インドに見る夢。続く夢。
昨日は、田中清希師のご命日でした。だから、少し不思議なご縁のつながりについて、書いておきたいと思います。歴史に埋もれてしまわないように。
いつも私の側でご奉公してくれている望ちゃんのお父さまが田中清希師。その田中清希師のお父さまが田中日廣上人という御方です。
私は、お会いした記憶がありませんが、不思議なご縁を感じて、今日まで過ごしてきました。
もし、インドにお寺が出来るとしたら、その名前は必ず『佛立寺』でなければならないと思っています。
もう20年以上前の学生時代、私は昭和31年(57年前)に出版された『開百記念論文集』という冊子を読みました。当時、開講100年を迎えるということで、当時の御導師方が論文を寄せられていました。それぞれ示唆に富んだ内容なのですが、その中に田中日廣上人の「ビルマ仏教・印度仏蹟見聞記」という文章がありました。
夢と志を受け継ぐこと。不思議と、導かれていくこと。巡り会うこと。理屈ではなく、事実として、サインが溢れること。
インドでのご奉公が進む中で、先週この文章を読み返しました。
いろいろなことが書かれているのですが、その結びだけ紹介します。
=◎印度佛立寺建立の大誓願を立願し奉る(第三回世界仏教徒会議に出席帰国後の念願)=
「本宗代表として第三回世界仏教徒会議に日本代表の一員として派遣を命ぜられ過ぐる昭和二十九年十二月一日より同二十日に至る約三週間ビルマ国及び印度国に行って参りました。私の三十年度来の宿願、若き日の情熱をこめて立願していた渡印の夢は実現し講有猊下の御命を拝しビルマ国ラングーン市及びペグ市そして印度国のカルカッタ市、仏陀伽耶、ベナレス、サルナート(鹿野苑)、ナーランダ、王舎城等に於いて本門八品所顕上行所伝本因下種の南無妙法蓮華経と口唱下種結縁させて頂いて参りました。此の下種結縁の御本尊は大本山宥清寺(講有猊下御染筆)より拝受、此の三箇之中一大秘法の御本尊を捧持してビルマ国及び印度国に下種行を成就させて戴いたのであります。
今や此の第三回世界仏教徒会議より帰国して私個人の三十年の宿願達成と宗門全体の御支援に対し熟考と熟願とを以て此処に本宗開講百年の前年たる昭和卅年一月十二日我が扇教寺御宝前に印度佛立寺建立の大誓願を立てたのであります。此の立願は決して思いつきや一時の法悦から立てたのではなく、三十年前『東晋法顕伝』(西紀五世紀初頭中華より渡印世界に於ける入竺第一人者)研究と法華経の西域−印度流伝の足跡を踏査し、生涯をかけて在印永住を念願したのでありましたが、昭和十二年七月七日の日支事変で(当時三十五才にして独身大正大学在学研究中)遂に若き生命をかけての宿願も空しくなり、その鴻志を断念し、翌昭和十三年七月結婚し月並的人間となって失ったのであります。
而るに図らずも今回御宝前の御はからいと中野日裕先生の御友情とによって夢想だに忘れ得ざりし渡印が第三回世界仏教徒会議参列の帰途憧れの印度へ、仏陀の聖蹟をこの目でこの足で巡拝する事が出来たのであります。私は大なる機会を与えられた宿望達成によって私の心の中の三十年の決意が一つの意志表示と実現えの第一歩として一大願望が起って来たのであります。それは蓮隆扇三祖よりの御高恩、大恩報謝えの世界的な道でありました。
現在(満州朝鮮台湾の本宗弘通は現在不可)はブラジルの茨木日水上人のみ海外に活躍する現状でありますが私は仏教流伝三国史の上よりも歴史的発祥の上よりも仏陀転教の地、印度国に本宗寺院を建立させて頂きたく存ずる心や切なるものであります。而し此の立願は私一人では及びもつかぬ大願であって全くの空想に近いものであります。又一つの理想論であり、善いことであっても夢ものがたりにすぎません。幸に本宗開講百年記念に世界教化(一天四海皆帰妙法)を目標に今後十年を期してその一分でも達成させて頂きたいと思って居ります。何卒この「印度佛立寺」建立の大願に宗門全体の方々の御賛同と御協力御支援を懇願する次第であります。
見仏未来記曰く
『仏法も乃至末法には東より西に往く乃至、天竺に仏法無し』
諌暁八幡抄に曰く
『天竺をば月支国と申すは仏の出現したもうべき名也乃至日は東より西に入り日本の仏法月支に帰るべき瑞相なり』
単称日蓮宗の一派たる、一致の藤井行勝師が、カルカッタ王舎城等に日本山妙法寺という同名の寺を五ヶ寺建立して布教しているが未だ本勝迹劣の最勝の本門八品派からはその弘通がないのであった。幸いに私が入竺して本宗の御題目を下種結縁させて頂きました。あとは勝劣派にして最尊無上なる本宗の寺院建立が成就するならば東南アジアの仏教諸国への礎石ともなり、印度こそ、本宗開教のそのブンマハシの中心地となる事と思います。
印度仏教見聞の報告に加えて私の立願悲願を宗内の各聖に披瀝し奉って達成に御協力を懇願して此の見聞報告記を擱筆いたします。
終りに臨み教務会報を通じ宗内各聖に幾重にも御厚情を感謝するのみであります。また野 良修先生の御厚意を深謝いたします。
此の末尾を書き終る頃、昭和三十一年十一月のネパール国に於ける第四回世界仏教徒会議が全日本仏教会から公式に発表されました。」
いつも、志を受け継ぐことの大切さを思います。
私は、全く親戚だからとか、そんなことを考えることはありません。ただ、ここに、本門佛立宗のご弘通の勇者の、心の底からの叫びにも似た純粋な思いが綴られていて、その誓願、その夢、その志を、機会を得ればしっかりと受け継がせていただきたいと思うのです。
田中日廣上人は、このビルマ・印度ご奉公のために奥さまと一度離婚をされて、渡航されたと言います。そのご覚悟は並大抵ではなかったのだと思います。清希師も、ご家族ですから、そういう御導師のお姿を見ていたのではないでしょうか。私は清希師とこうしたお話をしたことはありませんでしたが、清希師のご遷化後、妙子奥さまが妙深寺でご奉公くださるようになり、また重ねて不思議なつながりを感じました。
それが、この文章の中に出てくる「誓願」を書いた、50年以上前に書かれた「祈願札」でした。
「立川親會場
神奈川親會場
印度佛立寺
建立成就 御願
此の大誓願は本宗開百前年に際し大誓願す。(日廣個人の大誓願なり)
印度佛立寺は十年後の事なり。
昭和三捨年一月十二日大誓願 願主 田中日廣 拝、」
個人の誓願であったかもしれませんが、こんな尊い願い、受け継がせていただいて、出来る限りのご奉公をさせていただきたいと思います。時間はかかりましたが、何とか受け継いでやっている姿を、日廣上人も、清希師も、喜んでくださっているのではないかと思います。
日廣上人が書かれているように、インドだけのためではなく、南アジアで進めているご弘通の輪が、必ず広がってゆきますね。
インドのこと、名前を「佛立寺にしなきゃ」ということ、私が勝手に思っていたのですが、誓願の書かれた祈願札が届けられたり、ご遺品を寄贈していただいたり、寂光の日廣上人から様々なサインがあるように感じます。本当に、不思議ですし、有難いです。
ありがとうございます。
2013年7月9日火曜日
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