先日来、いろいろな方とお話をしていて、思うことがある。
信心といっても、有難そうなことは分かるが、どうも、前に進めない。御題目をお唱えする気にもならないし、何か朝夕に御宝前に向かう気持ちも起きない。そもそも、そういう考えでいるから、そういうことをしなければいけない意味も分からなくなる。家に御本尊をお迎えしていても、なかなか、お看経出来ない。お看経をする気持ちにならない。お聞きしていて、そういう気持ちも分かると思った。
実際、自虐的なのかもしれないが、半分、「自分はどうなってもいい」と思うこともある。「なんとかなるだろ」と思ったり、自分のことであれば「仕方ない」とあきらめることもできるかもしれない。ご信心をする、御題目を唱える、という動機に、「自分」というものではしっくりこない人がいるのも確かだ。いや、自分も、自力が強いのか、そういう気持ちに共感できてしまう。
本来、「自分を何とかしなければ」「こうなりたい」「こうしてください」と、御宝前に向かう中心には自分がいて、それが強い動機となるのが普通かも知れない。病・貧・争という人々の苦しみや願いを、自分が乗り越えるために、御宝前に向かうという人は多い。
しかし、何か逆説的だが、ご信心や日々のお看経が「自分」という動機付けではピンとこない人たちもいる。豊かすぎるからそうなるのか、自力に頼る気持ちが強いからそうなるのかは分からない。でも、もしかするとその中に、自分も入ってしまうのではないかと思った。
自分のためには、なかなか出来ない。やる気が起きない。でも、他の人のためなら?と、その時にもお話しした。自分ならあきらめも付く、自分なら仕方ないと思えても、誰かのためにするということを考えてみて欲しい。私の場合、今のところ、それが一番強く御宝前に向かわせていただける動機だ。
特に、子どもたちの病気。御縁のある方からお話をお聞きしたり、お知らせいただいた方への御題目。白血病だった吏絵ちゃんのためのお看経。自分のためなら出来なくても、「あの子のために、自分にできることはお看経しかない。僕には、あの子のためにお看経ができるじゃないか」と思って、御宝前に向かい、お看経させていただいた。そして、12才だった吏絵ちゃんは見事に白血病を克服し、今年の春、高校生になった。長松寺に、御礼のお参詣をしてくださり、よろこびはひとしおだ。
御宝前に迎えなかったら仕方ない。でも、その動機が見つけられないという人がいたなら、どうか、誰かのために、御題目をお唱えしてみて欲しい。いま、私たちには御祈願がある。1才ちょっとの、リコちゃんの病気がよくなりますように、同じく1才になったばかりの芽衣ちゃんの手術が成功しますように、と。「自分のことはどうでもいい」とうそぶいている自分でも、この子どもたちのための御題目は欠かせない。
ご祈願を、よろしくお願いします。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
今日は飛行機、明日は電車
今日は飛行機を使わせていただいて、明日は小倉駅から新幹線、京都駅でサンダーバードに乗り換えて敦賀、敦賀で北陸新幹線に乗り換えて長野へ向かう予定です。 小倉から京都は591キロで148分、京都から敦賀は94キロで52分、敦賀から長野は353キロで110分だそうです(乗換案内さんが教...
-
この地球が到達した、彼も助かり我も助かる、持続可能の再生可能クリーンエネルギーを確かめ合えた時間。 普遍真理、普遍思想を説く仏教が、人びとのライフスタイルに密着し、プラクティカルに実現していることに感激する一座が、本門佛立宗妙深寺の開導会でした。これほど嬉しいことはありません。...
-
磁力で引き寄せられるように自然と一つになってゆく。人間たちの想像をはるかに超えて。僕たちは大きな宇宙の中の小さなピースに過ぎないから。本当に、不思議です。誰がシナリオを書いているんだろう。 今日、サンフランシスコの淳子さんが妙深寺にお参詣くださいました。まったく知らなかったです。...
-
今週の横浜ラグーンは俳優の西村まさ彦さまをお迎えしました。 ご存知のとおり、「振り返れば奴がいる」「古畑任三郎」など、大河ドラマ、映画、舞台、声優、CM出演など挙げればキリがないほどひょうきんな役からシリアスな役までオールラウンドに演じられる名優・西村まさ彦さん。 ジブリ作品『...
0 件のコメント:
コメントを投稿