2012年5月9日水曜日

『報恩記念大会に向かって』


 6月10日、私たちは、「東日本大震災復興祈願 開導会 併 先住松風院日爽上人御十三回忌 報恩記念大会 ~ここに仏教があります~」を開催いたします。

東日本大震災の発生と未曾有の大被害により、世界は大変大きな岐路に立っていることを確信し、同時に、こうした社会情勢の中で、私たち「お寺」や「僧侶」は本来 何をすべきか、存在意義そのものが問われていると痛感しました。

昨年3月11日の震災発生直後から私たちは出来得る限りの支援活動に努めてきました。一年間を振り返ると、それが十分であったかどうかは分かりません。しかし、お寺の全力を傾けて、茨城、福島、宮城、岩手へと往復してきた中で、支援活動は陸前高田の慰霊法要によって結実し、哀しみの涙は希望の涙に変わり、私たちも前に進む勇気をいただくまでになりました。

妙深寺に限らず、被災地の支援活動に尽力した寺院や僧侶の方々もおられます。しかし、被災地で耳にしたことや、その後の報道や調査を見てみると、圧倒的に多くの寺院や僧侶が支援活動への関心が薄く、行動を起こせずにいたり、自己満足に終わっていたようです。

全国にはコンビニエンスストアの2倍に上る「お寺」があります。仏教寺院が帰宅困難者や被災者に門戸を開き支援活動に乗り出せばどれだけ大きな力になったことでしょう。残念ながら、そうはならなかった。津波で全てを失った方に高額なお布施を要求した住職の話などを聞くと、やるせなくなります。葬儀すら出せないのに何を言うのでしょう。果たして「お寺」に「公益性」があるのか疑問の声も上がっています。

簡易な葬儀のためにお坊さんの派遣業が流行しているご時世です。それを世間の人も容認し、むしろ歓迎しています。難しいことなど言われたくない。葬儀の時にパッと来てパッと帰る僧侶が一番便利。コンビニ文化の象徴的なお話です。

檀家の減少で生活に困った僧侶が派遣会社に登録する。墓地開発のディベロッパーがそんなお寺に甘い言葉をかけて「宗教法人格」を利用する。駐車場や葬儀場経営で何とか日々の糧を得ているお寺も多く、お寺に脱税の温床があるとも指摘されています。

過日、NHKの「クローズアップ現代」で「仏教」の特集がありました。その中で「仏教に関する良いイメージ」についてのアンケートがあり、それを見ると仏教そのものに好感や期待感を持っている人は90%にも上り、一方でお寺への期待は25%、お坊さんに対してはわずか10%というデータが紹介されました。「仏教」への期待と「お寺」や「僧侶」への期待は 大きく乖離しています。

仏教への期待とお寺や僧侶への失望。これは一般の方々の率直な感想であり、ここに大変な問題が表れていると思います。

 本来のお寺は、生きている人が集うものです。それは観光のためではなく、生きる道しるべを得る、心の学校に通う、そうした場です。葬式仏教でも新興宗教でもなく、今の世の中には「普通のお寺」が必要です。高額な戒名料や御布施、葬式や法事の時にだけ必要とされるお寺では、仏教への期待を裏切るばかりか、仏教そのものの価値を損ねてしまいます。

無縁社会や孤独死、尊属殺人や幼児虐待、心の病や自殺率の増加という社会問題が顕在化する中、約三年前、報恩記念大会のご奉公がスタートしました。その準備を進める最中、東日本大震災が発生しました。あの日から、日本中で「絆」という声が聞こえるようになりました。いま、多くの方々が、消えかけていた「絆」をもう一度取り戻そうと努力しておられます。その流れの中に、「仏教」や「生きたお寺」の役割があるはずです。

私は、もしご信心が自己満足で終わってしまうのなら、する必要はないと思っています。法華経のご信心とは、そんなものではありません。確かに凡夫の願いを叶え、目の前の苦悩から救っていただける御法さまですが、それは煩悩の塊である私たちに正しい生き方を伝えるためであり、より良く生きるための「サイン」なのです。

だからこそ、自己満足ではなく、いま、今日までの妙深寺の歩みや在り方を、一人でも多くの方々にお伝えすべき時が来ていると思うのです。自分と家族、自分と社会、自分と世界を、素敵なものに変えてゆく仏の教えです。

多くの人は、幸せや快楽を求めながら、それが妄想と幻想であることに気づきません。大量生産、大量消費という神話、安全神話の上に造り続けられた原発。それが信じるに値しないと後で悔やんでも、過ぎてしまった時間や使ってしまったお金や失ってしまった人や命は取り戻すことが出来ません。

東日本大震災の発生は、私たちの想像を絶する忌まわしい出来事でした。しかし、未曾有の大災害は私たち一人ひとりに妄想や幻想の世界から抜け出すことを迫っているとも考えられます。被災地の佐々木さんもそう教えてくださいました。ブッダも、お祖師さまも、門祖聖人も、開導聖人も、閉じたままの凡夫の眼を開かせるために御生涯を捧げられました。大災害にも真っ正面から挑まれたのです。

この思いを集約して、開導会併先住日爽上人御十三回忌の法要を、東日本大震災の復興を願う「市民大会」としました。これこそ開導聖人や先住のお喜びになる菩薩行の体現、ご弘通ご奉公であると、一分も疑うことなく確信します。

被災地の復興とは人々の復興に他なりません。それは被災した方々に限った問題ではなく、同じ時代に生きているすべての人々にとっての問題です。そして、心の復興には「生きた仏教」が大きなヒントになると信じています。

「私たちは何を見て、何に気づき、何ができるだろう。どう変わり、どう生きるべきなのだろう」

このことを、みんなで考えたい。そして、亡くなられた方々や被災した方々、早期復興のために祈りたいと思います。陸前高田市から4つの地区・約30名がお参詣に来てくださいます。海外各国からも駆けつけてくださる予定です。

泣いても笑っても、あと少し。全身全霊でご奉公させていただきます。為せば成る、やれば出来るという気力、気迫、佛立魂、佛立根性で、6月10日のご奉公円成を期したいと思います。

仏教の再興を夢に見ています。

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