コロンボの喧騒から離れ、スリランカの北部へ来ています。
昨日は世界遺産「ランギリ・ダンブッラの石窟寺院」を訪問。古代から巨大な岩石の下に僧院を作るのは仏教教団の慣習、ここはスリランカ有数の超巨大な岩山でした。
スリランカの年代記「マハーワンサ」には紀元前3世紀ごろアショーカ王の息子・マヒンダが仏教をもたらしたとされています。その直後、すでに紀元前3世紀ごろ、この場所に僧院が作られ、国内最大の重要な僧院となりました。
紀元前1世紀、ワッタガーマニー・アバヤ王(シンハラ朝第19代国王、在位紀元前89年から紀元前77年)は、タミル人との戦争で古都・アヌラーダプラから逃れ、全国を転々としました。彼はこのダンブッラの岩山に隠れて15年後を過ごし、再びアヌラーダプラに帰還しました。再起した王は僧院に感謝し、篤く庇護して僧院を寺院へと発展させたそうです。
当時から2000年以上が経過しました。南インド出身の妃が多かったことから寺院の隣には神社(ヒンドゥー)が建設されるようになったり、大衆化、大乗化、密教化も進んだようです。石窟内部の巨大なフレスコ画にはそれらの形跡がはっきりと見て取れます。つまり、テーラワーダ、純粋な上座部仏教はスリランカの中でも希少だということです。
上座部仏教が権威主義化して「小乗仏教」と批判的に呼ばれるようになり、大乗仏教も密教化してヒンドゥー教と変わらなくなり、法華経は小さな乗り物でも、大きな乗り物でもなく、ただ一つの乗り物「一乗仏教」として本質的な原点回帰を説く。だからこそ原始経典と法華経、日蓮聖人の教えが合致するのです。新しい時代の生きた仏教であるためにはこの点は欠かせません。
ちなみにマヒンダは第3回 仏典結集の際に仏教の教えを伝えるためスリランカへ派遣されたと言われています。実は、マヒンダは姉妹で尼のサンガミッターをスリランカに呼び寄せ、彼女がブッダガヤからオリジナルの菩提樹の枝木をスリランカに持参させました。その菩薩樹こそ、杉野先生が今回の旅で出会いたいオリジナルの菩提樹です。
悠久の歴史の中を旅するのは非常に贅沢なことです。
ありがとうございます。







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