2007年11月22日木曜日

ご奉公の結実!!高祖会盛大奉修 

 本年を締めくくる高祖会が、11月10日、11日と2日間にわたって奉修された。特に、小林日元上人を奉修御導師お迎えしての日曜日は、天気予報を完全に覆し、好天の下での奉修となった。

 この天気については、後日談というか、当日談がある。毎度、奉修局ではYahooなどで天気図やアメダスをチェックしている。そこで逐一「雨雲の動き」などアニメーション画面で天候の変化をチェックするのだが、この日曜日はどう見ても神奈川県の横浜地域を雨雲が避けるようにして二手に分かれていたというのだ。嘘のような話だが、担当者云く「ホントーです!」とのこと。ありがたい。不思議なものだ。

 小林御導師は、私の尊敬するご弘通家。はじめてお会いしたのは先住のお怪我の直後だった。当時、先住のお怪我は非常にセンセーショナルで、家族の思いとは裏腹にいろいろな怪情報などが飛び交って、たまらなかった。お折伏というか詮索というか、もう父を失うかもしれないという不安の中で、そうしたものに翻弄されて涙が止まらなかった。

 そんな時、鈴江御導師はいち早く「必ず御利益を頂戴する。現証を顕してくださる」と仰ってくださり、私たちはその暖かいお言葉にお縋りして御宝前に座り、御祈願をし、看病をしていたのだ。そして、あれは先住のお怪我からほんの数日後だったと思うが、名古屋・建国寺の石川御導師と博多・光薫寺の小林御導師のお二人が、わざわざ横浜・妙深寺にまでお出で下さった。私は打ちひしがれて本堂の後にある御控之間でご挨拶をお受けすることになった。当時、私は24才だった。

 石川御導師と小林御導師は、落ち着き、そして威厳がありつつもご丁寧に、本当の心の底からの労りとお慈悲をもってお言葉をかけてくださった。ここでもしものことがあったら一大事であり、宗門にとって致命的なことになる、何としてもここで現証の御利益を顕していただきたい、と。この時の、断固とした優しいお言葉を、私は絶対に忘れないと心に誓っている。

 こうした決定的な瞬間に来てくださり、お助行してくださり、真心からのお言葉をかけてくださることが、どれだけ傷ついた家族を救うか。私は身を以て体験させていただいた。だからこそ、自分自身も、教務諸師も、いざという時に動けなければご奉公にならん、と言っている。それが深夜だろうと何だろうと、火消しと同じ。駆けつけてご奉公していただきたい、と。それはその家族の心に一生刻まれる。

 私にとって光薫寺の小林御導師は最も苦しい時にお助行くださった変化(へんげ)の菩薩。後に、両御導師の息子さんを妙深寺で預かることになるとは、先住のお怪我の時には思いも寄らなかった。先住が現証の御利益によって、49日間の意識不明の果てに完全復活してから間もなく、小林信翠師(当時は横浜国大の大学院生である要慈くん)と石川清優師(同じく当時は大学生の英樹くん)を妙深寺でお預かりすることになった。

 私は妙深寺の本堂にある四畳半の教務室に寝泊まりしていたのだが、この二人は先住とご一緒の庫裡に住むことになった。まぁ、特にこの信翠師は頭が良くて、僕なんかとは全く正反対の性格で、ケンケンガクガクの議論をしたものだ。理屈ばっかりこねていると、「うるへ~!」と怒鳴りたくなるので、兄弟のように喧嘩というか、じゃれたものだ。清優師も、先住のスタイルもあって、本当の家族のように暮らした。考えてみると、よく妙深寺に息子さんを預けられたものだと小林御導師と石川御導師の決断に驚くと共に、今ではご弘通の上での友であり、良いご奉公をどれだけできているか競うライバルだ。決して情実に流されることなく、ご弘通を真っ正面から語り合える朋友、法友として、深い絆ができた。それも計算されていたのだろうか分からないが、両御導師とはそういう方だった。

 まさに、念願叶って小林御導師の御唱導をいただいた。御導師の御法門は来月号の寺報に詳しく掲載させていただきたいと思っている。その内容は、「現証」には4つの相があるということ。

「法難」「御利生」「お知らせ」「御罰」である、と。この御法門は、ビデオ撮影をしていたひろし君などの目を開いた。ひろし君は大感激していた。

 高祖会も、今年のご奉公を踏襲して、御導師にわがままを言って特別の法要式。まずは、一年間の妙深寺で溢れた笑顔をVTRにして放映。奉修前に「高祖会」の意味を解説するアナウンスを入れる。そこで、司会者から奉修御導師についてもご紹介。

 続けて、ゆっくりお迎えの御題目をお唱えし、その中を奉修御導師、出座御導師、御講師方が着座。無始已来の唱和、如来滅は拝誦せずそのまま高祖会奉修の言上をお願いし、続けて唱題。ここまで10分。そして、そこから奉修御導師御法門を頂戴する。

 妙深寺の三大会は、「お教化の出来る御会式」でなければならない、と言っている。妙講一座の拝誦の仕方、法要式については導師に一任されているのが開導聖人の御指南である。考えに考えさせてもらうと、最もご信心の尊さを届けたい人、ご信心に対して斜に構えているような息子さん、娘さん、お孫さん、お友だちなどは、御題目を唱える前の前置きが長すぎると、我慢できなくてすぐにパッと本堂から出て行ってしまう。それをしないために、説明をしっかりした後は、一気に「御題目口唱」「御法門」「御題目口唱」と持って行きたいのだ。そういうことを考えて、奉修をお願いしている。

 開導会で岩崎さんという女性がお教化になった。御会式終了後には本堂の後ろでお連れしたお友だちなどと談笑しながらご信心のことを語り、そこでお教化になる。岩崎さんもその一人だった。この方は、ずっと死のうと思って歩いていたという。そこに柴山さんが妙深寺のチラシを持って、フラッとお寺参詣を紹介された。そして、開導会にお参詣して、私も本堂の後ろで岩崎さんにお会いした。そして、ご信心をされるようになり、夕方になると柴山家で一緒に夕看経をし、御題目口唱をテープに撮り、家でも御題目をお聞きするようになられた。今では、あれほど死のうと思って悩んでおられた家庭内の問題も解決に向かい、御講席には欠かさずにお参詣されている。

 今回の高祖会でも、たくさんのお教化が出来た。有難いことだ。小林御導師の御法門はもちろん、ご奉公で疲れているにもかかわらず奉修後にたくさんのお話をお友だちにして、ご信心の有難さをお伝えし、私も御導師をお見送りした後にそうした方々とお話をさせていただいて、そして御本尊拝受のお願いをお受けした。

 何と何と有難いことだろう。毎日、有難いことばっかり。ゆっくりデスクに座れないのがいけない。キチンと定期的にブログも更新します。15時からご奉公なので、また怒濤の更新ラッシュをしようと思う。

 昨日で11月の御講が全て終了したので、ちょっとだけ時間が出来た。では、怒濤の更新ラッシュを乞うご期待!

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