昨夜、無事に帰国できました。
結局、日本に帰ってくるのに28時間ほどかかってしまいました(汗)。
スリランカでは朝参詣前の5時には起きていたので、35時間くらい横にならず腰が痛くなりました。
でも、とにかく無事に帰ってこれて、妙深寺のご宝前でお看経させていただけて、ホッといたしました。
ご宝前で月始総講の欠仕をお懺悔させていただき、今月のご講有巡教、開教20周年のご奉公成就をご祈願させていただきました。
今回は行きのフライトでも帰りのフライトでもスリランカらしい時間の流れをたっぷり堪能しましたが、ここまで全部出し切ったらご講有巡教の時には同じようなことは起きないでしょうー(笑)。
日本から60名近くの方々がスリランカまで来てくださるので、それだけを思っていました。
妙深寺の初代日博上人も、ブラジルへのご講有巡教の前に、小田原の佐野さんと看護士役の母と3人でブラジルに渡り、準備ご奉公をされたのでした。
ぐっすり眠ったら今朝も元気バリバリです。
与えていただいた移動時間を無駄にしないように、たくさんのことを考え、勉強することが出来ました。
特に、「トランクの中の日本 ~戦争、平和、そして仏教~」を開催するにあたり、もう一度「戦争」と「平和」と私たちが写真展の根底に置く考え方について整理することが出来ました。
戦争は人間の業、極めて政治的なもの。
機内の映画にも戦争をテーマにしたものが溢れています。
その名のとおり「スターウォーズ 最後のジェダイ」をはじめ、「ダンケルク」も「ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書」も「ウィンストン・チャーチル / ヒトラーから世界をすくった男」も戦争がテーマの映画です。
しかし、見方が変わり、立場が変わり、正義が変わり、それぞれの主張がある。
京都佛立ミュージアムの企画展で引用したサン=テグジュペリの言葉や亀倉雄策氏の「ひとひらの詩情とひとすじのドラマ」と題された文章を思い出しました。
「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。しかし、生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。数千年以来、母親の涙について語られてきた。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げないことを、しっかりと認めなければならない」サン=テグジュペリ
「私は、十数年前のアフリカのある国で起きた異種族の戦いの記録映画を見たことがあります。アフリカでの異種族の争いは、違った宗教の争いなのです。勝利者は捕虜になった異教徒たちの両手首をナタで切り落としました。その手首が、いくつも山のように積み上げられていました。その異様な風景は、いまでも私の脳裏に焼きついています。
もちろんこれらの戦争も、その残虐な行為も、正義のためというキャッチフレーズのもとで、なんの疑念もなく実行されているわけです。これが、戦争というものの恐ろしさです。」亀倉雄策
「私は「平和」というものは厳粛なものだと思っています。姿勢を正して語り、思考するものだと思います。そうして、これほど身近な問題でありながら、これほど困難な問題は他に類を見ないと思います。平和は人類の最高の理想であり、なんとしても実現しなくてはならない問題なのです。このことは、人間であれば、だれでも理解、願望しているはずです。だから、いますぐにも地球のどこかで行われている戦争を終結したいと強く感じます。
戦争は、人間にひとかけらの喜びも与えません。大きな悲しみを与えるだけです。」亀倉雄策
朝から重たくてすいません。
すてきなゴールデンウィークとなりますようにー。
飛行機の上から、朝陽と、ウェサックの丸いお月さまと、たくさんの星々が見えました。
御本尊の中では「三光天子」とある「日天子」「月天子」「明星天子」のことです。
太陽と月と星々と、すべてが調和を持ち、ここにあるという、象徴の一つです。
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