2007年8月27日月曜日

お宝鑑定団のようなもの

 最近、更新が滞ってしまった。今は京都で海外部長と資料作成に没頭中。寺報の原稿もあるし、腰も頭も落ち着かない。
 昨日は神奈川県下の15ヶ寺でご奉公されている主な男性と女性が集い、「神奈川フォーラム」が開催された。そこで若輩ながら1時間30分の講演をさせていただいた。
 何度かブログにも書き、妙深寺の中でもお話をしてきたことだが、私の海外弘通への思いは少々変わっているかも知れない。つまり、純粋に海外へ上行所伝の御題目をお伝えするということ以上に、国内のご弘通、特に妙深寺のご弘通ご奉公のためにさせていただいてきたということ。海外での経験は私にとっての武者修行のようなもので、私の信心改良と信心増進となる絶好の機会と思ってきたし、実際にそうなってきたと思っている。
 また、私が福岡御導師に随行してご奉公を体験させていただいてきた地域は、妙深寺に比べて「若い」のである。妙深寺はといえば、創立から時が流れて世代が変わってきた。私とて佛立信者としては5代目である。個人的には「自分が初代だ!」と思っているが、実際5代目であることに変わりはない。
 もちろん、世代を重ねてご信心が伝わっていくということは有難いことに違いない。しかし、砂漠の中で水を求め、カラカラにノドが乾いてからオアシスを見つけたのが初代だとすれば、私たちはそのオアシスの中で生まれ、育ったのと同じだ。オアシスを「発見」した喜び、その「体験」は、なかなか得られるものではないと思う。いったん砂漠から出て、放浪してオアシスに帰ってきた者であれば初代に近い経験と感覚は得られると思うが、「なんとなく」ご信心を継続してきただけでは決して得られないものがある。
 私が思うに、「お宝鑑定団」のテレビ番組にも似ていて、家の中に初代が発見し、購入し、手に入れ、家宝とした「宝物」があっても、時が過ぎて、代を経ていけば、「何の宝物?」「どれだけの価値があるの?」になってしまうと思うのである。それを、あのテレビ番組の「なんでも鑑定団」が地方に来て、会場に持ち込んで鑑定してもらって、はじめて気づく、ということがあると思うだ。
 「あー、家宝だと思っていたのに、価値がなかったんだ」と嘆く人もあれば、「えー、こんなにスゴイものだったの!」と喜ぶ人もある。私は、ご信心も同じになってしまってはいないかと思う。このご信心、尊い佛立信心、御題目の価値を、代を経るごとに見失ってしまっている人は多いと思う。忘れてしまっている人があると思う。だからこそ、私なりに考えると、鑑定団の一つの「フィルター」というものが「海外弘通」の現場にあると思うのだ。
 佛立宗は仏教ルネサンスの中心にある。政治活動もしない、広告も上手ではない。葬式仏教でもなく、観光寺院でもなく、新興宗教でもない。ど真ん中の仏教。それを知る人が増えている、それを知って随喜し、ご信心に目覚め、御題目をお唱えして速やかに御利益をいただく人が海外という異国で増えている。難しいお経を読むのではない、書くのでもない、理論や理屈を学んで何かを行うというものでもない。難しいフレーズを覚え、踊りを覚えるわけではない。ただ、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と御題目、マントラをお唱えして「ひとつ」になれるご信心。ユニバーサルな宗教、有難い教え。それに気づいて欲しい、気づいてもらいたい、気づかせてあげて欲しい。
 そうしたことを海外から学ばせていただいているということをお話しした。時間がないので、この辺で止めておく。

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