2011年4月7日木曜日

そこからしか上れない道

もう朝か。新聞配達をするバイクの音。

昨日から教区御講がはじまり、三席のお宅を廻らせていただいた。帰山後、ご尊像のお給仕。

今年は春が遅い。先週末も厳しい寒さだった。自分がコートやマフラーをしているのにお怪我の痕の痛みを抱えておられるお祖師さまの御綿を外すのもどうかと思い、実は今日まで御綿を召していただいていた。

ようやく春の暖かさを感じられるようになり、今日、お外しした次第。これで春を迎えられる。自然の営みと共に。

夕方、待ち合わせしていた方と面会。うつ病からようやく自分の言葉で話せるようになったばかり。

無理をしていたんだね。大丈夫だから、あせらないで、緊張しないで。そう声を掛けても、涙と言葉が、ポロポロと次から次へと止めどなく流れて。そうだったのか、そうだったんだね。大丈夫、何でも話をしてください。

劣等感、優越感、人間関係の中で心がすり切れて、バラバラになってしまった。でも、そこからしか上れない道がある。だから、その道や場所を探そう、一緒に。

焦ることはない。焦ることなんて何もない。大丈夫です。

南無妙法蓮華経。

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