2007年6月6日水曜日

27年前のブラジル

 今日も京都でご奉公させていただいている。

 昨日はブラジルとのウェブ会議について書いた。私は27年前にブラジルに行った。当時、法深寺の清水泉洋師がブラジルでご奉公されていたので、母の英断(?当初、父は反対したらしい)によって、ブラジル行きが決まったのであった。あの当時の海外旅行は大人にとっても大変なものだったと思うし、その旅は母の妹である博子さんと二人っきりだったのだから、すごい母親だと思う。しかし、このブラジル旅行こそ、私のアイデンティティの重要な一部となったことは間違いない。日本の最も伝統的な都市である京都に生まれて(しかも、病院は祇園だったのだが)、国際都市横浜に育って、日本の文化の大切さを噛みしめながらも、日本を超えた考え方を根付かせてくれたのではないか。もちろん、それこそ「一仏乗」であるブッダの教え、法華経本門の教え。真のコスモポリタンは真の仏教徒なのだ。

 いや、アイデンティティだけの話ではない。この時の出会いが、今現在にも息づいている。
 上の写真は27年前のブラジルでの一コマ。ブラジルのお講師方と食事に行かせていただいた時の写真である。ヒコ(博子)ちゃんが大切に取っておいてくれた。

 私は、写真中央の赤い服の方に抱きついている子ども。
 何と、その赤い服を着たお兄さんはブラジル教区長・斉藤法明御導師。そして、一番奥の高いところに立っている赤と白のシャツの方が前教区長・高崎扇忠御導師。そして、何と何と、左の屋根の柱にぶらさがっているお猿さんのような方が、誰あろうコレイア・教伯御導師なのである!!!

 この時代に、お会いできて良かった。大切な御縁である。ブラジルとのウェブ会議で、毎回顔を合わせられること、ご弘通のお話、ご奉公のお話、ご信者が如何にご利益をいただかれたかを語り合えることは、何よりの宝物である。

 次の写真では、一番左が法明師、その隣が扇忠師。その向かい側にはオールバックの泉洋師がおられる(当時のブラジルでは髪を短く刈っているのは刑務所から出てきた犯罪者だけで、様々な地域でのご奉公が難しい状況だったため、髪の毛を伸ばしてご奉公されていた。現在は全員が頭を刈ってご奉公できるようになった)。しかし、泉洋師は格好良いなぁ。奥には容子姉さんがいる。

 なんと、右の写真で私がだっこしているのが妙深寺の「海老蔵」こと、清水清康師なのであった。親指を立てて「ジョイヤ!」とやっている。この当時は泣かせたなぁ。

(今も泣かせているけど)

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