ネパールの弘通体制を新たに立て直します。コレイア清行師がブラジルへ帰国し、ここで崩れては元も子もありません。
清地師も立派な教務になってくれましたが、それぞれがどのように教務の日々のご奉公を監督するか。厳しい師匠や兄弟子がいなければ、いつでも怠惰になれますし、なんでもマイペースで進めることが出来ます。
そもそも教務道というものは内省と自覚、自身の誓願と精進があって成り立つものです。それらが無くなり、薄くなれば、どの世界の、どの役職の、どの立場の人間よりもタチが悪くなります。
御講もお総講も予定の時間だけがご奉公ではありません。御法門の研鑽はスケジュール帳に載りませんが極めて重要です。本ばかりめくっていても御法門は説けませんから、ご弘通ご奉公、お助行に走り回らなければなりません。しかし、それもこれも、できなくなる、できない状態に陥ることがあります。
朝参詣だけして、あとは寝ている人も出来ます。一般の方々は朝参詣をしてから会社や学校に行くのに、朝参詣だけが仕事だと思ってあとはゆっくり寝ていたらどうなるか。
御講屋さんになってもいけません。お布施の用意してある家を廻って帰ってくる、それがご奉公だと思っているとしたら、それは勘違いです。その御講がご弘通の場になっているか自問自答しなければなりません。
御法門の勉強をせずに、寒夏の御法門集、誰かが作成した御法門を引いて、そこにちょっとだけ自分の言葉や考えを付け加えて、それで御法門だと思っているとしたら、大きな罪障になるでしょう。他人の御法門を読み上げてお布施?AIが全部作ってる?ご弘通が衰退するのはそうしたご奉公が原因でしょう。
法友は大事です。しかし、フワッとした仲間ではいけません。それこそ弘通衰退の最大の原因となります。悪友になってはいけない。悪友を友にしてはいけない。いつしか自分もいい加減なやり方を気にしなくなります。間違っていても大丈夫なります。慢心していても分からなくなります。ご弘通ができていなくても気にしなくなります。
民主主義的に厳しい師匠を選ぶはずがありません。みんなで仲良く師匠を選ぶなんて出来るものではありません。それでいいなら気心の知れたお友だちを師匠に選ぶでしょう。それが仏道?それが佛立?そんなわけはないのです。
師匠や兄弟子の厳しい目がない中で、信心修行を続けていくことは大変です。遠く離れていますが、心が一つだと思って、ご奉公に励んでもらいたいです。
所詮、エントロピー増大の法則に従って組織は腐敗するし、創始者の志は薄れるし、水は濁り、流れは乱れるものです。
これに抗うのは生命活動そのもので、そうさせてなるものかという意志と絶え間ない活動が必要です。それを「動的平衡」と呼ぶこともできます。意志こそが大事なのです。
「即ち経文、天台の釈、両祖の御抄御指南によりて、当家正流を水際たてて結び弘めたる本門佛立講なり。」4-411
開導聖人がお示しの「水際」とは机上の「学」のみならず「行」こそ大事と承知するのが本物の佛立の流儀です。これが分からなければそもそも話になりません。
その「水際」がエントロピー増大の法則に従って曖昧になり、「行」の面において曖昧になっていることを知らなければなりません。
他宗の僧侶の活動と水際が立っているか。行儀作法、儀典典礼、宗門僧、行政僧、勉強家、説教師、茶坊主、色々なタイプがありますが、佛立教務として「水際」が立っていなければなりません。
本門佛立宗に所属しているからといって「水際が立っているだろう。だから安心」ではないのです。自分たちのご奉公が水際を曖昧にします。どこかの箱に収められている「学」の話ではなく「行」の話なのです。
話せば切りもありませんが、考えてみれば誰でも分かる話です。そもそもエントロピー増大の法則に抗えていないから衰えるのです。
みんな、気づいていても、いつしか自分もイミテーションに慣れてしまって、今さら本物を目指しても無理だ、だったら上辺だけつくろって偽物であることがバレないようにしよう、と虚勢の生き方になってしまうのです。
その人生の最後が、どれだけ御利益とかけ離れてしまうか、考えただけでも恐ろしいです。ご信心が少しでもあれば、怖いことになります。本物を知らないとそれも分からないと思いますが、少なくとも君たちは気づいているはずです。
人間の一生はわずかです。しかし、僕たちは先人たちの努力した結果の世界に生きてる。もちろん、愚かなことの結果の中にも生きている。ボーイスカウトではないけれど、自分の短い人生の中で、受け取った時より少しでも世界を良くしてからこの世を去ろう、と本気で思い、本気で生きてゆくのが私たちのはずです。
私たちは世界をより良く変えてゆきたい。そのために日本でも走り回り、世界でも飛び回りご奉公してきました。ネパールでのご弘通は世界史に刻まれる。
ダメになっても、それはそれ。挑戦した軌跡は消えない。功徳は消えない。永遠です。水にも流されず、火にも焼かれない。僕たちは世界をより良く変えるために生きるのです。永遠の挑戦者であろう。
水際を曖昧にして、お坊さんなのに本来の生き方を見失ってはいけない。本来の本門佛立、本物の本門佛立を探求して、その水際を立てて改良することが、髙須ご講有が仰せになった「大改良」の本義であると私は思っています。
以上、ネパールの弘通体制を立て直すために、それぞれに送る。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。
長松清潤拝、