2026年11月4日水曜日

博くんの一周忌

 

昨日、ご家族と共に、また大勢のご参列者の方々と共に、博くんの一周忌を奉修させていただきました。100名以上の方々がお塔婆を建立くださいました。ありがとうございました。


あれから一年。やっと一年。なんとか一年を迎えました。遺族も必死に頑張って、崩れずに、耐えて、乗り越えてくださいました。


魅力ある男でしたが、だからこそ罪の意識なく罪深いことをする癖があり、男らしさと幼稚さ、純粋な不純、不純な純粋、才能があるのに鈍感で、器用なようで間の抜けた面もありました。


いずれにしても、友人でもあり、教化親でもあり、住職でもあった自分には、彼を導けなかった、彼を救えなかったという自責の念があります。


一年間、浮かんでは消える、悲しみ、苦しみ、寂しさ、虚しさ、悔しさ、怒りを、抱きながら過ごしました。ご縁のあった方々もそうであったことと思います。申し訳ありません。


最初に会ったのは六本木のオフィス。あり得ないほど小さな部屋、至近距離で真正面に向かい合い、話をしました。業界の表も裏も知り尽くしたプロデューサー、おもしろい大人でした。


お父さんの死をきっかけにお寺と縁ができました。世の中の酸いも甘いも見てきた人ですから、最初はいぶかしげに、しぶしぶ、ご奉公していました。しかし、徐々に、いや、彼が生きてきた世界にはない、むしろ真逆のような、お寺の中に集う人たちと触れ合って心の底から感激し、一気に、その中心に躍り出ていました。


お寺の中の博くんは本当に幸せそうで、みんなの輪の中で楽しそうに過ごしていました。何より子どもたちを心から愛して、みんなに声をかけて、それこそ元気のない子や壁に直面している子がいると、必ず出かけていって話をしてあげたり、起き上がれるよう、復帰できるようにサポートしていました。


世の中でも、そういう生き方を自分の生き方として確立し、一生懸命に人のために尽くそうとしていました。過去の博くんを知っているから、そうやって変貌を遂げてゆく姿が頼もしかったし、嬉しかったです。


でも、ある時、共通の先輩が一人で妙深寺に来て、「博がお寺が素晴らしいって言って回ってるけど、あいつが仕事でいい加減なことをしていると長松やお寺までおかしいと思われるよ。注意した方がいいよ。」と言われました。


そう言われてしまったことを、本人にも伝え、それは最もいけないことだから、裏も表もなく、み仏の教えに傷をつけないように生きなければならない、素直に、正直に、そこを目指して生きるから救いがある、と話し合いました。


結局、このことは最後まで語り続け、持ち続けた課題でした。亡くなる前夜、最後の電話でも、この話をしていました。


ご迷惑をおかけした方々がたくさんいたことを知り、申し訳なく思います。一方、彼が築いた友情や積み上げた善なること、彼のおかげで、彼に支えられた、彼に救われたと言ってくださっている方々が大勢いることも真実、事実です。申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちが溢れます。


昨日のご挨拶でもお話しましたが、正面に出てきたら、僕たちの関係ですから、ひっぱたいてやりたい、怒鳴りつけてやりたい。言いたいことが山のようにあります。


ただ、一年前は、これほどみんなに迷惑をかけ、みんなを苦しめた彼とは、もう二度と会いたくない、と思っていましたが、変わりました。


私自身の慈悲のなさ、私自身の力不足、私自身の責任と反省に嫌というほど気づきましたので、もう一度、やはり会って、もう少しうまく生きられるように、お互いに責任を果たす生き方を最後まで貫けるように、もっと厳しく指導し、学び合い、やり直したいと思います。


友人であり、住職でもあった自分の人生に、彼がいたという事実は大切にしたいです。


彼の死がもたらした気づきを、かけがえのない教訓として、生きること、ご奉公することが大切だと思っています。


一年間、複雑な想いを抱いたまま過ごさざるを得なかった多くの方々に深くお詫び申し上げます。引き続き、彼を悼み、ご回向いただければありがたいです。


ありがとうございます。

長松清潤拝

2026年11月3日火曜日

11.3 今日は「雨ニモマケズ」の日

 







11.3。今日は特別な日。95年前の今日、宮沢賢治は黒革のノートに『雨ニモマケズ』を記しました。「文化の日」は「雨ニモマケズ」の日でもあります。


1931年(昭和6年)11月3日、賢治さんは『雨ニモマケズ』を鉛筆でメモしました。赤鉛筆も使っています。法華経の精神、本化の菩薩の生き様を、素晴らしい詩に結んでくれました。


それは「行ッテ」という言葉と生き方に象徴される、能動的、積極的、行動する仏教者、東西南北、あちらからこちらへと走り回り、飛び回る菩薩方の姿です。


昨日、植木先生を迎えたNHK『100分de名著』―「ブッダのことば」 が放送されました。とてつもない反響でXでトレンドに上がっていました。放送から一夜明けてAmazonでは全ての出版物中25位、仏教の経典ではベストセラー第1位‼️すざまじいです。仏教ルネサンスが到来しています。


さて、NHKの『100分de名著』―「ブッダのことば」 では世界最古の仏教経典『スッタニパータ』を取り上げています。


植木雅俊先生が抱いておられるのは、この原始経典と、法華経と、日蓮聖人の内容が、バラバラなようで通底しているということ。是非、今回の放送や様々な著書を読んでいただければと思います。


私はつくづく不思議に思うのは、賢治さんの「雨ニモマケズ」と、原始経典「スッタニパータ」の内容が、あまりにも似ていることです。


仏教を、他者と交わらず、独りで悟りを求めるものとか、そういうイメージで捉えている人は、原始経典の中にある「菩薩行」としか思えないブッダの教えを知るべきです。名目は常に後に整えられただけで、スピリットやエッセンスを見失ってはいけません。


賢治さんが『雨ニモマケズ』を手帳に記したのは1931年(昭和6年)11月3日。そして、1933年(昭和8年)9月21日、賢治は37歳で亡くなりました。


『スッタニパータ』は、スリランカ(セイロン)に伝承された南伝仏教のパーリ語経典です。日本では明治・大正期から原始仏典の翻訳研究が進められていましたが、荻原雲来訳『釈迦牟尼聖訓集―巴利文スツタニパータ』が刊行されたのは1935年(昭和10年)、水野弘元訳「経集」が『南伝大蔵経』に収められたのは1939年(昭和14年)で、いずれも賢治の没後でした。


もちろん、それ以前にも原始仏典の邦訳や研究は存在していて、賢治さんが『スッタニパータ』に接する可能性がゼロだったと断定することはできません。


でも、敬虔な法華経の信仰者、日蓮聖人を敬愛する宮沢賢治が、『スッタニパータ』と法華経信仰を、その精神の深いところで一致させていることはとてつもなく注目すべきことだと思うのです。


数千年の時を超えて共鳴する生命の響き、仏教者、菩薩行者たちの言葉に耳を傾けていただきたいです。心が震えます。


「ブッダのことば」と賢治さんの「雨ニモマケズ」が、深いところで同じことを伝えていると気づきます。


『スッタニパータ』 蛇の章 慈悲


「能力あり、直く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。


足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない。


他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。


いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、


目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも既に生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。


何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。


あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。


また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。


立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。


この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。」


次章に下記の言葉が続きます。


「われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう。」


「私は村から村へ、町から町へめぐり歩こう」


同じく原始経典『ダンマパダ』には「動くお寺」のコンセプトでもある「ミツバチ」のお話が出てきます。


「蜜蜂は(花の)色香を害(そこなわず)に、汁をとって、花から飛び去る。聖者が村に行くときは、そのようにせよ。」


95年前、1931年(昭和6年)11月3日、彼は記しました。


宮沢賢治『雨ニモマケズ』


 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ

 慾ハナク 決シテ瞋ラズ

 イツモシヅカニワラッテヰル

 一日ニ玄米四合ト

 味噌ト少シノ野菜ヲタベ

 アラユルコトヲ

 ジブンヲカンジョウニ入レズニ

 ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ

 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

 東ニ病気ノコドモアレバ

 行ッテ看病シテヤリ

 西ニツカレタ母アレバ

 行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

 南ニ死ニサウナ人アレバ

 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

 北ニケンクヮヤソショウガアレバ

 (行ッテ)ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒドリノトキハナミダヲナガシ

 サムサノナツハオロオロアルキ

 ミンナニデクノボートヨバレ

 ホメラレモセズ

 クニモサレズ

 サウイフモノニ

 ワタシハナリタイ


東西南北に走り回る姿。法華経本門に出現する本化の菩薩の姿が『雨ニモマケズ』のモデルです。


われらは本化の仏教徒。本化の仏教者は村から村へ、町から町へ、ご信者さんの家から家へ、東西南北、お助行に巡り歩く、走る、飛ぶ。


原始仏典『スッタニパータ』と宮沢賢治『雨ニモマケズ』の内容の共通性は、原始仏教と本化仏教の一体性、上行菩薩後身・高祖日蓮聖人の内外相承の妙不可思議な正当性を考える上で、極めて重要な示唆を与えるものです。


11月3日は、特別な日です。

2026年11月2日月曜日

信州信濃の本晨寺

 
















長野から戻って参りました。用意したご供養が足らなくなるくらい、私から見てもいつもより多くのお参詣があり、ありがたかったです。


毎年お会式のご奉公をさせていただいていますが、必ず新しい試みをしていて、前に進んでいる本晨寺。厳しい時代に違いはありませんが、大切な法城を守ろうとご奉公いただいている皆さまに心から随喜いたします。


放送禁止御法門。先日お見送りさせていただいた栁澤かつ子さんのご一生、ご奉公を振り返らせていただきました。悪世末法ですからYouTubeで流せない歴史と事実がたくさんあります。苦難困難を乗り越えて、本物の佛立信心をさせていただきたいと願うばかりです。


妙深寺は長野本晨寺の初代ご住職・廣瀬日謙上人に大変な御恩がありました。日謙上人は妙深寺初代住職・清水日博上人が得度親、日謙上人に得度を勧めたのは乗泉寺で受持御講師だった日博上人でした。


昭和42年、日博上人が病床に伏すと、日謙上人は長野から横浜まで泊まりがけでお出ましくださり、代行のご奉公をしてくださいました。


その日謙上人からご遺言をお預かりしました。日謙上人は妙深寺の尼僧・小磯妙清師と文通されており、妙清師がずっと寺報をお送りしていたのです。そのようなご縁から100才を越える日謙上人は「自分にもしもの時は長松清潤を頼りなさい」とご遺言され、私にも「たのむ」とお申し付けになられました。


その時は平成16年(2004)1月に訪れました。日謙上人のご遷化。私は35才でした。堤深恭師にご奉公の先頭に立っていただき、困難な道を歩み始めました。


当時は14戸のご信者さまでした。平成20年(2008)12月10日、妙深寺長野別院の開堂式をさせていただきました。


開堂式には、横浜から正教師、柴山局長、瓜生さん、奥山さん、寿美江奥さま、法子奥さまがお参詣くださいました。前夜にはそして石田さんの記念写真があります。積み重ねてきたかけがえのないご奉公、歴史があります。18年前のことです。


そして、平成27年(2015)7月、本山宥清寺のご宝前において本晨寺の住職辞令を拝受。9月、長野本晨寺の住職を交代させていただきました。日謙上人のご遺言をお預かりした時からすれば、想像だにしなかった、あり得ないことでした。


ただ、日謙上人は「功徳は堅牢。火にも焼かれず、水にも漂わない。50年、100年経っても、私は本晨寺のご宝前に帰る」と言っておられました。ですから、そのとおりになったばかりなのです。


そして、10年前、平成28年(2016)12月、妙深寺長野別院の閉堂式を奉修し、その看板をお下げさせていただきました。涙、涙の閉堂式でした。14戸から始まった妙深寺長野別院のご信者さまは60戸となっていました。


令和元年(2019)年の夏、堤深恭師が本晨寺のご住職となられました。あれから8年です。


ご住職、ご信者の皆さまが、まさに一つになって、明るく、あたたかく、楽しい本晨寺、「みんなのお寺・本晨寺」と声を掛け合って、ご奉公くださっていて、心からありがたいです。信州信濃の生きたお寺、めざましいご弘通ご奉公に心から感激します。


本晨寺ではずっと「本物の、佛立信心を」をご祈願に掲げてこられました。本物でなければ意味がないという厳しくも頼もしいテーマです。苦難困難を乗り越えてここまで来ました。今年から本晨寺のご奉公に清信師も加わって、新しい風が吹いてきました。ありがたいです。


「経よんで 銭(タメ)をもらふて鉢坊主 あかい衣はちっと不似合」


すごい御教歌です。なかなか拝見しないと思いますが、権威主義化を絶対に許さない開導聖人の佛立魂です。何が本物か、何が佛立か、誰もが考えざるを得ません。


先月末から京都を2往復、長野を2往復、11月11日からネパールのご奉公。さらにご奉公が入ってしまい、4日の長松寺のご奉公は淳慧師に代行していただきます。予定変更が相次ぎ申し訳ございませんが、よろしくお願い申し上げます。


明日は、博くんの一周忌を奉修させていただきます。あれから一年です。


どれだけ苦しくても、つらくても、真正面から受け止めて、その責任を一身に背負って、生きます。申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。


南無妙法蓮華経

ありがとうございます。

博くんの一周忌

  昨日、ご家族と共に、また大勢のご参列者の方々と共に、博くんの一周忌を奉修させていただきました。100名以上の方々がお塔婆を建立くださいました。ありがとうございました。 あれから一年。やっと一年。なんとか一年を迎えました。遺族も必死に頑張って、崩れずに、耐えて、乗り越えてくださ...