憲史くん、
ありがとうございます。
出家することを祈念します。ありがとうございます。
あのね、本当の仏教では、「出家」は坊主のための教えじゃないんだ。普通の人に対しても「真実出家の論」という教えがあって、憲史も知っていると思うけど、開導聖人の御教歌に「ころも着て かしらまろめて 人だます 寺住のもの 僧と思な」とあって、衣を着ても、頭を短く切っても、本当の出家とは認めない。
逆に、心の問題なのだけれど、社会で生きていて、普通の、一般の人であっても、「目覚めて、道を求める人、求め続けると決心(決定:けつじょう)した人」を「出家」というのでした。
読んで字の如くなのだけれど、「家から出る」というのは「普通の人たちが心惹かれる事象・価値観から出て、真実の道を歩む」ということであり、「在家(出家していない一般の人のことを指す言葉)」というのは出家の意味に対して「そこに至らない人」。出家していても世間の物事に心を惹かれている人もあって、在家でも出家している人もいます。その大切さを、私たち佛立宗の教講は噛みしめなければならないのです。
法華経の教えは、「出世間法」と言って、「世間の物事から出る、逃れる法」であると説かれているのでした。
そしてね、私たちは、ご信心の功徳で「出世間」する。そうした上で「入世間」する。世間にもう一度交わる、混じる。その中で、蓮華のように生きていくということです。泥の中でも純白の花を咲かす。泥から出て、綺麗な池を求めるのではなくてね。
御仏の最初の御法門が「四諦」の御法門であったように、御仏は「諦め(あきらめ)」、昔は「諦」という言葉は「あきらめ」ではなく「明らかにする」という意味があったのだが、それが人間にとって大前提として必要だと説かれた。
それが、世間で言う「四苦八苦」の御法門だった。
最初の4つは、「生老病死」。人間誰もが抱えている苦しみ。
生きること(生まれること)の苦しみ、老いていく苦しみ、病に遭う苦しみ、そして誰もが死を迎える苦しみ。これから逃れられる人はいない、誰もがこの苦しみを抱えながら生きていかなければならない。
そして、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」。
「愛別離苦」は、愛する人と別れる苦しみ。愛していても永遠には一緒に居られない。
「怨憎会苦」は、怨みや憎しみで出会わなければならない苦しみ。
「求不得苦」は、求めても得られない、欲しいものが手に入らない苦しみ。
「五陰盛苦」は、「五陰」という肉体、感情、理性、思考などが盛んで、物心両面の執着からの苦しみ。存在自体の苦しみ。
特に、この「愛別離苦」は、無常の世界で生きている限り、つきまとうから。
憲史くん、御祈願、ありがとう。
でも、確かに憲史くんの御題目は届いているから。そして、彼の祈願は、また色々なことを教えてくれた。このメールのように。
頭は丸めなくてもいいけれど、みんなで「出世間」して「入世間」しよう。同じ世界に生きていても、視界が変わるから。
ありがとうございます。
清潤拝、
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