
アッシジや聖フランチェスコを知らない人でも、アメリカの「サンフランシスコ」という都市の名前は知っているだろう。名曲「慕情」の舞台にもなっているアメリカ西海岸の「サンフランシスコ」もブラジルの「サンフランシスコ川」も、彼の名前にちなんでいる。マザー・テレサも彼の生涯を知って修道女になることを決めたといわれるし、それほどキリスト教世界、カトリックでは有名なのが、このアッシジ出身の聖フランチェスコだ。

それにしても、キリスト教の教会、特にアッシジはおっそろしい教会だった。もう、その教会の内部は表現しかねるほど重たい空気だった。フランチェスコの遺体は今でも教会の下部に埋葬された棺の中にある。その棺は階段を下りて来た者は見ることが出来る。私たちの団体では数人の女性の気分が悪くなり、教会内部に入ることは出来なかった。本当に恐ろしいほど重たい空気だった。
聖堂の内部にはジョットによるフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画がある。1997年9月26日に発生したウンブリア・マルケ地震でフレスコ画と丸天井が崩落して大事故となり、数名が死亡した。それだけでも恐ろしい。「世界の衝撃映像」などのテレビ番組で、この丸天井崩落の衝撃的な映像を見た方もいると思う。現在は、極めて精力的な修復工事によってほぼ元通りになった。

全く上手に描いてくれている。穏やかな田園地帯の空気まで表現してくれているように思う。ありがたい。天才や。
実は、私だけこのアッシジに庭を見て、一人だけ思うところがあった。2002年1月24日、バチカンのヨハネ・パウロ二世の呼びかけで「世界宗教者による平和の祈りの集い」が、このアッシジで開催された。聖堂前の庭にはその時の植樹が残されていた。

同じ聖書をルーツとしているユダヤ教、キリスト教、イスラム教と全く異なる視点を「仏教」が提示しなければならない。単純に、「手を取り合いましょう」ではなく、真実の仏教・本門佛立宗の私たちは、それを提示する使命がある、そう思っていた。そして、聖書を手にエルサレムに行き、ユダヤ・キリスト・イスラムの聖地を訪ねながら、仏教の使命に思いを馳せた。
アッシジのフランチェスコが評価されるのは、「キリスト教」という枠を飛び越えた普遍性を持っていたからだと言われている。つまり、そこが「キリスト教を越えた」「キリスト教を変革させた」と言われる所以である。そう考えれば考えるほど、仏教の「普遍性」を彼らに提示したいと思う。彼らが飛び越えたくて飛び越えられなかった壁を、キリスト教というドグマを外すことによって得られる法華経の普遍的な世界を提示したいと思ったのだった。
2009年、海外弘通は新たな局面を迎えるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿