2025年10月2日木曜日

令和7年10月 月始総講 御教歌「吾祖師の 御なは日蓮世の人の こゝろのやみを照す妙法」

心の中に鬼がいる。心の中に鬼が出る。心に闇が訪れる。

心の闇に、光を届ける。それが本化のご奉公、私たちのご信心。
心の闇に届く、唯一、無二の光、「南無妙法蓮華経」の御題目。
この御題目さまを届けるためにお祖師さま、高祖日蓮大菩薩はこの娑婆世界へお出ましくださいました。

闇へ堕ちないように、御題目をしっかりとお唱えして、丁寧に生きる。御法から離れず、ご信心を離さず、生き切る、生き抜くことが大切とお示しの御教歌。

末法の娑婆世界。私たちが心を健康に保って生きることがどれだけ難しいか。
もしかしたら誰もが、心のどこかに闇を抱えて生きている。
その心に、み仏の大慈大悲、命そのもの、妙法という光を届けるために、大難四ケ度、小難数を知らずご奉公くださったのが、お祖師さま、本化上行菩薩、高祖日蓮大菩薩。

「吾祖師の 御なは日蓮」
「私たちのお祖師さまのお名前は日蓮」

お祖師さまのお名前は「日蓮」なのです。お約束の人、仏教史上最高のお名前です。

妙法蓮華経。お経の中の王さま、法華経。み仏の大慈大悲、すべてが込められている。
サッダルマ・プンダリーカ・スートラ。「白蓮華のように最も優れた正しい教え」
「法華経」は、仏教公伝、西暦538年、あるいは552年に日本に伝わり、『日本書紀』には推古14年、606年に聖徳太子が宮中で講義したと記録がある。しかし、法華経が素晴らしいことは分かるけど、その本当の意味は分かりませんでした。

法華経の中にあるお約束、滅後、しかも「末法」という恐ろしい時代の世界へ向けて、久遠本仏は久遠のお弟子を派遣される。それが上行菩薩。誰なんだ、何なんだ、ということになっていた。

伊豆への島流し、あるいは龍ノ口の御法難、そして佐渡への二度目の島流し。ついに「我こそは法華経に説かれた上行か」とのご自覚に至る。
その人の名こそ「日蓮」。誰も気づかなかった、誰も分からなかった。でも、分かってた。
これほど尊いお名前はありません。

太陽と、蓮華。レベルが違う。すごい名前。これこそ法華経の申し子。法華経を体現する御方の名前。宇宙の歴史の中で、仏教史上において、これほど凄い、尊い名前は無い。

歴史の中に仏陀がいて、歴史の中に法華経があって、歴史の中に「日蓮」という名前を選んだ実在の人物がいる。これは、本当にとんでもない、本当にすごいこと。名前からして現証であろう。

「空海」という名の人がいる。空には太陽が必要。太陽がなければ真っ黒の闇が広がります。
海は素晴らしいけれどそこに命がなければ恵みの海とは言えません。

お祖師さま・日蓮聖人がお生まれになった時、海には鯛が湧きました。今でも「鯛の浦」と呼ばれています。同じ日、浜辺に青い蓮華が咲いたといいます。今でもその浜辺は「蓮華ケ渕」と呼ばれています。
空に太陽、海に蓮。これだけでも日蓮聖人のレベルの違いが分かります。

人間の心の複雑さ。鬼は内、福は外です。
人間の心の中にこそ、仏も菩薩も、鬼も悪魔もいます。
追い出そうとしても付いてくる。出て行けと言っても出て行かない。
だから、心に闇がある、心に鬼がいることを自覚して、生きなければならない。
その姿こそ、南無妙法蓮華経のご信心、御題目の光、お看経という救いです。

仏もいて、菩薩もいて、鬼もいる。その人間が「南無妙法蓮華経」と御題目を唱える。
これこそ、この本堂で、今も、私たちがしていることです。
御題目口唱の姿こそ、御本尊であり、御本尊の中に入ること、御本尊をいただくこと。
御題目というみ仏の命、力そのものを、心の中に取り込むことです。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

あのやろう、このやろう、ちくしょう。くやしい、さみしい、つらい。しにたい、やりたい。殺したい。

南無妙法蓮華経と唱えれば、鬼もつられて、悪魔もつられて、御本尊に向かって、手を合わせて、御題目を唱えて、祈っていることになります。

仏教は、教えを説いたのではなく、生き方を説いたんです。やり方を授けてくれた。
心の闇に光を届ける生き方、やり方。南無妙法蓮華経は光、唱えれば闇に届く。

映画「もののけ姫」でアシタカが言います。


「そなたの中には夜叉がいる」

しかし、もののけ姫のサンに限ったことではありません。あの映画でいえば、登場人物全員、エボシ御前にも、ジコ坊にも、アシタカ本人の中にも、夜叉がいます。


「夜叉」とはサンスクリット語の「ヤクサ」、パーリ語の「ヤック」、つまり「鬼神」のことです。
「そなたの中には夜叉がいる」
「あなたの中に夜叉がいる」
「私の中に夜叉がいる」

何もしなければ、それが暴れて、それに食われて、食べられて、終わります。
心が闇に堕ちていって、真っ暗になってしまう。
妙法の光、南無妙法蓮華経の御題目、御題目口唱が、心の闇を照らすのです。

コレイア御導師が仰せのとおり、悪魔も、その鬼も、教化の対象。実際、仏教では教化された夜叉は「八部衆」となって守護の諸天善神になります。「南無久遠」で「天龍八部」と勧請させていただいています。

ご信心をする、御題目を唱えることによって、心の夜叉も、鬼も、鬼神も、天龍八部衆、守護の神となって、私を守り、導くほどになる。

無敵です。ご信心をさせていただけば。離してはいけない、離れてはいけない。
闇堕ちしてしまう。その可能性があまりにも高い。

開導聖人の御指南に。
「道は暫くも離るべからず。離るべきは道にあらずと。闇夜に燈火は離つべからず。常に歩行なれたる道だにも燈火なくては人も行当り、久しく通らぬ道には池も出来、穴も堀たり。されば落入あやまち必ずあるなり。大法又かくのごとし。蝋燭を懐にすとも灯さざる時は暗し。受持すれ共口唱せされば利生顕はれず。口唱を怠るは信行のゆるむ也。」

現代語。

「正しい道からは片時も離れてはならない。離れてしまう道があるなら、それはもはや道ではない。真っ暗な夜に灯火を手放して歩くことはできない。通い慣れた道でさえ、灯りがなければ人にもぶつかり、しばらく通っていなければ、水たまりもできるし穴もあき、常にそこに落ちる危険がある。仏の大いなる教えも同じ。ろうそくを懐に入れていても、火を点けなければ暗いまま。信徒となっても御題目を唱えなければ、御利益は顕れない。口唱を怠ることは信行がゆるみ始めている証だ。」

人間のこと、世界のこと、心のことを知ることが仏教です。まずそれが大事です。

一昨日、あるご家庭に御本尊のご奉安に伺いました。
ご奉安させていただいた後、いつものようにお話をしました。


「こちらは生きてましますみ仏、生きておられる御本尊さまです。
御本尊は心の鏡、御題目をお唱えして、心を磨きます。
御本尊さまは心そのもの。私たちの心の中に神も仏もいて、鬼も悪魔もいます。
人間の心は十面のサイコロ。菩薩が出ていい人かと思えば、鬼や修羅が飛び出してきて人生や家庭を台無しにする。
そうならないように、御題目をお唱えする。御本尊を敬い、お看経してください。」

心の中に鬼がいる。心の中に鬼が出る。心に闇が訪れる。
自己愛、利己主義、利己主張、ぜんぶ、気づかないうちに、もう闇堕ちしてます。

お祖師さまは、太陽と蓮。日月の光と、泥の中に生きて、美しく咲く蓮の花。
あり得ないほどのありがたさです。

このことを絶対に忘れず、油断せず、妙法の御題目、ご信心を離してはならない。

御題目をしっかりとお唱えして、お祖師さまの御恩にお報いすることができるように、闇に堕ちず、心の鬼にもって行かれず、暮らすこと、生きることが大事、ご信心、お看経、ご奉公を忘れてはならぬと、お示しの御教歌でございます。

故に御教歌に。「吾祖師の 御なは日蓮世の人の こゝろのやみを照す妙法」

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