2024年8月8日木曜日

【8月1日月始総講併夏期参詣最終日】御教歌「今度はおもひさだめつのりのため しぬるいのちは ひとつよりなし」


御教歌 令和六年八月一日 月始総講 夏期参詣最終日 テーマ「思い定めのできる人」
 今度はおもひさだめつのりのため しぬるいのちは ひとつよりなし
開化要談 十・扇全十三巻二六五頁 / 開化要談 名・扇全十三巻二八七頁

佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。
テーマ「思い定めのできる人」
御題「現世安穏の極意」 

この御教歌は、この命を信行ご奉公のために使わせていただこうと思い定めてご信心と向き合えば、それは最も価値ある命の使い方になることをお教えくださる御教歌です。

御教歌再拝。「今度はおもひさだめつのりのため しぬるいのちは ひとつよりなし」

本日の御法門は妙深寺の夏期参詣最終日、第二十日目、「思い定めのできる人」というテーマで拝見をさせていただきます。

さて、この世の中に一つしかないものはたくさんあります。スケールの大きいものだと宇宙に天体、地球やその国々も唯一無二であり、その地に生きる民族や言語・風土などもそこにしかない貴重なものでしょう。 
さらに身近なものでは、私たち一人ひとりが他にはないオンリーワンの存在であって、その人の人生経験や個性もただ一つのものであるといえます。 

そして開導聖人はこの御教歌で、最も大切なものは御法に出値えた「今度」の命であり、たった一つしかない意味ある貴いものであるとお示しです。ですからお互いは その自覚のもと、命の使い方を間違ってはならないとお誡めくだされています。 

お祖師さまは如説修行抄第一段に 
「此経を持たん日より思ひ定むべし」 
と仰せになられ、上行所伝の御題目にお出値いできた命の価値を理解して、信行ご奉公に励む決断を「思ひ定め」とおっしゃっています。 

思い定めとは、心に固く決心することです。ご信心の上では「決定」ともいいます。
何をするにしても「やるぞ」「やり抜くぞ」という心構えが大切なのは当たり前です。
仏道修行でもいい加減な心持ちでは務まらない。結果が得られない。
ブレない、迷わない、立ち止まらない、前に進む、強い心、思いを定めることが大事だとお示しになられているのです。

御教歌の御題には「現世安穏の極意」とあります。
現世安穏は法華経のお経文です。法華経の『薬草喩品第五』に出てくる。

「是の諸の衆生、是の法を聞き已って現世安穏にして後に善処に生じ、道を以て楽を受け亦法を聞くことを得」

ただ、お祖師さまのご一生を振り返ってみてください。大難四ヶ度、小難は数知らず、大変なご苦労で、当時のご信者さんからも「現世安穏・後生善処」という法華経の経文と違うではないか、という声がありました。

そこに対してハッキリとご教導をなさっている。
時は末法、私たちは凡夫です。
簡単に、現世安穏・後生善処の御文をたのみ、決定もなく期待して、虚しくに生きてはならないというお戒めです。
なぜなら、同じ法華経には、歓持品には三類の強敵があると説かれていますし、末法は大変な時代、ご信心、ご奉公もままならないと示されています。
ここに、どうやって整合性を取るのか、しっかり見極めなさい、ということです。

つまり「現世安穏の極意」。覚悟がなければ現世は安穏にならない、ということです。

少々難しくなりますが、如説修行抄第二段に、「現世安穏」のことが説かれます。
私たちが地鎮式などでお唱えするものです。なぜ地鎮式に唱えるかといえば、最も現世安穏を祈る時だからです。この土地が、この家が、平和でありますように、と。

しかし、如説修行抄の第二段には、本当の現世安穏は「万人一同に南無妙法蓮華経」と唱えるようになれば、現世安穏が訪れる、とあります。中途半端なご信心で得られるのが「平和だなー」ということではないということです。

『如説修行抄』には三つの大切なお言葉があります。それが
「思定」という二字、「打定」という二字、そして「唱死」という二字。ものすごい覚悟を持ったご信心でなければ、幸せな、価値のある、本当の意味で穏やかな、恵まれた一生にはならない、という教えです。

私たちが御講の際に必ず必ず拝見するお祖師さまの御妙判があります。
「一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」

まさに、大変な現証の御利益、今生も、来世も、悔いない、迷いない、救われる、現世安穏・後生善処の御利益をお示しです。

ただ、この御文には前に一文があります。そのお言葉を含めて拝見しますと。

「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり」最蓮房御返事 / 日蓮聖人

ここに「信心に退転なく」「身に詐親なく」とある。
「詐親」の「詐」は「詐欺」の「詐」です。「いつわり」「あざむく」という意味。
つまり、「詐り親しむこと。外面のみ敬い親しむふりをする、へつらう姿」のことです。「うそをいう。だます。」

ちょっと嫌なことがあると落ち込む、引っ込む、黙り込む、座り込む。逃げる、やめる、降りる、移る、退転する信心。
信心しているように見えて、偽りがある、嘘がある、御法さまを騙している、あざむく。
それでは、現世は安穏にならない、後生だって善処にはいけない。
そうキッパリと、ハッキリと、お示しです。

お祖師さまは開目抄に

「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ」

とお諭しです。
難があっても、苦難があっても、困難があっても、疑う心がない、思いが定まっている、やることが打ち定っていたら、しかも唱死の覚悟があれば、仏界に至る。必ず天のご加護がある。

先住は六十歳の還暦を迎えられて八ヶ月後に亡くなりました。私は三十一歳でした。
ご遷化にあたって「宿題を残す」と仰せになりました。
人生とは何なのか、生きるとは何なのか、では死ぬとはどういうことなのか、ご信心はなぜしなければならないのか、だからこそご奉公に生きるとはどういうことか。
今でも、宿題を解いている途中です。

お祖師さまも六十一歳でご入滅になられました。
日博上人もお若くして亡くなられました。
「ワッハッハ よきもあしきも今生は まずはこれまで あとは来世で」
有名な、とてつもない辞世の句です。思い定め、唱死の辞世の句です。

自分もいつか死ぬ。すぐに死ぬ。人間は中継ぎである。時間は限られている。
「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」

この世は無常。このことを、絶対に、決して、忘れないようにしましょう。

今年は、そんな世の中の、人生の、無常の、厳しさ、私たちの命のはかなさを胸に深く刻んで、総祈願を立て「私たちの祈りと誓い」を唱和しています。

<私たちの祈りと誓い>
ただ一つの命 たった一度の人生
御法にお出会いした悦びを忘れず
お祖師さまの御意を胸に
御題目を唱え お参詣に努め お講を大切に
強く 明るく 楽しんで 今生人界のご奉公
功徳を積み 罪障を消滅し 御利益を感得
みんなの幸せのため 菩薩行に励みます

御指南 
「今度(このたび)の一生みのりの御為にすてゝこそ 如説抄御指南の御本意なれ」 
開化要談 十・扇全十三巻二六五頁)
御法さまにお出値いできたこの度の命は、一生を掛けて御題目を受持信行して、教化折伏に邁進させていただくことが肝心だと仰せの御指南です。 

思い定めの覚悟ができれば、どのようなご奉公もさせていただけます。 

どうすればお祖師さまがお悦びになられるか。どのようにすれば功徳が積ませていただけるか。どうしたら正しいご信心を貫くことができるか等を常に考え、精一杯のご奉公に精進させていただくことが大事大切だと、お示しの御教歌です。 

故に御教歌に「今度はおもひさだめつのりのため しぬるいのちは ひとつよりなし」

「末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ(中略)。諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶け万民は難をのがれん。乃至後生の大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給ひぬ」新尼御前御返事 / 日蓮聖人

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