2026年10月26日月曜日

偉大なる長松家の長女・薫さまのご年回にあたり

 



















特別な一年は伏見妙福寺で締めくくり。なんとかご奉公させていただくことが出来ました。


今年は信くんの得度式からはじまり、長松日峰上人の御37回忌、日爽上人の御27回忌、小千代祖母、松本御導師、長谷川御導師、そして、最後に薫おばさまの37回忌と、私たち家族、親族にとって、これほど以上ないほど特別な一年でした。


そのフィナーレを、長松家の長女・薫おばさまが嫁いだ伏見妙福寺で迎えました。その深い意味と想いを、最近つくづく感じます。だから、どうにも言葉に詰まってしまって、涙が溢れた法要となりました。胸がいっぱいでした。


薫おばちゃまの37回忌。つくづく、長松家の長女としての薫さま、その強烈な想い、執念にも似た「力」を感じています。


気がつくと、こんな僕のご奉公を、いつも松本現薫師や、伏見のみんなが支えてくださっています。この長松寺を、近いとか、仲がいいとか、そんなレベルを超えて、絶大に、いつも伏見の松本家がお守りしようとしてくださっています。


これは全て「薫おばちゃんなんだ」と思うのです。黎明期、これからどうなるか分からない中、品尾おばあちゃんの想像を絶する信念のもと、長松家の長男・日峰上人と小千代祖母の間に、長女として生まれてきた薫さま。たくさんの兄弟姉妹の中で、懸命に責任をまっとうされた、ご奉公なさった、薫おばちゃま。命を削ってご奉公くださいました。


そのとてつもない薫おばちゃまの信念によって、生かされていることを感じます。感謝してもしきれません。


一番上の姉である薫おばちゃんと父は、ビックリするほど仲良しでした。日峰上人をお見送りし、その三ヶ月後に母を見送った父を、薫おばちゃんは周囲をはばかることなく愛情たっぷりに支えようとしておられた。平成2年のことです。宗門の混乱の前のこと、先住のお怪我の前のこと。前でよかったです。先住のお怪我の時、薫おばちゃんがいたらどうなってたか。想像したくもありません。よかった。


亡くなられる直前、大学生の僕に優しく接してくださいました。


そう、あの当時、僕など海のものとも、山のものとも分からない、超不良の、海にばかり行っていて、頭の中まで潮焼けしているような、クレイジーな大学生でした。くるっちょる。くるっちょった。平成2年の3月、ジェットスキーのプロになりました。まさに学生としての絶頂期に、日峰上人、小千代祖母、薫おばさまが旅立たれた。


あれから36年が経ちました。世の中の問題は大きくなっているのに、残されているのは小粒な僕たち。せめて力を合わせて、しっかりとご奉公しようと誓い合っています。


薫おばちゃんからして、僕が奉修しているなんて、驚いたはると思いますー。かんにんしてください。必死にご奉公させていただきました。


36年後の今、松本ファミリーは子どもたちが大勢いて、未来への希望に満ちています。本当に、楽しくて、うれしいです。


現薫ご住職、みかちゃん、ゆかちゃんの子どもたちはもちろんですが、長松寺まで迎えにきてくれたななちゃんファミリーの子どもたち、こはるちゃんもそうですし、僕の二人の息子たちとも、みんな、もはや従兄弟なのか、はとこなのか、何が何だか分からないのですが、とってもとっても仲良しで、心からうれしいです。


それは、きっと薫奥さまが最もお喜びになることで、絶対に現喬師が大好きなことで、みんなを見守ってくれていると思うのです。これこそが未来への希望です。


ただ、厳しい時代に生きることになります。戦争の時代。乱世。ここから、本当に何があってもおかしくない。天災、人災が、相次ぐ世の中です。来週はじまってもおかしくない。明日あってもおかしくない。ヤバい時代です。


だからこそ、あらゆる意味で本質的な生き方が求められるし、あらゆる意味で本当の人間関係、ファミリー、絆が求められます。イミテーションやデコレーションは全く意味をなさない。本物しか残らない。本当に、恐ろしい時代です。よろしくお願いします。


妙福寺をお守りくださっている教講みなさまのご奉公に感激し、また遠方から団参くださった方々に大感謝して、怒涛の一週間が終わりました。


完全にアゴが上がっていますが、かけがえのない家族、親族、そして大切な方々、大好きなみんなとの、今生人界の素晴らしい一日、ご奉公でした。


歴史を大切に振り返り、僕たちも誰かの思い出や歴史になっていく。中途半端なことはできません。

ありがとうございます。

2026年10月24日土曜日

シン・Science meets Buddhism

 



























京都文化会議 2026を終えて、今日は京都から横浜、横浜から京都へ往復してきました。とにかく素晴らしい会議でした。世界の課題を共有し、それぞれのバックグラウンドから専門性の高い議論が交わされました。


Leave this world a little better than you found it.


この世界を、来た時よりも良くして帰る。そんな強い想いで社会課題に挑み、力を尽くす方々との出会いは、常に胸が熱くなり、深い喜びを感じます。


山極寿一先生、圧巻のファシリテーションでした。コーディネーターというか、本物の研究と経験と知性と見識が圧倒的。行動する哲学、哲学が行動し、生きているような迫力で議論を進めてくださいました。


アフリカ哲学からガーナのフセイン・イヌサー博士の「Guns, cannons, and books」という言葉が、深く心に残りました。独自の文化が破壊された経験。それは「銃と大砲と本(聖書)」によって行われた。


「Place」をAI同時通訳が「空間」と訳したのを山極先生が「風土」を中心に丁寧に訳し直して解説くださったのも見事でした。イヌサー教授は和辻哲郎先生の『風土: 人間学的考察』と通じる概念を伝えようとしておられました。


人間の文化を語ろうとすればどうしても「宗教」が出てきます。これは避けられません。避けようとすれば真に解釈することはできないし、正確ではなくなってしまいます。


「真」「善」「美」についての展開も圧巻でした。この中で「美」は言語化できないもの。ここに広がる庭園の美しさも、実は味わいも、なかなか言語化することが難しい。「ロゴス」の限界というか、ロゴスによって境界が生まれ、規定されてしまうこと。


突き詰めると「人間性」に至ると。「ヒューマニティー」「ヒューマン・ネイチャー」、その「美徳」ということに尽きる。議論の余韻に浸っています。


仏教者、法華経者として思うに、本化仏教は「ロゴスに止まらないためのロゴス」というイメージ、そもそも仏教は「哲学に止まらないための哲学」であるということ。


法華経の方便品第二にある「言辞の相寂滅せり」という言葉は、まさに象徴的にこのことを示しています。ヨハネの福音書の冒頭の「ことば(ロゴス)」とは異なるのですね。


さらに「理極事変」も思い浮かびました。あらゆる事象、現象を極めれば、事に変わる。


AIが天文学的な数値のパラメータ(要因の重み付け)を同時に行なっても、結局は「事」に変わらなければ何も為さない、という仏教究極の教理に行き着きます。この「理極事変」は未だにAIすら読み込めていない極意でもあります。


まだまだ、ここから「Science meets Buddhism」「Buddhism meets science」という本質的仏教との衝撃的な出会いがあることにも希望を抱きます。


隠居の時代、Time is moneyの終わり、遊びの時代。刺激的なお言葉、視点もありました。AIは養殖マグロ、関心と栄養は与えられるが感動は与えられない、AIと美空ひばり、成熟がない、未熟もない、という言葉もありました。それぞれが刺激的な示唆に満ちています。


いずれにしても、ここから、人間性を追求しなければならない時代に突入します。しかし、人間性は人間だけの狭い視点、優越的で、独善的な視点では見つけられないようです。


「動物に聞いてみよう」「Ask the Animals」という運動は、まさに人間中心主義への懺悔と改良の試み、挑戦です。こうした活動を、専門家の方々や、意識の高い人たちだけの運動にしてはいけない。みんなの問題だから。本当にみんなの命や大切なものに直結する問題だから。


オオカミ×AI。これこそ本当にすごかった。若者たちが、僕たちの想像を遥かに超えて優秀で希望。とてつもないポテンシャル。無限


来年は、狂気的な情熱で、力を合わせてゆきたいと思います。山極先生をはじめ、素晴らしい方々のお力をお借りして、少しでもこの世界が良くなるように力を尽くしたいと思います。


長々すいません。


言語化しないで済むならしないで済ませたいけれど、人間なので言語化して、言語化しないで済むような世界を目指します(笑)。


とにかく、もっともっと、人と人が目と目を見て、空気を読んで、雰囲気に包まれて、生きてゆけたら、ひらくなー、ほどけるなー、と思います。


今日は、京都から横浜を往復し、戻ってきました。

明日、伏見妙福寺様の高祖会を奉修させていただきます。

ありがとうございます。

2026年10月23日金曜日

京都文化会議 2026@仁和寺

 
















月に行き、火星にロケットを飛ばすニンゲンが、隣りの人と上手に対話できなくなったのは何故か。


科学の進化は人間性の豊かさと比例しない。モビリティに頼り過ぎれば足腰は弱くなり、快適さのみを求めたら人付き合いは下手になる。


人間とは難しいものです。木を見て森を見ず、森を見て木を見ず。得だと思ってしたことが損の始まりになったり、損が徳になったりする。楽は苦の種、苦は楽の種。


京都文化会議2026に参加する機会を与えていただき、本当に深く思考させていただきました。文化×AI、文化×環境。京都佛立ミュージアムが取り組み続けてきたテーマと重なります。


「Ask the Animals」が本となり、初めて手にしました。現在は英語版のみですが、本当に素晴らしいです。畏れ多くも本当に畏れ多く、このような貴重な本に拙文を寄せさせていただきました。


今日第2日目、貴重な機会を大切に過ごします。ありがとうございます。

偉大なる長松家の長女・薫さまのご年回にあたり

  特別な一年は伏見妙福寺で締めくくり。なんとかご奉公させていただくことが出来ました。 今年は信くんの得度式からはじまり、長松日峰上人の御37回忌、日爽上人の御27回忌、小千代祖母、松本御導師、長谷川御導師、そして、最後に薫おばさまの37回忌と、私たち家族、親族にとって、これほど...