変な時間に目が覚めて。
あまりにもやらなければならないことが多く、さらに効率よくご奉公しなければと思っている次第。
朝、本山本堂の正面に開導聖人のタペストリーをお掛けしました。
テストとして。
チラチラと雪も降っていて、寒い京都でした。
昨日、松本良光ご住職のFacebookで拝見した記事をブログでもご紹介したいと思います。
「法話に厳しい参拝者の声」
「伝道教団の生命線なのに」
「心打たれた1%」
浄土真宗本願寺派が大法要で参拝者を対象にアンケート調査を行なったところ、このような結果が出たというのです。
「参拝して良かった」との回答が96%だったのに対して、「法話に心打たれた」という人はわずか1%という。
法話に否定的な人の意見で最も多かったのは「特に印象にない。覚えていない。」で、次に「難しい。分かりずらい。」、「世相を反映させ、身近な話をした方がいい」というアドバイスもあったと。
同宗はこの結果に「看過できない」として対策に乗り出すようです。
こうしたアンケートを行なっていることも、これを真摯に受け止めることも、他の宗派のことながら敬意を抱く。
ご信心で聴聞する、善聴が大切とご信者さんに言いながら、私たち僧侶の法話、本門佛立宗では「御法門」が教化力を失っているとしたらとんでもないことです。
実際ご弘通が低迷しているならば、まずここに問題があると見て改良に乗り出すべきです。
有名無実、内輪ウケ、情実、馴れ合いは、仏教改革者たる開導聖人の精神と最も離れたところにあります。
その精神を離れていたら、ご生誕200年のお祝いも「いらん」と言われてしまう。
一歩間違えば、江戸時代の檀家制度によって伝統教団の宗学者がスコラ化して民衆の心から離れ、あるいは僧侶が堕落して「デモ坊主」「蛸坊主」と揶揄される中で生まれた本門佛立宗も、宗教社会学的に言えば同じ轍を踏んでゆくことになる。
仏教改革者たる開導聖人は、これらを痛烈に批判して、僧侶の本来あるべき姿、歩むべき道を説かれたのでした。
その弟子が私たち。
信心、信念が問われます。
ご生誕200年目を迎える佛立開導日扇聖人のお誕生日、4月1日。
厳しい世相とご弘通の状況を前に、何が最もお祝いになり、何が最も開導聖人がお喜びになるかを考えに考えて、勉強会を始めようと思っています。
開導聖人の精神を学び、それを受け継いでご弘通だけを学び、厳しく切磋琢磨し、厳しく厳しくお折伏し合える勉強会。
一切の馴れ合いを排除し、位階より実際を重んじ、教講の別なく、住職や所属教務の別もなく、愚痴や不満もご法度に、ただひたすら開導聖人のスピリット、佛立魂を追求して、ご弘通に燃える勉強会を。
朝方から狂気的情熱をたぎらせていますが、ずっとそのようなことを考えていました。
悲しい出来事もあり、反省や改良の言葉を聞くこともありますが、もはや論じているのではなく、やるしかないと思います。
論文を発表し合う場所でもなく、調査や研究する会でもない。
本気で佛立を学び、ご弘通を学ぶ勉強会を始めたいと思っています。
どうかよろしくお願いいたします。
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