2011年3月1日火曜日

班長さんへの手紙

ありがとうございます。

月始総講に住職がいないなんて、本当に申し訳ありません。今回はこの日程でしか海外出張のご奉公が組めませんでした。

この文章もスリランカで書いています。妙深寺で続く開門口唱リレーの情報等を寺務所が始めたブログ(インターネットの日記)で読んでいます。教区の方々にも浸透しつつあり、壮年会の方々が週末に担当してくださったり、住職御講までは青年会も開門口唱リレーを実施してくれるとあったり、読んでいて本当に、有難く、妙深寺は、教講一体となりご奉公を進めてくださっていると、後顧の憂いも無く海外弘通の現場に立つことが出来ています。

出発前に、妙清師にご挨拶をさせていただきました。「いってまいります」と言葉をかけると、「はい、お気をつけていってらっしゃいませ」と。「妙清師、しばらく留守にしてしまう。帰ってくるまで元気でいて」と伝えてお寺を出ました。

妙清師は、さすが妙深寺のスピリットを、日博上人から叩き込まれた御方です。日博上人が、命懸けで、まさに命を削ってまで、ご弘通ご奉公されていたのを、そのお側で見ておられました。真夜中まで執筆をされ、朝一番から大声でお看経する。読みにくい日博上人の原稿用紙の字を解析できるのは妙清師くらいだったそうです。

「無より有を生ず」と賛辞を送られた日博上人は、世襲の住職などであろうはずもなく、常に最前線に立ったご弘通ご奉公をなされました。最前線。大切なことです。

無論、その大変なご活躍の陰に、多くの教務方やご信者方がいたことは申すまでもありません。

今、また、時を超えて、正教師を先頭に教講が一体となり、私の海外でのご奉公や文章活動、横浜と京都でのご奉公までを支えてくださっています。

私は妙深寺の伝統を守り、日博上人や、日爽上人のように、ご弘通の最前線に立ったご奉公をさせていただきたいと思っております。そうしたご奉公によって、御法さまにお褒めいただきたい。それだけを考えております。

もし、そうでなければ、私も、ただの世襲の「お坊ちゃま」ということになります。わがままなだけのお坊ちゃまではお教務さんやご信者さんにご迷惑をお掛けしてしまいますから、こうしていつまでも修行のチャンスをいただいて、妙深寺の伝統を継承するご奉公者になりたいと思っております。

妙清師の血圧が四〇を切り、その呼吸も途切れ途切れになっていた日。見事な現証のご利益を見せてくださいました。妙清師は、みんなの御題目で息を吹き返し、身を以て、ご信心の尊さを見せてくれました。「唱え死」という姿も教えてくださったように思っています。

その直前、妙清師は何度も言いました。「素晴らしいお師匠さまにお会いできて、私は幸せでした。これほどの幸せはありません。ありがとうございます。ありがとうございます」。うわごとのように、何度も何度も、そう仰っていました。これほどの幸せは、確かにない、と思いました。

「千人に出会っても何の影響も受けないこともある。一方で、たった一人との出会いで、人生が変わることもある、永遠に」

妙深寺が青い空を看板のテーマにしているのも、私が空の写真ばかり撮るのも、妙清師が妙深寺と出会い、妙深寺の玄関を出た最初の風景を見て、「あぁ、空は青いんだ。もう、何年も、空を見ていなかった。苦しくて苦しくて。」と仰ったのがルーツです。妙深寺に出会い、御法さまに出会って、うつむいて下ばかり見ていた妙清師が、顔を上げて空の青さに気づくことができたのです。

こうした方々を、これからも生み出していくことが、私たちの使命です。空は青い。これを思い出してもらいたい。妙深寺の私たちが受け継ぐ菩薩行の典型です。

とにかく、お寺にお連れすること。御法さまにお会いしていただけば、何とかなる。絶望が希望に変わります。精進しましょう。

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