昨日は一般財団法人 台湾協会の清水理事長と専務理事の八田修一さまがわざわざ妙深寺までお越しくださいました。
これまで半世紀、50年以上、本門佛立宗は台湾で亡くなられた物故者、日系人の方々のご回向を続けてきました。
専務理事となられた八田さまからのお話もあり、台湾協会としてその歴史や功績について深くご理解くださり、今回のご訪問となりました。思っても見なかったことで、本当に尊く、ありがたかったです。
戦前、台湾には40万人を超える日本人が住んでいました。
令和元年、吉田日景御導師が弘通局長として台北での慰霊法要でご挨拶された文章には次のようにあります。過去から現在に至る歴史を丁寧に紐解きながら、これからの平和、安穏に想いを馳せることができます。
「ありがとうございます。
毎年恒例の、日本人物故者慰霊法要にあたり、参列の皆さまにご挨拶を申し上げます。
ご承知の通り、第二次世界大戦が終わるまでの50年間、台湾総督府によって統治されていた台湾には、戦前は40万人を超える日本人が住んでいました。終戦後、それら日本人が引き揚げて、この国に残された日本人物故者の遺骨は、日本人女性の野沢ムメさんと結婚された台湾人、野沢六和さんをはじめとする、篤志家の奉仕によって守られます。
今、その概略を申し述べますと、昭和22年、野沢さんは農作業中に日本人の遺骨が入った白木の箱を掘り当てます。その土地からは、その後も500名程の遺骨が見つかり、当初はご自宅に持ち帰って安置をされていましたが、その後各地の日本人墓地が荒れて遺骨が散乱しているとの話しを聞くにつれ、「このまま放置するのは忍びない」と一念発起して手弁当で台湾全土を歩き、日本人物故者の遺骨の蒐集を始められるのです。
やがて、昭和32年に入って日本政府が本格的な調査を始めると、野沢さんも大使館嘱託として遺骨収集に参加され、この作業が完了した昭和36年には、二万人近い遺骨を確保することができたと言います。この遺骨は、台北の中和寺、台中の宝覚寺、高雄の共同墓地の三か所に分けて安置され、最初の慰霊法要がこの年に行われました。ちょうど今から58年前のことで、以後、この慰霊法要は台湾人の僧侶によって、10年近く続きます。
昭和45年、私たちの本門佛立宗では、当時のご講有、小山日幹上人のご指示により、終戦時に台湾の5つの都市にあった道場の現在と、残された信徒をはじめとする日本人の遺骨の状況、そして宗門としての慰霊法要を行う可能性についての本格的な調査を行います。結果、当時の日本大使館の協力を得て、同年、本門佛立宗による第一回目の慰霊法要が執行され、昭和47年を除いて、現在まで毎年、日本交流協会、台湾日本人会、台湾協会と合同で、日本人物故者の慰霊法要が営まれるようになるのです。
その間、台北中和寺にあった遺骨は台中の宝覚寺に移され、台北での法要はこの第一殯儀館で行うようになるなど、若干の変遷はありますが、我が宗門としては48回目を数える令和元年度の法要を、宗門の最高指導者、講有大僧正、髙須日良上人のご唱導をいただいて、本日無事に執行出来ますことは、これも台湾の発展に尽力し、この地に眠る先達や、その慰霊を今日まで紡いでこられた諸先輩方、関係諸機関のご苦労の賜物と、深く感謝を申し上げる次第です。
今回は明日、「台湾で最も尊敬される日本人」として知られる八田與一氏の慰霊法要を、烏山頭ダムに表敬訪問し、我が宗門として初めて執行させていただくことにもなりました。
願わくはこの度の妙法口唱の功徳によって、日本人物故者の諸精霊に安寧がもたらされ、以て日本と台湾の益々の友好と、世界の平和が築かれますことを衷心よりご祈念申し上げ、慰霊法要執行に際してのご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
令和元年十一月十一日 本門佛立宗 宗務本庁弘通局 局長 吉田日景 合掌」
昭和47年と、コロナ禍で渡航できなかったこの数年を除いて、積み重ねてきた本門佛立宗の台湾での慰霊法要。八田與一さまとのご縁、尊いご因縁、その功績、功徳。
台湾協会の清水理事長から丁重なるご挨拶をいただき、宗門にお伝えすることをお約束いたしました。本当にありがたいことです。
昭和45年5月26日から6月6日まで、台湾に出張した中西清櫃師と石田清州師による素晴らしい出張報告書が残されています。宗門のみならず、台湾にかかわる日本人にとってとても歴史的な資料です。今後、さらに貴重な資料として認められます。
ご講有 髙須日良上人は台湾の高雄でお生まれになられ、幼少期を過ごされた御方です。そのような方が最高指導者にある時、半世紀に及ぶ宗門の慰霊法要の功績にスポットが当たり、顕彰していただけることを心からありがたく思います。
山坂のある妙深寺まで、わざわざ本当にありがとうございます。ありがとうございます。
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