2008年10月15日水曜日

スリランカへ先発

 14日の早朝、スリランカに向けて出発した。いよいよ、今週はスリランカ本門佛立宗 開教10周年のご奉公、団参、記念大法要が行われるのだ。
 慌ただしく横浜を後にした。バンコク経由でスリランカに向かう。どうしてもトランジットが上手くいかず、バンコクで6時間以上の待ち時間。ここで時間を潰すのには根気がいる。シンガポール空港の方が慣れているのだが、新装なったバンコクの空港は、まだ勝手が分からない。とにかく、インターネットを無料にしてくれるカフェで、随行の清顕師と時間を潰して過ごした。
 日本出発前、思うところがあり、いろいろと考えて考えて、自問自答を繰り返していた。自分の生き方と自分の性格、使命、方向性、愚かさ、情けなさ、馬鹿さなどについて、深く深く考えていた。このタイミングで、自問自答できたことに感謝している。自分は、もっともっと変わらなければならない。それは、成長するということであり、自らを省み、知るという作業でもある。
 今月、教区御講の御法門で、私たちは「仏教」=「御仏の教え」という客観的な表現から、自分の中に取り入れた「仏道」を歩まなければならぬ、と説かせていただた。日博上人のお話を交えながら、御仏の教えをいただいた以上、愚かな凡夫である自分を、謙虚さの中に身を置きつつ、自らの人間性を磨き、高め、成長していかなければならない、と。
 日博上人が大好きであったという吉川英治氏の小説「宮本武蔵」。私の世代となると吉川英治よりも司馬遼太郎となるので、私は今まで読んだことがなかった。しかし、最近になって、『日博上人は吉川英治の「宮本武蔵」の、一体どこが好きだったのだろう』と考えるようになった。そして、勉強のために本を購入し、読ませていただいた。
 この本が真偽未決の武蔵像を、そのまま描写しているかどうかなどは問題ではなかった。私は、すぐに気づいた。それまで私が描いていた武蔵は、天下無双の、強者武蔵であり、天才的な剣士であった。それを描く本は、単なるヒーロー本ではないかと思っていた。そうであるならば、武蔵よりは龍馬だろう、と。
 しかし、そうでなかった。単なるスーパーヒーローではなかった。無敵ではなかった。武蔵の敵は、ずっと武蔵だった。武蔵は、ずっと悩んでいた。ずっと頭を抱え、求め、歩んでいた。武蔵は言う。「剣術ではダメだ。剣が強い、弱いを比べているだけではだめだ。剣術ではなく、剣道でなければならない。剣を通じて、人の道を極め、人を安からしめ、国を富ませるようなところに到達しなければならぬ」と(取意)。単に小説であると脇に置けるものではなかった。日博上人が共感した点は、ここにあるのではないかと思った。仏教は仏道でなければならぬ。この道を歩んで、行動し、自らを磨き、高め、ある点への到達を目指すものでなければならぬ。つまり、人間の本業を、凡夫が実践することを、仏道修行というのではないか、と。
 御利益をいただく、それはいい。御法さまは、欲深い凡夫の心を納受くださる。しかし、御仏、お祖師さまの御本意は、より深いところにある。末法悪世に生きる、欲深く、嫉妬深く、疑い深く、愚かで、気まぐれで、喜怒哀楽に激しく、目先ばかりを追ってしまう凡夫に、人間の本業を教え、歩ませるために、仏道を歩ませるために、仏教はあるのだ。
 戦国末期から江戸初期、武蔵のような剣士は数えきれぬほどいた。しかし、武蔵のように、悩み、求め、苦しみながら、剣道を歩んだものは稀であった。いま、信仰者、仏教徒は多くいるが、本物の道を歩んでいるかどうか。真に仏道を歩んでいる者が、どれほどいるか。仏道を歩まねばならぬと、愚かさを痛感しながら、思った。
 日本からスリランカまでの機内。なかなか寝付けなかった。小さな自分の考えが、頭から離れず、苦悩していた。変わらなければならぬ、成長せねばならぬという、空しさに、力が抜けていくようだった。大きなご奉公を前に、いつも、このような気持ちになるが、これを越えていなければならぬ。ホテルに到着し、朝の4時まで。朝、お看経をさせていただきながら、いよいよ始まるご奉公に、鋭気がみなぎる。日本で、ご奉公の成就を御祈願してくださっている方々の声、想いが、背中を押してくださっているように感じる。いまも、感じている。
 空港からホテルまで、数え切れないほどの検問。有難いことだ。厳戒態勢を敷いてくれている。面倒なことだと思わない。これも、治安を守るためだ。日本政府にも、今回のご奉公が安全に行えるように、お願いすることができた。日本大使館もサポートしてくださる。「人事尽くして天命を待つ」。日本政府、外務省、スリランカ政府、警察機関に、正確な情報を求め、警護を求めて、今回のご奉公に当たる。有難いことだ。類推と思いつき、目的のない判断など意味がない。
 朝から、現地のリーダーの方々と打ち合わせ。これから、大法要で映像をつくってくれている青年会のメンバーと打ち合わせをさせていただく。明日の夜には、日本からの団参が到着する。いよいよ本番。何としても安全を確保し、ご信者の皆さまを守り抜く気持ち。宗門から妙深寺の主催になった以上、すべての責任は私にある。心せねばならない。今は、苦悩している暇などない。
 トランシーバーを6台持ち込み、妙深寺の教務に配置する。小さな稚魚を守るように、団参の方々が歩く際にも、教務が外側を囲もうではないか、と話した。テロの情報におびえる中、ご奉公を決意してくださった団参者の方たちの安全を、何としても確保しなければならない。その先頭に自分が立って、警戒してご奉公に当たりたい。教務が、奥の奥におののいて、誰かに守っていただく、外護していただくのは、治世の時だけでよい。我々が、命を張ってご奉公する姿勢に、ご信者方は外護の志を立ててくださるのではないか。教えは、実践としての「道」でなければならないのだ。
 とにかく、いい実践の機会を与えていただいている。第三下種の教相は、実践弘通行動の中でなければ分かろうはずはない。机上の空論、山林に閉じ籠もる中に、真の仏道修行はない。スリランカの信徒の方々は、いま日夜に準備ご奉公に追われている。御法さまの下の家族。私の家族がここにいる。ありがたく、涙がでる。

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