2010年1月24日日曜日

 妙深寺に、有名な桜の木があるのはご存じでしょうか。もう、何度も何度も書いてきたから、「知ってるわよ。しつこーい」と言われてしまうかな。とにかく、春は、ものすごく綺麗で、境内地が桜の花で埋め尽くされます。妙深寺の桜は僕が「本化桜(ほんげざくら)」と命名しましたので、お忘れないように(笑)。また、来年も、ご信者さんと共に、友人も一緒に、桜に楽しませていただこうと思っています。

 これも書いてきましたが、桜の花ほど、春以外に見向きもされない木はないんじゃないかなと思うのです。若い時、仕事がバリバリできる時だけ注目されて、あとは邪魔者扱いされる、知らんぷりされる、なんて、人間で考えても、淋しいですよね。だから、桜が寂しがらないように、毛虫が出てくる夏も、枯れ葉を勢いよく落とす秋も、ゴツゴツした荒々しい木肌だけになってしまった冬も、僕が抱っこしたり、なでたりして、常に愛でてあげるようにしています。

 そう、桜は、春だけではなく、それ以外の季節にも、それを惜しむ心、それを待ち望む心を大切にしていれば、いつも楽しませてくれるものなのです。「散りますと 花のいふのをきいてのめ」との御教句をご紹介しましたが、桜は、なにか特別です。

 そして、今の季節、桜は着々と春への準備を進めているのですね。昨日、愛する本化桜を眺めながら、少しずつ蕾がふくらんできているのを写真に納めてみました。かわいいな。

 不思議ですね。何の葉っぱもついていない、一見すれば淋しく感じる冬の桜ですが、他の植物と同じように、天地から脈々と生命を蓄えて、春を迎えるのですね。「冬は必ず春となる」というのも、その厳しい風雪に耐え、太陽の光を受け、張り巡らせた根で踏ん張って、迎えるものなのかもしれません。

 私は、あまり賢くないし、植物学者でもないし、現代っ子の都会っ子ですから、「なにをいまさら」と想われるかもしれませんが、これが素直な、等身大の感想です。こうした季節の営み、こうした命の営みから、ようやく、一つ一つ、御法門を学ばせていただいています。学生時代、なんの興味もなかった。
 昨日は、口唱体験会からロータス・バーでした。どちらにも、新しい出会いがあり、また勉強になりました。口唱体験会は、本当に有難いですね。ご信者さんではない方をお連れになっていただいて、はじめてのお看経。長男もひろし君の横で最後までお看経の練習をすることができていたようです。
 バーでも、清顕師の幼なじみが来てくださって、3人でお話できたことが有難かったです。「お寺には来たくなかった」と言って清顕が何度誘っても断ってきたということでしたが(汗)、「バーだったら行く」ということで来てくれたんですよね。本当に、お会いできて、お話しできて、よかったです。
 今日は、朝参詣のご供養当番が教養会。ちょうど、僕が食堂に下りた時はガールスカウトの当番でしたね。かわいいエプロン姿の女の子たちのご奉公の姿に感激しましたよ。続いて、バタバタと門祖会の会議でした。ありがとうございます。
 夕方、もう出発しなければなりませんが、友人の自宅に御本尊のご奉安に伺います。清従師がついてきてくれます。ありがとう。
 すべて、蕾。今は、冬で、つらくても、種まきを続けて、コツコツ。必ず、春になります。見事な花が咲くでしょう。

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