2013年5月9日木曜日

絆の病

昨夜、18時半から3時間、みっちり講義を受けて参りました。「1時間くらいの講義かな」と思ったら、とんでもない(汗)。

出席者は子どもの教育に携わる先生方など。一人だけ浮いていたかもしれませんが、真剣に、とても気づきの多い講義を聴講しました。

一つの理論に固まった講義ではありません。幼児教育の現場から積み上げられてきた臨床例をベースとして、その膨大な実例から導き出された共通の現象をお話いただいています。私も、ご奉公の現場で、様々なご家族を拝見してきて、全く共感できます。

つまり、すべての物事に原因があるように、子どもたちの問題行動の背後に親の問題、家族の問題が隠れている、ということです。これは、全部や親のせいだとか、そういうレベルの話ではなく、関係性、相互性として、子どもに起きている問題を考え、家族ごと指導していく、というスタンスです。自分こそ不良少年だったのですから、振り返ると思い当たります(笑)。これは深い。だから、学ぶのです。

子どものことが分からないと、大人のことは分かりません。大人は、自分も昔は子どもだった、通ってきた道だ、と思って分かったつもりになりますが、そこが分かっていないと気づかされます。

今や子どもに起こっている問題、若者に際立って起こってきた現象、問題は、中高年にまで広がってきています。だからこそ、いま、私たちが見据えなければならないのは、ここだと思うのです。

ご信心を伝えるということは、心を伝え、行動を伝えてゆくことだと思います。それは、個人を相手にするだけではなく、家族を対象にしていますし、社会全体を考えてゆきます。それは、なぜなのか。なぜ、そう言うのか。その答えが、ここにあると思います。分からなければ、もっともっと、人も社会も、ズタズタになってゆくのではないでしょうか。それこそ、近代の歴史が証明しているように、巨大災害や世界大戦というリセットまで気づきも改善もされないなんて、本当に哀しいです。

「子育て」を「子どもと大人の相互性」で見ることから始まります。その上で、では、大人たちの今、親たちの今、子どもたちの言動はどうか、と注目してゆきます。

「よく見れば、必ず見えます。」「必ず聞こえます」「気づくことができます」

本当に、そのとおりだと思います。見てないから、見えないのですね。聞こえないし、気づけないのです。歓びとか、SOSにも。そうして見過ごしていると、成長した後、大きな障害、問題となります。

私が今日までご奉公させていただいてきたご家族の問題、心の問題は、実に様々なケースがありました。私自身も、その中に大きな共通項、一つの普遍性を見つけられるようになってきました。この分野について、もっともっと、大きな取り組みが必要だと思っています。病院や病棟が欲しいくらい、そうしたケースが多くなっていますし、それらがお寺に集う方々の背後に隠れています。

この社会で生きているのですから、恥ずかしいことでもなく、当たり前だと思います。「ご信心しているのに、なぜそうなるの?」という質問があるかもしれませんが、それは愚問です。お互いに凡夫であることは自明なのです。ご信心をしていると言っても、ご信心を逃げ道にしている人もいれば、はけ口にしている人もいるのです。残念ながら、「釈尊出世の本懐は人の振舞にて候ひけるぞ」ということを深く思い、実践できている人は稀です。誰もが、そこまでステップアップできるように、ご信心を励まし、現証の御利益を頼りにして、歩んでいる途中です。そして、そのご家族ともなれば様々な信仰のレベルがありますから、お寺に集う人でも、そうしたご家庭内のトラブル、子育てのトラブルがあるのは当然です。

私は、お寺という場所が、そういう問題を早期に発見する場であってもらいたいと思っています。ご信心には子育てに関する具体的なメソッドがあり、家庭内のトラブルや子どもの問題を乗り越える具体的方策が満ちていると思っています。

精神疾患には、大きく「内因性」と「心因性」のものがあると言われています。しかし、私が拝見するに、つくづく、それぞれ決定的な線引きは難しく、「非社会的行動」「反社会的行動」など、出てくる言動についての線引きは出来るかも知れませんが、原因については本当に曖昧なままだと思います。「脳に問題がある」では済まないはずです。

私は、やはりご信心で教えていただくように、こうした現象は「○○性」ではなく、「業因性」とでも言うべきではないかと考えます。そして、「業」であるとすれば、「業」とは「動き」の集積なのですから、「動き」を改めるか、新しい「動き」を始める、作りだしてゆくしかないと思います。

少し時間があったので、長々と書いてしまいました。自分のためのメモのように、書いています。

フロイトやユングやエリクソン、、、、。モンテッソーリ、フレーベル、シュタイナー、、、、。

今朝、昨日のブログを読んだ高島さんが、私に下記の本を持ってきてくださいました。高島さんは、神奈川県の社会福祉士会のトップとして、私たちの社会や家庭が抱える現実、問題を見続けてこられ、その上で具体的対処や解決に心血を注いでこられた方です。

私たちが、いま見据えている、心のころ、家族のこと、親のこと、子のこと、それを結び直すご奉公について、深く共感してくださいました。

『愛着崩壊 子どもを愛せない大人たち (角川選書)』
http://www.amazon.co.jp/dp/4047035076

著者は、『愛着障害』と同じ岡田尊司先生です。岡田先生は精神科医・医学博士として、長らく医療少年院で深刻な精神的問題を抱え、それが非行や犯罪にまで至ってしまったケースの回復に取り組まれてきました。

多くの方々が、この著書の「はじめに」を読んだだけで、見過ごしている物事の多さや深さに圧倒されるはずです。きっと、見えないのは、目先のことに目がくらんでしまっているか、自分の周りだけ、幸せなのでしょうね。もし、ご信心をしているのに、見えていないとしたら、恥ずべきことです。お祖師さまは、正法が減衰して末法が深まるこの世の様相をご覧になり、「日蓮はなかねどもなみだひまなし。」と仰せでした。こうしたギリギリの社会を現前にして、取り組みは進みません。ピントがずれていることに気づけない、分からない、これでは、情けない。むしろ、罪深いです。

岡田先生は「はじめに」で書かれています。

「この社会全体に起きている「異変」が何を意味するのか、根本的な問題が浮かび上がってくるのである。

 それは、一言でいえば、この社会を襲っている絆の危機である。東日本大震災後、社会の絆の大切さが改めて叫ばれているが、この半世紀ほどに起きていた現実は、人と人との絆が弱められ、ズタズタとなる道をひた走りに走ってきたということである。

 隣人や同僚といった他人との関係が希薄になるだけでなく、一番強い絆で結ばれているはずの親子の関係さえ、今や危機にさらされている。子育てで悩む人が増え、普通の家庭でも虐待やネグレクトが起こりやすくなっている。夫婦の関係も、ますます不安定なものになりやすくなり、若い人の離婚が増えているだけでなく、夫の定年後、毎日顔をつきあわせるようになって関係がぎくしゃくし、離婚してしまうというケースも少なくない。

 そもそも結婚や子どもを育てるということにためらいを覚える人も多くなっている。経済雇用環境の問題もあるが、むしろ、結婚生活や子育てに希望や新鮮な興味がもてないということの方が大きいように思える。というのも、出生率の低下は、すでに70年代から始まっており、日本経済が極めて元気だったバブル経済の頃でさえも、下がり続けているからである。

 うつや不安障害、依存症や摂食障害、境界性パーソナリティ障害、いわゆる発達障害などの精神的、行動的な支障がなぜ急増しているのかという問題から、対人関係の喜びよりもストレスが増え、社会の絆が薄れ、人と人との関係がぎすぎすしやすくなっているといった問題、さらには虐待がDV、いじめ、ひきこもりといった問題が増え、離婚の増加や少子化、未婚化の問題が、なぜここまで深刻な状況になり、急激な人口減少を引き起こすまでに至っているのかといった問題に至るまで、その根本にある問題は同じなのである。」

「原因は絆の病だった!」と帯にありました。高島さんは、「私たちも加害者ではないか」とメールに書かれていました。加害者という意識は、この社会に生き、この社会を構成する一員として、絆の病を放置してきてしまったのではないか、という感慨でしょうか。感性豊かな高島さんらしい想いです。私も同じように思います。

もっともっと、こういう問題をみんなで共有して、立ち向かいたいものです。ある意味で、飽和した社会の中に育った世代は危機感もなく、気づけないかもしれません。

とにかく、講義をしっかりお聴きします。そして、私がご奉公の現場で積み重ねてきた経験とつなぎあわせて、子どもたち、大人たち、家族たち、社会の絆を取り戻したり、健やかにできればと願います。

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