2011年7月1日金曜日

『ブスの25箇条』

 宝塚歌劇団といえば美女ばかり。「清く、正しく、美しく」というモットーの下、厳しい教育や訓練を受けたタカラジェンヌたちに、世の羨望や尊敬が集まります。

 その美女が集う華やかな舞台裏に「ブスの25箇条」という一枚の紙が貼ってあると聞きました。




「ブスの25箇条」
1.笑顔がない
2.お礼を言わない
3.おいしいと言わない
4.精気がない
5.自信がない
6.グチをこぼす
7.希望や信念がない
8.いつも周囲が悪いと思っている
9.自分がブスであることを知らない
10.声が小さくいじけている
11.何でもないことにキズつく
12.他人にシットする
13.目が輝いていない
14.いつも口がへの字の形をしている
15.責任転嫁がうまい
16.他人をうらむ
17.悲観的に物事を考える
18.問題意識を持っていない
19.他人につくさない
20.他人を信じない
21.人生においても仕事においても意欲がない
22.謙虚さがなくゴウマンである
23.人のアドバイスや忠告を受け入れない
24.自分が最も正しいと信じている
25.存在自体が周囲を暗くする

 最後まで来ると思わず笑うしかなくなりますが、よく見てみると「ブス」と言いながら、ほぼ外見に関する項目がありません。そのほとんどが、その人の所作振舞や心がけに関するもの。これこそ、宝塚の素晴らしさだと思いました。
 すべては所作振舞に表れます。その人の魅力は外見の良し悪しではなく、香るように自然に表れる「振舞」に出る。「心」と「振舞」。本当の「美しさ」とはこの二つが一つに結ばれた時、はじめて醸し出されるものなのでしょう。
御教歌
「かほかたち つくらふものは おほけれど 心をみがく人はすくなし」
 取り繕ってもたかが知れている。それを、上から塗ったり、後からいじったりしても美しくなれない。「繕う」とは「体裁を整える」ということです。飾っただけの自分が一人歩きすると、むしろ素顔の自分が孤独になります。孤独とは極めて苦しいもの。自分がどこにいるのかも分からなくなります。
 本質を変えること。そのために、心を磨き、心がけを変え、所作振舞を変えてゆく。本当の美しさは、心を磨くことで表に現れます。
 御妙判に、
「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。」
とあります。内面だけでもダメ。外見だけでもダメ。心と所作振舞。アクションを変えるためのご信心。心を磨いて、所作振舞が変わる。この順序、このバランスが御題目口唱のご信心であり、これが本当の菩薩行、私たちの目指している仏道修行です。
 仏教とは、難解な哲学ではなく、アクションです。心がけを変えて、日ごろの所作振舞、行動勝負してゆきます。そうやって「ブス」にならないように努め、「ぶさいく」になっていないかチェックする。とても為になる25箇条でした。
御教歌
「言ばのみ ありてまことのなきならば たれ法華経とあがめまつらむ」
 言葉だけで、実際にその証明が無ければ、誰が法華経を崇め敬い、ご信心をするでしょう。法華経のお言葉どおり、上行菩薩は末法にご出現され、三箇之中一大秘法の御題目をお伝えくださいました、さらに、そのお言葉のとおりに、私たちはその御題目をお唱えすることで現証の御利益を頂戴します。これこそ真実の、生きた仏教です。
 では、私たちはどうでしょう。お約束を果たしてくださっている御仏やお祖師さまの教えをいただきながら、私たち自身は、約束を果たし、心を磨き、心がけを整え、実際に所作振舞や行動を変えて、誰もが法華経を敬うような生き方が出来ているでしょうか。
 宝塚に入ったから美人になれるわけではないのです。タカラジェンヌの全員が美しい女性とは限らない。ブスでなくなる訳でもない。常に厳しく心がけ、その所作振舞が変わらなければ、「ブスになる」「ぶさいくなまま」「宝塚の価値が下がる」「誰も宝塚などに憧れない」と教えているのです。
 私たちも、本門佛立宗に入っただけでは素晴らしい人間にはなれません。御題目に出会えたからといって、素晴らしい人間ばかりとは限りません。一人一人が真剣に御題目を唱え、心を磨き、厳しく所作振舞をチェックして、御法門を行動に表してゆかなければなりません。それが出来ていなければ、「ブスになる」「ぶさいくなまま」「佛立の価値が下がる」「法華経を誰も敬わない」「誰もこのご信心をしようなどと思わない」はずです。
 最近ブスが多い。御法門があり、言葉は踊っても、行動に表れない。所作振舞は下品で、美しくない。
「菩薩行が大事」
「我身をかへりみ、有難う存じますると口ぐせのやうに申せ」
「ありがとうございます」
「願くは、生々世々、菩薩の道を行じ、無辺の衆生を度して、永く退転なからん事をおもふものなり」
「火に入る者を助けんとするには共に火に入り。水におぼるゝ者を救はんとするには、共に水に入て救ふなり」
 私たちには時空を超えた仏祖のご命令がある。自分のことばかり考えてきた生き方を、御法のため、世のため人のために、生き改める。欲望に縛られた心が解け放たれて、「本当の自由」を得る。欲望の絆の解けた人を「ほとけ」という。そうなる、そうするのが、佛立の教講です。御題目をいただいて、この教えを末法の中で体現する、実現する、所作振舞、実際の行動に表して生きるように努めるのが、私たちです。私たちしかいない。
 言葉だけ、口先だけというのは何より格好悪い。ぶさいく極まりない。それでは誰も理解しないし、敬ってもくれません。結果として、ご弘通もお教化もできません。
 ぶさいくな教務、ブスなご信者さんにならないように気をつけましょう。「ブスの25箇条」は日ごろの御法門そのものです。
 美しい佛立教講が活躍すべき大震災後の世界です。

1 件のコメント:

Genkun.Matsumoto さんのコメント...

いま、ブログを拝見して全く同じ題名でアップしていて驚きました。内容は遠く及ぶものではありませんが、お許しいただければと思い書き込みいたしました。失礼いたしました。m(_ _)m

現薫 合掌

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