まず、書きたいことというのは、妙深寺の近くにある特別養護施設・羽沢の家に妙深寺のコーラス部と長野教区の篠原さんが慰問演奏に行ってくださったこと。なかなか、今の妙深寺は、お寺としての福祉活動が出来ていません。しかし、こうして、各教養部が協力して、自発的な活動をしてくださっています。ありがたいことです。
篠原さんは、マウスオルガンの演奏をしてくださいました。篠原さんは、これまでもお年を召した方や身体に障害を抱えておられる方への演奏活動をしてこられました。特に、篠原さんは「何かをしてあげる」ということではなく、こちらから「学ばせていただく」という姿勢で一貫しておられます。いつも、こちらが勉強させていただいています。
私たちは、一人ご病気の人が家にいたら、家族全員が同じ病気だと思ってご奉公しなさい、と教えられるのです。自他彼此の心なく、自分や他人という境界線を低くしてするのがご奉公だと教えていただきますが、それが実践できている人は少ないものです。でも、これは難しいことです。
ほとんどの人が、境界線を引いて壁を高くしておかないと自分が守れないと思っている人ばかりです。
自他彼此の心をなくして、向き合うこと。本当に、難しいことなのです。それを、篠原さんはしてこられたし、こういう慰問を通じて学ばせていただくことが出来ます。
年金受給者への管理を担当する方々が記者会見をしておられましたが、申し訳ない言い方を率直にすれば、その発言内容、態度、緊張感、危機感を含めて、いかにも無能そうに見えました。彼らは、社会を健全に保つことに情熱を感じているでしょうか。
「一人信心でよしと思ふは、給銀メ当の実意なき臣下と云もの也。かやうの人々なれば不忠もの也。法に取りては大謗法となりて、仏祖の冥加にはずれたる人とならん事、疑ひなし。慎み給ふべし」隆師年譜(下)
全国で同じ案件がないかチェックすると同時に、その背後にある一人ひとりの心の問題、社会問題を発見し、何とかしてゆかなければらないと思います。
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