2026年7月5日日曜日

今般の皇室典範改正案について

 



明治維新は、単なる政治革命ではなかった。日本の宗教秩序を破壊し、国家神道を軸に天皇制国家を再編する宗教革命であった。この点については拙著『仏教徒 坂本龍馬』に詳述した。


現在進められている皇室典範改正案を見ると、維新後に生まれた明治国家の亡霊が再び立ち上がってきたように感じる。


皇統は本来、今日いわれるほど単純で硬直したものではなかった。古来の皇位継承は、母方の血統、女性皇族の地位、外戚、婚姻関係、政治的安定性を含む、多層的で柔軟な秩序の中にあった。ところが明治国家は、王政復古・祭政一致・神仏分離の流れの中で、天皇を国家神道の中心に据え、その皇統観を「男系男子」中心の近代法制度へと再定義した。


玉松操や樹下茂国らは、神仏習合の日本を断ち切り、国家神道的秩序をつくろうとした維新初期の象徴的人物である。さらに明治十年代以降、伊藤博文・井上毅らの法制過程を経て、皇位継承は男系男子限定として制度化された。


今回の改正案は表向きには皇族数の確保を掲げる。しかし、その核心には、女性皇族の存在を公務維持のために用いながら、その配偶者や子を皇族化せず、旧宮家の男系男子だけを皇族に戻すという選別の論理がある。これは皇室を現代に開く改革ではなく、明治典範以来の男系男子主義を、令和の制度危機の中で再補強するものではないか。


なぜ日本は再びその道を選ぶのか。これは単なる保守・革新の問題ではない。幕末維新史、神仏分離、廃仏毀釈、国家神道、そして皇室典範制定の過程を丁寧に学ばなければ、いま何が起きているのかを見誤る。


明治維新を美談だけで語ってはならない。そこには、破壊された仏教、消された伝統、作り替えられた皇統観がある。いま必要なのは、維新の亡霊に従うことではなく、歴史そのものを深く見直すことである。

「雨のウェンズデイ」と横浜ラグーン

 

7月1日、無事にFMヨコハマ「ヨコハマ・ラグーン」の放送をさせていただくことができました。本当にありがとうございます。


すでに7月も京都と横浜を往復し、慌ただしく過ごしています。本当に、ゆっくり、じっくり、ご奉公させていただきたいです。


リスナーの方々のお便りにお答えしていましたが、大瀧詠一さんの「雨のウェンズデイ」のお話にはびっくりしました。毎週この番組を聴いてくださっていたご夫婦。5月20日の水曜日に亡くなられたご主人が大好きだった曲。お通夜でも流したほど大好きだった曲が「雨のウェンズデイ」。


亡くなられた2週間後の水曜日、6月3日の番組で流した「雨のウェンズデイ」。シンクロニシティ、本当に不思議で、ステキで、死んだら終わりとか、見える世界しか信じないとか、そんな考えが吹き飛ぶような出来事です。ノンフィクション。


実は、私が「雨のウェンズデイ」を選んで、番組収録したのは5月20日でした。ご主人が亡くなった日です。なぜ、あの日、私があの曲を選んだのか。鳥肌が立ちました。妙不可思議。南無妙法蓮華経。ありがとうございます。


今回の放送ではライオネル・リッチーの「SAY YOU SAY ME」と「Hello」を選びました。ボーズワードは「空想」でした。


引き続き、よろしくお願い申し上げます。

ありがとうございます。


ONAIR DATE 2026/07/01 (Wed)

https://radiko.jp/share/?sid=YFM&t=20260701053000


『こころ仏(ほどけ)る 空飛ぶお坊さんの仏教の言葉47』 

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引き続き皆さまからのお便りをお待ちしています。素朴な疑問、質問、何でも結構です。


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是非、お便りください。お待ちしております。

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2026年7月4日土曜日

先住の「貫と徹」

 



今夜は京都、長松寺のお総講を勤めさせていただきました。雨にもかかわらず、大勢のお参詣をいただき、学生師にもご奉公いただき、ありがとうございました。


ただ、4日や16日が週末に重なると大変です。明日は横浜で大切な7月の住職御講が始まります。まったく時間が足りません。


御法門のために平成5年1月からの『妙深寺報』読み返しています。先住の巻頭言「貫と徹」、あらためて怖いくらい現証に溢れている。あの時、異次元の扉が開いていた。先住の言葉、その後の出来事、全てが符合し、全てシンクロしてゆく。


とにかく、時間がほしい。ゆっくり、じっくり、深く見つめたい。


なんとか明日までに御法門を整えさせていただきます。


南無妙法蓮華経

2026年7月2日木曜日

ベネゼエラ大地震

 



自分の命や人生がこれほど愛しく大切ならば、それぞれの命や人生もどれだけ大切でかけがえのないものだろう。


ベネゼエラ大地震、倒壊した複数の巨大な集合住宅を見て。数え切れない人たちが瓦礫の中に取り残されてる。


そこにいる一人ひとりに、かけがえのない人生がある。


自分と同じように、彼らにも愛する人がいて、愛してくれた人がいて、かけがえのない青春があって、たくさんの思い出もあって、夢もあって、そんな人生が傷ついて、壊されて、埋もれてる。


自分の人生と同じように、それは何より大切で、かけがえのないものだったはずなのに。


祈っています。せめて今は祈るしかできないから。


ベネゼエラの被災地は破壊されたガザの惨状と重なる。人間によって破壊された町、集合住宅、それぞれの人生。


戦争は妄想や狂信、エゴによって起こる。せめて目を覚ませ。目を覚ますしかない。


天災は地球の厳しい営みだとしても、人災は人間の愚かさに因る。人間が人間性に目覚めなければさらなる人災、あるいは天災が私たちを襲うだろう。昨日は人の上、今日は身の上。他人事ではないはず。


自分の命や人生がこれほど愛しく大切ならば、それぞれの命や人生もどれだけ大切でかけがえのないものか。


被災した方々が、愛する人と会えますように。お互いに支え合い、再び穏やかな日々が迎えられるように。祈っています。


生きとし生けるものが幸せでありますように。


南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

2026年7月1日水曜日

人生の解像度


 6月が終わった。本当にありがとう。感謝しかない。終わりそうもなかった。でも無事にご奉公させていただくことが出来た。


去年から今に至るまで、人生で最も深く思考した。これまでの人生を振り返り、いくつもの分岐点、愛する人、大切な友人、恩ある方々を想い返し、今まで見たことのない景色が見えた。


人生の解像度が上がった。始まりから終わりまで、命の時間と空間が鮮明に見えてきた。


人は必ず死ぬ。徹底的に、決定的に、死ぬ。死なない者は一人もいない。だから生きる。大切に生きる。生きている今を大切に、懸命に生きる。生き切ろう。


どんなに愚かでも、どんなに情けなくても、どんなにどうしようもなくても、生きている。角度を変えて、目を転じて、美しい世界を見て、可能性を信じよう。やることやろう。やれるだけやろう。


今生人界、愚かなこともたくさんしたし、後悔がないとも言えないけれど、ただ一つの、今回の自分の人生だから、嘆くのはやめよう。みんなに感謝し、傷つけた人、迷惑をかけた人には手を合わせ、せめてより良く生きると誓おう。


「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である。」


ここから再開。一からやり直し。初心に立ち返って、やり直す。夢を夢で終わらせないために、さらに解像度を上げて照準を定めよう。


薄情の道、忘るることなかれ。遠慮は無用。見過ごさず、戦え。有能有敵、無能無敵。愚か者に誉められることを恥と知れ。真剣に生きていない者たちを友とするな。一生の不覚を取るな。


お金もないし、時間もない、体力も落ちてるし、頭も冴えない。でも、仕方ない。そのスペックでいいし、それで勝負するしかない。ボロボロのマシンでチャンピオンになった日を思い出せ。挑戦者であり続けろ。


とにかく、一からやり直し。本物を追いかけて生き直し。

南無妙法蓮華経

2026年6月28日日曜日

国・民族・人間の尊厳を考える



マニフェスト・デスティニーから、国・民族・人間の尊厳を考える。


米国のマニフェスト・デスティニーとは、「アメリカは神の摂理によって北米大陸へ拡大する使命を与えられている」という思想。そこには自由、民主主義、キリスト教的使命感、開拓精神が語られていたが、その内実には先住民の排除、メキシコへの侵略、白人優越、文明化という名の「支配」が含まれていた。


仏教徒の眼から見ればこれは慢心だ。

自分たちを正義とし、他者を未開・劣等・啓蒙されるべき存在と見る。


欲望を「天命」と呼び、支配を「文明化」と呼び、暴力を「進歩」と呼ぶ。そこには、無明が正義の衣をまとった危うさがある。


この構造は幕末のペリー来航にも見える。日本開国には、太平洋航路、捕鯨、貿易、石炭補給地という現実的な目的があった一方、アジアを近代化し、「文明化してやる」というアメリカ側の優越意識もあった。砲艦を背景にした「文明化」である。


しかし、日本もまた、その圧力を受けて近代国家への道を歩み、やがて自らの「マニフェスト・デスティニー」を作り上げた。神国、皇国、国威発揚、八紘一宇、大東亜共栄圏。アメリカが「文明化」を掲げて日本を開いたように、日本も「アジア解放」を掲げてアジアへ侵出した。ここにも支配を救済と呼び、欲望を使命と呼ぶ同じ構造があった。


アメリカが悪い、日本が悪い、という単純な話ではない。人間はしばしば、自分たちの欲望や恐怖を、高貴な理念に翻訳する。


そしてその時、もっとも危険なのは「自分たちは善である」と確信していることだ。


幕末から約150年、人びとは地球各地を移動し、大胆に交流し、圧倒的に混ざり合った。


現在、行き過ぎたグローバリズムの反作用として、自国ファースト、移民排斥、保守化、右傾化が世界的に広がっている。生活不安、格差、文化的変化、エリート不信、SNSによる怒りの増幅が、人びとを排外主義へ向かわせている。


国と国、民族と民族の争いも絶えず、同種であるはずの人間が無慈悲な攻撃の応酬、殺し合いを続けている。ウクライナやガザやレバノンで起こっていることは、いつ全世界に飛び火してもおかしくない。誰かの貴重な人生が破壊され、愛する人の命が奪われ続けているのだから、影響が及ばないわけはない。負のバタフライ・エフェクトが地球を覆う。


いまFIFAワールドカップ2026が開催されている。今だからこそ、今回のワールドカップは、国と国、民族というものの本質を問い直していると思えてならない。


国旗があり、国歌があり、代表チームがある。しかし、その代表選手たちを見れば、単純な「血統国家」の象徴でないことに誰もが気づくはずだ。移民、植民地史、ディアスポラ、混血、複数の国籍やルーツ、育成環境、本人の選択が複雑に絡み合っている。


国とは何か。

民族とは何か。

人種とは何か。

代表とは誰のことか。


選手たちは人種ではなく、その人の努力、環境、才能、家族の歴史、移動の物語、そしてその国を背負う選択によって、そこに立ち、活躍している。


国とは、同じ血を持つ者の集団ではなく、同じ責任を引き受ける者たちの共同体だろう。


同じ血を持つ者ではなく、同じ社会を支え、同じ過去を引き受け、同じ未来をより良くしようとする人びとの共同体。それこそ21世紀の国のあり方であるように思えるし、代表選手を見る限りそれが実際ではないか。


国を否定することはあり得ない。人間には土地、言葉、記憶、文化、墓、祭り、共同体が必要だ。しかし、国を神聖化し、民族を絶対化し、人種を価値の物差しにすれば、何かを見落とし、誰かを排除することになるだろう。


19世紀の普遍主義は、しばしば帝国主義だった。


「われわれの文明が普遍だ」

「われわれの宗教が普遍だ」

「われわれの制度が普遍だ」

「だから他者を変えていい」


これは偽の普遍主義だ。一つの文明が自分を世界そのものと勘違いしただけだ。


かといって普遍性を捨てれば相対主義と部族主義に陥る。


「うちの国だけよければいい」

「うちの民族だけ守ればいい」

「うちの宗教だけが正しい」

「よそ者は知らない」


これもまた地獄。必要なのは普遍的なヒューマニズム、人間主義だろう。


人間の尊厳に差はない。

苦しむ者を見捨てない。

弱者を犠牲に国を強くしない。


仏教から見れば、問題の根は「我」である。個人の我、民族の我、国家の我、文明の我、宗教の我、正義の我。

それが膨張すると、人は他者を踏みつける。


人類は歴史の中で学んできたはずだ。かけがえのない命を代償にしながら学んできた。国を守るか捨てるかではない。国を慢心の器にするのか。

それとも慈悲と責任の器にするのか。


マニフェスト・デスティニーの歴史は、人間がどれほど簡単に「使命」の名で他者を傷つけるかを教えている。日本の近代史もまた、傷つけられた者が、やがて傷つける側に回ることの恐ろしさを示している。


人間の尊厳に差別などあってはならない。これは単なる理想論ではない。世界が再び破滅に向かわないための、最低限の「現実論」だと思う。

今般の皇室典範改正案について

  明治維新は、単なる政治革命ではなかった。日本の宗教秩序を破壊し、国家神道を軸に天皇制国家を再編する宗教革命であった。この点については拙著『仏教徒 坂本龍馬』に詳述した。 現在進められている皇室典範改正案を見ると、維新後に生まれた明治国家の亡霊が再び立ち上がってきたように感じる...