今夜は、教講推進会議(教幹会)。この会議は、妙深寺が「生きたお寺」である最たる証明で、毎月一回お寺の各地域でご奉公をくださっている方々が集まって、いわば、「どうしたら、困っている方を支えられるか」ということを協議する。今回からディリーパも参加。熱い挨拶をしてくれた。
これだけ多くの方が、思いを持って、無償で、集まってくださっていること。このことほど、私たちの背筋をピンと張らせるものはない。お寺というのは、何かを売って得たお金はない。境内地の石ころ一つとっても、ご信者からの「ご有志」で購入させていただいたもの。何に対して「お包み」をくださっているかといえば、「み仏の教え」である。このことを忘れたら、お坊さんなど「仏の法を売って食べている餓鬼」になると御経文にある。
清い心で集まられた方々のトップ、中央にいるということは、本当に大変なことだと思う。おそろしいことだと思う。みなさんの思いを、背中に感じて、肩に感じて、何とかご奉公させていただいているのだが。
世間でも、人の上に立つのは難しいと思う。学校でも会社でも、地域のサークルや団体でも、人が集まれば組織が出来て、社長でも委員長でもキャプテンでも、店長でもマネージャーでもいいが、それ相応に難しさがあるものだ。
開導聖人は、
「上はすゝめ中は邪魔せず下(げ)はおこる 下々(げげ)の下(げ)かゝは しかりちらける」
と御教歌でお示しくださっている。
「上」と「中」と「下」とは、読んで字の如くで、「一流」「二流」「三流」と受け取っていただいて良い。「下々の下かゝ」とは、もう三流以下、最低。「人の上に立つものは、『すすめ』で、その人の素質、やる気を伸ばしていく」のが「上」の一流。中くらいの人は、「その人のことを見守る、邪魔しない」。三流の「下」は「怒る。あれこれ、怒るだけ」。どうしようもない上司は、「しかりちらける」で、とにかく細かいことにも「あーでもない」「こーでもない」と叱りつける、叱り散らかす。叱られている方は、何に怒られているのかも分からない。「叱りちらけて」いるから。
上に立つ者は、こういうことを学んだ上で、周りにいる人を幸せにしてあげてほしいもの。「下々の下かか」が多いんじゃない?細かいこと、重箱の隅をつつくようなことばっかり言って、それで自己満足している上司。そういう人は、上に立つ資格無し。自分を戒める意味も込めて、そう思う。
もちろん、ただ優しいだけでは駄目だ。お祖師さまは、「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこはし(剛)」と佐渡御書に御妙判されておられる。師弟関係は厳しい。こわい面も大切。しかし、気まぐれでは、誰もついてこれない。「勝手な人」「わがままな人」ということになる。それではいけないし、「義」が大事になる。師弟共に、修行。それでも、「上に立つ」のだから、責任がある。師匠は弟子に、教務もご信者に対して。
2009年5月19日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
今日は飛行機、明日は電車
今日は飛行機を使わせていただいて、明日は小倉駅から新幹線、京都駅でサンダーバードに乗り換えて敦賀、敦賀で北陸新幹線に乗り換えて長野へ向かう予定です。 小倉から京都は591キロで148分、京都から敦賀は94キロで52分、敦賀から長野は353キロで110分だそうです(乗換案内さんが教...
-
この地球が到達した、彼も助かり我も助かる、持続可能の再生可能クリーンエネルギーを確かめ合えた時間。 普遍真理、普遍思想を説く仏教が、人びとのライフスタイルに密着し、プラクティカルに実現していることに感激する一座が、本門佛立宗妙深寺の開導会でした。これほど嬉しいことはありません。...
-
磁力で引き寄せられるように自然と一つになってゆく。人間たちの想像をはるかに超えて。僕たちは大きな宇宙の中の小さなピースに過ぎないから。本当に、不思議です。誰がシナリオを書いているんだろう。 今日、サンフランシスコの淳子さんが妙深寺にお参詣くださいました。まったく知らなかったです。...
-
今週の横浜ラグーンは俳優の西村まさ彦さまをお迎えしました。 ご存知のとおり、「振り返れば奴がいる」「古畑任三郎」など、大河ドラマ、映画、舞台、声優、CM出演など挙げればキリがないほどひょうきんな役からシリアスな役までオールラウンドに演じられる名優・西村まさ彦さん。 ジブリ作品『...
0 件のコメント:
コメントを投稿