2026年7月2日木曜日

ベネゼエラ大地震

 



自分の命や人生がこれほど愛しく大切ならば、それぞれの命や人生もどれだけ大切でかけがえのないものだろう。


ベネゼエラ大地震、倒壊した複数の巨大な集合住宅を見て。数え切れない人たちが瓦礫の中に取り残されてる。


そこにいる一人ひとりに、かけがえのない人生がある。


自分と同じように、彼らにも愛する人がいて、愛してくれた人がいて、かけがえのない青春があって、たくさんの思い出もあって、夢もあって、そんな人生が傷ついて、壊されて、埋もれてる。


自分の人生と同じように、それは何より大切で、かけがえのないものだったはずなのに。


祈っています。せめて今は祈るしかできないから。


ベネゼエラの被災地は破壊されたガザの惨状と重なる。人間によって破壊された町、集合住宅、それぞれの人生。


戦争は妄想や狂信、エゴによって起こる。せめて目を覚ませ。目を覚ますしかない。


天災は地球の厳しい営みだとしても、人災は人間の愚かさに因る。人間が人間性に目覚めなければさらなる人災、あるいは天災が私たちを襲うだろう。昨日は人の上、今日は身の上。他人事ではないはず。


自分の命や人生がこれほど愛しく大切ならば、それぞれの命や人生もどれだけ大切でかけがえのないものか。


被災した方々が、愛する人と会えますように。お互いに支え合い、再び穏やかな日々が迎えられるように。祈っています。


生きとし生けるものが幸せでありますように。


南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

南無妙法蓮華経

2026年7月1日水曜日

人生の解像度


 6月が終わった。本当にありがとう。感謝しかない。終わりそうもなかった。でも無事にご奉公させていただくことが出来た。


去年から今に至るまで、人生で最も深く思考した。これまでの人生を振り返り、いくつもの分岐点、愛する人、大切な友人、恩ある方々を想い返し、今まで見たことのない景色が見えた。


人生の解像度が上がった。始まりから終わりまで、命の時間と空間が鮮明に見えてきた。


人は必ず死ぬ。徹底的に、決定的に、死ぬ。死なない者は一人もいない。だから生きる。大切に生きる。生きている今を大切に、懸命に生きる。生き切ろう。


どんなに愚かでも、どんなに情けなくても、どんなにどうしようもなくても、生きている。角度を変えて、目を転じて、美しい世界を見て、可能性を信じよう。やることやろう。やれるだけやろう。


今生人界、愚かなこともたくさんしたし、後悔がないとも言えないけれど、ただ一つの、今回の自分の人生だから、嘆くのはやめよう。みんなに感謝し、傷つけた人、迷惑をかけた人には手を合わせ、せめてより良く生きると誓おう。


「われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である。」


ここから再開。一からやり直し。初心に立ち返って、やり直す。夢を夢で終わらせないために、さらに解像度を上げて照準を定めよう。


薄情の道、忘るることなかれ。遠慮は無用。見過ごさず、戦え。有能有敵、無能無敵。愚か者に誉められることを恥と知れ。真剣に生きていない者たちを友とするな。一生の不覚を取るな。


お金もないし、時間もない、体力も落ちてるし、頭も冴えない。でも、仕方ない。そのスペックでいいし、それで勝負するしかない。ボロボロのマシンでチャンピオンになった日を思い出せ。挑戦者であり続けろ。


とにかく、一からやり直し。本物を追いかけて生き直し。

南無妙法蓮華経

2026年6月28日日曜日

国・民族・人間の尊厳を考える



マニフェスト・デスティニーから、国・民族・人間の尊厳を考える。


米国のマニフェスト・デスティニーとは、「アメリカは神の摂理によって北米大陸へ拡大する使命を与えられている」という思想。そこには自由、民主主義、キリスト教的使命感、開拓精神が語られていたが、その内実には先住民の排除、メキシコへの侵略、白人優越、文明化という名の「支配」が含まれていた。


仏教徒の眼から見ればこれは慢心だ。

自分たちを正義とし、他者を未開・劣等・啓蒙されるべき存在と見る。


欲望を「天命」と呼び、支配を「文明化」と呼び、暴力を「進歩」と呼ぶ。そこには、無明が正義の衣をまとった危うさがある。


この構造は幕末のペリー来航にも見える。日本開国には、太平洋航路、捕鯨、貿易、石炭補給地という現実的な目的があった一方、アジアを近代化し、「文明化してやる」というアメリカ側の優越意識もあった。砲艦を背景にした「文明化」である。


しかし、日本もまた、その圧力を受けて近代国家への道を歩み、やがて自らの「マニフェスト・デスティニー」を作り上げた。神国、皇国、国威発揚、八紘一宇、大東亜共栄圏。アメリカが「文明化」を掲げて日本を開いたように、日本も「アジア解放」を掲げてアジアへ侵出した。ここにも支配を救済と呼び、欲望を使命と呼ぶ同じ構造があった。


アメリカが悪い、日本が悪い、という単純な話ではない。人間はしばしば、自分たちの欲望や恐怖を、高貴な理念に翻訳する。


そしてその時、もっとも危険なのは「自分たちは善である」と確信していることだ。


幕末から約150年、人びとは地球各地を移動し、大胆に交流し、圧倒的に混ざり合った。


現在、行き過ぎたグローバリズムの反作用として、自国ファースト、移民排斥、保守化、右傾化が世界的に広がっている。生活不安、格差、文化的変化、エリート不信、SNSによる怒りの増幅が、人びとを排外主義へ向かわせている。


国と国、民族と民族の争いも絶えず、同種であるはずの人間が無慈悲な攻撃の応酬、殺し合いを続けている。ウクライナやガザやレバノンで起こっていることは、いつ全世界に飛び火してもおかしくない。誰かの貴重な人生が破壊され、愛する人の命が奪われ続けているのだから、影響が及ばないわけはない。負のバタフライ・エフェクトが地球を覆う。


いまFIFAワールドカップ2026が開催されている。今だからこそ、今回のワールドカップは、国と国、民族というものの本質を問い直していると思えてならない。


国旗があり、国歌があり、代表チームがある。しかし、その代表選手たちを見れば、単純な「血統国家」の象徴でないことに誰もが気づくはずだ。移民、植民地史、ディアスポラ、混血、複数の国籍やルーツ、育成環境、本人の選択が複雑に絡み合っている。


国とは何か。

民族とは何か。

人種とは何か。

代表とは誰のことか。


選手たちは人種ではなく、その人の努力、環境、才能、家族の歴史、移動の物語、そしてその国を背負う選択によって、そこに立ち、活躍している。


国とは、同じ血を持つ者の集団ではなく、同じ責任を引き受ける者たちの共同体だろう。


同じ血を持つ者ではなく、同じ社会を支え、同じ過去を引き受け、同じ未来をより良くしようとする人びとの共同体。それこそ21世紀の国のあり方であるように思えるし、代表選手を見る限りそれが実際ではないか。


国を否定することはあり得ない。人間には土地、言葉、記憶、文化、墓、祭り、共同体が必要だ。しかし、国を神聖化し、民族を絶対化し、人種を価値の物差しにすれば、何かを見落とし、誰かを排除することになるだろう。


19世紀の普遍主義は、しばしば帝国主義だった。


「われわれの文明が普遍だ」

「われわれの宗教が普遍だ」

「われわれの制度が普遍だ」

「だから他者を変えていい」


これは偽の普遍主義だ。一つの文明が自分を世界そのものと勘違いしただけだ。


かといって普遍性を捨てれば相対主義と部族主義に陥る。


「うちの国だけよければいい」

「うちの民族だけ守ればいい」

「うちの宗教だけが正しい」

「よそ者は知らない」


これもまた地獄。必要なのは普遍的なヒューマニズム、人間主義だろう。


人間の尊厳に差はない。

苦しむ者を見捨てない。

弱者を犠牲に国を強くしない。


仏教から見れば、問題の根は「我」である。個人の我、民族の我、国家の我、文明の我、宗教の我、正義の我。

それが膨張すると、人は他者を踏みつける。


人類は歴史の中で学んできたはずだ。かけがえのない命を代償にしながら学んできた。国を守るか捨てるかではない。国を慢心の器にするのか。

それとも慈悲と責任の器にするのか。


マニフェスト・デスティニーの歴史は、人間がどれほど簡単に「使命」の名で他者を傷つけるかを教えている。日本の近代史もまた、傷つけられた者が、やがて傷つける側に回ることの恐ろしさを示している。


人間の尊厳に差別などあってはならない。これは単なる理想論ではない。世界が再び破滅に向かわないための、最低限の「現実論」だと思う。

今月4度目の京都へ

 



今月4度目の京都へ向かっています。今回は母と一緒に。


台風直撃の週末かと心配しましたが、本当によかったです。新幹線も動いてくれているし、なんとかお参りさせていただくことが出来そうです。


今日は伏見妙福寺の開導会、松本御導師・松峰院日延上人御七回忌法要にお参詣させていただきます。

2026年6月27日土曜日

龍女の見送り

 











今日は妙深寺の「龍女」の告別式。昭和11年9月12日、龍ノ口の御法難の日に生まれた女の子を、妙深寺初代ご住職日博上人は「龍子」と名付けられました。妙深寺代々ご信者さま、松本家にご誕生でした。


最初にお会いしたのは平成7年か8年、松本孝義さんと中西あき子さんと一緒にお助行にお伺いした時のこと。あの日も雨だったと記憶しています。


2024年9月9日、米寿のお祝いで記念撮影。お元気な姿でした。翌年、ご病気がわかり、大変な手術もしました。病状は深刻でしたが、親孝行の直さんは自宅で看取ることを決意されました。


2026年3月14日、危険な容態と聞き急いでお助行に伺いました。病気は大変なのですが、心は明るく、声にも元気があって、逆に驚きました。こちらが励まされるほどでした。


4月29日、それでもいよいよ危険だと思い、今一度お助行に伺いました。この時も身体は大変なのだけど、とても元気で明るい。不思議な力に生かされているというか、守られているというか、生命というものは全く私たちの認識とは違うものだと感じました。


そして、ついに6月5日、開導会、先住27回忌。龍子さんは見事にお参詣くださいました。本人の意志や功徳はもちろん、直さんをはじめ、周りの方々の優しい思いを痛感しました。


さらに、その後、13日の住職御講の席主をつとめられました。オンラインとなりましたが、龍子さんのご挨拶の声が妙深寺の本堂に響き渡っていました。長らく教区御講の願主としてご奉公してくださいました。


そして、6月21日にご帰寂。行年91才。振り返れば本当にありがたく、最後の最後まで印象深い、濃厚なご一生だったと感じます。


息女の直さんのご奉公の陰に、母・龍子さんのお力添えがあったのだと、直さんがご挨拶くださいました。松本家ご一門、本当に、ありがたいです。


龍子さんの姉、中西あき子さんのご主人が描いてくださった油絵、今でも庫裡に飾ってあります。ジェットスキーをしている姿を描いてくださいました。


妙深寺の龍女。チャーミングで、どこか不良っぽくて(笑)、忘れられない思い出がたくさんあります。昨日と今日、無事にお見送りのご奉公をさせていただき、龍子さんの力強い声が、聞こえたように感じました。また、お会いしましょう。


南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

2026年6月26日金曜日

龍女の旅立ち










今日は妙深寺の「龍女」の告別式。昭和11年9月12日、龍ノ口の御法難の日に生まれた女の子を、妙深寺初代ご住職日博上人は「龍子」と名付けられました。妙深寺代々ご信者さま、松本家にご誕生でした。


最初にお会いしたのは平成7年か8年、松本孝義さんと中西あき子さんと一緒にお助行にお伺いした時のこと。あの日も雨だったと記憶しています。


2024年9月9日、喜寿のお祝いで記念撮影。お元気な姿でした。翌年、ご病気がわかり、大変な手術もしました。病状は深刻でしたが、親孝行の直さんは自宅で看取ることを決意されました。


2026年3月14日、危険な容態と聞き急いでお助行に伺いました。病気は大変なのですが、心は明るく、声にも元気があって、逆に驚きました。こちらが励まされるほどでした。


4月29日、それでもいよいよ危険だと思い、今一度お助行に伺いました。この時も身体は大変なのだけど、とても元気で明るい。不思議な力に生かされているというか、守られているというか、生命というものは全く私たちの認識とは違うものだと感じました。


そして、ついに6月5日、開導会、先住27回忌。龍子さんは見事にお参詣くださいました。本人の意志や功徳はもちろん、直さんをはじめ、周りの方々の優しい思いを痛感しました。


さらに、その後、13日の住職御講の席主をつとめられました。オンラインとなりましたが、龍子さんのご挨拶の声が妙深寺の本堂に響き渡っていました。長らく教区御講の願主としてご奉公してくださいました。


そして、6月21日にご帰寂。行年91才。振り返れば本当にありがたく、最後の最後まで印象深い、濃厚なご一生だったと感じます。


息女の直さんのご奉公の陰に、母・龍子さんのお力添えがあったのだと、直さんがご挨拶くださいました。松本家ご一門、本当に、ありがたいです。


龍子さんの姉、中西あき子さんのご主人が描いてくださった油絵、今でも庫裡に飾ってあります。ジェットスキーをしている姿を描いてくださいました。


妙深寺の龍女。チャーミングで、どこか不良っぽくて(笑)、忘れられない思い出がたくさんあります。昨日と今日、無事にお見送りのご奉公をさせていただき、龍子さんの力強い声が、聞こえたように感じました。また、お会いしましょう。


南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

ベネゼエラ大地震

  自分の命や人生がこれほど愛しく大切ならば、それぞれの命や人生もどれだけ大切でかけがえのないものだろう。 ベネゼエラ大地震、倒壊した複数の巨大な集合住宅を見て。数え切れない人たちが瓦礫の中に取り残されてる。 そこにいる一人ひとりに、かけがえのない人生がある。 自分と同じように、...