今週末は門祖会が奉修される。今年最初の大会(だいえ)となる。テーマを、「現代に活かす立正安国論」として私が奉修させていただくこととなっている。今年は如何なる年であり、その年を如何にして過ごしていくべきかを、「立正安国論」の御意をいただいて説かせていただきたいと思っている。
また、準備ご奉公の金曜日だが、明日のみ京都に行かせていただいて、本山宥清寺で奉修される日宥上人の御年回に出座させていただく。お声をお掛けいただくだけでも勿体ない。末座にて御題目をお唱えさせていただき、一分の御報恩をさせていただきたいと思っている。京都でのご奉公が終わったら一刻も早く横浜に戻って門祖会の準備をさせていただかねば。御法門を研鑽する時間がない。
先週、私の高校時代の友人が急逝したと連絡があった。実は昨夜、通夜があって駆けつけた。また、古くからの友人たちが集まっていた。高校時代の友人。自分の高校時代は、同学年の中でもひときわヤンチャで、本当に振り返ったら恥ずかしくなるくらい騒がしかったと思う。昨日の夜、先に逝ってしまった友人を見送りながら、ほんの少しだけ旧友と会話を交わしたが、それぞれがお互いの顔を見ながら驚いていた。変わったな、変わってないな、と。
先に逝った友人の高校時代の姿を思い浮かべていた。廊下を走り回る姿。阪神が優勝した時など、大騒ぎしていた。卒業後、一緒にジェットスキーに行ったこともあった。彼は高校の教師になった。高校時代もサッカー部で活躍していたが、教師となってからも少年サッカーの指導者として活躍していたのだろう。焼香に並ぶ私の前に、ユニフォームを着た少年たちが20名以上も神妙な顔で良い子に並んでいた。40才で世を去った友人を思い、彼が残した軌跡を感じて、御題目を唱えさせていただいた。涙を拭きながら、参列者をしっかり見て、ご挨拶していた奥さんが痛ましかった。
無常だ。一緒に過ごしてきた仲間、お世話になった先輩の病や訃報が、最近特に続いている。年齢のためなのだろうか。いや、そうではない。しっかりと、生きていかなければならないという彼らからのメッセージを大切に受け止めなければならない。遺された友人たちとも、そう話し合っていた。いつ、何があるか、分からない。いま、もう一度会っておこう。話をしておこう、と。同窓会など、ついぞ考えたこともなかったのだが、そういう気持ちになった。
父が、とにかく友人を大切にせよ、と教えてくれた。しかし、なかなか難しいものだ。ベタベタとくっついて話をすることも上手ではないし、どうしても「久しぶりだな」となってしまう。ごく最近になって、もっと友人のために自分に出来ることがあっただろうと反省している。本当に、大切な友人たちだから。
昔は、肩を張っていたし、見えていなかったこともあったし、理想に燃えすぎていた。でも、今は、等身大で、ゆっくりと人生を語れる。もっと身近に感じられる。ひろし君が、いつも自分の友人のために尽くしているように、俺も少しは頑張らないと。
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