11.3。今日は特別な日。95年前の今日、宮沢賢治は黒革のノートに『雨ニモマケズ』を記しました。「文化の日」は「雨ニモマケズ」の日でもあります。
1931年(昭和6年)11月3日、賢治さんは『雨ニモマケズ』を鉛筆でメモしました。赤鉛筆も使っています。法華経の精神、本化の菩薩の生き様を、素晴らしい詩に結んでくれました。
それは「行ッテ」という言葉と生き方に象徴される、能動的、積極的、行動する仏教者、東西南北、あちらからこちらへと走り回り、飛び回る菩薩方の姿です。
昨日、植木先生を迎えたNHK『100分de名著』―「ブッダのことば」 が放送されました。とてつもない反響でXでトレンドに上がっていました。放送から一夜明けてAmazonでは全ての出版物中25位、仏教の経典ではベストセラー第1位‼️すざまじいです。仏教ルネサンスが到来しています。
さて、NHKの『100分de名著』―「ブッダのことば」 では世界最古の仏教経典『スッタニパータ』を取り上げています。
植木雅俊先生が抱いておられるのは、この原始経典と、法華経と、日蓮聖人の内容が、バラバラなようで通底しているということ。是非、今回の放送や様々な著書を読んでいただければと思います。
私はつくづく不思議に思うのは、賢治さんの「雨ニモマケズ」と、原始経典「スッタニパータ」の内容が、あまりにも似ていることです。
仏教を、他者と交わらず、独りで悟りを求めるものとか、そういうイメージで捉えている人は、原始経典の中にある「菩薩行」としか思えないブッダの教えを知るべきです。名目は常に後に整えられただけで、スピリットやエッセンスを見失ってはいけません。
賢治さんが『雨ニモマケズ』を手帳に記したのは1931年(昭和6年)11月3日。そして、1933年(昭和8年)9月21日、賢治は37歳で亡くなりました。
『スッタニパータ』は、スリランカ(セイロン)に伝承された南伝仏教のパーリ語経典です。日本では明治・大正期から原始仏典の翻訳研究が進められていましたが、荻原雲来訳『釈迦牟尼聖訓集―巴利文スツタニパータ』が刊行されたのは1935年(昭和10年)、水野弘元訳「経集」が『南伝大蔵経』に収められたのは1939年(昭和14年)で、いずれも賢治の没後でした。
もちろん、それ以前にも原始仏典の邦訳や研究は存在していて、賢治さんが『スッタニパータ』に接する可能性がゼロだったと断定することはできません。
でも、敬虔な法華経の信仰者、日蓮聖人を敬愛する宮沢賢治が、『スッタニパータ』と法華経信仰を、その精神の深いところで一致させていることはとてつもなく注目すべきことだと思うのです。
数千年の時を超えて共鳴する生命の響き、仏教者、菩薩行者たちの言葉に耳を傾けていただきたいです。心が震えます。
「ブッダのことば」と賢治さんの「雨ニモマケズ」が、深いところで同じことを伝えていると気づきます。
『スッタニパータ』 蛇の章 慈悲
「能力あり、直く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。
足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の人の家で貪ることがない。
他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも既に生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。
また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。
立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。」
次章に下記の言葉が続きます。
「われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう。」
「私は村から村へ、町から町へめぐり歩こう」
同じく原始経典『ダンマパダ』には「動くお寺」のコンセプトでもある「ミツバチ」のお話が出てきます。
「蜜蜂は(花の)色香を害(そこなわず)に、汁をとって、花から飛び去る。聖者が村に行くときは、そのようにせよ。」
95年前、1931年(昭和6年)11月3日、彼は記しました。
宮沢賢治『雨ニモマケズ』
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
(行ッテ)ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
東西南北に走り回る姿。法華経本門に出現する本化の菩薩の姿が『雨ニモマケズ』のモデルです。
われらは本化の仏教徒。本化の仏教者は村から村へ、町から町へ、ご信者さんの家から家へ、東西南北、お助行に巡り歩く、走る、飛ぶ。
原始仏典『スッタニパータ』と宮沢賢治『雨ニモマケズ』の内容の共通性は、原始仏教と本化仏教の一体性、上行菩薩後身・高祖日蓮聖人の内外相承の妙不可思議な正当性を考える上で、極めて重要な示唆を与えるものです。
11月3日は、特別な日です。






















