2008年12月17日水曜日

横断歩道を渡る人たち

 昨夜は長松寺での御総講。今年最後の奉修で、妙福寺から多数のお参詣をいただき、盛大に奉修させていただいた。ありがたかった。
 そして、今日は京都での会議。少々疲れたが、会議からの帰り、横断歩道を渡る人を見てふと思う。全く車に無関心で、ゆっくりと渡っていく女の子。子供の頃、父や母は横断歩道を渡っている時でも、車に配慮してなのか、自分が渡るのを待っている車があると小走りになったものだ。いつしか、自分も横断歩道を渡っている時には、車があると小走りになる。
 道路の法規上は、あくまでも歩行者優先だろうから何の問題もない。イライラする必要もない。事実、イライラもしていない。しかし、それでいいだろうか。父や母がしていた「気づかい」は不必要なものだろうか。いや、そうは思えないし、思わない。人間にとって、こうした気遣いは必要なものであり、人間理解や人間が生きていく上で必要不可欠な機微を学ぶために心がけることだと思う。
 何事にも、何者にも全く無関心で歩いていくこと。視界が狭く、好きなことには関心を向けて、自分に関係ないと規定するものには感性が動かない。それでは人間らしい成長はできないと思う。
 ただ、世の中の状態を考えれば、心が荒み、それぞれが抱える問題が大きくなり、関心を払うことも忘れ、視界が狭くなってしまうことも分かる。人間の心がこうした状態では、さらに社会は混迷を深め、事件や事故、災害が多発するだろう。この時、この時期だからこそ、心を豊かにすること、つまり心を正しく立てることを心がけたい。「立正安国」とは、「信心を正しく立てる」「信心を正しく立て直す」と、思い返す。
 他の人に対して無関心で生きることも出来るが、それは人間修行からの逃避だと思う。結果、その人は生きていくことに後で苦労することになる。そうあってはならないから、常々、つまらないことかもしれないが、人間としての成長を心がけるために、様々な人やいろいろな物事への「気づかい」をお勧めしたい。

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