2007年7月13日金曜日

お中元のご挨拶

 いよいよ夏期参詣がはじまった。開門参詣者の多さに私の母も感激していた。いつもよりも大きなお看経の音、御題目の声が本堂に響いていて、わくわくしながら本堂に上がった。
 朝、4時に起きてきたという和美ちゃん。中野からだから遠いのに、本当に頑張ってお参詣したね。ありがたい。鬱を患っていた彼女は10キロも痩せてしまっていたけれど、こうしてお参詣をし、朝のご供養をいただけば、どんどん身も心も体力が回復するはずだ。そして、周りには本当の家族以上に思いやりのあるご信者さんが揃ってくださっている。とし子さんも「遠いから私の家にお泊まりしようね」と声をかけてくれているし、教区長や高島さんも「うれしいわ」と優しい声をかけて、もう家族のように暖かい会話が交わされていた。夏期参詣、本当に有難い。
 今日はお祖師さまのご命日で、御総講を奉修させていただいた。新しい部が生まれたので記念品(御法門台と打ち掛け。そこには「弘通広宣・折伏成就」と書かせていただいた)を贈呈し、新事務局員の追加辞令の下付、エレベーター設置委員会の辞令下付などもあった。とても大事なご奉公がスタートしている。
 また、妙深寺では夏期参詣の初日にお中元のご挨拶をいただく。しかし、こんなことをここに書いて良いのか分からないが、実は妙深寺では中元とお歳暮のご挨拶を廃止した。これには恥ずかしい理由があった。熟慮に熟慮を重ねて、私の判断で廃止に至った。
 お寺でのお中元とは、妙深寺では古くから常日頃の感謝を込めて、御導師や御講師に対してご信者さんがしてきてくださったものだ。「上半期のご教導、ありがとうございます」と丁寧にご挨拶をいただき、志篤くしてくださっていた。本当に、そのお気持ちは尊く、有難かった。
 いつの頃からか、そのお中元も教区や部でまとめてしてくださるようになった。そして、物品ではなく、お包み(お金をお包みくださる)として私たちにご挨拶してくださるようになっていた。これは随分と前から伝統になっていたのだが、「ご供養に代えて」というお心として包んでくださっていた。
 しかし、日本の社会全般と同じように、お寺の中でもご信者さんの高齢化が進んだ。特に、家庭の中でしっかりと、ご信心を親から子へ、子から孫へと上手に受け継げているかどうかが大変な課題となっていた。強いご信心を持っておられた親の代から、子や孫の代へと変わってきたのだ。それに対する指導、対応が私の時代の責務だと考えてきた。
 代は変わっても、一度はじめた制度というものは簡単に変えられない。必要に迫られたり、当時の方々の思いが詰まって生まれたシステムだから、それは残っていくのである。つまり、こうしたお中元やお歳暮の「お包み」は、代を経ても変わらずに続いていた。
 考えてみれば分かるように、ご信心のことを余り分からない、お寺のことも良く知らないという人に対しても、システムだけが残されて、「ご信心」以前にその「システム」が先に受け継がれてしまうことになる。親から子、子から孫に移行する間に、残念ながらご信心は落ちていってしまって、「心」の重みは違うけれど「形だけで何とか続けている」「何とかご信心している」という家庭が多くなった。そうした現実がある。
 そういうご家庭に、何とかご信心をお伝えしたい、親がされていたご信心はこれだけ素晴らしいものだったのだということをお伝えしたい、と。それを大命題としてご奉公をしているのに、私たちですら分からなくなるほど細分化された「ご奉公(そのシステム)」が目の前にあって、それを遮ってしまっているように思えたのだった。
「ご信心はお金が掛かる」。
 これは、佛立宗ではあってはならない言葉だ。佛立信心とはその逆だ。しかし、「ご信心」が何たるかを知らない人が「システム」だけを受け継いだら、こういう言葉が出てしまうだろう。ご信心を有難いと思っていない、思えてないのに、次から次へと納入袋や御有志帳が回ってくるというだけなら、伝統仏教の寺院と変わらず、意味を伝えないでお金だけ集めているということになってしまう。
 そういうことを逡巡と考え重ね、考え抜いてきた。
 確かに、妙深寺のご奉公の中でも、細分化に細分化してしまったものがたくさんあった。毎月、義納金、御講のかかり、弘通車費、教養薫化会賛助金、愛の花束、妙深寺本堂荘厳建立費、御初穂料、御初灯明料(この尊い御有志も毎月納めさせていただくことになっていた)などなど、ご奉公される方々も細かな分類は分からないほどの項目になってしまっていた。あくまでも、こうしたご奉公は大切なことであり、先代、先々代からのご信者方が自発的に始めてくださっていたご奉公であった。ただし、その意味をしっかりと伝えていくことは容易ではない。
 恥ずかしい話ということはこの点で、何とかご信心の本質をお伝えしようとしているお宅に伺って、お参詣やご奉公の功徳を伝えようとしたり、今月特に志を立てていただきたい御有志などについて教え、お折伏やお勧め、ご説明しようと思っても、「で?結局、まとめていくら?」というようなことになってやしないか、と考え重ねたのであった。実際、聞き取りをしてみると、そのような実状が浮かび上がった。
 このままでは大事な大事な佛立信心が地に落ちてしまう。恥ずかしながらそのように感じて、住職から教務に伝え、まず真っ先にお中元・お歳暮の廃止を決定したのだった。これも後で分かったことだが、その意味が上手に伝わっておらず、問題の根は深かった。早く手を付けてよかったと今では思っているのだが。
 そうして、現在はお中元というお包みやお品物はいただかなくなった。ただ、上半期のご奉公、御弘通の状況について本堂の裏にある「御控之間(住職室)」に教区と部のご信者が来てくださって、ご報告を受け、私から思うところをお話するようになった。今日も、全教区のご挨拶は約1時間、教区毎にご挨拶を受け、お話をして下半期の御弘通ご奉公への指針を示させていただいたのであった(そんな格好いいものじゃないが)。
 こうした恥ずかしいお話も、実際のお寺の御弘通には大変に重要である。功徳を積むということは何より大切であり、ご法さまへの御有志、御導師・御講師方へのお布施・ご供養は必ず我が身に返ってくる。しかし、こうした尊い教えも、時を経てくマンネリ化してしまっていると意図が伝わらず、「システム」としてだけ一人歩きしてしまう。そこを「もう一度丁寧に教えよう」ということも大事なのだが、それは何度か挑戦したが本当に難しい。そのさじ加減、私は「ご弘通の機微」と呼んでいるが、それこそ住職である私の最大の努めであると思う。だからこそ、こうしたことを判断をさせていただいたのだった。
 この数年、様々な改良を行った。お中元・お歳暮の廃止、特別御講での教務へのご供養(お包み)の廃止、妙深寺本堂建立荘厳費の廃止、御初灯明料を年末のご奉公へと改良し月々の奉納を廃止、義納金の年間奉納の開始。それぞれ、お寺や住職、教務にとっては真っ青なことである。何より大切な妙深寺という法城の護持が出来なくなってしまう可能性もある。しかも、それは現実であった。現実に、今の妙深寺の実状は厳しい。
 しかし、これは功徳の積み方を変更させていただいたということであり、「廃止」といっても「統廃合」という意味である。むしろ、違う形での御有志は増えている、というか多くお包みくださるようになっている。ご弘通への『覚悟』がなければなかなか出来ないし、これだけがご弘通に大切というわけではなく、総合的な問題なのだが、恥ずかしながら妙深寺にとっては大切なことだった。
 大変な痛みを伴ったが、当然ながら意味をしっかりと噛みしめた上での「御有志」は、その御有志した本人が御利益を実感できる。自動システムで御有志している(「させられている」と思っている人が多かった)のとはレベルが全く違って、どんどん出てくる仕事や商売での御利益、そうした体験談の多さに驚くほどである。
 こんなことを書くつもりではなかったが、こういうご奉公の積み重ねで今の妙深寺があるのだなぁ、と今朝のご挨拶をいただきながら思った。もう「御弘通」の一点だけを考えていく。みんなの眼がキラキラしている。有難い。
 歴史を重ねれば重ねるほど、草創期にあるスリランカやイタリアとは違った意味の嬉しさや難しさが出てくる。しかし、どちらにしてもご信心の本質を失わないようにご奉公させていただきたい。つくづくありがたいと思う。

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