米海洋大気局(NOAA)は今月10日、ハワイのマウナロア観測所で測定した大気中の二酸化炭素(CO2)の平均濃度が、1958年の観測開始から初めて400ppmを超え、最高値を記録したと発表した。
標高3397メートルにある同観測所のデータは人間活動の影響を受けにくく、温暖化対策の重要な指標と言われてきた。産業革命以降の気温上昇を2度以内に抑えるにはCO2濃度を450ppmまでに抑制する必要があるとされ、危険水準にまた一歩近づいた形だ。
リベラルな科学者で組織する米国の「憂慮する科学者連盟」は「一刻も早くCO2排出を減らさないと、猛暑やハリケーン、干ばつなどの異常気象が常態化する」として国際社会の対応を求める声明を出していた。
今月21日、日本の気象庁も小笠原諸島・南鳥島で観測している二酸化炭素(CO2)濃度の月平均値が4月に初めて400ppmを超えたと発表した。CO2濃度は上昇が続いており、岩手と沖縄両県の2地点も過去最高を更新している。この3地点全てで400ppmを超えたのも初めてだという。
そして、今日、オクラホマシティー付近で巨大な竜巻が発生し、死者が91名に達した可能性があると報じている。その光景を映像で観ると、まるで巨大な津波が襲ったかのように車が山積みにされている。
「自然の猛威」という言葉で片付けられない事態が迫っている。科学者たちは奥歯にモノが挟まったかのように、人間の社会経済活動との関連を示さない。地域的、局所的、短期的な見解に終始してしまう。
行方の分からない方々の一刻も早い発見、被災者の方々の無事を祈るばかりです。今は、私に出来ることを、しっかりとするしかない。
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3 件のコメント:
ありがとうございます。
自然現象と大気汚染(人為)との因果関係について、いますこし客観的で、冷静な記述をおねがいします。その傍証として、たとえば過去の関東大震災や伊勢湾台風が、人為とどのような因果関係があったのか、現代の私たちにわかるように検証してください。その検証があって始めて、お導師の危機感に説得力が生まれると存じます。古代中国には「天地(人)合一説」がありましたけれど、現代の科学者は、そのような観念上の論理に依拠するわけにはゆかないでしょう。ハワイで観測されたデータも、局地的であるが故に、今後反証がないとは申せませんしね。
ありがとうございます。
ちょっと過激でしたでしょうか?すいません。
でも、最近は冷静な自然科学的な手法で臨んで、後で表彰されるよりも、その手前に、山のようにサインがあったではないかと言いたいのです。
これ以上、現代の皆さまに分かるように書く能力を持っていないのが歯がゆいです。確かに、何らかの異なるデータが必要でしょうか。
それにしても、ここに書いたように東京御ピンピック時で300ppmちょっと、450ppmは破滅的、危ないのは400ppmという数値以上の論理を持ち合わせません。
僕は予言者になろうとも思っていません。ただ、昔の方々ならば、少しの気候変動にも、謙虚に、とても敏感だったはずです。今は、自然と向き合っているような人でも、そういう感性を失っている方が多いと思います。
私は決してお祖師さまではありませんが、お祖師さまに「冷静になりなさいよ」と言うのは、当時は科学者ではなくちょっと違う勢力の方々でした。
世界中の災害を御法門の枕詞に使うつもりはないのです。ただ、少しずつ見えてきていることがあり、それを使い果たす側ではなく、守る側になって生きるべきではないかとも思います。
私の危機感に説得力はないかもしれません。申し訳ありません。しかし、ただ、今は大丈夫、ここは大丈夫、それは大丈夫、僕は大丈夫、と言ってはいられないサインが充ち満ちていることを感じています。
論理的ではなくて、すいませんでした。
ありがとうございます。
ヘーゲルが「感覚的確信は最も貧しいが真理である」と書いたように、なにかヘンだとおもう人間の感性はだいじです。近代科学は、人間の素朴な疑問から生まれ発達したことは、申すまでもないのです。ただ、科学にも限界があり、まだまだ「複雑系」のなにもかもを究明できはしないだろうと、小生は見ています。
東日本大震災以来、私たちの多くは人間を超える力に「不安」を感じており、こういうときほど人々は政治に期待します。しかし、それこそ為政者(権力)にとっては国民統御の好機到来といえます。自然の猛威よりも、小生はそれをよほど危険に感じています。こちらをよく見きわめることも、いまだいじなことではないでしょうか。
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