私は京都の中心地、四条大橋に隣接する南座の裏で生まれた。京都人の一人として恥ずかしい。一度発表したのに。アホか。ほんまにアホや(涙)。
大文字など見るか。被災地の方々の冷静なコメントに涙する。人間性、その徳が、盆地人と違う。
なにが都だ、アホらしい。日本文化の中心であり続けた京都の人間であれば、すべきだったではないか。日本人の絆を、古の都から取り戻そうと呼びかけるような、心と心の支援が出来たじゃないか。
京都人がこんな「無粋」なことをして、どうするんだ。本当に、ぶさいく極まりない。
放射性物質が確認されたならまだしも、そこに住む者、そこに暮らす子どもたちを尻目に、自分たちだけ安らかに過ごしたいらしい。
今回京都人は美しい大文字を無粋なものにしてしまった。王城に住む者が日本分断のメッセージを発信してしまった。
ごまかしても、もう遅い。かなしい(涙)。
恥ずかしくないのか、京都人。私は恥ずかしい。
5 件のコメント:
お畏れながら一言。
京都人が悪いのでしょうか。盆地人がいけないのでしょうか。
京都の宗教者の問題ではありませんか。
ひるがえって、日本佛教と僧侶の、それが体質ではありませんか。
恥ずかしいのは宗教者でしょう。
と、小生には思えるのです。合掌
ありがとうございます。
失礼ながら。
仰せのとおり、宗教者に問題があるのです。しかし、そう言って、結局は宗教者をスケープゴートにして、自分は評論家顔をした傍観者こそ罪深いと思います。
故に、私も含めて、こうしたことを京都人として恥じ入るべきだと書きました。宗教者が恥じ入るべきなのは本当にそのとおりですが。
ポポロ・リベルタではないけれど、宗教者に期待するよりも、一人ひとりに、期待してしまう。
ありがとうございます。
清潤拝、
やはり語弊を生じさせました。
お導師の熱情はつたわりますが、ときに言葉の「指示性」がぼやけます。
たとえば「評論家顔した傍観者」とは誰のことでしょうか。
「スケープゴート」にされた「宗教者」とは誰のことでしょうか。
つまり「京都人」であれ「盆地人」であれ、赤ちゃんからお年寄りまで含まれる総称が安易に使われていることを、懸念したのです。
宗教者への絶望の深さはわかります。しかし大上段から市民を叱咤するまえに、もう一度考え直してみようよ、と呼びかけてもいいのでは。それがリーダーの役目かと愚考します。
恥じ入るのは、その後からでも遅くありません。まだ送り火までには時間がありますから。合掌
ありがとうございます。
8月10日9時の時点での情報ですがこの件で、1100件の苦情があったようです。
大文字を除く残り四山、妙法・舟形・左大文字・鳥居形で陸前高田の松を使った送り火をする事になったようです。
私は京都の龍谷大学の出身ですが、なんとも京都らしいニュースだと感じました。
合掌
ありがとうございます。
本当に、なんとも京都らしい(汗)。
すでに陸前高田で薪の多くが燃やされたと聞きましたが、出来るのかな。
ありがとうございます。
清潤拝、
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