遠妙寺の田原彰行師とフィリピン教区の現地フィリピン人の御講師であるマティリン彰勇師がネパールにお越しになり、ご奉公してくださっています。無事のご到着、ありがたいです。
21時過ぎの到着で、そのままカトマンズ親会場にお泊まりいただき、昨日はすでに題目塔へお参りくださり、タナバンジャング村にお助行くださいました。
今日はスンカニ村のお助行、サムンドゥラデヴィの学校を訪問。徒歩で山を降りながら何軒かお助行し、夜はビカス宅に宿泊。過密ですが限られた時間の中でありがたいご奉公です。
マティリン彰勇師。見るからに素晴らしい御講師です。勇敢で、聡明な方だと感じます。
僕たちのネパールでのご弘通も、手探り、体当たり、模索し続けているけれど、ただ一つ、上行菩薩所伝の御題目を握りしめて、異体同心で、泣きながら励まし合って、ギリギリ踏ん張っています。マティリン彰勇師にはネパールで体験する全てのご奉公を、フィリピンでのご弘通開拓ご奉公に生かしていただきたいです。そんな貴重な機会になればと、心から、切に、願います。
田原彰行師はフィリピン教区の責任者として前期の海外教区長会議にも参加してくださっていました。ご講有やご住職や先任の御講師からのバトンを大切に抱き、フィリピンで大変なご奉公をなさっているという感慨があります。
この時代、国内であれ、海外であれ、弘通開拓のご奉公がどれだけ過酷か肌身に沁みて分かります。奮闘努力の甲斐がないことも、同志が途中で諦めてしまうことや、弱ってしまうこと、離れてしまうこともあります。
真の弘通家。それ以外に目指すところはありません。佛立教務の真骨頂はご弘通。田原彰行師は弘通家、マティリン彰勇師が弘通家として成長してくれることを願っておられるのだと思います。そのお手伝いをネパールのみんな、清行師や清地師がさせていただけるとしたら、これほどありがたいことはないですね。
日本が直接介在しない、海外教区所属の教務同士の交流、育成、素晴らしい機会となります。ありがたいです。
昨日、妙深寺の教務会でみんなにも言いましたが、開導聖人は「お坊さん」が大嫌いでした。お坊さんを批判する御教歌がどれだけあるか、なかなかご信者さん向けに拝見しませんから忘れているかもしれませんが、数えきれないほどあります。
いつしか、自分が開導聖人が大嫌いな「坊主」「僧」になっていないか、顧みるべきです。頭でっかち、ものしり、つまり評論ばかりしている賢ぶっている坊主を、開導聖人は大嫌いなのです。
弘通家を目指す。行事をこなすだけではダメ、口先だけで魂がないのはダメ。情熱がなければダメ。政治家のような、評論家のような僧侶はダメ。表と裏のある坊主なんてあり得ない。正々堂々、威風堂々としていてこそ、本物の本門佛立宗の僧侶、開導聖人がお好きな弟子です。
御教歌
「化かすぞや 口と心のうらおもて 衣を著たる狸坊主は」
「はじをしれ たいや坊主といはれても はらの立ぬぞそれがこしぬけ」
「謗法も せめず旦那の気とりして 施物むさぼる坊主にくしや」
「世の人の 迷ひをさとす仏法を 習ひ損じてまよふ坊主等」
「いつよりか 葬式もなしなにゆゑか 逮夜坊主のけふもあぶれて」
「おこるなよ あほのながいき娑婆ふさげ 坊主の屑は人に害あり」
「紙屑は すきなほしせば用ふるを 坊主の屑は何につぶさむ」
「勧財を 事とのみする坊主故 寺は弥々 衰微するなり」
「経よんで 銭をもらふて鉢坊主 あかい衣はちっと不似合」
こんなお坊さんになっちゃいけません。開導聖人は坊主が嫌い。どんな坊主が好きで、どんな坊主が嫌いか、しっかり見据えて、自分を顧みて、改良しなければなりません。
ダメな坊主には布施を止める、お布施しないのが一番いいという御指南もあります。そんなことにならないように、ある時は敬い、ある時は尻に敷くようなことをせず、開導聖人の御教歌を用いて御法門を説き、お布施、ご供養をお預かりしているのですから、しっかりと開導聖人に好かれるような教務でなければならない。
昨日の教務会ではそのようなことを話し合っていました。
ネパールでのご奉公が、災難なく、無事に成就することを、ご祈願させていただきます。厳しいネパール。命懸けのご弘通。旭も見守ってくれると思いますが、無事円成することを願っています。
ありがとうございます。
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