長かった京都でのご奉公も、今日で終わり。
先ほど新幹線に乗りました。
今日は松本薫さまの二十七回忌法要でした。
伏見妙福寺のご宝前を荘厳し、小山ご講尊にご親修いただいて厳かに営まれました。
薫おばちゃま。長松家の大姉。伏見の御導師、松本日操上人の奥さま。
長松日峰上人、小千代母の長女として生まれ、たくさんいた長松家の兄弟姉妹の中のトップ、みんなの偉大なお姉さんでした。
脳みそが潮焼けしていたような小僧の僕にも、日峰上人や小千代おばあさまと同様、その大きな存在を感じていました。
平成2年は、長松家にとって本当に大変な年でした。
3月5日に93才で日峰上人がご遷化になられ、6月に小千代おばあさまがお亡くなりになり、その後まさか10月8日に薫おばちゃままで亡くなってしまうとは。
僕はまだ大学生だったのですが、それまでの世界と、その後の世界が分かれてしまったかのような年が、平成2年でした。
いま振り返っても、そうだと思います。
「バブル崩壊」とは、経済のことだけではありませんね。
あらゆる意味で、あらゆる分野で、飽和があり、崩壊があったということです。
まだ、試練の時が続いています。
「世は皆(みな)牢固(ろうこ)ならざること水沫泡煙(すいまつほうえん)の如し」
法華経にある仏陀のお言葉です。
いつでも、どこでも、バブルと、その崩壊が繰り返されているということです。
一族を体現するような、長松家そのものだった祖父や祖母、叔母が亡くなり、その喪失感、いや「感」ではなく、取り返しようのない空白を、必死で埋めてきたご奉公。
受け継いでゆくことの難しさを、痛切に感じます。
崩壊したのを目の当たりにしたから、それ以降は、「崩壊した」という前提で、危機感を抱きながら、息せき切って生きてきたように思います。
由緒寺院 長松寺の護持。
年を重ねれば重ねるほど、その意義を深く受け止めています。
それにしても、伏見はいいところです。
妙福寺には開導聖人の素晴らしい画と画賛があります。
十石船の発着場も、寺田屋さんも、歩いてゆける距離です。
夏の柳が、風に揺れていました。
残暑の中ですが、川の流れと、風に揺れる柳を見ていると、涼しさを感じます。
すてき。
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