26日、公益財団法人 全日本仏教会の第36期 国際交流審議会の会議を開催しました。今期も拙いながら委員長として諮問について審議しています。
審議会は「危機の時代にある仏教」を念頭に、諮問の1と2、国際社会における各団体の活動や課題について共有し、特にSDGs(気候変動・難民問題・ジェンダー平等)について議論を重ねています。
今回は議論を深めるために有識者を2名お招きし、その専門的な知見をお聞きすることとし、仏教思想研究家で『差別の超克』の著者・植木雅俊先生と、龍谷大学ジェンダーと宗教研究センター長を経て大阪大谷大学教授の岩田真美先生をお迎えしました。
それぞれ極めて有意義な講義で、委員や理事は強い感銘を受けながらお話に耳を傾けていました。植木先生は特別にレジメをご用意くださり、委員各位へ配布いただきました。資料だけでも貴重極まりないものです。
いつもながら植木雅俊先生の講義は圧巻で、国際感覚と国際経験の豊かな委員方の心を奮い立たせたに違いありません。あらためて、宗派の垣根を超えた「仏教徒」としての普遍的な価値観、原点を共有することが出来たと思います。
「〔自らを〕慚じることは、その車の制御装置であり、念いを正していることはその囲幕である。私は法(真理の教え)を御者と〔呼び〕、正しく見ること(正見)を先導者と呼ぶ。女性であれ、男性であれ、その人の乗り物がこのようであれば、その人は実にこの乗り物によってまさにニルヴァーナのそばにいる」 (『サンユッタ・ニカーヤ』)
シリアの大使・メガステネース(ギリシア人、B.C. 300年ごろ)の言葉。「インドには驚くべきことがある。そこには女性の哲学者たち(philosophoi)がいて、男性の哲学者たちに伍して難解なことを堂々と論議している!」 (『インド誌』、中村元訳)
「わたしは人間に生まれ、人間において成長し、人間においてブッダとなった」(大正蔵、巻二、七〇五頁下)
「変成男子」は、女性の成仏の必須条件に非ず。小乗仏教の女性観、成仏観に囚われた舎利弗を説得する手段。
「生まれによって賤しくなるのでも、高貴なものとなるのでもない。行いによって賤しくもなり、行ないによって高貴なものともなるのである」 (『スッタニパータ』)
「生まれを尋ねるな。行ないを尋ねよ。火は木片から生じる。卑しい家柄の出身でも、志が堅く、慚愧の念で自らを戒めている賢者は高貴の人となる」 (『サンユッタ・ニカーヤ』)
「生まれ」:カーストの違いのほかに、男女の違いも含められよう。
先生の講義のまとめは、「仏教が女性を差別していたかというと、差別していた時代もあった。」ということ、しかし「歴史的人物としての釈尊は差別していなかった。」ということ、さらに「男か女かという「生まれ」の違いではなく、「人間」としての「行ない」がどうであるか」ということ、でした。まったくその通りだと思います。
釈尊滅後に出家中心主義、男性中心主義となり、女性差別の思想が台頭。紀元前2世紀ごろに「三従」説、紀元前1世紀ごろに「五障」説が説かれるようになりました。いずれにしても権威主義化した仏教ではなく、本来の仏教に立ち返ろうとする運動が起こりました。少なくとも日本の仏教界はこのことを共有できます。今年中には審議会として答申をまとめ、理事会に提出したいと思います。
本門佛立宗が全日本仏教会に加盟していることには先師上人方の深い御意や願いがあったと聞いています。ここに日蓮正宗や創価学会は加盟していません。同会への加盟は本門佛立宗が排他的なカルト教団ではなく、社会的な視野と責任を共有する宗門であることの証明です。確固たる信仰が揺らぐことはありません。
ご多忙の中、植木雅俊先生が全日本仏教会までお越しくださったこと、心から感謝しております。東京タワーと先生の写真をいただきました。ますますのご活躍とご健康を心から願っております。今日もNHK文化センターの講義です。
そして昨日も杉野宣雄先生から平和展の作品をお預かりしたり、オーストラリアから光子さんとコートニーさん、アナベルちゃんがお参りしてくださったり、スリランカの良潤師とオンラインで会議をしたり、そのまま相模原 妙現寺で住職会に参加したり、ありがたい一日でした。ネパールでも活発なご奉公をいただいています。
日本、ネパール、スリランカ、オーストラリア、世界中のご奉公に心から感謝です。
ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿