2015年6月20日土曜日

開導会第一座、終戦70年慰霊法要 「いま、平和を考える」











 晴天の下、盛大に、開導会第一座、終戦70年慰霊法要、「いま、平和を考える」を、奉修させていただきました。

終戦から70年を迎えるに当たり、戦火の中で亡くなられた全ての方々のため、この国のため、未来のために、特別な一座を設けさせていただきました。

お参詣いただき、本当にありがとうございました。

 ドイツの哲学者・ヘーゲルは、
「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」 
と言っています。

第二次世界大戦の時、イギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルは、
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」 
と言っています。

 こうした言葉に接する時、70年前の世界大戦から、私たちはきちんと学べているか、不安にならないでしょうか?

「恐怖の描写をするだけであれば、われわれは正しく戦争に反対することにならない。しかし、生きることの喜びや無駄な死の非情さについて声高く述べるだけでも、同じように正しく戦争に反対することにはならない。数千年以来、母親の涙について語られて来た。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げ得ないことをしっかりと認めなければならない。」サン=テグジュペリ

どれだけ恐ろしい資料を見ても、恐ろしい体験をお聞きしても、本当のところ、私たちの心には届かず、戦争が無くなることはない、とも受け止められる言葉です。

私たちは、学べているでしょうか。

私たちは、語り継げているでしょうか。

残念ながら、「平和」は「戦争」からしか、学べないのです。

「数千年以来、母親の涙について語られて来た。だがその言葉も、息子が死ぬことを妨げ得ないことをしっかりと認めなければならない。」


いま、ここで、学ぶしかないのです。

・ダンマパダ(法句経) 第10 「暴力」(清潤校閲)
すべてのものは暴力に脅えている。
すべてのものは死を恐れる。
己が身にひきくらべて、殺してはならない。
ころさせてはならない。

すべてのものは暴力に脅えている。
すべての生きとし生けるものにとって命は愛しい。
己の身にひきくらべて、殺してはならない。殺させてはならない。

生きとし生けるものは幸せを求めている。
暴力で害する者は、
死後に幸せを得られない。

生きとし生けるものは幸せを求めている。
暴力で害さない者は、
死後に幸せを得る。

・スッタニパータ第1章8「慈しみ」145〜147句 (清潤校閲)
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉く、長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

宮沢賢治さんの言葉
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

法華経化城喩品第七
「願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」

お祖師さま(日蓮聖人)のお言葉
「万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌を砕かず、代は羲農の世と成て、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を御覧ぜよ。現世安穏の証文疑ひあるべからざる者也。」

 大好きな、サン=テクジュペリの言葉たち。
「地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。」

「人間であることは、自分の意志をそこに据えながら世界の建設に参加しているのだと感ずることである。」

「心を高揚させる勝利もあれば、堕落させる勝利もある。心を打ちひしぐ敗北もあれば、目覚めさせる敗北もある。」

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ。」


私は、「この世界には仏教という希望がある。」と言いたい。

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