水上人がブラジルに仏教を紹介した、ブラジルの仏教のルーツは本門佛立宗からである、ということもあるが、教えの上からしても「根本の仏教」であることを標榜したものだ。そのとおりである。
 ブラジルの御導師から聞いた一言の中で、心に残る一節がある。その言葉とは、「本物の仏教が難しいわけはない」というものだった。「Primordial Buddhism must be not difficult.」。本物の仏教なのだから、普遍的で、シンプルで、人種や国の垣根を越え、誰もが修行できる、誰もがその効果を、すぐ実感できる、と。それが本物の仏教ではないか、と。
 福岡御導師も常々「私たちは日本の文化を輸出しようとしているのではない。上行所伝の御題目をお伝えしている」と仰っている。文化ではなく、真理にフォーカスしなければならないのだ。
 カルト化したり、原理主義かすると普遍性が欠落していくことがある。真理よりもディテールが先行する。「幸せです」と豪語する人がいても、極端に矮小化した経験から導かれたものであったりして、少数化し、先鋭化する。宗教は自己の価値観の中で閉塞すると恐れられている面がある。本物の仏教がそうであってはならない。
 ひろし君がブラジル団参の感想文を書いた。その中にブラジル社会で根付く佛立信心を見て、「仏教は、元々インドから始まりました。しかし、お祖師さまは日本にお生まれになりました。世界の歴史を考えた時、日本以外の場所では真実の仏教は継承されなかったはずです。インドではなく、まず日本でなければならなかった。このように考えた時、伝統や「文化」のみを重んじるのであれば、全てはインド風であるべきでしょう。しかし、私たちが重んじるのは「伝統」ではなく「真理」であるべきです。ですから、インドも日本も、そしてこの「ブラジル」も関係なく、上行所伝の御題目が弘まり、そこで生きる人々が中心となり、その国々の文化を許容しながら、とにかく菩薩行を展開していくべきだと思います。「インド文化」「日本文化」ではなく、「真理」にこだわっていきたい」と書いていた。ポイントを押さえているんだなぁ。
 温度差、季節の差、 時差があっても、変わらないのは上行所伝の御題目。ご信心。現証の御利益。そして、何より、そのご信心から生まれる「随喜」である。
 今回、ブラジルのご奉公で1年ぶりに出会ったミノル君。彼は11ヶ寺あるブラジル全寺院の青年会のトップ、全伯青年会の会長としてご奉公するようになっていた。ブラッド・ピットに似た本当に格好良い青年である。
 去年は彼女を連れて全ブラジル弘通部会議にオブザーバーとして出ていた。その印象が強い。それだけで私は感覚的にぶっ飛んだ。会議の輪の外側に座って、彼女と肩を組みながら会話を聞いている。時々、イチャイチャしたりして。開放的で、何とも「ラテンだなぁ」と感じたものだ。大人たちも全く気にせず、「ご弘通ご奉公の会議に参加してくれているだけで有難いではないか」という感じ。そういうオブザーバーを交えながら、みんな真剣にご弘通を語っているのであった。
 そのミノル君が、1年後に会った私に如蓮寺の本堂の後ろで袖をまくって腕を見せてくれた。な、な、なんと、彼の腕には「仏丸」が。仏丸の入れ墨、仏丸のタトゥーが入っているではないか!?うぇー、なんで?どーしたの?
「お、お、お前、入れ墨なんて入れてると、日本では怖い人に間違われて、スパもサウナも入れなくなるんだよ?なんでまた」と言うと、「いや、僕もそれは知っています。でも、ブラジルではファッション感覚で若者が入れるんです。僕は、どうせするならご弘通のためになるようにしたいと思った。みんなが『このマークは何?』って聞く。そして、僕は答える。『これはPrimordial Buddhismのマークだ。俺はブッディストなんた。お寺に来てみないか』って。これでもうお教化も出来ましたよ」と。
 入れ墨が良いとか悪いとか、そういうことを言いたいのではない。日本の感覚からすれば、親からもらった身体に傷を付けるのは良くないだろう。それでも、このミノル君の思いを汲んでいただきたい。彼は、上行所伝の御題目を口唱し、現証の御利益を感得し、ご信心に決定(けつじょう)して、この行動に出た。そのご信心への喜びと、ご弘通への思いを感じてもらいたい。私がこのブログで、山ほどの言葉を費やしてご信心を語るよりも、彼の喜びと覚悟の方が多くの人に真実を訴える。
 日本で「法灯相続が難しい」と言うのはこちらに問題があると思えてしまう。日本から最も遠いブラジルという国の若者が、佛立信心に対してこれほどまでに熱い想いを持っているということを知ってもらいたいのだ。その随喜を喚起する、喚起させずにはおかないのが、佛立信心であるのだから。
 温度差、季節、時差はあるけど、ご信心への随喜、ご弘通への想いは、世界各地どこでも変わらずにいて欲しい。特に、日本の私たちは彼らに負けない熱い想いを持っていたい。

2008年4月23日水曜日

不思議な桜

 穏やかな陽気は横浜も同じだった。5月を思わせる暖かな日。本堂にお参詣すると驚きの声。

 ブラジルにいた際、「妙深寺の桜」という項で書いたのだが、妙深寺の桜は南も北も関係なく、本堂側から咲いていく。これだけでも本当に不思議。この桜には特別の思いがあるから、ブラジルご奉公で見事な桜の姿を見れなかったのを残念に思っていた。

 当たり前のことだが、帰国した時にはすっかり花びらは落ちていて、青々とした葉っぱが茂り始めていた。それから日々御講のご奉公があり、京都のご奉公があり、そして今日。

 びっくりしたのは、桜が咲いているのである。まだ、それも見事に桜の花びらを開いて、形もしっかりと、四輪、いや向こうにも十輪、あちらにも、と探していけば、本堂側の枝だけに、桜が咲いているのであった。

 本当に不思議。この枝から咲き始めるのに、四月の二十日を過ぎてまで、この枝から本堂に向けて咲いているなんて。何かを教えてくれているようにも思える。たぶん、今日のお昼、生まれてきて、初めてお参詣してくれた赤ちゃん、芽衣ちゃんを待ってくれていたのかな。そうだと思う。

2008年4月21日月曜日

ハナミズキ

 ハナミズキが綺麗。
 土曜日、朝参詣に引き続いて、横浜で三席の御講席を奉修させていただいた。今月最後のお席は三ツ沢教区、40名ものお参詣があって活気に溢れていた。御宝前の間、リビング、廊下、キッチンから人が溢れてた。子どもたちは窓から外に。気持ち良い、春の御講席。始めてお席主となったご主人のご挨拶も、とても温かく、いい締めくくりになった。有難かった。
 続いて、日曜日の本山・宥清寺の門祖会などのご奉公で京都に帰ってきた。春の京都は街角の花々が綺麗に咲いて、新緑も目に眩しい。心地良い風をの中、宥清寺の門祖会は奉修された。7時半からの第一座に出座させていただいたが、若い人のお参詣が多かったように思う。有難かった。
 今夏の青少年の一座についての会議も、全国の青年会の代表者を集めて開催され、実行委員会からの感動的な発言が続いて有難かった。このご奉公で、何かが変わる。そういう期待感で胸がいっぱいになった。40名くらいの会議だっただろうか。全国から集まった青年会の代表者だが、一人一人が輝いていた。活発に意見を交換し、前向きに未来に向かい、ご信心とご弘通に熱い思いを抱いてる。一人一人がヒーロー。本当に有難い。
 メーリングリストを使いながら、彼らはご祈願の輪も広げている。本山の増永くんが門祖会のご奉公をしていて、その模様も速報のように「増永君がご奉公していましたよ」というように報告メールを送ってくれている。みんな、彼のためにご祈願してくれていたから、本当に喜んでくれている。若者が抱えた恐ろしい癌という病を、みんなで共有し、みんなでご祈願してくれていたのだから。実行委員会の会議や各部会の前に、彼らは必ず増永くんのお助行、ご祈願をしてくれていた。有難い。
 とりいそぎ。

2008年4月17日木曜日

帰国後の猛ラッシュ

 23日間の海外出張ご奉公。自坊の妙深寺では出張中ずっと無事ご奉公成就のご祈願を続けていただいていた。有難いことだ。そうしたご祈願の御陰をもって、ご奉公が無事にさせていただけたのだと思う。
 ただし、帰国後のご奉公の猛ラッシュはすさまじい。長い留守をしていたのだから仕方ないが、少々詰め込みすぎているようにも思う。「忙しい」という字は「心」を「亡くす」なのだから、教務さんが「忙しい、忙しい」と言っているようではご信者さんを遠ざけてしまうし、何とかしなければならないと思うのだが。
 帰国後、次の日に御講席2席の奉修ご奉公。帰国から数えて4日間で御講席8席、門祖会出座が一座、御総講奉修一座、ご回向が一座と、分刻みでご奉公させていただいて、ボーッとしてしまっていた。
 昨夜は京都のご奉公、長松寺の御総講。今朝、妙深寺に戻ってきた。ゆっくりとブログを書きたいし、書かなければならないことをたくさん感じているのだが、時間が許さず。

2008年4月12日土曜日

パリから戻りました

 有難い。

 今夕、無事に帰国、横浜・妙深寺に帰山した。正教師をはじめ、御講師方や局長らが出迎えてくださった。23日間、長期間の出張ご奉公が終わった。長かったぁ~。帰って来れた。ありがたーい。

 戦後、はじめてブラジルに巡教された日颯上人と日博上人は、3ヶ月間のご奉公だったというから私たちなどはまだまだだ。交通手段がよくなって、あっという間に地球を半周、日本に帰ってこられる。私たちは団参者と離れてパリに向かい、パリで千載一遇の、私にとっては胸の熱くなるご奉公をさせていただいた(涙)。

 とっても、とっても、有難かった。

 明日から、怒濤の御講席ご奉公がスタートする。休む間はない。体調もいい。有難い。

2008年4月6日日曜日

連邦警察の警護

 既に最終日となり、いまはサンパウロの日教寺でブラジル教務諸師の勉強会。1時間目は姫井御導師、2時間目は梅田御導師が教鞭を執られている。

 今夜、団参者一行、そして私たちもブラジルを離れる。頑張ってご奉公しつつ、この日を指折り数えていたのだが実感がない。日本から連絡をいただき、意識不明の重体の方のお助行をさせていただいた。とにかく、御題目を、ご祈願をさせていただきたい。この日教寺でもご祈願し、続けて斉藤御導師にもご祈願を御願いする。

 ブラジルに御講有が御巡教された期間、連邦警察が大変な警備を行った。動画がアップできたので載せた。

2008年4月4日金曜日

100周年最大のインパクト

 ブラジル本門佛立宗の100周年。この100年に一度の盛儀に、実は日本から飛び入りのご奉公をしてくれたのが、ひろし君と磯貝さんだった。
 私がブラジルご奉公に行くことを知って、「僕もお供します」と言ってくれていたのだが、現実に彼の仕事は忙しいし、とてもブラジルまでは来れないと思っていた。しかし、この1ヶ月でビザを取得して、団参に遅れること1日にして別便でブラジルまでお参詣したのである。磯貝さんも同行してお参詣くださった。昨年もブラジルご奉公の後、イタリアで合流した。今回は、実にブラジルまで来てしまったのだからスゴイ。
 しかも、ブラジル到着後、空港からそのまま日本人開拓者慰霊碑の法要と水野家の墓地法要に参詣に間に合ったのだから素晴らしい。飛行機の中で「コーヒーの壺」を読破してのブラジル入りだった。
 実は、ひろし君はブラジルに行く直前にあるビジネス・ニュースに出演していた。彼の事業を番組で取り上げてくれたわけだが、その番組を見た日本最大の車メーカーの専務からお電話をいただいたという。これも有難い話であり、これだけで驚きなのだが、ひろし君からブラジル行きの話をすると、「ブラジル現地法人の社長が友人であるから紹介しよう」という話になった。故に、ご奉公の合間を縫って、その社長と会談することになった。妙不可思議の御利益としか言いようがない。ご信心に中途半端はない。ひろし君を見ていると、本当に不思議だ。縁を呼び寄せている。お計らいをいただき続けている。
 空港には吉川くんが迎えに行ってくれた。吉川君とは吉川淳省師の弟で、ブラジルで広くビジネスをしている。サンパウロ・日教寺への朝参詣もしっかりするご信心を持っているし、ブラジル日系人コミュニティー、経済界にも通じ、上院議員のウィリアム・ウー氏とも親交が深い。彼とひろし君や磯貝氏との出会いは、きっと何かを生み出す。そう思って、淳省師に御願いした。快く空港まで迎えに行ってくれて、開拓慰霊碑で合流することが出来た。ブラジルでひろし君と会えるなんて!磯貝さんまで!すごいなぁ。
 私が日教寺でお話をしてお教化になったことは、ひろし君のことであり、彼のプロフィールは日教寺のご信者さんを中心に知れ渡っていた。その後、彼らはブラジル滞在中、数え切れないブラジルのご信者さんから声を掛けられることになった。
 何より有難かったのは、吉川君の友人たちをひろし君がお教化してしまったことである。これは、もうすごいとしか言いようがない。ひろし君はブラジルでもお教化してしまった。しかも、3人も。
 私は団参者一行とリオ・デジャネイロに来てしまったので、サンパウロで彼と別れた。彼はリンスにもお参詣し、法要中はビデオ撮影のご奉公、磯貝氏もカメラ撮影のご奉公に汗を流してくれた。磯貝氏はご信心をして数ヶ月だが、ブラジルまで来てくれた。しかし、リンスの大宣寺の本堂に入った瞬間に涙が出てしまったという。有難い。これが本門佛立宗のご信心だと思う。
 ひろし君からリオにメールが届いた。

 「ありがとうございます。本日日教寺に開門参詣をさせて頂きました。残念ながら口唱会だったため御法門もなくお話する機会はありませんでした。しかし原稿は作ったので帰国後斉藤御導師にメールし、皆さんに御披露して頂く事になりました。御住職に事前にチェックして頂ければ幸いです。御有志は大宣寺、日教寺共にさせて頂きました。というのも、何と最終的に3人をお教化させていただき、3人とも今朝、お寺で御本尊拝受願いを書いてもらうという、大おはからいをいただいたからです。2人は吉川君の教化子(吉川君のところの社員なので)にしましたが、昨日仕事の打ち合わせであった女性(彼女も彼らの友達でした)はどうしても私に教化親になって欲しいと言われ、私が教化親にさせていただきました。本当にありがたく、もったいないです。(さらに、もう一人いけそうです)ブラジル弘通を、全力で頑張ります!今日の夕方からイタリアに行きます!御住職と皆さまもどうかお気をつけて!」
 斉藤御導師は、この「ひろし君」という存在に、心から感激してくれていた。これこそ、この姿こそ、本当の佛立信心の実践ではないか、と。喜んで、嬉しくて、お教化したくて、誰かの力になりたくて、仕方がない。そこには、宣伝とか、広報とか、利害とか、誰かに言われた教化の数字とか、ノルマとか、そういうものがなく、真っ直ぐ、純粋に、御法さまへの真摯なご信心がある。そして、誰彼と無く、この素晴らしいご信心へ誘い、その彼の純粋性に打たれて、多くの人が心の壁を取り払い、お寺にお参詣をし、実際に御題目口唱を実践して、自分自身で信心することを求め出る。斉藤御導師は、これぞ100周年最大のインパクトとばかりに、彼のご奉公ぶり、お教化ぶりに感動していた。
 また、イタリアに到着したひろし君からもメールが来た。これも、驚きと感動のメールだった。それは、この1年間、正法帰入を祈願してきたアンドレアがご信心をすることになった、お教化することができたのです、という報告だった。
 アンドレアは、2月に私がイタリアに行った時にも、時間のない中でテルミニ駅まで来てくれて、そこでご信心の話をした。仕事柄、イタリアの創価学会のプレジデントとも面識があり、本門佛立宗と彼らでは何が違うのかとしきりに聞いていた。短い時間ではあったが説明した。今回、イタリアにひろし君が立ち寄り、アンドレアと話をして彼がご信心するようになるということは大変なことなのである。とにかく、アンドレアは「良い奴」なのだから。
 私から、「ひろし君の素晴らしいご信心、ご奉公は、世界中の菩薩を覚醒させているよ。本当に有難いよ。佛立が、よく変われば、世界が変わります。ブラジルに来たのは、ずっと前から決められていたのですね。日博上人をはじめ、日水上人も、本当に喜んでおられると思います。イタリア、気をつけてね。頑張ってください。ありがとうございます」などと返信した。アンドレアのお教化についても、感激の返信を送った。
 重ねて、返信が来た。
 「御住職さま。ありがとうございます。しかしアンドレアのお教化は私の力ではありません。まず御住職、ケンジ、私がずっと御祈願させて頂いていた事。これが、まずアンドレアが信じる、きっかけの大きな要素だったと思います。つまり、そのことで佛立宗が、本当に人のために祈る、本物の仏教であることを理解し、納得してくれたと思います。自分の得にならない(表面的には)のに、人の為に祈り続けるということが、まずアンドレアにとって驚きでした。次に、御住職が先日アンドレアにお会いしていただきお話をしていただいたこと。これも彼の非常に大きなモチベーションになっています。ですから、勿論、今日も佛立宗のお話を一生懸命させて頂きましたが、結局は積み重ねであり、我々の誠意が伝わったということだと思います。何よりも、絶対に、絶対に、御法さまのおはからいであることは間違いありません。ですから、最後のスイッチを押したのは私かもしれませんが、私の力でお教化が出来たのでは断じてありません。だからこそ、尊く、ありがたいです。そして、これもブラジル開教100周年の現場に立ち合わせていただいた功徳だと思います。本当に本当に心からありがたいです。多分、日水上人と日博上人にご褒美を頂けたのだと思います。私は、ご住職に出会えて、佛立宗に出会えて、本当に本当に良かったです。ご住職に心から御礼申し上げます。ありがとうございます!これでアンドレアが苦しみ(まずは病気)から逃れられたら、こんなに嬉しいことはありません。生きていて良かったと思います。そして、こうやって心から人のためを思える自分にならせていただいたことが何よりありがたいです。私は絶対に絶対に負けません!これからもご弘通に命を賭けて頑張ります。負けてはならぬ祖師のお味方ですから・・・・・ありがとうございます!!!!!!!!!!ひろし拝、」
 もう、言葉がない。ひっちゃかめっちゃかやっていた頃から考えれば、想像もつかない。本当に有難いと思う。彼の気持ち、本当に理解できるだろうか。本当に、彼は素晴らしい人格者、人間になっておられると思う。昔から彼を知っている私にも想像がつかなかったが、実際に彼はこうして本当の仏教を実践しているのである。
 結局、ブラジルで3人をお教化、イタリアでアンドレアをお教化してしまった。ひろし君、すごい。有難い。なんてすごいんだろう。ひろし君のブラジル来訪は歴史に残るご奉公だった。これが、100周年最大のインパクトであったように思う。

ブラジル本門佛立宗100周年記念大法要

 大成功を収めた『寂光祭』から既に1週間が経とうとしている。腰を落ち着ける暇もなく、ブログの更新も滞った。いつものことか(汗)。
 リンスでのブラジル本門佛立宗開教100周年の大法要は、晴天の下で盛大に奉修された。雲一つ無い青空、燦々と輝く太陽、そして青空にうっすらと月も浮かび上がっていた。「日」と「月」が天空に同時にあって、100周年の盛儀を見守ってくれている。私は何とも言えない感動を覚えた。
 「日月の光明の能諸の幽冥を除くが如く、斯人世間に行じて、よく衆生の闇を滅し、無量の菩薩をして、畢竟じて一乗に住せしめん。是故に、智あらんもの、此功徳の利を聞て、我滅度の後に於て、斯経を受持すべし。是人仏道に於いて、決定して疑ひ有ことなし」
 ブラジルのご弘通に挺身された先師上人、先亡教務の方々、物故功労者の方々への、ご褒美としての現証のように感じた。
 ブラジルという、この地球上で最も日本から遠い国で、まさに「無」より「有」を生じるご弘通ご奉公をされた方々。その100年の大盛儀に当たって、太陽も月、「日」と「月」の光明が出て、ブラジルで能くご弘通ご奉公されたことを証明してくださったようにも思えた。
 リンス市は今や小さな小さな街に過ぎない。コロニアは移動していく。ご信者ですら近隣のアラサツーバやバウルという街に多くは住んでおられる。このリンスという街に住むご信者は少なくなってきている。この大法要には、ブラジル全土から数日間をかけてご信者さんが集まり、お参詣くださった。
 御講有ご一行と日本からの参詣団がリンス・大宣寺に到着すると、その真っ青な空へ高らかに花火が打ち上げられ、リンスの街に祝砲が轟いた。「ありがとうございまーす」と、お出迎えのブラジル信徒が御講有ご夫妻、参詣団に大きく声を掛ける。この子たちの笑顔、可愛い声こそ、ブラジルでのご弘通の華々しい結実ではないか。参詣者の多くが、本堂に入る頃には涙を浮かべていた。
 法要は滞りなく、実に盛大に執り行われた。走り回っていたので、あっという間に終わってしまったようにも思う。記念塔に移された茨木日水上人のご遺骨、御霊前の前でのお看経、「日水上人館」でのテープカットも行われた。旧本堂に日水上人の御遺品やブラジル本門佛立宗のご弘通に関連する品々を展示してあり、この100年の険しいご弘通の軌跡が理解できる。有難いことだった。
 ホテルに移動して歓迎会。ブラジルの幹部の方々も同席し、短かったが楽しい一時を過ごした。1年前、準備ご奉公のためにブラジルに来た。あの時から、100周年委員会のメンバーは必死にご奉公してくださっていた。あれから1年。こうして100周年の記念ご奉公が大成功を収めたのは、彼らの、実に真剣なご奉公の賜だと思う。
 歓迎会の終わりに、ブラジル本門佛立宗の教区長・斉藤御導師から御礼のご挨拶があったが、これを新たなご弘通のスタート地点だと思って、ブラジルだけではなく南米全てをご弘通の視野に入れてご奉公に気張らせていただきます、という誓いの言葉が発せられた。そう、既にチリにもペルーにも上行所伝の御題目は弘まり、新たなコミュニティーが生まれつつある。その中心に100年間佛立信心を受け継ぎ、熟成させてきたブラジルの教講がいなければならない。コレイア師が言っていたが、既にブラジルの教務陣は実に「カラフル」になってきたのである。人種、国、言語を越えて、私たちはご弘通の新しい幕を開ける。
 有難い。充実したご奉公であった。
 また、このご奉公を通じて生まれたブラジル教務諸師17名との「絆」が、私にとっては最大の成果であったようにも思う。ブラジルの教務さんと共にご奉公させていただけた喜びだ。今回のご奉公の最大の特徴は、日本側は徹底してサポート役に廻り、ほぼブラジルの御導師、教務、ご信者の手によって、企画から準備、実行まで行ったという点である。ブラジルに到着してからの私たちの役割も、ブラジル教務と同化して資料を作ったり、遺漏がないように走り回ったりする裏方のご奉公だった。本当に勉強になった。成果があった。これこそ未来に繋がる。
 世界を一つにする、平和を構築するために、こうした「絆」こそ大事なのだ。

今日は飛行機、明日は電車

今日は飛行機を使わせていただいて、明日は小倉駅から新幹線、京都駅でサンダーバードに乗り換えて敦賀、敦賀で北陸新幹線に乗り換えて長野へ向かう予定です。 小倉から京都は591キロで148分、京都から敦賀は94キロで52分、敦賀から長野は353キロで110分だそうです(乗換案内さんが教...