2017年1月15日日曜日

秀さんを偲ぶ会

「もはや削るものは命しかないのかー(汗)」と思うくらい、昨日は分刻みのスケジュールで走り回りました。


本当に、重たい荷物を抱えて、転びそうになりながら走りました。


11時57分に教室を出て、現薫師の車に乗って出発したのはもう12時を過ぎていました。


宇治から京都駅まで、祈るような気持ちでした。


12時36分の新幹線に乗らなければ15時からの法要に間に合わない。


しかし、奇跡的に12時半過ぎに京都駅に着くことが出来ました。


京都駅でもホームまで走りました。


ゼーゼー(汗)。


14時34分に新横浜駅に到着する予定が雪のために4分遅れ。


車に乗り込んで妙深寺に戻ったのが14時52分。


奇跡的な早着替えをして第二本堂に入ったのは14時58分。


皆さん、お集まりくださっていました(涙)。


気がつくと55名以上の方々が、秀さんの49日忌法要にお参りくださっていたのです。


今から29年前のキラキラ、ギラギラした思い出。


もう、秀さんすご過ぎます。


法要中、いろいろなことが思い出されて、気持ちが溢れ、声がうわずりました。


大変な先輩方、そして大切な仲間、後輩。


ご宝前に飾られた秀さんの写真。


秀さんは、妙深寺の本堂にお参りしてくれた時、とめどなく涙を流されていました。


「俺は南無妙法蓮華経が大嫌いだった。母が亡くなった時、ある宗教団体の人に言われたことが忘れられなかった。絶対に南無妙法蓮華経なんて唱えるものかとあの時に誓った。」


そう言っておられました。


現在の団体名を書くのは控えますが、本当に狂信的な、独りよがりの愚かな発言で、天涯孤独になる子どもの心を深く傷つけた。


その罪は大きいです。


しかし、お願いされたとおり私が一座の法要を勤めると、一緒に「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」とお唱えになって、とめどなく、ポロポロではなくボロボロになって、泣かれていました。


忘れられない。


秀さんが一生を通じて、人を喜ばせ、人と人とを結びつけて、大きな大きな輪を作ってくれました。


昨夜はその集大成。


本当に、素晴らしい方々が集まってくださいましたし、集まった私たちも久しぶりの再会に手に手を取り、感動し、幸せでした。


やはり、これも秀さん。


秀さんは、生きていると思います。


きっと、やるべきことをやっていると思います。


寂しい思いをさせたくないと、頑張ってくれているでしょう。


そう思ってます。


ご供養が終わってから、仲間だけが残り、秀さんを語り、秀さんを偲び、これまでなかなか持てなかった時間を、持つことが出来ました。


本当に、感謝しかないです。


みんなの想いを結集して、妙深寺の第二本堂の納骨壇にご遺骨を納めさせていただきました。


近くに来たら、是非お参りしていただきたいと思います。


どんなにお金を払ったって、買えない。


思い出も、仲間も。


最高の宝物に囲まれた時間でした。


きっと、秀さんが教えてくれている。


もっと大切にしないといけないということを。


限られた人生の時間の中で、大切な仲間、先輩方、後輩たち、その絆やつながりを、これからはもっと大切にして、生きていこうと思います。


秀さん、ありがとうございました。


みなさん、本当に、ありがとうございました。


みんな、本当にありがとう!

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