2015年5月27日水曜日

清潤から幸子さんへ

昨夜、幸子さんのお通夜、そして本日、無事に告別式を奉修させていただきました。

これまで、どれだけお見送りしてきたか分かりませんが、まさに「今生人界の思い出」となる、忘れがたい、いや、本当に素晴らしい佛立信徒の旅立ちでした。

出棺の際、喪主の健太さんからご挨拶がありましたが、長男として、家長として、家業の代表取締役社長として、そして、本門佛立宗の信徒として、本当に立派なご挨拶がありました。

これまで、お聞きしてきた、喪主のご挨拶の中で、最も素晴らしいご挨拶でした。

お母さんは、さぞ誇らしく、うれしく、有難く、思っておられると思います。

本当に、5月5日、御講を奉修できたことは、今生人界の思い出となりました。

「今生人界の思い出」
http://hbs-seijun.blogspot.jp/2015/05/blog-post_5.html

でも、その一生、出会い、闘病、ご家族の姿、そして臨終の姿、この告別式、それら全てが、特別に強く、太く、胸に、心に、刻まれるものだったのです。

家族。

命。

「一度の死は一定なり。」

お祖師さまの、『兄弟鈔』のお言葉です。

死なない者はいない。

では、どう生きて、どう死を迎えるか、です。

先住は常々「生き恥かいても死に恥かくな」と仰せでした。

「なにとなくとも一度の死は一定なり。いろ(色)ばしあしくて人にわらはれさせ給なよ。」(『兄弟鈔』・昭定九二六)

痩せて、少し疲れているようではありましたが、穏やかな、美しい、眠っているような、笑っているかのような、真っ白な姿でした。

自分が死んだら、住職に届けるようにと、手紙を預かっていた長女の香さん。

また心臓に針を刺すような気持ちで、そのお手紙を読みました。

その幸子さんの、命がけの想い、生々世々の想い、その御一生を受け止めて、このご縁の、師弟の、法縁の、今生の出値いの、意味を噛みしめながら、ご奉公させていただきました。

昨夜と、今日と。

心臓に、針を刺すように。

幸子さんが書いてくれた最後の手紙を、読んでいただきたいです。

何よりの、ご回向になると確信します。

「御住職へ

今生人界の思い出

御住職の今生人界の思い出の一つに、西木家での教区御講が加わったことは、私にとってこそ今生人界の思い出です。

この世の人として生まれて、御法様にお出会いできた喜びを自分だけにとどめず、世の為に、人の為に伝え、その喜びを実感していただかなければなりませんね。
私は、やっとこのことに気付きました。

今度、もし人として生まれてきたら、もっともっと早く御住職や妙深寺のお教務様、御信者の皆様とお出会いし、菩薩の心をもった御奉公をさせていただきたいです。

私がこの世を終えることで、家族がより一層一つになることを願います。
御住職、本当にいろいろとありがとうございました。
ありがとうございました。

今生人界の唯一の、最高の思い出です。

ありがとうございました。

西木幸子」

人間の命は、あたり前のことですが、尊いものです。

ずっとあるように思うけれど、時間は限られていて、そんな僅かの間に、いろいろな人と出会って。

本当に、人間に生まれることは難しい、仏法に出会うことは難しい、何もかも、難しい。

だから、あなたに会えてよかった、御法さまに会えてよかった、生まれてきてくれてありがとう、生きていてくれてありがとう、生んでくれてありがとう、ありがとう、ありがとう、と。

生々世々、菩薩の道を行じ。

生きている間、このお手紙を、このお手紙の中にある幸子さんの命を、心を、受け止めて、これからも、全身全霊で、精一杯、ご奉公させていただきます。

幸子さんが亡くなる5日前、枕元に伺い、手を握って、お話をしました。

頼りない住職で申し訳ない。

そう言うと、そんなことを言うなと叱られました。

健太さんは、ご挨拶の中で、5月5日の教区御講でいただいた御教歌を家族の指針にしますと仰せになり、結びには願文をお唱えくださいました。

「いきかはり死にかはりつゝ法華経に 仕へん人を菩薩とぞいふ」

御題には「世々恒聞法華経恒修不退菩薩行」と添えられています。

「願くは我生々として諸仏に見(まみ)え、世々恒(つね)に法華経を聞き、恒(つね)に退せず菩薩の行を修め、自他法界(一切の衆生)菩提(ぼだい)を証せんことを。」

この願文は、数千年来、法華経を信じる者たちが唱えてきた願いの文です。

大正4年12月24日、鳥取県の伯耆一ノ宮で、高さ1.5メートル、直径15メートルの経塚が発見され、その中から「経筒」と呼ばれる、お経を中に入れた筒が発見されました。

調べてみると、堀河天皇・康和5(1103)年10月3日に収められたものであることが分かり、その中には「妙法蓮華経」一部八巻が収められていました。

今から912年前、お祖師さまがお生まれになる実に119年も前です。

法華経を信じる人びとの純粋な願い、誓い。

発見された願文の結びに、開導聖人がこの御教歌で御題としてお付けになられた、この御文が書かれていました。

「世々恒聞法華経恒修不退菩薩行」

生々世々、菩薩の道を歩むという願い、誓い。

経塚とは、その功徳を、タイムカプセルのように、未来の人にまで届けようとしたものです。

そして、その功徳をもって、自分自身の、家族、一族の、しあわせを、願ったのです。

宮沢賢治さんも、「雨ニモマケズ」の手帳の中で、「経筒」のデッサンを描いています。

彼も、自分の死後にまで思いを馳せて、永遠に此の功徳を、普く一切に、未来にまで届けようとしていたのでした。

イーハトーブには、今でも賢治さんの経筒が埋められているはずです。

臨終の時の、賢治さんの遺言については、ご存じのとおりです。

命の、その際に立って、どのようなことを思うでしょう。

幸子さんのお手紙こそ、まさに、今生人界の思い出です。

高祖日蓮大菩薩曰く。

「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

日蓮が弟子旦那等の中に、日蓮より後に来たり給ひ候らはゞ、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者、日蓮坊が弟子旦那なりと名乗って通り給ふべし。

此の法華経は三途の河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥土にては燈となり、霊山へ参る橋なり。

霊山へましまして艮艮の廊にて尋させ給へ。

必ず待ち奉るべく候」

ほんの、わずかな年月でした。

しかし、如説修行抄にあるとおりの、ご信心を見せていただいたと思います。

今でも、頼りない住職で、本当に申し訳ないと思っていますが、さらに本当のご奉公を目指して、精進してゆきたいと、覚悟しています。

ひとまず、しばし、お別れします。

すぐに戻って来ていただいて、大切な、これからのご奉公に加わってくださると、確信しています。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

幸子さんも、3回書いていたから、僕も3回書くよ。

長松清潤拝、

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