2015年1月14日水曜日

表現の自由、宗教、これから

パリのデモ行進。

反テロの、決意の行進。

亡くなった方々を悼む、哀しみの行進。

「今日、パリは世界の首都になる」という見出し。

世界中から集まった首脳たち。

イスラエルのネタニヤフ首相と、パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長が揃って参加した前代未聞の行進。

反テロ。

それは何より大切な行進。

私も、参加した気持ちでいます。

しかし、いくつか、思います。

あの米国同時多発テロの後、世界中の哀悼はニューヨークに集まり、各国各地で大規模な反テロの行進や集会が行われました。

誰もが、テロリズムに怒り、悲しみ、嘆き、悼み、平和を祈りました。

しかし、残念ながら、この直後に始まったのは、出口の見えないアフガニスタンへの空爆や、イラク戦争でした。

その恐るべき泥沼は未だ底が見えません。

あれほど平和を願ったのに、花嫁の車列に爆弾が落ちようと、子どもたちがクラスター爆弾で手足を失い、命まで奪われていても、「平和は黙っていても守れない。自由を奪われるなら銃を持って戦うしかない。」と言って黙認している社会は、どこかがきっと麻痺しています。

いま、反テロに団結するフランス史上最大のデモ行進を見ながら、その向こう側に、殺戮の連鎖が増幅して世界を覆うことのないように、切に願うばかりです。

このテロは、第一次世界大戦を誘発したサラエボ事件と同様の危うさを持っていると思います。

サラエボ事件はセルビア人青年がオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子を襲撃、暗殺、妊娠中だった妃まで犠牲となったテロ事件でした。

当時、この事件が世界大戦に発展するなど、ほとんどの人は考えていませんでした。

しかし、この痛ましい事件を契機に世論は沸騰、各国は総動員令を出して軍備を整え、瞬く間に世界を巻き込んだ長期戦争に突入してゆきました。

反テロと戦争。

米国同時多発テロの後、アフガニスタンへの侵攻やイラク戦争について反対することなど、全く出来ない「愛国心」が充ち満ちていたことも忘れられません。

その空気が変わるまで、実に多くの時間が費やされ、多くの犠牲が払われました。

反テロの行進が、真の平和を願う行進でありますように。

イスラム教徒の方々がパリのデモに参加していたのは、先の見えない宗教対立ではなく、痛ましい「反テロ」「反暴力」のため、真の「団結」を示すために、とても大切なことだったと思います。

もう一つ思うのは、風刺画についてです。

風刺とは、弱い立場の人たちが権力者を批判する時にエスプリやウイットに富んだ表現になると思います。

パリの洗練された文化と、特にイスラム教徒の多く住む国々の文化の間には、大きく深い溝があります。

不機嫌な時代。

この地球上に暮らす人たちのお互いの理解のためには、言論の自由の、その前に、リスペクトが必要であり、博愛の精神が来るべきだということを、思うのです。

特に、日本人が想像する以上に、信仰に対する最低限のリスペクトは、欠かせないことだから。

米国人をはじめ多くの国民が国旗を燃やされたり、踏みにじられたりするのを見ると血をたぎらせて怒ります。

日本でも左右に限らず、天皇陛下が愚弄されたりしたら不快に思い、怒り出すに違いない。

イスラム教徒にとってはムハンマドが描かれるということだけで偶像崇拝禁忌に反するために憤りを感じる人が多いはず。

デンマークの風刺漫画事件では編集者が、
イスラム教徒には近代的で非宗教的な社会を拒絶する者が存在する。彼らは特殊な地位、つまり彼ら自身の宗教上の意識に対する特別な配慮を要求している。このことは、侮辱や皮肉そして揶揄に耐えなければならない、現在の民主主義および報道の自由と両立しない。この事実は必ずしも眺めのいいものではないが、宗教上の意識はいかなる代価を払っても嘲笑する必要があるわけではなく、現代社会における宗教上の意識の重要性が低いことを示している。」
とコメントしている。

それにしても、ムハンマドが描かれるだけではなく、その人が同性愛者として描かれ、抱き合ってキスしている風刺画は、自由と平等と博愛を尊重する、言い方は悪いけれど「世俗的な」ムスリムにとっても、やはり心苦しいのではないでしょうか。

今回の襲撃は、決して許されない。

確かに、団結して、反テロ、暴力の否定と、自由と平等、博愛を尊重する社会を実現すべきです。

シャルリー・エブド。

犠牲者の方々の無念を思うと胸が締め付けられます。

彼らは、このテロに屈することなく、次号の表紙にもムハンマドを登場させ、アラビア語とトルコ語での発行もするそうです。

ムハンマドは涙を流しながら、「私はシャルリー」「全ては許される」というプラカードを掲げています。

狂信的な原理主義者たちが増え続ける中で、こうした風刺という高度な文化的アプローチが何をもたらすか、想像に難くありません。

残念ながら、今は社会的弱者が権力者を風刺する構図になっていない面があるからです。

マララちゃんは、子供たち、特に女の子への「教育」が必要と訴えています。

何も教えてもらえないまま銃を持ち、偏った正義を教えられ、そうして生きてゆく。

まず、教育のチャンスを与えてあげてもらいたいというマララちゃんの言葉は、数え切れない子どもたちの希望であり、実現しなければならないと思います。

同時に、私たちに出来ることは何か。

坂本龍馬が書いた、

「独り仏法は無辺の鳥獣草木まで済度すべし。如何に況んや有情をや」

という、本当の自由と平等と平和の教え、人類の叡智を、伝えたいです。

それを教化というのだと思います。

カーストを超え、ヴァルナを超え、ジェンダーすら超え、人種でもなく、国家でもなく、平等と平和を説く仏教を。

重ねて、イスラム教徒の方々がデモ行進に参加したことは、フランスの寛容を示すもので、尊く思います。

そして、今後を注視し、自分に出来ることを精一杯させてもらいたいと思います。

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