2025年10月25日土曜日

御教歌「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」



「浦島太郎は玉手箱を開けて後悔した。迷って生きれば必ず後悔する。時は過ぎてゆく。死は近づく。死ぬのは嫌だ、悔しい、悲しいと嘆いても遅い。時間は戻ってこない。正しい道を正しく、悔いなく、精一杯生きなさい。」

心の鏡を曇らせないように、御本尊に向かい、御題目を唱えて、ご信心する。

ただ一つの命、たった一度の人生を、惑わされて、迷わされて、生きてなるものか。
ご信心を柱に、自分の意志で生きなさい、ご信心があれば迷わない。ご信心がなければ迷って当然、迷わされても仕方ない。迷ったまま貴重な人生の時間を奪われていいのか。
慢心と懈怠を戒め、素直正直なご信心しなさいと、勧め励ます御教歌でございます。

御教歌再拝。「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」

ここからの世界。
すぐそこに、大変動、大変革の波が押し寄せています。
全滅するようなことはないけれど、大混乱の中で、格差が広がり、分断は深まり、弱肉強食、人間として生きていても、つまらない、報われない、苦しいだけという社会、世界、空気。
自信のない人、自信のあり過ぎる人。自己肯定感、自己否定感、バランスが取れない。

詐欺まがいのマーケティングで、囲い込まれて、買いたくないのに買わされ、行きたくないのに行かされて、遊びたくないのに遊ばされ、毎日を過ごしているように感じます。

これからどうなるか分からない。何を学ぶべきかも分からない。仕事もなくなるかも、ローンは支払えるのか。この家に住んでいられるのか。本当に、恐ろしい時代です。
しかし、どんな世界になろうとも、みんなで幸せに暮らしたいはずです。でも厳しい。

備えよ、常に。
立正安国。心を正しくすれば、世界は正しくなる。心乱れれば、世界も乱れる。
日蓮聖人、お祖師さまの御法門。最後の御法門。臨終直前のお話も立正安国でした。
それぞれ、ご信心をしっかりと持って、心にしっかりと据えて、生きてほしい。
久遠本仏、永遠の仏陀、上行菩薩、日蓮聖人。すべてお見通し。答えはここにある。

「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」

AIの実演をさせてもらっていいでしょうか?
すごいです、AI。すでに人間に追いつき、人間を超えようとしてる。そして、きっと人間を変え、社会そのものが変わってしまう。もう止まらない。

SF作家の星新一さんの代表作に「ボッコちゃん」があります。なんと今から67年前、昭和33年、1958年の作品です。その中に『肩の上の秘書』があります。

この時代の人は全員肩にインコを乗せている。
主人公が営業に行って小さな声で「こんにちは」と呟く。
すると、肩の上のインコが、「お忙しいところ突然お邪魔して申し訳ございません。お許しいただきたいと思います」
とハッキリした口調で喋り出す。
そう、このインコはロボットで、持ち主の「つぶやき」を理解して、相手を気遣って、愛想よく、丁寧な言葉を選んで、代弁してくれています。
相手も突然営業マンが来て面倒くさいし、不機嫌なのだけど、インコが上手に対応してかわしていく。そんな世界。

上司に説教をされた帰り道、会社にインコを置いてきた主人公はバーに立ち寄る。
「この店に来ることだけが人生の楽しみだ」と言って大好きなママとお酒を飲むのですが、ママの肩にもインコが乗っている、というお話。
分かりますか?マダムの肩の上にもインコが乗ってる。つまり、インコと喋ってる。
何か真実?どこが本音?どこに人間の心、本当があるの?というお話です。

今、すでにみんなAIを頼りにしています。メッセージもメールはもちろん、報告書も事業計画書も、動画も、音楽も、テレビも、全部が全部、彼らに依存するようになってる。
人間として最も大切なコミュニケーションまで任せるようになったらどうなるか。
便利で楽しい、頼り甲斐がある。パソコン、スマホ、AI。でも、それに任せていたら、人間は進化しているのではなく、実際には退化してゆくことになる。
怖い未来ですが、すぐそこにある現実です。

面倒なことはAIに任せて、楽しいことだけすればいい、という意見もあると思いますが、面倒なことの中にこそ学びがあったり、成長があります。苦しい中に真実がある。
面倒なことをせず、修行せず、自分のしたいことだけしていたらどうなるか。
自分のことは棚に上げて、慢心し、人のことばかりとやかく言って、自分を知らない、怪物か、抜け殻みたいな人間ばかりになる。そんな世界になってしまう。

「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」

御伽話の世界。
竜宮城のような世界。
玉手箱のような魔法の箱。
浦島太郎のお話はご存知のとおりです。
UFOに連れ去られた説もありますが、どちらでもいいです。
もともと古いお話です。最古の記載は『日本書紀』、原典は『丹後国風土記』。『日本書紀』には雄略天皇 二十二年秋七月とあるので、西暦478年の話です。

この話は明治の小学校の教科書にも載りました。明治29年のことです。
ギリギリ、開導聖人が亡くなられた後ですが、江戸時代にもたくさんの絵本が出されていました。その頃は竜宮城は水の中ではなく波の上の設定でした。だいたい同じ話です。

むかしむかし、海のそばの村に、浦島太郎という腕のいい若い漁師がいました。
ある日、浜へ行くと、子どもたちが一匹の亀をいじめていました。太郎はいじめられていた亀を助けて、そっと海へ返してあげました。

すると、その夜、太郎の船の横にあの亀が現れました。
「助けてくれてありがとう。背中に乗ってください。御礼がしたい。」
亀の背中に乗って案内されたのが豪華絢爛な竜宮城。珊瑚の柱にタコのダンス、美しい乙姫さまがいて、美味しい食事が並んでいて、太郎は時の経つのも忘れて楽しみました。

しばらく過ごしてから年老いた母や故郷のことが気になり、帰りたいと申し出ました。すると、乙姫さまは小さな箱を渡して言いました。

「さようなら。これは玉手箱です。そなたのため、決して開けないでください。」

陸上に戻った太郎は驚きました。家もなく、知り合いもいない。太郎は竜宮城(蓬山)で三年を過ごしたといいますが、三百余年(※後世は七百年とも)も経っていたのです。

失意の中で太郎は玉手箱を見つめます。「開けてはいけない」と言われていましたが、彼は玉手箱を開けてしまう。ふたを開けた瞬間、白い煙が立ち上りました。
すると、たちまち太郎の髪の毛は白くなり、背中は曲がり、顔はシワに覆われます。
この世とあの世、乙姫さまが渡してくれた玉手箱は時間の歪みを調整していたのです。
封印が解かれ、一気に年をとってしまった浦島太郎。
人生の大切な時間を、大切な人と過ごすこともなく、もう死の直前にありました。

「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」

もう戻れない、取り返しのつかない人生の時間。もっと違う使い方があったのに。
数日のつもりが数百年。迷いのうちに流れる時間の恐ろしさを教えてくれる物語です。

進化するAIやロボットなどのテクノロジー。
現実か仮想現実か見分けがつかない、竜宮城のような楽しい空間もあります。
ゲームに夢中になる、動画に夢中になる、YouTube、TikTok、Instagram、気がつけば一日中ずっと画面を覗きこんで過ごしてる。電車の中でも、歩いていても、ベッドでも、お風呂の中でも、ずっと画面を見て、その世界に入り込んで、過ごしてる。
70歳までの人生で計算すると、1日に8時間、寝たり、ゴロゴロしていたとすると、23年間は寝ていることになる。仕事に費やしている時間もザッと計算して23年。
もうこれで50年くらい過ぎてしまったことになります。寝てるか仕事してる。

ここに、食事をしている時間を足せば約6年。トイレに入っている時間は2年間。
そして、これにパソコンやスマホの「画面を見ている時間」を加える。
何年だと思いますが。
もし、テレビやパソコンやスマホを1日4時間見ているとしたら、人生の約11年間は「画面を見ている」ことになります。
これでいいのか、悪いのか、分かりません。

でも、やはり、これでは、もったいない。
きっと、もっと、することがある。
もっと、見るべきものがある。
もっと出会うべき人、もっと話すべき相手、もっと行くべき場所、もっとすべきことがありました。そんな生き方でいいの?もっと素敵な、価値ある人生を生きようよ、と。

それを、教えてくださる御教歌です。
浦島太郎になるな、玉手箱はいつか開く。
過ぎた時間は冷酷に矯正される。リセットされる。特別はない。

人として生まれて、真実のみ仏の教えに出会って、亀を助けるような優しい心を持っていても、末法悪世、複雑な世の中で、幻惑されて、惑わされて、迷わされて生きるなんて、これほどもったいないことはないのです。
自業自得、自分が悪い、自分が選んだ人生です。でもそんな生き方は悔しい、悲しい、絶対だめです。

もはや御伽話のような世の中です。幻惑の世界。竜宮城です。
世界の政治も、国内政治も、大変な状況ですが、どちらもしても「劇場型」ということです。政治家の名前をつけて「〇〇劇場」と言いますが、本当にそのとおりです。
劇場なんです。演劇です。演出されている。セリフの回し方、使い方、照明の当て方、喜劇、悲劇、衝撃、愛と憎しみ、戦争と平和、起承転結。

巧妙な演出にどっぷりとはまって、泣いたり、本気で怒ったり、憎んだり、流されて、生きてはいないか。これにAIが入ってきてる。アルゴリズムが効いてる。
恐ろしい時代です。本当に、竜宮城のタコのダンスのように、楽しくて、恐ろしい。

ただ一つの命、たった一度の人生を、惑わされて、迷わされて、生きてたまるか。
見たくないのに見て、行きたくないのに行って、欲しくないのに買わされてるなんて、そんな人生、冗談じゃない。
それこそが、この決意が、仏教徒の真骨頂のはずなんです。佛立仏教徒の真骨頂。
本当の自分はどこにいる。大切な人はどこにいる。大事なことはどこにある。

竜宮城で楽しんだはず、楽しかったはずなのに。「玉手箱」を開けて、事実に気づいて、後悔する人生があります。
気づけば、かけがえのない人生が、煙のように消えて、最後に「しまった」と悔やむ。

心を失わず、道を見失わず、迷いに呑み込まれずに生きるにはどうしたらいいか。
後悔しない人生を送るためのご信心なのです。

万物の霊長・人間の心が曲がれば世界も曲がります。人間の心が地獄界に沈めば世界も地獄になります。
だからこそ、人の心を正しく導くこと。鬼も悪魔も、神も仏もみな心の内側にいます。この十界の御本尊は宇宙の調和、イコール人間の心の調和を表しています。

いわば動的平衡の御本尊。動的御本尊。口唱することによって起動し、心を整える。
鬼に引きずられないように、悪魔に騙されないように、心の菩薩を呼び起こし、彼にリードしてもらえるよう、御題目を唱えれば、御本尊が起動して、御題目の磁力が働いてその力に引かれて、十界の全てが、あるべき姿に戻る、調和した姿になってゆく。
心にこそ、僕たちの心にこそ、みんなの心にこそ、現証の御利益が必要です。
後悔しない人生のため、そのためのご信心。絶対に離れてはダメ、やめてはダメです。

開導聖人の有名な御指南があります。
「心の鬼が地獄へつれ行き心の菩薩が寂光へ導く〜」開導要決十六 四四オ 聖典六四九

現代語にしますと。
「心の鬼が地獄へ連れてゆき心の菩薩が寂光へ導く。この言葉を口ぐせによくよく味わいなさい。道の途中でも心にたくわえ、お看経の時にも忘れず、朝起きたら最初に思い出し一日が終わり寝る時にも唱えなさい。これを一日、二日、三日、一年、十年、一生の間、忘れずに続けていれば、臨終の時、必ず心の菩薩が寂光へ導いてくださいます。『臨終の夕べには日蓮が必ずお迎えに参る』とはこのことです。」

絶対に後悔しない、大切な生き方をする。厳しい時代ですが、誰にでもできます。

鬼に騙されない生き方、菩薩に導かれた一生を送ることが目標です。
演出に幻惑された人びとは、簡単に人を傷つけます。簡単に人のものを奪うし、簡単に愚かなことをしでかす。心をくすぐられて、鬼や、修羅や、畜生に、心を支配されてる。

人間関係を「怒り」で台無しにする。キャバクラに通い、ホストクラブに迷い、浮気して家庭を壊す。金を求めて人を裏切り、プライドや嫉妬で人生を棒にふる。
人生の落とし穴は、自分で掘って、自分で落ちることの方が多いです。注意できます。

高祖会の結論は、AI時代の「立正安国」です。
竜宮城で遊んでいる場合じゃない。
玉手箱を閉じて、御本尊を開いて、御題目を唱えて、人生を開こう。
心を守り、健康を守り、家族を守り、時間を大切に、生きてゆこう、ということ。

今こそ、来るべき大変革の時代に備えて、自分を磨きましょう。
AI時代、怪物になってはいけない、抜け殻になってはいけない。
ご信心から離れ、ご信心をせず、慢心し、懈怠していたら、怪物になります、抜け殻になります。
AIは敵ではないです。いいパートナーになれます。道具です。使う自分次第です。

どうか、佛立信心は、AI時代、激動の時代を生き抜く人生のお守り、自分を、人生を見失わないためのお守りであると心得て、素直、正直に信行ご奉公に精進することが大切です。

ただ一つの命、たった一度の人生。一日一日を大切に。
絶対に後悔しない、幸せな人生を送ってもらいたい。
本当に大切な人を、大切にしましょう。迷わず、惑わず、生き抜きましょう。
幻惑されてなるものか、慢心しない、懈怠しない、素直正直なご信心の大切さをお教えくださる御教歌でございます。

故に御教歌に。「浦島も あけてくやしき玉手箱 迷へば死ぬはいやにさだまる」

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