2007年10月22日月曜日

音楽について

 音楽は人を魅了する。簡単に国境や言語、人種の壁を超えて、人々に感銘を与える。
 若い頃、というか10年前くらいに先輩と話をしていたら、その先輩は「来世は歌手になりたいなぁ」と言っていた。何故かと聞くと、上記のような理由だった。私も本当にそのとおりだと思ったものだ。
 私たちの「唱題行」というのは、ある意味で「歌手」に当たるかも知れないと、Yaccoさんから教えていただいたように思う。Yaccoさんが、はじめて本堂に入った頃だっただろうか、本堂の中を「クラブ」のように感じたというし、導師や教務を「DJ」のように感じたというのだから。少々驚いたが、Yaccoさんらしい。
 仏教には、大別して「瞑想(Meditation)」と「口唱・詠唱(Chanting)」という修行がある。「瞑想」が止まって行う個人の修行だとすれば、「口唱行」は五感をフルに使い、一人ではなく多くの人と共に行うもの。一緒に唱えることを指すのだが、聞いても良し、口ずさんでも良し、というわけだ。とにかく全員で五感を使い、みんなで声を合わせて唱える修行は、簡単に「一つ」になれる全員参加型の修行なのだから有難い。
 現実、海外でご奉公をさせていただくようになって、「ナムミョウホウレンゲキョウ」とマントラを唱えることは、簡単に国や言語や人種の壁、理屈や理論を超えて、誰もが出来、誰もが魅了されると知った。自分で唱えることによって、何かを実感・体感できるということが最大の魅力だろう。難しい歌詞ならば覚えるのに大変なのと同じように、口唱(詠唱)行とはいえ難解な経典であれば実感することは叶わないのだから。久遠から届けられたユニバーサル・ラングエッジである『歌詞』とリズム、ビート、とも言えるわけだ。
 しかし、最近の私といえば、少々時計を逆に回して、「歌」の魅力を痛感している。思い起こせば、若い頃は何度かライブをやらせてもらい、歌ったものだ(恥ずかしい)。神奈川県下の寺院から大勢の若者が集って開催された大キャンプでも、トラックを改造して野外ステージを作り、そこで2度も、ライブをさせていただいたことがある。あの時も、先代のご住職が「やってみろ」という一言で練習を開始し、本番を迎えた。
 さらに、京都でも2度、ライブハウスを借りてステージに立ったことがあった。いま考えると恥ずかしくて仕方がないが、若気の至りで、アベちゃんの指揮の下でさせてもらった。恥ずかしい(笑)。祇園の八坂神社に近いライブハウスだったが、正確な場所は覚えていない。
 いま、ネッド・ワシントンの書いた『The nearness of you』という曲が素晴らしいと教えてもらって、毎日口ずさむようになった。このネッドという人は『When You Wish upon a Star(星に願いを)』という誰もが知っている曲の歌詞も書いている。そう、ディズニー映画『ピノキオ』の主題歌としてジミニー・クリケット(コオロギ)が歌っていた名曲だ。『御宝前に願いを』だったらもっとよかったが、日本語訳も素敵だし、私も昔から大好きな曲だった。
 実際にはジミニーを演じたクリフ・エドワーズが歌っていたらしい。その年のアカデミー賞の歌曲賞を獲得し、その後も「映画史における偉大な歌 百選」の第7位(ディズニー関連作品では最高位)に入っているということだ。
 この『星に願いを』は1940年に書かれた。そして、同じ年に発表されたのが『The nearness of you』だった。ニコール・ヘンリーが歌うこの曲が一番素敵だと思うが、またあらためて『音楽』の素晴らしさを思い起こすことが出来た。今年の年末の「教講納会」でご披露できたらいいなぁ。今年は新事務局、特に第二弘通部の方々の出席もあるだろうから気合いが入る(笑)。また、Jazzyな曲が歌えるようになったら山村御導師や恭代さんにも自慢できるし。
 ついでだから、ネッドが書いたこの曲の歌詞を載せておこう。
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『The nearness of you』
It's not the pale moon that excites me
That thrills and delights me,
Oh no, It's just the nearness of you
It isn't your sweet conversation
That brings this sensation,
Oh no, It's just the nearness of you
When you're in my arms
And I feel you so close to me
All my wildest dreams came true
I need no soft lights to enchant me
If you'll only grant me
The right, To hold you ever so tight
And to feel in the night
The nearness of you.
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 『星に願いを』と同じ作詞家の曲。あらためて、あの名作「ピノキオ」と同じ年に、同じ作詞家によって書かれたこの曲を、「素敵だぁ」と思うのであった。
 ちょっと豆知識を披露すると、実は『When You Wish upon a Star(星に願いを)』は、現在もスウェーデンとノルウェーではクリスマスソングとして歌われている。つまり、その「星」は「星」でも、何と「ベツレヘムの星」について歌っているのだというのだ。
「ベツレヘム」といえば、私も行ったことがある、イエスの生まれたとされる街。ユダヤ教徒にとってもダビデの住んだ街として神聖視されている。
 エルサレムから約8キロ。私はタクシー運転手と交渉して、その街に向かった。コバンというイケメン運転手だったが、彼をエルサレム旧市街の外、オリーブ山のゲッセマネで見つけて、一路ベツレヘムに入ったのだ。いや、一路ではなかった。すでにエルサレム近郊にはイスラエルとパレスチナを分断する「壁」が出来ており、私たちは山の中腹でタクシーを降り、ゴツゴツした山を少し下って、どこからともなく現れた別のタクシーに乗り込んだ。そして、現在はパレスチナ自治区となっている「ベツレヘム」に入った。
 「The nearness of you」は愛を歌った曲だが、『When You Wish upon a Star(星に願いを)』に宗教的意味があることを知る日本人はとても少ない。「クリスマスに起きた奇跡」というようなことをテーマにしているのだから、仕方がないのかもしれないが、こうしたことも頭に入れておくといい。単純な「クリスマス気分」で終わるようなものではない。「人類の心の闇」といわれる世界が、その後ろ側には広がっている。
 なぜなら、私が見たベツレヘムは、夢や希望、愛に満ちたものではなかった。パレスチナ自治区に住み人たちは、ニュースで報道されているイメージとは違う。人々はとても明るい。
 私がイエスの生誕教会(ここで生まれたのではないというのが今や定説だが)の前に立った時、すぐ隣にはイスラム教のモスクがあり、ちょうど午後の礼拝を呼びかける「アザーン」が鳴り響いていた。イスラム教徒たちは、そこにキリスト教徒が聖地と崇める教会があることなど全く関心を払わずに、午後の礼拝のために集まっていた。そして、一部の者たちは観光客相手の商売に精を出していた。
 もちろん、ユダヤ教徒であるイスラエル国家は、パレスチナ自治区であるベツレヘムの包囲と警戒を解いていない。コバンはパレスチナ人の中では数少ないキリスト教徒だと言っていたが、「イスラエルの警察に睨まれたら仕事が出来なくなり、何の理由もなく車も取り上げられて家族が飢えることになる」と言っていた。とにかく、3つの宗教は互いに牽制し合っている。
 そして何より、ベツレヘムの星を見上げているのは、いまや貧しい暮らしを余儀なくされているパレスチナの人たちである。そのことを裕福なキリスト教徒の巡礼者は全く気にもしていないようだったが。

4 件のコメント:

ananas さんのコメント...

家にいるピノキオとまったく同じだ。どこで撮った写真ですか?うちのピノキオちゃんもこの写真の場所で生まれたのかな?

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

Makiさん、

ありがとうございます。
マッシー、ご奉安のお教化、すごいですね。ありがたい。
この写真、インターネットで探してあっただけなのでした。どこだろうなぁ。
フィレンツェの、ポンテ・ヴェッキオ近くでたくさん売っていたのを覚えています。ちっちゃいのから、すごく大きいのまで。イタリアが原産地かしら?

匿名 さんのコメント...

 ロマンチストな御住職の歌が聞ける日を楽しみにしてます。Blue Note NYにでも出演交渉しておきましょうか?!Yaccoさんのご意見、私も同じ事を感じてました。特に御会式!こんな事を言ったら御不敬ですが、お会式の始まり方はJazzライブの始まり方に似た高揚感が得られます(笑)。普通はミュージシャンが一斉に舞台に上がってバーンと始めるんですが、他にもう一つ、こんな始め方があるんです。
 ベーシストのソロが静かに始まる→しばらくしてドラマーがそこに静かに加わりリズムを加える→ベースラインが乗ってきたところでピアニストが登場しメロディーを加える→トリオの演奏にボーカル(あるいはゲストのサックス奏者等)が加わってライブがスタート♪
 一方御会式の始まり方はというと・・・
 参詣者の口唱が始まる→前御看経の拍子木や法鼓がリズムを刻む→遠くから昇堂の拍子木が聞こえてくる→奉修御導師のガンが入る→一斉に無始已来がスタート♪
 「ほら・・・似てない?」と以前両親に言ったら「職業病だ」と言われました(笑)。ちなみにJazz好きな父、熱海の御住職のガンの入り方は自然と“裏打ち”です。ちょっとJazzyなガンです。でもどちらも私の思い込みかもしれませんが。
 実は昔、(今思えば何を勘違いしたのか)失恋のショックからジャズボーカルを習い、発表会で歌う曲に「星に願いを」を選んだ事がありました(笑)。だから私にとっては思い出の曲。でもあの曲にそんな背景があったのは知りませんでした。知ってたら選ばなかったかも・・・気持ち込められないですし。Nearness・・・は素敵な曲ですよねぇ。でも結婚したら女性は「亭主元気で留守がいい」なんて呟くそうですから、独身の私としてはいつまでも浸っていたい曲の一つです。

ananas さんのコメント...

そうです、ピノッキオはイタリアが発祥ですよ。イタリアのお土産屋さんにはあの胴体の真っ赤なピノッキオ、いろんな大きさが売ってますよね。

炎の中にあるもの

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