2012年11月26日月曜日

いわれとしるし

全国的な雨模様。昨日は澄み切った青空だったのに。本当に、ありがたいです。

土曜日の得度式から病院に行きました!レントゲンと血液検査。肺炎だったとのこと(涙)。もう回復してきているので大丈夫なのですが、もう若くないので気をつけます。

喘息の吸引機や胸パッチを処方されたので、長野出発は日曜日の朝にしました。長野新幹線の窓から富士山が見えたかと思ったのですが、浅間山ですー(汗)。

妙深寺の長野親会場は、この初夏に別院として承認されて「妙深寺長野別院」となりました。別院になってから、初めての三祖会です。

御教歌
「何事も いはれをしらぬ人の世は
いのるしるしを見ずば信ぜず」

「いわれ」とは、「理由、わけ、根拠、道理、由来。歴史、経緯、過去、素性」という意味。法華経の何たるか、御題目の何たるか、そのいわれを知る人は少ないもの。

それだけではなく、「何事も」とお示しですから、どんなことでも、どんな分野でも、「いわれ」を知らない、知ろうともしない人ばかりの世の中だということです。経緯も知らない。歴史を知らない。内容も分からない。うわさ話に終始しているのは、末法の世の愚かさです。

「大同団結」とか「小異を捨てて大同につく」などという言葉が一人歩きしています。とっても大切な言葉です。「異体同心なれば万事を成ず」「人数の多少に寄らず異体同心はご弘通の基本なり」とも教えていただきます。

でも、「いわれ」を「どうでもいい」と切り捨てていいとは言わない。「いわれ」を捨てることはアイデンティティを捨てることにもなります。

ですから、この御教歌。「いわれ」を大切にした上で、それを伝えたところで何ともならない人が多い、大切に考えない人も多い。だから、「いわれ」を大切にし、それを乗り越えて、現前に顕れる御利益、実践をもって、伝えよ、証明せよ、とお示しなのです。

いま、ここにいること、こうしていることには、深い深い「いわれ」があります。それを知る人は少なく、知ろうとする人もいません。でも、私たちは、それを大切に思い返し、それを乗り越えて、ご奉公させていただくことが大事なのです。

「いわれ」よりも、もっと大切なものが「しるし」です。「いわれ」と「しるし」。どちらも大切だけど。

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