2023年6月16日金曜日

御教歌「信行はこれ人界の思出ぞ をこたるならばもとの悪道」

御教歌「信行はこれ人界の思出ぞ をこたるならばもとの悪道」

信心が起こるということ。信心しよう、ご奉公させてもらおう、と思う心。
その心が、自分の人生を救う。命を助ける。みんなを助ける。

その心が衰えて、その心が失われて、ご信心を後回し、ご奉公を遠ざけて怠る、怠ける。すると、また再び、人生が悪循環の中に戻る。こうなると元に戻るのは最初より難しい。
貴重な命を無駄にせぬよう、怠らず、信行ご奉公に精進する、功徳を積み重ねる大事をお示しの御教歌。

「信行はこれ人界の思出ぞ をこたるならばもとの悪道」

お釈迦さまは悟りを開かれた後、バラナシ(ベナレス)の鹿野苑において初めて五人の比丘のために法を説きました(初転法輪)。
この時、最初に説いた法門を「四諦(四聖諦)」と呼びます。

ブッダの最初の御法門、初転法輪は、四苦八苦の御法門であり、八つの正しい生き方を示されたものでした。
難しくいえば「四諦」という真理を説かれた御法門で、その最初の最初に説かれたのが「苦諦」「四苦八苦」の御法門でした。

人生。いろいろな人が、いろいろな見方をする。
それまでもそうでしたし、その後もそうですし、今でもそうです。
しかし、ブッダは、まず、このことをハッキリと説き明かされた。

「人生は苦しみである」

不幸な人だけではなく、どれだけ幸せであったとしても、誰も逃れることのできない、人生に必ず訪れる出来事を思い悟れば、人生は苦しみであると明らかにする。

「比丘たちよ、苦(ドゥッカ)の真理(サッチャ)とは以下である。
 すなわち、生は苦である、老は苦である、病は苦である、死は苦である、
 怨憎するものに会うことは苦である、愛するものと別居するのは苦である、求めて得られないのは苦である。要するに五取蘊は苦である。」

これが苦諦、四苦八苦の御法門。

「生老病死」
これに、 愛する人といつか必ず別れなければならない苦しみ「愛別離苦」、怨み憎む人と出会う苦しみ「怨憎会苦」、求めても得られない苦しみ「求不得苦」 、自分の心や身体が思うようにならない苦しみ「五蘊盛苦」。

その上で
「人生は奇跡である」
「人生は美しいものである」
「人生は甘美なものである」
とブッダは説かれている。

よく知られている「涅槃経」、法華経を説かれた後、仏さまの最後の旅の様子が記されたお経です。

その『大般涅槃経』にはパーリ語訳の『大パリニッバーナ経』とサンスクリット語から訳された『大パリニルヴァーナ経』の2つがあります。

中村元先生のパーリ語からの直訳を読んでみます。

「アーナンダよ、ベーサーリーは楽しい。ウデーナ霊樹の地は楽しい。ゴータマカ霊樹の地は楽しい。七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい。タフブッダ霊樹の地は楽しい。サーランダ霊樹の地は楽しい。チャーパーラ霊樹の地は楽しい。」

そして、サンスクリット語の『大パリニルヴァーナ経』にはこの言葉の後に、

「この世界は美しいそして、人生は甘美である。」

とあります。文献学として、これはブッダの言葉かそうでないか、という研究もできると思いますが、すでに初転法輪、最初の御法門の時から、ブッダは苦しみに満ちた世界から抜け出る道、その方法を示しておられます。

ですから、修行に励み、功徳を積み重ねて見える先、感じる先の心が、否定から肯定に変化することは間違いありません。

「人生は苦しみである」

しかし、み仏の教えにお出値いできたからこそ、教えに則って修行したからこそ

「この世界は美しいそして、人生は甘美である。」

「甘美」とは
とろけるように甘くて味のよいこと。また、そのさま。うまいあじわい。
感覚に甘くこころよく感じること。とろけるように気持のよいさま。

「嘉肴アリト云々」

「嘉肴」とは「うまい酒のさかな。おいしい料理。」
「嘉肴ありと雖も食らわずんばその旨きを知らず(かこうありといえどもくらわずんばそのうまきをしらず)」

「礼記」または「仮名手本忠臣蔵」より。
「いくら美味しいご馳走があっても食べてみなければその旨味が分からない。聖人の説く尊い道も実践しなければその良さは分からない。実践の必要を教える言葉。
また、大人物も実際に用いなければその器量を知ることができないことのたとえ。」

モラウタ味ヒ
ヤッタウレシサ

信心ト
芝居行
迷ヘルモノハ
味ヲシラズ

「信行はこれ人界の思出ぞ をこたるならばもとの悪道」

み仏の教えが、苦しみを苦しみと知り、それを乗り越える具体的な道。
信心、信行ご奉公。その心が、その実践が、自分の人生を救う、助ける。

しかし、その心が衰えて、失われて、ご信心を後回し、ご奉公を遠ざけて怠っていると、再び、人生が悪循環の中に戻る。こうなると元に戻るのは最初にご信心に出会った時より難しい。「古法華利益なし」どころか、「古法華救いようなし」になる。

人間として生まれ、気づいた人から、生き返る、生きて甲斐ある命の使い方をしよう。それが仏陀の教えです。

人生は、心ひとつで次元が変わり、運と縁に恵まれる。仏教は究極の引き寄せの法則です。自分の人生はたった一度の臨床実験であり、日々の心の変化が臨床データです。

邪気を祓い、悪縁を遠ざけ、自由に、気持ちをより良く切り替えて、みんなで奇跡の人生を歩みたい。それが仏教の説くところ、得られる結果、目的です。

今生人界、大実験を成功させなくてはなりません。大実験を成功させましょう。

常夏のハワイでのご弘通も悩む必要はないと思います。日本人のイメージが常夏の避暑地、世界的な観光地、憧れのハワイであるだけで、そうであるならばスリランカも同じ常夏の観光地です。

世界中のどこであろうと、そこにいる人たちは生きることに努め、心の安穏を求めているはずです。四苦八苦、無常から逃れられる人はいません。

もちろん、暖かければ毛布はいらないし、豊かな自然があれば植物も育ちやすい、飢える確率は低くなります。ただ、それだけで観光地や避暑地であっても生きてゆくことの大変さを挙げたら切りもありません。

本当の、心の豊かさや、穏やかさ、涼しく、しかも力強い、どこにも偏らず、縛られない自由な心を、仏陀の教えと修行にあることを、明確に示し、実証として説き明かすことが大切だと思います。

今生人界の思い出に、一つでも、二つでも、少しでも、少しずつでも、菩薩行に励ませていただくことが大事です。
 
 高祖の御妙判に、
「極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず」報恩抄・縮一五〇九

 開導聖人の御指南に、
「のみくひ名利にくらすいとまを、半日一日たりとも信行の日数にかへて悦ぶを、本門法華経の御弟子旦那と申奉る也。」聖典二三七

「この大法にあへる人は今日のくらし方さへつければ、あすの事を捨てて一日半日にても如説修行をすべし。それでこそ人界の思い出なれ。」聖典一三七

ご信心が起こるということ。信心しよう、ご奉公させてもらおう、と思う心。
その心が、自分の人生を救う。命を助ける。みんなを助ける。

その心が衰えて、その心が失われて、ご信心を後回し、ご奉公を遠ざけて怠る、怠ける。すると、また再び、人生が悪循環の中に戻る。こうなると元に戻るのは最初より難しい。
貴重な命を無駄にせぬよう、怠らず、信行ご奉公に精進する、功徳を積み重ねる大事をお示しの御教歌です。

故に御教歌に。「信行はこれ人界の思出ぞ をこたるならばもとの悪道」

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