ネパールから帰国して一日が経過しました。
過ぎてしまえば全てが夢のように感じてしまいます。
それはネパールという国が幻想的であり過ぎるからかな。
あの天空に浮かぶような、HBSネパール平和題目塔の荘厳さ。
確かに私たちはネパールでご奉公を積み重ねてきました。
明日は14時から妙深寺の男子信徒住職御講。
小原旭くんのこと、ネパールで体験した、不思議としか言えないことを、お話させていただこうと思っています。
今回、小原ご住職にネパールまでお越しいただいて、旭がどれだけ喜んだろうと思うと涙が溢れました。
旭が運ばれた病院を訪れ、旭が通った道を車に揺られ、旭が眠る題目塔の前に立たれ、旭が愛した学校で子どもたちの瞳を見つめ。
この世界の先進国・日本に帰ってきて痛感するのは、必要のないものを必要だと思わされ、貴重な時間を無駄にしていることが多いのではないかな、ということ。
関係ないことを関係あると思い込み、本当に大切なことを関係ないと思い込んでいる。
生まれ変わり、死に変わり。
コピペならば誰でも出来るけれど、言葉遊びでは幸せになれないことに気づかないと。
要は生き様、行動、振る舞い、アクション。
「教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候ひけるぞ。あなかしこ、あなかしこ。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。」崇峻天皇御書
人間とは、なにか。
ネパールから戻り、山のように溜まった連絡や返信を終え、明日も精一杯ご奉公させていただこう。
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