高度経済成長の頃に建設されたビルや道路、トンネルの老朽化が問題となっていますが、これらはすべて必然の出来事でしょう。
コンクリートの建物は耐用年数が約50年と言われます。50年前とは昭和38年(1963)、東京オリンピックの前年でした。まさに日本全土がオリンピックの開催に向かって公共交通機関などのインフラ建設や整備に邁進していた頃のことです。
とてつもないスピードで急成長を遂げ、全世界約200ヶ国の中で第2位の経済大国まで上り詰めた日本です。発展の速度が速ければ速いほど、社会のインフラが一気に老朽化するのも仕方ありません。新築ではなく、主に点検と修理の時代が到来しています。
コンクリートの耐用年数だけでなく、こうした社会のサイクルや変革は70年周期や80年周期で起こっているという説があります。
70~80年前は戦争の時代です。この学説によれば、そうした戦争と同等の、私たちの暮らしを根底から覆す大変革、大転換点が必然として近づいていると言います。
日本の再出発は第二次世界大戦の敗戦でした。あの戦争と終戦を起点に新しい世界が始まりました。あれから約70年を経て世界秩序も社会システムも単なる修理では間に合わなくなっているようです。
変革が必要なのに変革できない。こうして自ら変革できず、社会の疲弊が極まると、時に大変革は巨大な暴力を伴って行われます。国家の存続や変革を求めた果てに、人々は戦争を求め、行うのでした。残念ながら歴史は繰り返します。
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」
世界を地獄に変えた第二次世界大戦の指導者の一人、英国の宰相チャーチルの有名な言葉です。
戦争や革命は多くの犠牲と混乱を伴うものです。「革命はいらない。革新であれ!」と何度叫んでも、革新(イノベーション)ほど難しいものはありません。自ら改められる者は少ないのです。しかし、それに挑まなければ、明るい未来は来ません。
歴史小説家の司馬遼太郎氏は、「組織の寿命は四十年」と言っておられたそうです。人間通の氏の言葉には一つの真理があります。
終戦は昭和20年(一九四五)。日本国が主権を回復したのは昭和27年(1952)のことです。以降、日本は見事な復興と発展を遂げます。しかし、主権回復から約四十年後の平成3年(1991)~平成5年(1993)、いわゆるバブル経済が崩壊して安定成長期が終焉しました。「組織は四十年」という言葉通り、奇跡的な発展をもたらした日本型組織は約40年で終焉を迎えたかのようです。
いま、日本は「失われた20年」とも呼ばれる低迷期にあります。何とかそこから脱却しようと試みていますが決定打はありません。新たな分野の産業や優秀な人材が奮闘していますが、戦後に生まれた圧倒的多数の組織は自己変革を拒んだままで、安定成長期やバブル期の成功体験に縛られています。苦労知らずの縁故人事や縁故採用は生き残りを懸けて奮闘する世界との距離を広げ、すでに「失われた30年」という声も出ています。
圧倒的なスピードで人口減少が進み、毎年約25万人の規模で日本の総人口は減少しています。平塚市や府中市、富士市や草加市や松本市、佐賀市や呉市や宝塚市や寝屋川市、春日部市や茅ヶ崎市や小田原市、大和市や厚木市や調布市や熊谷市、鳥取市や沼津市や甲府市など、約25万人前後の都市が丸ごと一つずつ消えているような状況です。
誰もが抱えているはずの危機感や懸念を、単なる周囲への依存や要求ではなく、自分自身に向けて、自己変革、自己革新のエネルギーとしなければなりません。自分が変われば世界が変わるのですから。それは、自分や家族、学校や会社、お寺でも宗門でも変わりません。そのままでは生き残れないのです。
右肩下がりの社会の中で、目や耳にするのは浮かないことや冴えないお話ばかりかもしれません。減った、壊れた、老いた、疲れた。聞いているだけで気が滅入ります。しかし、こうした言葉に同調していると、自分も家族も転げ落ちてしまいます。
厳しい現実から目を逸らしたら判断を誤ります。楽観できるのは現実を見た上のことです。現実を見ないで楽観的になっているのは、単なる幻想です。気が滅入るかもしれませんが、現実を見た上で、強く、明るく、正しく生きられるかどうかが幸不幸の分かれ目です。
正しい信仰は、私たちに現実を見る勇気とそれを乗り越える力をもたらします。神経を病むような後ろ向きな話に囲まれていても、希望が心から離れません。
昭和18年、港町・横浜に誕生した妙深寺は、本年創立70周年を迎えます。希望を伝えるお寺も、自己変革が必要なサイクルです。大法要の円成や著書の出版など、様々なことのあった昨年ですが、浮かれる気持ちは全くありません。厳しい世相を立ち直らせるのも人。その人を支え、励ますのも私たち。70期説、「組織は四十年」と言われても、大改良で乗り越えて、その使命を果たしてゆきます。
妙深寺は、創立70周年を日本最初の元号が付された改革運動「大化の改新」から「平成の改新」と銘打ち、大改良を目標に据えた一年としました。一年間、私たち一同が、本物のご信心を追い求め、複雑に感じる功徳行、菩薩行を、もう一度、シンプルに、誰にでもご奉公しやすい形にしたいと切望しています。これが私にとっての「平成の改新」です。強い覚悟でこのご奉公に臨みます。
また、今年は先住のお怪我から二十年目でもあります。その前後の出来事から「組織は四十年」を痛感しました。あれから20年が経過したのです。「失われた20年」と言われないために弛まぬ改良、自己変革を続けられたでしょうか。私たちは平成5年に先住が見せてくださった「佛立魂」を忘れずに精進したいと思います。
開導聖人は御教句に、
「信心をほんまにするとやめられぬ」
とお示しです。厳しい時代だからこそ、本気でご信心をしてみる。無常の中に生き甲斐を感じられる。強く、明るく、正しく生きられるのです。
どうか、例年に負けず劣らず、口唱行、菩薩行に精進しましょう。「平成の改新」で、一人ひとりの、改良、革新の年にしましょう。
コンクリートの建物は耐用年数が約50年と言われます。50年前とは昭和38年(1963)、東京オリンピックの前年でした。まさに日本全土がオリンピックの開催に向かって公共交通機関などのインフラ建設や整備に邁進していた頃のことです。
とてつもないスピードで急成長を遂げ、全世界約200ヶ国の中で第2位の経済大国まで上り詰めた日本です。発展の速度が速ければ速いほど、社会のインフラが一気に老朽化するのも仕方ありません。新築ではなく、主に点検と修理の時代が到来しています。
コンクリートの耐用年数だけでなく、こうした社会のサイクルや変革は70年周期や80年周期で起こっているという説があります。
70~80年前は戦争の時代です。この学説によれば、そうした戦争と同等の、私たちの暮らしを根底から覆す大変革、大転換点が必然として近づいていると言います。
日本の再出発は第二次世界大戦の敗戦でした。あの戦争と終戦を起点に新しい世界が始まりました。あれから約70年を経て世界秩序も社会システムも単なる修理では間に合わなくなっているようです。
変革が必要なのに変革できない。こうして自ら変革できず、社会の疲弊が極まると、時に大変革は巨大な暴力を伴って行われます。国家の存続や変革を求めた果てに、人々は戦争を求め、行うのでした。残念ながら歴史は繰り返します。
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」
世界を地獄に変えた第二次世界大戦の指導者の一人、英国の宰相チャーチルの有名な言葉です。
戦争や革命は多くの犠牲と混乱を伴うものです。「革命はいらない。革新であれ!」と何度叫んでも、革新(イノベーション)ほど難しいものはありません。自ら改められる者は少ないのです。しかし、それに挑まなければ、明るい未来は来ません。
歴史小説家の司馬遼太郎氏は、「組織の寿命は四十年」と言っておられたそうです。人間通の氏の言葉には一つの真理があります。
終戦は昭和20年(一九四五)。日本国が主権を回復したのは昭和27年(1952)のことです。以降、日本は見事な復興と発展を遂げます。しかし、主権回復から約四十年後の平成3年(1991)~平成5年(1993)、いわゆるバブル経済が崩壊して安定成長期が終焉しました。「組織は四十年」という言葉通り、奇跡的な発展をもたらした日本型組織は約40年で終焉を迎えたかのようです。
いま、日本は「失われた20年」とも呼ばれる低迷期にあります。何とかそこから脱却しようと試みていますが決定打はありません。新たな分野の産業や優秀な人材が奮闘していますが、戦後に生まれた圧倒的多数の組織は自己変革を拒んだままで、安定成長期やバブル期の成功体験に縛られています。苦労知らずの縁故人事や縁故採用は生き残りを懸けて奮闘する世界との距離を広げ、すでに「失われた30年」という声も出ています。
圧倒的なスピードで人口減少が進み、毎年約25万人の規模で日本の総人口は減少しています。平塚市や府中市、富士市や草加市や松本市、佐賀市や呉市や宝塚市や寝屋川市、春日部市や茅ヶ崎市や小田原市、大和市や厚木市や調布市や熊谷市、鳥取市や沼津市や甲府市など、約25万人前後の都市が丸ごと一つずつ消えているような状況です。
誰もが抱えているはずの危機感や懸念を、単なる周囲への依存や要求ではなく、自分自身に向けて、自己変革、自己革新のエネルギーとしなければなりません。自分が変われば世界が変わるのですから。それは、自分や家族、学校や会社、お寺でも宗門でも変わりません。そのままでは生き残れないのです。
右肩下がりの社会の中で、目や耳にするのは浮かないことや冴えないお話ばかりかもしれません。減った、壊れた、老いた、疲れた。聞いているだけで気が滅入ります。しかし、こうした言葉に同調していると、自分も家族も転げ落ちてしまいます。
厳しい現実から目を逸らしたら判断を誤ります。楽観できるのは現実を見た上のことです。現実を見ないで楽観的になっているのは、単なる幻想です。気が滅入るかもしれませんが、現実を見た上で、強く、明るく、正しく生きられるかどうかが幸不幸の分かれ目です。
正しい信仰は、私たちに現実を見る勇気とそれを乗り越える力をもたらします。神経を病むような後ろ向きな話に囲まれていても、希望が心から離れません。
昭和18年、港町・横浜に誕生した妙深寺は、本年創立70周年を迎えます。希望を伝えるお寺も、自己変革が必要なサイクルです。大法要の円成や著書の出版など、様々なことのあった昨年ですが、浮かれる気持ちは全くありません。厳しい世相を立ち直らせるのも人。その人を支え、励ますのも私たち。70期説、「組織は四十年」と言われても、大改良で乗り越えて、その使命を果たしてゆきます。
妙深寺は、創立70周年を日本最初の元号が付された改革運動「大化の改新」から「平成の改新」と銘打ち、大改良を目標に据えた一年としました。一年間、私たち一同が、本物のご信心を追い求め、複雑に感じる功徳行、菩薩行を、もう一度、シンプルに、誰にでもご奉公しやすい形にしたいと切望しています。これが私にとっての「平成の改新」です。強い覚悟でこのご奉公に臨みます。
また、今年は先住のお怪我から二十年目でもあります。その前後の出来事から「組織は四十年」を痛感しました。あれから20年が経過したのです。「失われた20年」と言われないために弛まぬ改良、自己変革を続けられたでしょうか。私たちは平成5年に先住が見せてくださった「佛立魂」を忘れずに精進したいと思います。
開導聖人は御教句に、
「信心をほんまにするとやめられぬ」
とお示しです。厳しい時代だからこそ、本気でご信心をしてみる。無常の中に生き甲斐を感じられる。強く、明るく、正しく生きられるのです。
どうか、例年に負けず劣らず、口唱行、菩薩行に精進しましょう。「平成の改新」で、一人ひとりの、改良、革新の年にしましょう。
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