御教歌「信行は佛祖の教へ其まゝに わたくしなしにつとむるをいふ」
仏法大要(上)・扇全十一巻四七頁
妙深寺へ、2024年6月1日の月始総講の御法門。サウス・カロライナのホテルのテラスから拝見させていただきました。
開導聖人はこの御教歌に「無明の了簡は悉く御教に背くを思へ」とお書き添えです。
我を捨ててこそ、ご信心になります。そこから現証の御利益が湧き出てきます。
せっかくご信心しているのですから、功徳になる道、心も豊かに、穏やかに、健やかに、功徳になる日々、功徳になる生活、ご奉公をさせていただきたい。
そのために、仏祖の教えをそのままに、疑い、迷い、誇り、怠りなく、精進することが大切であるとお示しいただく御教歌です。
「信行は佛祖の教へ其まゝに わたくしなしにつとむるをいふ」
「無明の了簡は悉く御教に背くを思へ」の「元品の無明」という凡夫の謗法、罪障を前提に、そこから生まれた考え、そこから湧き出てくる思いなどは、悉く、ほとんど、仏祖の教えに背くものだから、気をつけて、素直に、正直に、ご信心しなさいとお示しになられているのです。
お祖師さまの御妙判、ご信心の基本的な姿勢。
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」
いま目の前にあることだけではなくて、本当に大切なことを見つけて、取り組む。
無常の人生の中の、一番大切な命の使い方です。
悲しい別れも来ます。
老いも、病気も、臨終も、やってきます。
しかし、その時も、胸を張ってご信心はありがたかった、あなたと出会えてよかった、あなたと一緒にご奉公できてよかった、ワッハッハ、また来世で、またお会いしましょうと言えるご信心をさせていただきたい。それこそが目標です。きっと宿題の答えです。
ですから、どうかまた今一歩、ご信心を本物にして、今生人界、みんなで力を合わせて実践のご奉公、お助行に回り、それぞれの場所で、それぞれ精一杯の信行ご奉公に気張らせていただきましょう。
そうでなければ申し訳ないです。
高祖は言明されております。
「弟子、一佛の子と生まれ、諸経の王に仕う。何ぞ、仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや。」
開導聖人の御指南に。
「清風滅後を思へとも。既に祖師御在世の御時ですらあまり御あらぎなりと。をこつくものあり。われらはやはらかに弘めんとて螢火が日月をわらふが如きもあり。朝夕をしへ給へども臆病にして肝を消して退轉せしも多くしてかくしつゝ終に廣宣流布すべき上行菩薩所傳の題目宗也。
上行大士仏勅を蒙らせ給ひ末法を御受取になりたる已上はおとろへる時分々々には地涌の大士立かはり。入かはりに出世ありて御弘通絶ることなし。弟子となり師匠となり。旦那となり無令断絶。疑ひなきこと也」
末代幼稚信要学(扇全十二巻三一八頁)
開導会を前に、ここ一番、胸を張って、自信を持って、御法さまにお縋りをして、お助行、お教化、ご奉公に気張らせていただきましょう。
「信行は佛祖の教へ其まゝに わたくしなしにつとむるをいふ」
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