京都からもう一つ。
そう、世は「スピリチュアル・ブーム」という。しかし、「スピリチュアル」という意味を0.000001%も分かっていない人が多いと思うのだが。それはさておき。
昔から「虫の知らせ」とか「相性」とか言って、「感性」や「フィーリング」は大切にされてきたし、私も大切にすべきだと思う。
しかし、世の中から「自分自身」に対する謙虚さが失われて、慢心した人ばかりになってくると、この「感性」というものを誤解して、また「何かのせい」にする傾向が出てくる。これも不幸の原因だと思うので書いておきたい。
確かに、ブッダはあらゆるものとの「つながり」を教えてくださった。自分、他人、他の生き物、自然、環境、地球、宇宙と、それぞれのつながりを教えてくださったのが、法華経世界であるのだから。こうしたことは自然科学的に、要素還元主義的に「目に見えるもの」ではないから、本当の意味でスピリチュアルなものといえるだろう。そういう意味で、私たちは感性を大切にする。ある意味では、詩人のように、雲の流れや風の流れ、さまざまなものからメッセージを受け取って、自分なりに感じ取ることが大事だと思う。仏教的な心の豊かさ。どんなに科学が発展しても、詩人が豊かな心を失わず、人間はもちろん花や月や自然界という全てからメッセージやサインを受け取り、それを言葉に紡ぐように。
しかし、だからといって、自分の「感性」を尊重し過ぎてはならない。今まで書いたように、「感性」は大事なのだが、「何となくあの人嫌い」「あの人とはうまくいかない」などと言う人を、私は軽蔑する。全く仏教的ではないと思う。そういう浅い「感性」でサインを貶めてもらいたくないし、そんなことをしていたら人々を恐ろしく間違った道に導いたアサハラ教祖などと一緒になってしまう。宗教的カリスマ性を持った人でも、霊的な能力(通力)を持つ人でも、いつしか「感性」は「欲」「我」のために曇り、濁って、澄んだ感覚もただのエゴにまみれたものになってしまう。こうしたカルト宗教や霊能力を持つといわれる教祖がなぜ生まれ、なぜ間違っていくのかは別の機会に書きたいと思うが、個人個人でも同じなのである。「あ、あの人嫌い」などと言って毛嫌いしている間は、やはり気分屋で、精神的には落ちていくばかり、悪循環を繰り返すことになる。人のせいにすることや霊のせいにすることで気持ちを落ち着けることも出来るし、悦に入ることも出来るのだが、それは根本的に幸せなり、本質的に不幸から逃れるという意味では全く逆効果であるから。
まどろっこしくて、申し訳ない。でも、まどろっこしいものじゃないだろうか、人間の心は。あっさり行きたいが誤解を生んでも仕方ないので。
とにかく、一瞬で人を判断してはいけないのだ。
2007年5月16日水曜日
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