2011年7月25日月曜日

どこを、どう変える?

開導会の翌日。「あなたが変われば、世界が変わる」ということで、佐藤さん、髪の毛を切っちゃった(笑)。「髪型から変えましたぁ」って。さすが弘通部門長。

何を変えなきゃいけないか。大所高所から「変われ」「変わろう」と思ってもなかなか出来ない。自分の、身近な「アクション」を変えていかないと。それを見つけて、それを決めないと。それぞれの立場で。人に対して「変われ!」と言ったり、思ったりするよりも、「自分が変われ!」と思うべき。

たとえば、「住職が変わればお寺が変わる」「教務が変わればご信者さんが変わる」「お父さんが変われば息子が変わる」「お母さんが変われば家族が変わる」とか。

いつものお看経の声よりも少し大きな声に変える。今日からお看経の時間を少し長くする。朝夕、絶対にお看経するように生活を変える。お寺参詣できるように変わる。本堂の定位置を前の方にする。挙げたら切りがない。

とにかく、変わらなければ。さて、住職は何を変えよう。どう変わろう。信心の改良をさせていただいて、ご奉公が成就するように努めなければ。

それにしても、やはり、まず思い浮かぶのはお看経。教務は、何ができても、お看経がしっかり出来なければ駄目。「出来ている」と思い込んでいる者が多いが、実は出来ていない。変な節回し、タイミングのズレ、姿勢、声の張り方、いろいろな改良点が見つかるはず。

居眠りなどは言語道断。本堂の内陣で居眠りする教務がいたら「家で寝てこい!」と言う。ぶざまな姿をご信者方に見せるだけご弘通の邪魔、御法さまに傷が付く。このお寺はそういうものだと思われてしまう。

本人は自分の修行として居眠りしつつも修行しているつもりかもしれないが、御法さまからすれば迷惑。教務道は、そんなに簡単ではない。家で寝てこい。下がれ、と怒鳴られる。

遠くからお参詣して、本堂の内陣にいる教務が、元気なくダラダラ居眠りしている姿を見たら、どう思うか。自分の修行というよりも、教務は常にご弘通、ご信者方の信行増進を期して所作振舞を改めなければならない。

教務さんだけじゃない。お役中さんも、一般の方々も、変わらないとね、みんなで。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
今まで閲覧のみしていたのですが、この投稿で「おぉ〜!」と思ったところがあったので、初めてコメントします。
私が、そんなふうに思ったところは、「本道の内陣で居眠りする教務がいたら「家で寝てこい!」と言う」のところ、「ぜひ言ってください!!!」と思いました。
夏期参詣、寒参詣の時しか、朝参詣をさせて頂いていない私が言うのも何なんですが…。内陣で居眠りされている姿を見ると、“はりせん”で張り倒したくなる(御法前様ごめんなさい)。そのためお看経はバラバラ。「今日は最後までお看経するぞ!」と思ってもやる気がなくなり、帰ってしまう始末。「そんな事に腹をたてるのは、私の修行が足らないのかしら?」と思っているのですが…。信者が御教務様に対して注意するなんてことも失礼なのでもう何年もそんなお姿を見ています(涙)
なんとかできないのでしょうか??
(コメントしておいて申し訳ありませんが、どこのお寺かというのは、伏せさせて頂きます。すみません…。)

今日は飛行機、明日は電車

今日は飛行機を使わせていただいて、明日は小倉駅から新幹線、京都駅でサンダーバードに乗り換えて敦賀、敦賀で北陸新幹線に乗り換えて長野へ向かう予定です。 小倉から京都は591キロで148分、京都から敦賀は94キロで52分、敦賀から長野は353キロで110分だそうです(乗換案内さんが教...