2010年9月23日木曜日

吾亦紅(ワレモコウ)

ありがとうございます。
お彼岸の今日は雨の予報でした。そのとおり、朝から雨が降っていました。それでも大勢のお参詣をいただきました。ありがとうございます。
世の中が無縁社会化してゆく中、これほど多くの方々が先祖のために足を運び、手を合わせ、御題目をお唱えいただいていることは、本当に有難いです。都市圏では3割が直葬、JRや京浜急行のロッカーで一番困る遺失物が遺骨という時代。恐ろしい時代です。
「若い人に迷惑をかけたくないからお葬式は家族だけでいい」「お葬式はしないでいいわ。友人を呼んで懐かしむだけでいい」「散骨にしてほしい」「お墓もいらない」という人がいます。子ども側も、それが面倒じゃないと思う。しかし、これらは大きな間違いを犯しています。
本人はそれでいいかもしれませんが、残された者は心に開いた穴を埋める術を失います。こんなことをしているから心の病が増え続けてゆくのです。現代人の感性に合わせて止めていては、人も社会も壊れます。
確かに世の中のお坊さんや営利主義のお寺を見ていたら、嫌になる。この風潮も分からないこともないです。でも、それでも、正しい回向、葬儀も弔いも、必要なのです。
ちなみに、キリスト教では回向そのものがないし、教義上あり得ません。あくまでも故人を懐かしんでいるだけになります。禅宗も不立文字と言う以上、葬儀も回向もすべきではないし、本来的にできないはず。また、浄土宗や浄土真宗にしても、穢土の住民が極楽浄土にいるはずの亡き霊魂を回向することなど、できるはずがありません。
本門佛立宗の回向についての教義、本化門下が受け継ぐ御仏の教えは、迷信とは天地水火の違いがあります。
今日、10時からの総回向を盛大に奉修させていただくことができました。本当に、ありがとうございました。
続いて、13時半から妙深寺の評議委員会。新しい妙深寺のご奉公をご検討いただくために、臨時にお集まりいただきました。ありがとうございます。
非常に活発な議論が為されて、いま、終わりました。2時間半。有難いです。評議委員の皆さまが、ある意味で客観的に妙深寺のご奉公を見てくださることが大事。私たちも、こうした場を通して説明責任を果たすことができます。「公」は、努力しないと保てません。
今日、婦人会の皆さまが、住職の控える部屋の背後に、素敵な花を生けてくださっていました。樋口さんが生けてくれたそうです。
素敵でした。私は名前を知らなかった。でも、本当に、いっぺんで、好きになりました。熱帯の国から帰ってきたからかな、可憐に、小さく咲くこの花の美しさが、際だって感じました。
正教師から「吾亦紅(ワレモコウ)」と教えていただきました。「赤い花、綺麗な紅の花はたくさんあるけど、私も赤く咲いているのよ」という意味があるようです。まるで、「草がくれ」の御教歌のようです。素敵ですね。日本の花の名前。
善いことをしているつもりでも、悦に入っているのが自分だけでは意味がない。ご奉公も、本当に「公」か、「私」か、透けて見えてしまう。本当の、ご奉公を、コツコツと進めなければ、凡夫の罪障は消滅できませんし、悪い癖は抜けません。分かっているでしょうか。
それにしても、吾亦紅(ワレモコウ)、本当に、素敵だな。

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