2007年8月31日金曜日

ディリーパくんからの手紙

 スリランカの青年たちの中で、回復したディリーパくんからメールをいただいた。(左の写真)
 余程大変な状態だったのだと思うが、本当に無事に回復できて、ご奉公の報告をしてくれたことに感謝している。お助行してくださった方への感謝の言葉も述べられている。有難い。

 青年信徒が集まり、様々な活動を行ってくれている。特に、御題目を知らない若者たちも含めて御題目口唱の意味を説明し、そして共に唱える「口唱会」を開催しているとのこと。考えてみると、日本の私たちも同じ。先週も初めてお唱えする方と一緒にお看経させていただいたのだが、お数珠の持ち方からお唱えの仕方を丁寧にお伝えする。「ナムミョウホウレンゲキョウ」と「6ビート」でお唱えするんです、とお伝えしたりする。
 スリランカでは、初めての人もいるので、最初にゆっくりと深呼吸をして御題目をお唱えし、その後に少しづつ普通のお看経のペースのように早くしていったとの報告。多くの青年たちが口唱会に参加して感激してくれたことは有難い。御題目口唱が何より基本であるから。
 また、スリランカという国の特殊な事情もあるかもしれない。スリランカでは上座部仏教が瞑想を中心としてレクチャーをしており、各種のテレビでも僧侶が出てきてスピーチをしながら瞑想方法を指導している。そうした「修行面」からのアプローチでご信心を伝えていることが分かる。それはマッチするのだろう。つまり、「瞑想(メディテイション)よりも口唱(チャンティング)の方が優れた修行である。そして、その口唱するための陀羅尼(呪文・マントラ)の中で最も優れたものが、法華経の教えに基づく南無妙法蓮華経である」という筋でお伝えしているのであろう。

いずれにしても、有難いメールなので、ここに転載させてもらう。

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Dear Rev.Nagamatsu,

Thank you very much for chanting for our health.
I got well few days ago. Sorry for the delay to reply you.
Now Madawa is also very well. We all had a severe fever last week.
But thanks for Gohonzon sama, we all got well soon.
I couldn't tell you this earlier because I was not well last week.
We had a youth assembly last Sunday.
About 50 young members participated. Both from Galle area and other areas.
We had that programme in Mr. Kasun's parent's place which was in Galle.
In the morning at about 10 o'clock we started the programme with Odaimoku chanting.
Then we conducted a breathing exercise for the young members. In that breathing exercise we chanted Odaimoku first very slowly taking deep breaths.
Then little by little we increased the speed of chanting and took breaths fastly according to the Odaimoku rhythm.
In the end we had a very relaxed feeling. Then we set the young members in little groups.
Such as five members for a group.
So that they can discuss their matters in that group and they can make friends.
This programme also went successfully. In the end everyone had got good friends with others.After the lunch we all went to the sea beach and spent the evening happily.
That's how the programme went.
I think it was successful.
Because at the end every young member was very strongly encouraged.

I got well miraculously before this function so that I was able to conduct it.
I think it is too long.
So I remain here,
Namu Myo Ho Renge Kyo.....
Dileepa,

ご祈願は世界を駆けて

 連日、このブログを見てくれている方々にお願いしてきたスリランカの方への御祈願。写真は、シャンタさんと奥さま、そしてマダワ君。このマダワ君はじめ、青年信徒の方がデング熱に罹患された。
 先ほど、シャンタさんから電話をいただいた。朝、何度か電話をしたのだが通じなかったので、かけてきてくれた。シャンタさんは泣いていた。マダワ君の状態は快方に向かったという。しかし、この2日間は全身が赤くなり、非常に重篤な状態であったそうだ。家族思いのシャンタさんにとっては、本当に苦しかったと思う。「upsetしてしまった」と仰っていた。「upset」とは「狼狽えた」ということ。父親であれば当然である。お母さんも心配だ。
 前回、清顕師と清翔師がスリランカへご奉公に行った時には、このシャンタさんの家に宿泊したのだから。奥さまには大変にお世話になった。この2日間、本当にお助行をいただいた方々に御礼を申し上げたい。ようやく快方に向かってくれた。明日もまた連絡することにしている。
 デング熱については、せんせーのブログで詳細に記述してくださっている。「ご祈願、かなり気合いを入れた方がいいかもしれない」とのコメントに、私も少々upsetした。せんせーの奥さまは内科医のドクターであり、しかも医師としても大変有名な方だから。いつも診察が的確。「気合いを入れねば」とブログを拝見して思っていた。
 それは、私にとって少々の驚きだった。スリランカに何度行っていも、全くそうした疾患を気づかうことなくご奉公させていただいてきた。もちろん、マラリアやデング熱を避けるために蚊に刺されないようにしていた。毎回、スリランカに行くと30度くらいの気温だったが、寝ている時など蚊に刺されたことはない。スプレーなどもしなかった。(むしろ、ブラジルのサンパウロでは寝ている間に何ヶ所も蚊に刺された)
 今回、またご祈願が世界を駆け抜けた。多くの方から色々なメールをいただくが、こうしたご病気の方のご披露をして、すぐにその方のためにお助行(ご祈願)してくださることが有難い。まさに、世界を駆け抜けている。吏絵ちゃんの御祈願と同じように。佛立家族、ご法さまの下での「家族」に対しての御祈願をしてくださった。
 御題目は世界を駆け抜ける。時空を超えた御題目口唱のバイブレーションは、遠く離れていても届くと確信できる。シャンタさんが「御祈願をお願いします!」と言う気持ちも分かる。誰かが御祈願してくれていることを、遠く離れていてもビリビリと感じるし、それは気休めなどではないのだから。
 以前、ここにスリランカでゾウを眺めている写真を掲載した。あの場所はコロンボから車で4時間ほど走り続けたジャングルの中。しかし、驚くべきことに、そのジャングルのど真ん中でも私の携帯電話が鳴る。日本からだ。「ここまで届くのか」と驚きであった。インドでも同じ。ブラジルでも同じ。携帯電話が進化したと言えばそれまでだが、「届く」「つながる」という事実を考えてもらいたい。
 これは実感しなければ分からないと思うが、「空間」については携帯電話をジャングルで受け取ったりすると改めてテクノロジーや地球を飛び回る電波だけではなく、私たちの「思い」も、御題目口唱の「バイブレーション」も世界中に響いていくことを実感する。そして、日々の御法門で教えていただくように「三世(過去世・現在世・未来世)」まで飛び越えることを知れば、「時空」を「超える」ということをも実感できる。だからこそ、遠くで苦しんでいる方のためにも、自分の自宅からでも、お寺の本堂からでも、「御祈願させてもらいます」「必ず、その御祈願は届きます」と、単純に思えるのだ。それは、自宅からスリランカのジャングルに携帯電話がすぐつながるのと同じように。
 御教歌
「心より 我身にひゞき わが身より 家国あめが したにひゞけり」
「国のため わが家のため 身のためと なるもみのりの 声のひゞきに」
 御題目の響き、声の響き、私たちの思いは、世界を駆け抜ける。
 スリランカの青年たち。私たちは既に彼らを知っているから御祈願に思いがこもるのは当たり前だが、彼らを知らない方々までが御祈願して下さっており、本当に心から感謝している。取り急ぎ、ご報告させていただく。

2007年8月29日水曜日

デング熱、シャンタさんからのメール

 シャンタさんからメールにて報告が来た。(急いでいて誤訳があったので訂正する)
 マダワ君とはスリランカ本門佛立宗で中心的にご奉公してくださっている一人、シャンタ・ペレラさんの一人息子。彼以外の青年たちは快方に向かったものの、依然としてマダワ君は入院を余儀なくされているとのこと。

 先ほど電話にて確認したのだが、マダワ君の症状はまだ重い。デング熱のウイルスが肝臓にダメージを与えているようだ。スリランカ国立病院のミランダ医師もいてくれるので治療は万全の体制で行われていると思うのだが、まだ御祈願を続けさせていただきたい。ご祈願をお願いします。

 明日、またご報告します。

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Dear Nagamatsu Odoshi,

Thank you very much for your kindness for our members who are suffer from Dengue fever.

My son, Madawa still in the hospital, out of others his situation was bit bad. All others were recovered soon. Please pray for him. I stayed at hospital with him. Doctors will tell correct situation of him only on today evening. Buddha will protect him. Dr Miranda very closely working with other doctors.

Namumyohorengekyo

Shantha Perera

2007年8月28日火曜日

ひろし君とYaccoさん、憲史くん

 日曜日、施設部の方にご挨拶しながら本堂に上がると、ひろし君とYaccoさんがお友だちをお連れしておられた。
 午前中、講演会の途中でお二人から電話をいただいていた。留守番電話になってしまったのだが、講演が終わった後で聞いてみると「今日はお寺におられますか?大切な友だちをお寺にお連れしたいのです」という内容だった。時間があればお会いしていただきたい、と。聞きながら「とても時間が間に合わない」と思いきや、続いて留守番電話にメッセージが入っていて、「清康師がいらっしゃるのでお話ししていただくことになりました」とあった。ホッと安心。
 お寺に戻ると、まだひろし君もYaccoさんもお寺におられた。実に不思議なことだが、それぞれが何の打ち合わせをすることもなく妙深寺にお友だちを連れてこられて、そのお友だち同士も知り合いだったとのこと。妙深寺の境内地で、「あれー?!」とお連れした方々が再会を驚いていたという。合計4人のお友だち。私が本堂に上がった時には第二本堂のロビーで清康師がYaccoさんとお友だち2人とお話ししてくれていた。
 私は本堂の局長室で待ってくださっていたひろし君のお友だちお友だち2人の方とお会いすることができた。有難い機会を与えていただいて、少しの時間だったがご信心についてのお話をさせていただいた。難しいお話はさておき、こうしてお寺に足を運んだだけでもサインがあるはず。御題目をお唱えすることができれば、毎日の生活の中でサインが次々と出てきて、このことをお参詣された方々が実感することになる。確信できる。間違いない。ありがたい。
 その後、ひろし君たちと本堂に上がってゆくと、Yaccoさんたちがお看経を終えられたところだった。4人の方々は全員が女性だったのだが、みなさんが本当に素敵な女性で綺麗な声でお看経をされる。その声を聞きながら、私は庫裡へ戻らせていただいた。不思議なサインにも驚くが、ひろし君とYaccoさんのご信心への思い、お友だちの優しさ、ご信心の喜び、必ずよくなる、サインがある、抜け出せる、俺も、私もそうだったのだから、という確信が有難く、涙が出そうになった。
 驚いたことに、後でひろし君からの電話をいただき、Yaccoさんのブログを読ませていただいたところ、それぞれが御題目を綺麗に唱えられたように、ご信心をされるということだった。ひろし君がお連れした方々はお数珠も求められたという。これからも心掛けてお参詣されると思う。有難い。
 小さな一歩だが、その歩み始めた一歩は人生を大きく変えるはず。毎日毎日、私たちは岐路に立っているのと同じ。一瞬一瞬で選択をし、その選択の結果が人生を形作る。開導聖人は一日に8億4000万回もの岐路があるとお示しになっている。私たちは知らず知らずのうちに一瞬の刹那の選択を重ねてゆく。そして、その大きな流れの果てに、人生が奥深い森やブッシュの中に迷い込むか、晴れ晴れとした山の頂や丘の上に出るかが決まってくる。だからこそ、誰のせいにもできない。自分の選択の結果だから。
 しかし、ご信心に出会った方は、一瞬の刹那の中に「信」=「芯」を持ち、「御題目」を持つことができる。その刹那の選択の中に、純粋なご信心があれば凡夫故に間違いを重ねるかもしれないが、迷いの森やブッシュに入り込むことはない。そうした意味で、「小さな一歩」は人生を大きく変えることになると確信する。日曜日にお寺に来ていただいた方々の幸せを、心から祈りたいと思う。サインは既に出ているはず。
 そして、もう一つ大きな出来事があった。憲史くんのお祖母さまの御祈願をさせていただいてきたのだが、その憲史くんのお宅に御本尊を奉安することになった。「ご信心をさせていただく」ということは、つまり「御本尊をいただく」ということに他ならない。「御題目をお唱えする」ということは何よりも大切なのだが、同時に「御本尊を授与していただく」ということが大切。そして、その「御本尊」には、肌身離さず携帯させていただく小さな「懐中御本尊」と、自宅に「奉安(安置)」していただく「御本尊」がある。もちろん、自分が生活する中にご信心があることが欠かせないのだから、自宅に御本尊を奉安していただくことは何より有難い。しかし、憲史くんは懐中御本尊しかいただいていなかった。お祖母さまが真言宗の熱心な信者ということで、高野山にまで登ったことがあるというのだから、ご自宅への御奉安は難しいということだった。
 しかし、憲史くんはご家族にお話をしたという。お祖母さまにもお話をした。憲史くんは日曜日にお参詣し、その日の夜に「ご住職、御本尊を奉安していただくことになりました。ありがとうございます」と話してくれた。何と言うことだろう、本当にありがたくてありがたくて仕方がない。お祖母さまの御祈願にさらに力が入る。有難い。有難い。憲史くん、本当に素晴らしいよ。言葉がないよ。憲史くんもお参詣をはじめて数ヶ月。Yaccoさんもご信心をされて2ヶ月に満たないのだから。私たちも見習わせていただきたいと思う。日曜日、5人の方がご信心をされることになったのだった。Yaccoさんのブログも是非読んでいただきたい。つくづく有難く、心から御祈願させていただきます。ありがとうございます。

幸せなお寺

 週末の土曜日と日曜日にかけて、妙深寺の施設部の方々が法城護持のご奉公をしてくださった。
 「法城護持」とは、お寺という御法さまの「お城」をお守りし、維持するというご奉公のこと。本門佛立宗のお寺は、御法さまのお寺であり、私たち信者全員で建立されたものであるから、日々にご信者の皆さまがご奉公に当たってくださっている。

 開導聖人の御教歌には、
「我物の ひとの物のと いふものゝ
             佛立講は 祖師の講也」
とお示しになられている。自分の物だ、他人の物だということを非常に戒められている。

 観光寺院として拝観料を取っているわけでもないし、物を売っているわけでもない。葬祭場経営や墓地開発や販売で生計を立てているお寺でもない。そういう世間一般に多いお寺では、「お寺は住職のもの」と勘違いをしていたり、責任役員も全員が親族でサイド・ビジネスをしているとも聞く。そうした「宗教法人」が多いから、性善説的に成立している「宗教法人法」の改正が議論されているくらい。インターネットでは経営(?)の成り立たなくなった「宗教法人」が「法人格」として「買いませんか?」と売り出されているし、脱税の隠れ蓑として「宗教法人格」を悪用している人もいるらしい。

 悪いことをする人は大勢いるのだから仕方が無いとも言えるだろうが、そもそも多くの「お寺」が仏教の使命や教えを忘れているとしたら、そちらの方が罪だと思う。つまり、「我物」だと勘違いしている「僧侶」が一番悪い。本門佛立宗は決して大きな宗派でもないし、妙深寺より大きなお寺もあるだろうし、「戒名料」や「葬儀料」「墓地販売」で裕福なお寺もあるだろうが、とにかくご信者さん全員で御法さまの住んでおられる「お寺」を守ってくださる「法城護持」に頑張ってくださる方々がいることが有難い。何よりも有難い。本来のお寺、本当のお寺。言い方を変えれば「普通のお寺」。

 日曜日。講演を終えてお寺に戻らせていただくと、炎天下の中で法城護持のご奉公をしてくださる施設部の方々が汗をかきながら古くなった竹垣を作ってくださっていた。手作りの竹垣。原さんのお兄ちゃんまでご奉公に参加してくださっている。名前を書かせていただけば切りがないので止めておくが、「妙深寺は幸せなお寺だなぁ」と頭が下がった。本当に有難い、ありがとうございます。

 そう、時の権力者が作った庭園があるわけではない。拝観料を取って有名な庭師に手入れをしてもらって参拝者に見せることもない。ただただ、お寺に、御法さまにお縋りし、祈り、願い、頼り、求めて、お寺の土を踏み、お寺にお参詣される方々のために、ご信者さんによって手入れされているのが私たちの「法城」の庭なのである。どれだけ有難いことだろう。この庭を見て、本堂から下りてきた方々が心を癒され、心を和ませ、風が木々の間を通り抜ける音、小鳥たちのさえずりを聞き、他のご信者さんの手によって整えられた庭を、その心を、心静かに見ていただけたら何と有難いことだろう。私は、どんなに有名な庭園よりも、妙深寺の庭が素敵だと思うし、境内の四季を彩る木々や花々が好きだ。人間と自然のお付き合いの手本を、小さなお寺の境内で表現してくれているのだから。

 これから妙深寺にお参詣される方は、ぜひ本堂正面の右側に完成した竹垣を見ていただきたい。施設部長である刑部さんを筆頭にして、この30度を超える炎天下の中で工夫しながら作ってくださった竹垣。心のこもった、法城護持のお手本。その有難さを感じていただきたい。それは、仏教の在るべき姿、お寺の在るべき姿まで現しているのだから。

 毎朝、朝参詣の後に法城護持のご奉公に精を出してくださる方々。そして、汗をかきながら一日中ご奉公してくださった施設部の方々。本当にありがたい、ありがとうございます。

2007年8月27日月曜日

お宝鑑定団のようなもの

 最近、更新が滞ってしまった。今は京都で海外部長と資料作成に没頭中。寺報の原稿もあるし、腰も頭も落ち着かない。
 昨日は神奈川県下の15ヶ寺でご奉公されている主な男性と女性が集い、「神奈川フォーラム」が開催された。そこで若輩ながら1時間30分の講演をさせていただいた。
 何度かブログにも書き、妙深寺の中でもお話をしてきたことだが、私の海外弘通への思いは少々変わっているかも知れない。つまり、純粋に海外へ上行所伝の御題目をお伝えするということ以上に、国内のご弘通、特に妙深寺のご弘通ご奉公のためにさせていただいてきたということ。海外での経験は私にとっての武者修行のようなもので、私の信心改良と信心増進となる絶好の機会と思ってきたし、実際にそうなってきたと思っている。
 また、私が福岡御導師に随行してご奉公を体験させていただいてきた地域は、妙深寺に比べて「若い」のである。妙深寺はといえば、創立から時が流れて世代が変わってきた。私とて佛立信者としては5代目である。個人的には「自分が初代だ!」と思っているが、実際5代目であることに変わりはない。
 もちろん、世代を重ねてご信心が伝わっていくということは有難いことに違いない。しかし、砂漠の中で水を求め、カラカラにノドが乾いてからオアシスを見つけたのが初代だとすれば、私たちはそのオアシスの中で生まれ、育ったのと同じだ。オアシスを「発見」した喜び、その「体験」は、なかなか得られるものではないと思う。いったん砂漠から出て、放浪してオアシスに帰ってきた者であれば初代に近い経験と感覚は得られると思うが、「なんとなく」ご信心を継続してきただけでは決して得られないものがある。
 私が思うに、「お宝鑑定団」のテレビ番組にも似ていて、家の中に初代が発見し、購入し、手に入れ、家宝とした「宝物」があっても、時が過ぎて、代を経ていけば、「何の宝物?」「どれだけの価値があるの?」になってしまうと思うのである。それを、あのテレビ番組の「なんでも鑑定団」が地方に来て、会場に持ち込んで鑑定してもらって、はじめて気づく、ということがあると思うだ。
 「あー、家宝だと思っていたのに、価値がなかったんだ」と嘆く人もあれば、「えー、こんなにスゴイものだったの!」と喜ぶ人もある。私は、ご信心も同じになってしまってはいないかと思う。このご信心、尊い佛立信心、御題目の価値を、代を経るごとに見失ってしまっている人は多いと思う。忘れてしまっている人があると思う。だからこそ、私なりに考えると、鑑定団の一つの「フィルター」というものが「海外弘通」の現場にあると思うのだ。
 佛立宗は仏教ルネサンスの中心にある。政治活動もしない、広告も上手ではない。葬式仏教でもなく、観光寺院でもなく、新興宗教でもない。ど真ん中の仏教。それを知る人が増えている、それを知って随喜し、ご信心に目覚め、御題目をお唱えして速やかに御利益をいただく人が海外という異国で増えている。難しいお経を読むのではない、書くのでもない、理論や理屈を学んで何かを行うというものでもない。難しいフレーズを覚え、踊りを覚えるわけではない。ただ、「ナムミョウホウレンゲキョウ」と御題目、マントラをお唱えして「ひとつ」になれるご信心。ユニバーサルな宗教、有難い教え。それに気づいて欲しい、気づいてもらいたい、気づかせてあげて欲しい。
 そうしたことを海外から学ばせていただいているということをお話しした。時間がないので、この辺で止めておく。

御祈願、ありがとうございました。

 スリランカ青年会の3人について、御祈願ありがとうございました。

 多くの方々からメールをいただき、「ご祈願します」「ご祈願しています」と声をかけていただきました。本当にありがたいです。すぐに一つになっていただけることが。

 シャンタさんに連絡しましたところ、無事に回復に向かっているそうです。本当に、本当に、ありがとうございました。

2007年8月25日土曜日

男泣きの朝

 昨日、吏絵ちゃんが無事に妙深寺にお参詣してくださった。本当に有難く、尊く、近年では最高の日、男泣きに泣けた日であった。吏絵ちゃんのご家族、お父さまの涙、お母さまの涙、お祖父さまである前川さんの涙を拝見して、自分の眼にも涙が浮かんだ。そして、それ以上に、妙深寺のご信者みなさま方の吏絵ちゃんとご家族を見つめる暖かい瞳、一人一人が泣きながら吏絵ちゃんを励ましてくれた言葉、何よりひろし君が子どものように泣きながら言葉を発した姿を見て、嗚咽しながら泣けてしまった。ありがたい。本当に、ありがたーい。

 吏絵(りえ)ちゃん、本当に可愛くて、可愛くて、まさにアイドルが妙深寺に来てくださったような気持ちになった。

 2年間。2年間である。ずっとずっと吏絵ちゃんの御祈願をさせていただいてきた。辛く苦しい白血病の治療。白血病病棟に永年勤務してきた看護師の朋美ちゃんも泣きながら励ましの言葉を吏絵ちゃんに掛けてくれた。白血病の治療は他の部位の癌と異なり、抗ガン剤治療は12才の子どもでも大人と同じものであるという。言葉には表せないくらい、本当に辛く、苦しいもの。吏絵ちゃんのお父さんも言っておられたが、抗ガン剤治療をすると2~3日くらいずっとグッタリして、起き上がることも出来なかったと。それを間近で見てきたご家族。耐え抜いた吏絵ちゃん。

 私たちは御祈願することしか出来なかったのだが、そうしたみんなの応援、思いが結集して、見事に吏絵ちゃんは元気になり、横浜まで来てくれたのだ。本当に元気な姿だった。普通の中学生、とても病気とは思えないほどだった。

 清康師からのご家族の紹介があり、今一度これまでの経緯を振り返った。2年前からの御祈願と妙深寺とのご縁、御祈願の輪の広がり、闘病、そして御利益。

 それにしても妙深寺の方々は有難い。ご家族が本堂の前に立ち、お父さんがご挨拶してくださったのだが、お父さんの口から出た最初のお言葉は「まず、びっくりしたのが、、、私たちが前に立たせていただいた時、みなさんの眼が、大変あたたかい眼で、、、本当に、、、喜んでおりますというか、、、、感謝しております、、、」という言葉だった。何と妙深寺の方々は有難いのだろう。本当にそう思わせていただいた。

 吏絵ちゃん本人からも、みんなにメッセージをいただいた。恥ずかしがり屋さんと聞いていたのだが、元気に、頑張って、みんなにご挨拶してくれた。お助行・御祈願してくれてきた方々にとっては、最高に幸せな瞬間だった。御題目の御力、経力・現証そのもの。ありがたーい。

 吏絵ちゃんへの励ましのメッセージをということで、本堂のお参詣者から何人かが立って、ご家族へお言葉をかけてくださった。その一つ一つが菩薩の心、慈悲に満ちていて、何とも涙が出た。

「今まで治療で頑張ってきたのだから、やれなかったことを楽しんで、頑張ってね」「私も吏絵ちゃんと同じ病気だと言われたことがありました。でも、御法さまのお陰で病名まで変わってしまって、お計らいをいただいて、有難いの。吏絵ちゃんもこれからは学生生活を楽しんで、頑張ってね」

 そして、特に私が涙したのは、ひろし君のメッセージだった。普段のひろし君を知っているので、彼がグチャグチャに泣きながら「吏絵ちゃん、頑張って」と言う姿を見て、私も涙がポロポロ出た。彼はロス・アンジェルスに出張中に吏絵ちゃんのことを知った。私がメールしたのをホテルで見たのだ。そして、自分の部屋で泣いたという。自分の子どもと同い年。ホテルですぐにお看経をさせていただいて、それ以来2年間、吏絵ちゃんの御祈願を続けてきて、昨日の朝はじめて会えた。「自分の人生でこんなに嬉しいことはない」「こんなに泣いたのははじめて」と言っていた。鬼の目にも涙。泣くような男ではない。しかも、自分のことで泣いているんじゃない。悲しくて泣いているんじゃない。人のため、吏絵ちゃんのため、そして御題目のご信心によって御利益をいただき、こうしてお会いできたという喜びにむせび泣いているのだ。これ以上、有難いことがあるだろうか。

 これぞ佛立信心。菩薩行の醍醐味。御題目のご信心は、ここに極まる。あなたが幸せだから、私も幸せになれる。佛立宗のご信者は、みな兄妹なり、である。つまり、家族ということ。家族で苦しんでいる人がいたら、当たり前のように支える、助ける、祈る。ご信者同士は家族なのだ。だから、同じように苦しみ、同じように喜ぶ。これを「同悲同苦の菩薩行」という。

 妙深寺からは、記念品としてお兄さんと吏絵ちゃんの二人にお数珠を差し上げた。信仰師や杉崎さんがいろいろと悩んでくれたのだが、年齢に合うものを探してプレゼントしても時間が経ったら好みも変わってしまうだろう、でもご信心は、この御利益を忘れず永遠に続けてもらいたい、だからお数珠にしたいということだった。大変に有難い。素敵なピンク色のふさの付いたお数珠をお渡しさせていただいた。

 それと、この前ブログに書いたように、吏絵ちゃんの大好きな溝端淳平さんからのサイン入りの色紙と写真をプレゼント。これには本当に喜んでくれた。お参詣してくれていた同い年の汐理ちゃんも彼のファンということだった。本当に人気のある方なのだなぁとあらためて実感。喜んでくれていた。

 みなさんには大変申し訳ないのだが、なんと吏絵ちゃんからプレゼントをもらってしまった。吏絵ちゃんがプレゼントしたいと言ってくれて選んでくれたのだという。もう、感極まって動きが止まっちゃった。その場で「開けてください」と言われたので見させてもらうと、素敵な車の刺繍が縫われている黄色いネクタイだった。本当にうれしいです。もう、何年間もこのネクタイしかしないぞー。何もしていないのに、本当に有難う。

 私はといえば、昨日のご奉公は全て「吏絵ちゃん」にしていたので、一緒にランドマーク・タワーに行って、吏絵ちゃんご家族と展望台に上ったり、吏絵ちゃんが探しているというお財布を見つけようとウィンドウ・ショッピングしたりした。お昼ご飯を一緒に食べて、最後はアイスクリームを食べた。このアイスクリームはとても有名なお店「コールド・ストーン・クリーマリー」に行った。有名店ということで長蛇の列。一緒に並んで食べちゃった。そうしたら、お店の人たちが「どこから来られたのですか?」と聞いてくれたので、「京都から来てくれたんです」と言うと、「ではでは、一曲プレゼントします」と店員さんがみんなで素敵な歌を歌ってくれた。さすが、吏絵ちゃん。ありがたーい。

 ランチはシズラーに行ったのだが、治療中の壮絶な食事制限についても聞かせてくれた。白血病治療の恐ろしさ。実は、吏絵ちゃんがこうしてお食事を出来るのも、アイスを食べられるのも、7月中旬からのこと。それまでは、まず火の通っていない食事は絶対に食べてはいけないということだった。しかも、火を通して作った食事も20分以内に食べなければならないという。お豆腐なども食べてはいけなかった。菌のある食べ物である納豆などもダメだった。治療の最後の方では脂質制限も加わり、毎日「○○グラムの脂質しか摂ってはいけません」と言われて、お母さんはチェックしながら食事を作ったという。お母さんは栄養士の資格を持っていたため、こうしたことにも長けておられ、それだけではなく家族やご親族の協力があってこそ治療に専念してこれたと仰った。お兄さんは高校生で食べ盛り。「ごちそうさま!お腹減った!」というくらいだったとのことだが、それでも妹の吏絵ちゃんを気遣って隠れて食べるようにしていたという。

 その吏絵ちゃん。今こうしてランチを食べ、アイスクリームを食べて、楽しく一緒に歩けること。その全てが、有難い。言葉が見つからない。本当に陳腐な言葉では表せない。これが佛立宗のご信心。

「衆生病む故に菩薩また病む」

 何度か書いた。私たちはお助行させていただいたことで、吏絵ちゃんご家族に何度も御礼を言われたが、御礼を言いたいのは私たちの方だ。吏絵ちゃんは病気になって私たちにご信心を起こさせ、ご信心を教えてくれた。御題目の御力の尊いこと、強いこと、その慈悲、暖かさ、家族の大切さ、ご信者同士の絆、いろいろなことを教えてくれた。だから、吏絵ちゃんは僕にとっての「菩薩」なのです。ありがとう、ありがとう、ありがたーい。
 吏絵ちゃんやご家族の前で、言葉が見つからずに「ありがたーい」と連発してしまった。きっと、お父さんにも移ったなぁ。もう、一緒に歩いている時に「ありがたーい」と言ってくれていたから。本当に、サインの連続。感謝、感謝、ありがたーい。

2007年8月23日木曜日

デング熱 : 御祈願をお願いします

 先ほど、スリランカのシャンタさんから連絡がありました。
 スリランカ青年会の子がデング熱に感染したようであるとのこと。出来れば御祈願をお願いしたいと思います。「マダワ」「ディリーパ」「ヘマンツィ」の三人です。このデング熱は現在のところワクチンはありません。蚊に刺されないようにするくらい。私は何度もスリランカに行かせていただいていますが、全く経験が無く、心配もしていないのですが。近年の温暖化や都市化が原因なのでしょうか。
 いずれにしても、スリランカから連絡がありましたので、朝夕のお看経の際でも結構ですから、御祈願をしていただけますか。お願いいたします。

2007年8月21日火曜日

吏絵ちゃんが来てくれる

 24日、京都から横浜まで吏絵ちゃんのご家族が来てくださる。京都から車で来られるとのことで、毎朝ご祈願をさせていただいている。吏絵ちゃんが体調を崩すことなく横浜に来られますように、道中が安全でありますように、と。

 今朝もお参詣の方々にご披露させていただいた。24日朝6時30分からの門祖総講に吏絵ちゃんご家族6名がお参詣されるということと、是非とも大勢のお参詣をしていただきたいこと。出来れば、吏絵ちゃんと同じ年頃のご家族がお参詣してくださると有難いと思う。これまでお助行してくださってきた方、同じ年頃の子どもを抱えておられるご家族、そういう方々みなさんにお参詣していただきたいと思う。

 妙深寺の方々は、この2年間毎朝のお助行で吏絵ちゃんの闘病平癒・病気全快を御祈願くださっていた。しかし、実際にお会いするのは今回がはじめて。心ある方は私と同じようにドキドキしているだろう。

 2年前にお助行と御祈願が始まったことは既に書いた。妙深寺のみなさんが吏絵ちゃんを身近に感じるようになったのは、横浜国立大ホールで開催された佛立開講150年奉讃記念大会「グランデ・ファミリア」からだと思う。

 この大会は、「家族」というテーマを掲げて開催された。立教開宗750年のご奉公では、寺内の内容充実を目指して神奈川布教区の各寺院で法要を営んだ。なぜなら、どうしても一つの場所に集まって行う大会(法要)というのは代表者が出て終わり、という風になりがちだから。各寺院で奉修させていただく方が、当たり前だが参詣者(参加者)は多い。しかし、佛立開講150年のご奉公では、みんなの力を一つに集めて、総力を結集したものにしたいということだった。

 開導聖人がなぜ本門佛立宗を開講されたのか、その教えはどのようなものか。それを実践すると、人や家族はどのようになるのか。限られた時間の中で体感してもらいたい。そして、ご開講から150年を経た私たち一人一人が、この教えに出逢えたことに誇りや喜びを感じ、佛立信心を再発見していただいたい。考えに考えて、開催されたのが「グランデ・ファミリア」だった。そして、各寺院の御住職やお教務さんは黒子やサポートに徹して、ほとんどご信者さんの手によってご奉公が進められ、途方もない目標だったが5000人の参加者が集い、大法要・奉賛記念大会は開催された。

 その大会の中で数多くのご家族を紹介した。ブラジル、イタリア、スリランカの私たちの家族。そう、御仏の教えをいただけば、全ての人がファミリーであり、特にご信心で結ばれた人たちは国境や人種が違っても本当の意味での家族なのだから。思いやり、いたわり合い、御題目で一つになれる。 「グランデ・ファミリア」とは「大きな家族」「偉大な家族」「素晴らしい家族」を意味するブラジルの言葉、ポルトゲスからいただいた。

 そして、神奈川県下のお寺を代表して相模原・妙現寺のご家族を紹介させていただいた。

 このご家族は、お父さんが重い腎臓の病を抱えられていた。いつも元気いっぱいのお父さんが突如として救急車で病院に運ばれ、お母さんもそれに付いていってしまった。子どもたちは3人。泣きながら御宝前に御題目をお唱えして待っていたという。その子どもたちの心が尊い。

 「家族」ということを考える大会の中で、お父さんを思う子どもたちの気持ち、そして御宝前に向かい、お父さんのために祈った子どもたち。子どもたちの泣いている姿に、私たちは本当に感激した。親を思う子どもたちの気持ち、祈る場所がある家庭が。

 お父さんはお医者さんがびっくりするほどのスピードで回復した。腎不全との診断だったようだが、そこから見事に回復してくれた。お父さんが一人でしている床屋さんだから、お父さんが倒れたら生活も大変になってしまう。でも、お父さんは元気に仕事を再開。今では隣のお店のスペースまでも自分のお店として改修して、逆に仕事も上手くいっているという。毎回、相模原・妙現寺のお会式にお参詣すると、泣いていた子どもたちが元気にご奉公してくださっている姿を見ることが出来る。

 あの時、「これからは何でも言って欲しい」と泣いていた子どもたち。いつも元気なお父さんが倒れてしまったことで、「今まで甘えていてごめんなさい」「これからはもっとお手伝いします」「私も家族のためになれるから」という気持ちを表して、涙をポロポロこぼしていた素敵な子どもたち。ご信心は本当にありがたい。

 そして、このご家族の次に、吏絵ちゃんのビデオを流した。吏絵ちゃんは12才で白血病を発症して、ご家族も苦しんでおられること。何より、元気だった吏絵ちゃん自身がとても苦しんでおられるのではないか。神奈川県下のお寺では、この大会の前から吏絵ちゃんのために御祈願をしてくれていた。私たちに出来るのは、「佛立家族」である吏絵ちゃんのために、遠く京都で闘病している吏絵ちゃんのために祈ることだけなのから。そのお助行・御祈願についての御礼を吏絵ちゃんのご家族がビデオで語ってくださり、吏絵ちゃんもビデオに出てくれて最後に会場のみんなに手を振ってくれた。司会をしていた杉崎さんの涙、印象に残っている。本当に気持ちを一つにしてくれるのは、苦しんでいる方への思い、御祈願、御題目。だから、遠くの方のためにも御祈願をさせていただく。

 吏絵ちゃんは、数々の御利益をいただいて白血病という恐ろしい病を乗り越えた。しかも、お父さんが言っておられたが、普通のお子さんは治療の前に熱が出たりして治療を延期したりすることがあるのだが、吏絵の場合は全くそれが無かったという。強い抗ガン剤などを使うので、副作用で体調を見ながら治療のタイミングを管理しなければならないからだ。しかし、吏絵ちゃんの場合は、全ての治療が不思議とうまくいく。流れが良く、治療を延期することがなかったというのだ。まさに、ご信心のおかげ、みなさんの御題目のおかげ、と。

 この6月末で、治療担当医の方から「もう現段階での治療はありません」と言われたという。何回かのクールで抗ガン剤治療をしてきて、数値を見た結果、白血病患者としての治療はもう無いということ。何と有難いことだろう。24日、そうしたお話を聞けること、一緒に、家族の一員として、ご祈願・お助行してくださった方々に聞いていただきたい。この有難い現証を。本当の仏教徒としての家族のお話を。

 実は、吏絵ちゃんにはスーパー・スペシャルなプレゼントを用意した。7月に京都で吏絵ちゃんに会った時に、「好きなタレントさんとかいるのかな?」と聞いた。その時、私は知らない方だったが、「溝端淳平(みぞばた じゅんぺい)さん」と名前だけ教えてくれた。「世界ウルルン滞在記」に出演されている方とのこと。ひろし君にすぐに依頼。サインとメッセージを吏絵ちゃんのためにもらいたい!と。すると、何とひろし君は溝端淳平さんの色紙と生写真を持ってきてくれた!しかも吏絵ちゃんへのメッセージ付き。これを渡したら喜んでくれるだろうなぁ。

 来てくれるまでは秘密にしよっと。あっ、ブログに書いてしまった。あちゃー。

教務は『一声、二筆、三姿』

 弘通学という授業を受け持ち、教鞭を執っている。 本門佛立宗には修学塾という教務諸師の勉強会があり、弘通学・宗学・法門学・研修学という科目を設けて勉強させていただいている。

 私の担当は「弘通学」。そのタイトルからして分かるように、大変重要なご奉公である。年間に3回、テキストに沿って授業を進めるわけだが、今年のテーマは「折伏・教化」である。勉強する以前に、それはご弘通そのもの。佛立信心そのもの。自然と力が入る。御講師方(お教務さん方)に講義をするのだから。

 古くから東京・乗泉寺で教務に言い伝えられてきたという教えを、法深寺のご住職・清水泉洋師から教えていただいたことを忘れないようにしている。それが『一声、二筆、三姿』である。他宗でも古くから「お坊さんのたしなみ」として言い伝えられているようだが、佛立宗の場合は少し違う。

 一般的にこの言葉は、お坊さんというものは、まず『一声(ひとこえ)』で、お経を読む声が良くなければならない、次に『二筆(にふで)』で書が上手くなければならない、そして『三姿(さんすがた)』で姿勢が正しくなければならないというものだという。禅宗や真言宗などのお坊さんを思い浮かべると想像がつく。古来からの『お坊さん』は字が上手い、そういうイメージらしい。「たしなみ」という言葉には「好きで親しむ芸事」とか「人前で失敗しないように日ごろ言動に気を配ること」という意味があるから、「それをやっておけば坊主としては大丈夫」という意味で受け取られているのだろう。

 佛立宗の場合は違うというのは、『芸事』として教えているのではないという意味であり、もっと菩薩行の手本としての意味で受け取らなければならないという言い伝えであるからだ。

 『一声』というのは、まず末法の仏道修行では基本中の基本である上行所伝の御題目を、しっかりとお唱えするということは勿論、教務としてどのようなことを語り、聞かせることが出来るか。何を声に出しているか。しっかりと自分の口から発する『声』に対して責任を持ち、重視して、それを磨いていかなければならないということだろう。

 『二筆』では、能書か乱筆かを言っているのではなく、簡単に言えば『筆まめ』にならなければならないという意味であろう。お祖師さまは実に細かく筆を執って、弟子やご信者方を教導された。御有志をいただいても御筆でお礼状を書き送り、お布施や御供養の御礼と同時にお手紙の中に御法門を認められていた。それは「御書」や「御消息」と呼ばれて、現代まで残されている。お手紙を受け取った者だけではなく、700年以上後に生まれた私たちまでが拝見し、勉強できるのである。あらゆる人とのコミュニケーションを大切にし、そのやりとりの中に御仏の教えを含めて申し伝える、その努力。便箋でも、はがきでも、メールでも何でも良いと思う。教務は「筆まめ」を目指せ、と教えていただく。

 『三姿』は、やはり私たちの「行動」となる、その「行動している姿」となる。座っている「姿勢」だけ正しくてもダメ、禅宗のお坊さんではないのだから。もちろん、お看経中の姿勢のキリッとしていることは何より大切だが、菩薩行を率先して身体で行う教務の「姿」でなければならない。誰よりもお看経に熱中し、お助行に励み、笑顔であり、優しくあり、強くあり、、、、。そうした「姿」を教務に見なければならない、教務から見れなければならない、と。

 故に、教務は『一声、二筆、三姿』を念頭に置いて、しっかりと修行していかなければならない。社会人とて厳しい中を揉まれに揉まれて生きておられる。私たちはそれ以上に自分に厳しく修行していくことは至極当然のこと。

 先住は言っておられた。物を売って生活しているのではない。教務は、御法をいただいて、それを説かせていただいて生きている。だから、それが間違っていれば「詐欺」だ。その上であぐらをかいていたらどうだろう。何と情けない、腑抜けた人間だろう。恐れを知らぬ者になってしまうだろう。ご信心によって人間性が磨かれたという手本にならなければならないのだから、道は果てしなく遠く、そして厳しい。

 若い頃から、教務になったというだけでお年寄りからも敬っていただいてしまうのが「教務」である。先輩のご信者さんが畳の上に座っていても、座布団を出されてその上に座らなければならないのが「教務」である。ご信者さんは「教務」への「お給仕」として、お年寄りでも若い教務のカバンを持ってくださろうとする。それは自分が偉いとか尊いのではなく、御法が尊いからお給仕くださっているのだ。

 これを勘違いしてしまうと、教務はダメになる。敬ってくださっているのは自分ではなく「お袈裟」であるというくらいに思って、謙虚に、素直に、『一声、二筆、三姿』でご奉公させていただかなければならない。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」になってしまうということは、教務の愚かな勘違い、慢心によって、「御法さままで憎んでしまうようになる」という意味ではないか。それはお祖師さまが厳しく戒めておられる「食法餓鬼」よりも一段とタチの悪い存在となる。

 お祖師さまの御妙判。

「食法餓鬼と申は、出家となりて佛法を弘むる人、我は法を説けば、人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思て今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法餓鬼とて法をくらう餓鬼と申なり。当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり、是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。これは未来には馬頭と云ふ鬼となり候。又在家の人人も我が父母、地獄餓鬼畜生におちて苦患をうくるをば、とぶらは(弔)ずして、我は衣服、飲食にあきみち、牛馬、眷属充満して、我心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給らん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月、地の地神いかりいきどをり給て、不孝の者とおもはせ給らん。形は人にして畜生のごとし、人頭鹿とも申べきなり。日蓮此業障をけしはてて、未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば、種種の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず」

 開導聖人の御教歌ではさらに厳しい。

「ころも着て かしらまろめて 人だます 寺住のもの 僧と思な」

 心してご奉公せねばならないと戒められておられる。

2007年8月20日月曜日

青年会サマー・セミナー

 昨日、19日の日曜日は、青年会のサマー・セミナーで葉山に行った。土曜日から青年会はお寺に宿泊し、お看経の後にテーマを設けたセミナーを開催。会長であるマサノブ君が作成したパワーポイントの資料をスクリーンに映して、そうしたテーマを元にしてディスカッションを行ったという。一人一人の実生活に即しているから、非常に充実したセミナーになったと思う。よく考えて、準備をしてくれた。

 翌日、つまり昨日だが、セミナーの参加者は朝参詣をされた後、葉山の海に向かった。葉山というのは江ノ島から見るとずっと三浦半島よりの場所。電車で行くとすれば逗子駅を使う。真夏の湘南の中でも比較的車の渋滞も少なく、海水浴客も少なく思う。葉山の海岸であれば、昔の仲間の協力で色々なものを楽しめる。

 本山での青少年の一座では台風の影響で終了ギリギリの到着となった。9時間もかけて本山までお参詣してくれた青年会に心から感謝していたのだが、会長のマサノブ君をはじめ青年会のみんなは「これは私たちの御祈願が足りなかった。しっかりと御祈願をして、サマー・セミナーを迎えたい」と、お懺悔とご信心の改良と増進に結びつけてくれていた。それから、青年会では準備ご奉公と共に御祈願を重ねてサマー・セミナーを迎えた。

 先週来、非常に強い台風が太平洋上を北上していたので、「やはり」と思って心配していたのだが、有難いことに大きく進路を北に取り、関東地方は快晴となった。これは青年会の方々の御祈願の賜だと思う。

 日頃のご奉公では見れない少年のような笑顔。青年会のみんなの笑顔と同様に若い教務の笑顔を眩しい。清顕はまだ23才なのだから、自分の若い頃と比較すればご奉公一筋に頑張ってくれていると思う。しかし、この葉山では、青年会の方々と一緒に子どものように海岸を走り回っていた。微笑ましい。

 友介も楽しそうだった。友介は今日8月20日が23才の誕生日。先ほどの朝参詣で誕生自祝の御礼を言上させていただいたが、「本当に早いものだなぁ。友介が23才なんて」とつくづく思う。最近は仕事が忙しいようで心配だったが、溜まりに溜まったストレスを発散しているかのように楽しそうに波と戯れていた。

 私が初めて葉山の海岸に来たのは20年前のこと。その頃と比べると海岸が痩せてきている。「痩せてきている」というのは、砂浜が浸食されているという意味だが、砂を入れないと近いうちに海岸が無くなってしまいそうだ。この海岸は葉山の御用邸の隣にある。時折、御用邸に滞在されている皇室の方々の姿を見ることが出来るのだが、その葉山ですら海岸が危機的状況になっているのは残念なことだ。

 青年会にバナナ・ボートやジェットスキーを体験してもらうために、私もサマー・セミナーに同行した。葉山に来るのは実に何年ぶりのことだろう。その前もやはり青年会のサマー・セミナーだった。あの時はヒロミさんもインストラクターをかって出てくれて、わざわざ葉山まで来てくださった。その時の写真も青年会の良い思い出である。タレントさんがインストラクターをやってくれるなんて。私が葉山に来たのはあれ以来だから5~6年ぶりになる。しかし、ここに来ると昔のことを思い出すし、懐かしい仲間にも久しぶりに会うことが出来る。

 バーベキューの後でバナナ・ボートやジェットスキーを体験。なかなか出来ない体験だから、みんなもワクワクしてくれている。私は堤防の上からビデオを撮らせてもらった。「青年会の思い出になるからビデオを撮るね」と言ったものの、これが失敗した。暑いの何の、参った。しかも、1グループは10分程度海に出る。それが5グループくらいあるのだから、バナナ・ボートだけでも1時間ちかく堤防の上にいなければならないではないか。うわー、失敗。1つのグループだけ撮影して帰ってきたら、後の人たちが可哀想だし、結局最後まで撮影することにした。暑かったなぁ。

 後でみんなに聞いてみると、バナナ・ボートよりジェットスキーの方が面白いと言う。一年間、ご奉公に頑張りに頑張って、そういう頑張るみんなと一緒に来年もまた葉山に来れればと思った。そして、思い切りジェットスキーを楽しませてあげたい。だって、妙深寺はジェットスキーのプロだったという変わり者が住職なのだから。これを使わない手はない。変わったお寺(笑)。

 このレクリエーションは一人一人の夏の思い出として永く残ってくれると期待している。「モノより思い出」だから、普段とは少し違う「海」という環境の中で、なかなか体験できないスポーツを楽しんでもらえたら、有難い。

 妙深寺では8月を「教養会の月」として、教養会(松風会・壮年会・婦人会・青年会・薫化会・ボーイスカウト・ガールスカウト)の野外活動の盛大開催をご奉公の重点に掲げて御祈願している。そして、夏休み中の子どもたちの交通等安全・災難除滅を祈り、信行相続を願う。

 17時ごろ、みんなで記念撮影をして葉山を後にした。

2007年8月18日土曜日

いざという時こそ

 昨日は、鈴江御導師の特別御講第一日目。相模原・妙現寺まで御導師をお迎えに上がり、13時から奉修。先住亡き後、鈴江御導師には私の師匠となっていただき、毎年一度の御講奉修をお願いしている。一年間、妙深寺のご奉公がどのようであったか。改良点や成長した点など、親しくご覧いただき、ご教導をいただく。

 ちょうど6年前。その日も特別御講だった。相模原まで車を運転し、お迎えに上がっていた。その途中で、以前より入院治療されていた鈴江御導師の奥さま、富士子さまが亡くなったという連絡があった。何ということだろう。余りのことに一瞬思考が停止したが、とにかく妙現寺、そして御導師も駆けつけておられる病院へと向かわせていただいた。夏の日の病院の裏口、今でも忘れられない。

 富士子奥さまは、随分前にステージ3という癌を患われており、その後は大変な御利益をいただかれて、全く病気であることが分からないほどご奉公に復帰されていた。御導師は3年もの増益寿命だったのだと仰る。俄に入院治療することになった時には驚いたのだが、奥さまはちょうど6年前の8月9日に帰寂されたのだった。

 生涯を共にご奉公された奥さまの帰寂。鈴江御導師が御住職に就任された当時、わずか60軒のご信者さんしか相模原・妙現寺にはおられなかった。そこを、まさに御導師と奥さまのご弘通で切り開かれ、次々と御利益を感得される方が増え、ご弘通が進展し、飛び級のように寺院等級も現在のようになった。有名なのは次の日の朝まで続く御導師のお助行で、病気の方や苦しんでおられる方がおられると、役中さんには「休みなさい」と言われるがたった一人でその方の御宝前で朝までお看経を上げられた。そして、見事に御利益を頂戴し、ご弘通が進む。ある時、お助行を終えて日博上人とバスの中で会われた。日博上人は大変に喜ばれたという。

 その生涯連れ添った奥さま、戦友を失った日。私は御導師に奥さまの側についておられることは当たり前だと思い、「御導師、御講は先に延ばします。どうか奥さまの側で」と申し上げた。すると、御導師は、

「いや、御講に行くよ。大丈夫だ。富士子もそうした方が喜ぶだろう」

と仰って、鈴江御導師は横浜・妙深寺に向かってくださり、何事もなく御講を奉修してくださった。しかし、御法門の途中で言葉に詰まられたことを、私は忘れられない。御導師は御法門台で富士子奥さまの帰寂のご披露をし、御導師は奥さまへの感謝を述べられた。そして、言葉に詰まられた。参詣者一同は涙、涙だった。

 鈴江御導師が私に強く教えてくださるのは、「覚悟」だ。先住のお怪我の時、父を失うかもしれないという恐怖と苦しみの中にいる私に、ご信心の筋を立てて励ましてくださったのは鈴江御導師だった。「なんでこんなことが起こるんだ!」と迷う私を、「佛立宗のご信心は、最大の不幸を最高の幸せにしてくださるご信心だ。必ず御利益をいただく。ここが勝負」と教えてくださった。それから毎日、鈴江御導師は相模原から妙深寺までお助行に通ってくださったのだった。

 私たちは苦難や困難に直面した時、オロオロするものだ。オロオロと迷って、多くの人は「情」を第一に考えて行動してしまう。しかし、「情」を立てれば「信心」が後ろに回る。「信心」が後ろに回っている間は御利益はいただけない。正しい信行ご奉公はできないのだ。必ず、事に当たって「信心」を第一に立てることを教えていただく。それが「導師」の勤め。それを身体で教えてくださるのだから、有難い。

 人生にはどうしようもない時、「いざという時」が来る。その時にこそ、本領を発揮する、その時に試される、その時のためのご信心、と言っても過言ではない。

 お祖師さまは、
「法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。」
とお諭しくだされている。

 「残念ながら、インチキな口先ばかりの教務もご信者もいる、演劇のように、御法門台の上では何でも言える、しかしな、いざという時、本当のご信心が試されるのだぞ」、と御導師に教えていただく。非常に厳しい教えだが、鈴江御導師は「行動」で示されているから何も言えない。有難いと思う。覚悟のあるご奉公をしたいと思う。

2007年8月16日木曜日

横浜 35.6度

 暑い。暑い。信じられない。京都より横浜の方が暑い。う~。

 昨夜は長松寺の御総講。お盆の真っ最中だったので、遠方からのお参詣の方が多かった。有難い。

 しかし!それ以上に有難いことがあった。なんと、吏絵ちゃんがご両親とお祖父さまと一緒にお参詣してくれていた!いつものように吏絵ちゃんの御祈願をさせていただいて、御法門前にご信者さま方を見てみると、その中に吏絵ちゃん。嬉しかったなぁ。本当に元気になってくれて、嬉しいです。お参詣ありがとう、吏絵ちゃん。

 そして、京都から横浜に戻りホームに下りた途端、ムワっとした熱気が。「京都より暑い」と思わず言ってしまった。今年はエルニーニョと反対の現象、「ラニーニャ」と言われていたのに。ラニーニャとは、ペルー沖の海水の温度が低下する現象であり、この現象が起きると冷夏になると言われていた。

 ところが、この暑さ。酷暑。特に今日は日本国内の観測史上で最高気温を記録したという。岐阜県の多治見市と埼玉県熊谷市で40.9度。1933年(昭和8年)7月25日に山形市で40.8度を記録して以来、実に74年ぶりの記録更新になったという。海からの風に守られている横浜でも16日は35.6度を記録した。

 この熱波によって、関東では6人もの方が熱中症によって亡くなった。この事態、実に尋常ではない。何度も何度も書いてきたが、遂に「その日が来たか」と思ってしまうくらいだ。こうした異常気象や温暖化の原因は、はっきりしている。「人間」であり「人類」。それ以外に原因はない。

 人類の活動が地球環境にまで大きな影響を及ぼし、何万年もかけて行われる環境の変化と推移が極端に短い期間で行われているということ。科学的な数値の話ではない。「因果」で考えても分かる。短期間で変化を与えたのなら、短期間にもっと違う変化が起こってくる。多くの科学者も指摘しているように、生態系が崩れ、極端な気候変動によってある特定の種が絶滅の危機にさらされ、移動を余儀なくされたりする。

 「その時」というのは、私たちの社会が気づかざるを得なくなるような事態に陥る恐ろしい日のこと。そんな日を望んでいるわけではないが、仕事や生活も出来ないほど暑い日には、そんなことを考えてしまう。

 夏が過ぎれば涼しくなり、秋になったら忘れてしまうのが私たちだが、今年の夏の暑さは異常である。

 8月15日、海洋研究開発機構と宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、北極海における海氷面積が過去最小を記録したと発表した。北極にあるはずの大陸のような海氷が消えているのだ。2005年夏に過去最小を記録したが、今年はそれを大幅に上回るペースで減少し、1978年から開始された衛星観測史上最小となったという。しかも、この海氷の減少は、9月中旬まで続き、さらに大幅な減少となると予測している。

 今月はじめ、北極で氷河の塊が海に崩れ落ち、観光船に乗っていた18人が負傷する事故があった。巨大な氷塊が大きな波を起こして観光船を直撃した。船が大きく揺れたことによって負傷者が出たというが、現在の北極の氷解を如実に示すニュースであるようにも思える。

 こうした状況が、今後一体どのような影響を与えるか。人類の明日、世界の情勢、私たちの生活はどうなるのか。人間は、すぐ近くのことについては迅速に対策を取り、対処することに余念がないが、少し先の未来のことになると「利害」と「損得」ばかりを考えて動きが取れなくなる。こうした環境問題とその対策は、人類全体の「性」や世界政治や世界経済の関係を知るための最大の試練のような気もする。
 明日13時より鈴江御導師をお招きしての「特別御講」が奉修される。 次の日の18日には10:30からの奉修。今日は、その前助行があり、御総講に引き続いて大勢のお参詣とご奉公をいただいた。

2007年8月14日火曜日

名古屋の御導師、

 名古屋の建国寺にお参詣させていただいた。その後、名古屋城にも寄らせていただいて、生まれて初めて「金のシャチホコ」を見た。感動!ありがたーい。
 つくづく、名古屋・建国寺に伺うと刺激を受ける。妙深寺の初代ご住職・日博上人は、名古屋・建国寺の先代のご住職・日建上人と深い親交を持っておられた。日建上人はお優しいお顔からも察することができるとおり、大変におおらかで慈悲心に満ちておられた御導師。日博上人も何度となく名古屋にてご奉公され、ご弘通談義に花を咲かせておられたと聞く。
 ある時、日博上人が名古屋・建国寺の御会式のご奉公からお帰りになる際、その途中でご信者のお宅にお助行に寄られたというお話をお聞きした。遠方の御会式ご奉公は、大変にお疲れになるのに、その僅かな時間もご奉公されておられたというお話をお聞きした。名古屋の御導師も大変に随喜されておられたと聞く。
 また、日建上人は15世日晨上人の下で親しくご教導を受けておられ、ある時日晨上人に「ご弘通を発展させるためには、どのようにすれば宜しいでしょうか?」とお伺いしたところ、「それは簡単だよ。ご弘通が発展しているお寺から学べばいい」とお答えになったという。そのお話を建国寺の現ご住職・石川日翠上人からお聞きした。本当に有難い教えである。
 私は、先住の御遷化後に奇しくも妙深寺の住職としてご奉公することになった。海のものとも山のものともつかぬ愚息、清潤である。自分自身すら、妙深寺の住職としてご奉公出来るものかどうか、全く分かっていなかった。
 そんな時、いつも手を差し伸べてくださったのが、石川御導師だった。先住が御遷化になられてから半年にも満たない秋、石川御導師は名古屋に私を呼んでくださった。そして、わざわざホテルまでお越しいただいて、優しく、親しく、ご教導くださった。ご自身が住職に就任した時のこと、御7回忌が済むまで思い出そうとしても何も思い浮かばないほどだったということ、とにかく頑張って精一杯のご奉公をするしかないということなど、言葉以上に若輩を気遣ってくださるお心が嬉しく、今だに感謝してもしきれない。「お寺の大小を比ぶるはアホ。自分のお寺にどこに出しても恥ずかしくない、本物の佛立信者が何人いるかが勝負です」と教えてくださったのは石川御導師である。一つ一つのお言葉を、私は実践しているに過ぎない。そうした尊い先輩のお言葉を、ここで書いているに過ぎないのだ。
 名古屋の石川御導師は、私の妻に対しても、妻が涙するほど有難い言葉、ご教導をしてくださった。今でも妻は石川御導師に感謝している。いつか、ご恩を返さなければと思っているのだが、まだまだ私が未熟でそこまで至らない。申し訳がない。

海外弘通はドサ回り?

 シンガポールから無事に帰国し、久しぶりに子どもたちと会えた。この一週間、横浜も大変な炎天下だったようで、長男はお寺のプールに1日2回も入っていたらしい。綺麗に日焼けしていた。
 次男も、ほんの少しの間なのに成長した様子。しっかりと物を手で掴めるようになった。
 昨日、空港には姉の千延が迎えに来てくれていた。高速が気持ちいいくらい空いていて、あっという間にお寺に到着した。本堂の玄関に車が入っていくと、なんと30~40人の方々が待ってくださっているではないか。大勢の方にお迎えをいただいて、さらに拍手で迎えてくれるなんて、気恥ずかしかった。松風会の文化祭の準備や、子どもたちのプールもあるから大勢の方々がおられたのだと思うが、こうした暖かい出迎えをしてくれる妙深寺。本当に感謝、感謝。
 夏期参詣も無事に終わった。特筆すべき方々がたくさんいて書ききれないが、是非とも書いておかなければならないと思うのはお参詣とご奉公に気張った根岸さん。本当に辛い病気を乗り越えて、よくぞよくぞお参詣とご奉公を続けてくれた。彼女を支え導いてくださった黒崎さんには感謝しか浮かばない。
 Yaccoさんは、39日間の「サンキュー・参詣」を、一日も休むことなく続けられた。本当は40日間だということだが、なかなか出来ることではない。入信以来、ほんの数ヶ月の中で、あれよあれという間だったので大丈夫か心配していたこともあったが、やはり彼女は本物だった。今日は実家に戻られてご回向されていることと思うが、ご先祖の方々は本当に喜んでおられると思う。それこそ、彼女の39日間は、本物のご回向の日々だったのだから。ここには書ききれない方々がおられる。本当に頑張ってくださった。シンガポールから本堂にメッセージを送らせてもらったが、夏期参詣の最終日を「スタート」のような気持ちで迎えてもらいたい。今日からがスタート。また本当の勝負。お互いに支え合い、励まし合って頑張ろう。
 飛行機の時間が迫る直前まで、セレモニーに出ていた。帰国便は23:30なのに、21:00まで会場にいた。ギリギリまでのご奉公になってしまった。そして、なんと私たちは会場が満員で着替えをする場所もなかったので、御衣のまま駐車場に下りた。
 ステージの裏に着替えが出来る場所があったのだが、セレモニーの途中で会場を後にすることになっていたので、そこで着替えてしまうと飛行機に乗る普段着で会場の真ん中を歩いていかなければならず、私たちは御衣のまま駐車場まで下りてきたのだ。
 その駐車場の中で、福岡御導師と私は、着替えた。これは映像に収めたいなぁと思って、思わずビデオを回した。まるで「情熱大陸」である。これも海外弘通の一面だ。
 ステージの上で上行所伝の御題目を、満員の参加者にお伝えし、共に御題目をお唱えしていただいた後、割れんばかりの拍手をいただいて、ご本人は汚い駐車場の、裸電球の下で御衣を脱ぎ、誰のお給仕も受けずに下着になって、一人で御衣をたたみ、荷物をギューギューにトランクに詰め、そして急いで空港に向かう。
 福岡御導師は、「こりゃー『ドサ回り』か『屋台の流し』か分からんなぁー」と笑っていた。豪快。猛烈。海外弘通の厳しさ、愉快さである。格好つけていても意味がない。よく誌面を飾る「格好の良いシーン」は、数多くの失敗のほんの一部でしかないのだから。こうしたご奉公の経験が有難い。もう、何も問題ではなくなるし、怖くもなくなる。プライドもへったくれもあったもんじゃない。とにかく、上行所伝の御題目をお伝えするのみ。
「当宗は 蓑きて笠着て鍬かたげても 法さへひろめりゃ菩薩行也」
 開導聖人は、実に尊い御教歌をお示し下さっている。「格好つけんな!」とお示しになってる。とにかく、御題目を弘めよ、伝えよ、と。
 ありがたい。また、勉強させていただいた。
 今日から名古屋、京都、そして明日は長松寺の御総講。そして、そのまま横浜に帰山し、16日10:00からは横浜妙深寺で御総講である。

2007年8月12日日曜日

『三宝』の誤解について

 アジアでのご奉公で耳にするのは、三宝帰依の詠唱である。『三宝を護持する』という修行は、仏教の原点の一つであり仏教徒であればまず間違いなく教えていただくから、これこそ全仏教徒の共通項であると言える。現に、この一点で、仏教諸宗は集うわけだし、大きな仏教徒の国際会議でも最後は「ブッダンサラナンガッチャーミ、ダンマンサラナンガッチャーミ、サンガンサラナンガッチャーミ」と唱えている。

 この三宝とは、日本に於いて「佛」「法」「僧」と訳されて、親しまれている。「ぶっぽうそう」という音を聞けば誰彼と無く「あぁ、聞いたことがある」と思われるのではないだろうか。身延山のケーブルカーなどに乗ると、鳥の名前として「ぶっぽうそう」が紹介され、同時に「三宝」についての説明がある。

 しかし、上記に書いた(正しいか分からないが)帰依の詠唱の三番目は(サンガン~の部分)、「僧」ではなく「僧伽(サンガ,ソウギャ,संघ, saMgha)」と詠んで、帰依を表明しているのが分かるだろうか。つまり、日本でお馴染みとなっている「三宝」の中の「僧」に当たる部分は、ただ一人の「僧侶」を差すのではなく、ブッダの教えを清く信奉する「集団」「僧伽」と、本来的に幅広い語彙を持っていた。

 この「三宝」の本来の意味を見失い、僧侶が完全にブッダの御本意から逸脱したり、「僧伽」を離れて独善の境地に立つだけであったりすれば、それは「三宝」の中の「僧」には当たらない。そうした「僧」が「三宝帰依」という仏教の原則を持ち出して、「私を敬うべきである」と言い出すから大きな問題となるのではないか。

 石原慎太郎氏が、「法華経を生きる」という著書で、三宝に帰依しろというが「仏」と「法」は分かる、しかし「僧」だけは分からない。今の世の中の坊主を見てみろ、あれを敬う気持ちになれるか、というようなことを書いていたが、三宝の中の一つとして「仏」「法」と並んで立てる「僧」がいるかといえば確かに難しい。一人一人を見れば、あくまでも凡夫でしかないのだから、簡単に「仏」と「法」に並び立てる「僧」を見つけ出すことはできないだろうと考える。

 原典は「僧伽」である。ブッダの御本意を守ろうとする「僧伽」「宗団」に対して、どれほど帰依の心を持ち、僧侶も信徒も一体となっているか。ここが大事なのではないか。「破和合僧(三逆罪の一つ)」という戒めもある。和合する僧伽から離れて、一人の仏道修行者として帰依に耐えうるか否か。それこそブッダの教えを独自に解釈するだけの「一人」の「僧侶」であっては修行にならないこととなり、三宝の帰依に当たらないのではないか。

 また、「僧伽」を司る者にとっては、如何に正しく、御仏の御本意に忠実に、素直正直に「僧伽」を守るかが至上の命題となる。「異体同心でなければならない」とは、この僧伽を守るための教えに他ならないのではないか。

 ただし、お祖師さまは、一般的な「三宝帰依」というブッダの教えの、さらに奥の敬い方、ご信心を明確にお諭しくださっている。

「三宝の恩を報ぜよ」上野殿御消息

「ひとへに父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国恩をほう(報)ぜんがために身をやぶり命をすつれども、やぶれざればさてこそ候へ」報恩鈔

と全世界の仏教徒が共有する大原則をお諭しくださる一方で、より深く「三宝護持」の「三宝」について考えてみるべきであるとする。

「三宝も世に在し、百王も未だ窮らざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたる。是れ、何なる禍(とが)に依り、是れ何なる誤(あやまり)に由(よ)るや」立正安国論

 上の御妙判のように、「三宝」を敬うといっても、なぜこれほどまでに人々が苦悩し、世が混乱の度を深めていくのか。そこに、どのような間違いがあり、習い損じがあるというのか、と疑義を提示されておられる。

「又佛、菩薩を信用せずんば何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱ふやと責むべきなり」諸宗問答鈔

「本より辺域の武士なれば教法の邪正をば知らず、ただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに、自然としてこれを用ひきたりて、やうやく年数を経る程に、今他国のせめをかうぶり(蒙)て此国すでにほろびなんとす」本尊問答鈔

「かゝる悪僧どもなれば、三宝の御意にもかなはず」祈祷鈔

 同じように「三宝」を敬うとしても、その「三宝」の「邪正」「当体」を知らないで、「崇めるべきだ」と思うばかりでは、真の御利益は無いとお諭しになっておられるのであった。

 ブッダ(御仏)、ダルマ(法)、サンギャ(僧伽)について、しっかりとブッダの御本意に沿わなければ、ただ詠唱するだけでは本当の利益が無いことを知らなければならない。

『相似の謗法』について

 明日、時間があれば、「相似の謗法」について書かせていただきたいと思う。

 というのは、私たち佛立信者は、非常に『謗法』について厳しく教えていただいている。私の記事を見たり、他宗の僧侶と一緒に映っている写真を見て、謗法観念が薄れてしまっては申し訳ない。

 私は今でも鳥居などはくぐらないし、それを避けようとしている。観光で他宗の寺院を訪れることもしないし、通常そうした場所に近づくこともしない。

 開導聖人は、『相似の謗法』についての御指南に指摘されているとおり、たとえ観光であっても他宗の神社や仏閣を訪ねることは「信じていない」から「謗法」ではないけれど「謗法に相似たり」で『相似の謗法』とする。しかしながら、「広宣流布(上行所伝の御題目を広く流布する)」の思いがあってする場合はこれに当たらないと仰っている。

 最後の段に於ける開導聖人の御指南は重い。このことを、少しだけご披露しておきたい。

2007年8月11日土曜日

仏教ルネサンス

 上座部仏教は、ある意味で変容を遂げようとしているし、遂げなければならないと思っているようである。

 近年、上座部仏教の中に、ある大きな流れを生み出しているのが、「社会行動仏教」と呼ばれる潮流であり、「開発僧」の存在である。私たち日本人が知っているように、「大乗仏教(大きな乗り物を意味し、大勢の人が救われるという意味で使われてきた)」に対して「小乗仏教(「大乗」に対して小さな乗り物を意味し、その教義が示すように特定の修行をしなければ救われることはないとする仏教の総称。特に南伝仏教にこれを当てていた)」と呼んできた「上座部仏教(仏教が「根本分裂」した原因とも言える僧侶への教えを信奉する集団に伝えられた仏教」は、その本来的な活動から脱皮しようとしているのであった。

 長い間、日本の私たちも含めて、上座部仏教はタイなどで見られる托鉢の僧侶をイメージして語られてきた。彼らの根本的な教えを紐解けば、出家剃髪した僧侶と在家信徒の間には大きな壁が横たわっており、在家信徒は僧侶に対して布施をし、外護することを修行とし、僧侶は自ら成仏の果報を得るために修行を重ねる、というものである。実際、根本的な教義として、僧侶は成仏の果報を得られるが、在家信徒はそこまでの果報は得られない、と規定する。僧侶の得る「利益(ベネフィット)」と在家信徒の得られる「利益」には完全な隔たりがあった。悪い言い方をすれば、僧侶は救われるべき存在であり、在家は俗世にまみれており僧侶に布施する「しか」功徳の積めない存在とされているのである。

 一方、ご存じの通り大乗仏教はその「壁」を本来的に持たない。「本来的に」とあえて使うのは、大乗仏教とて、功徳を積む修行として全人生を「御法」や「ブッダ」に捧げるという意味で「僧侶」となって修行することは大変に尊いことと説く。しかし、成仏の果報、ブッダの教えの下に得られる根本的な「利益」としてはその「差別」はなく、「同じ」とするのである。故に、本門佛立宗の佛立開導日扇聖人は私たち僧侶の出家得度を「便宜剃髪」とお示しになった。これは、はっきり言えば、「便宜上、髪を剃って教導職に就く。ただし、成仏の果報は同じである。うぬぼれるな」とお諭しになっているのである。

 このように、本来的な意味に於いては大きな隔たりのあった上座部と大衆部、小乗と大乗であったが、近年になってアジア各国で小乗仏教(上座部仏教)の僧侶らが、村に下り、街に入って救済活動を行うようになった。そうした社会的運動のことを「社会行動仏教」と呼ぶようになり、それらを総称して「仏教ルネサンス」と呼ぶようになった。ナショナル・ジオ・グラフィック社でも「仏教ルネサンス」と表紙に題して特集を組んだほど、近年これらはアジア発として全世界で盛り上がりを見せているのであった。

 今回、私はその中心に入って、これほど詳細に「社会行動仏教」を取材できるとは思っていなかった。スリランカでは貧窮する農村を救済するため、先駆的な「開発僧(社会行動仏教を支える僧侶ら)」が「サルボタナ運動」を始めたのだが、現在はスリランカを離れて日本やタイ、このシンガポールでも活動を活発に行っている。

 彼らには彼らなりの使命感があって、仏教復興と世界の平和、人々の救済を目的としている。それは、私たちがイメージする「上座部仏教」のそれとは大きく異なる。

 今日、スリランカ僧がシンガポールに開設した寺院を訪れた。しかし、そこは寺院というよりも普通の民家であり、住宅街の真ん中に位置しているレンタル・ハウスであった。中に入ると、スリランカ僧が小さな手作りの部屋の中で経を唱えていた。いわゆる、「チャンティング(口唱・詠唱)」である。その前に信徒と家族がオレンジ色の糸を持ちながらひれ伏している。その外側にも僧侶が座っており、同じように口唱していた。

 しばらくの間、私たちは近くの部屋でお茶をご馳走になっていたのだが、ゆっくりとした詠唱になるのを見て、ホールの近くからその模様を見させて頂いた。通常、詠唱がゆっくりになるというのは、セッションが終わることを意味しているからである。

 詠唱が終わった後、本人と家族に僧侶から説法があった。つまり、いま行われていたことは、あの病気の人を救うためのセッションであるというのである。その説法の内容は(驚くべきことに)、「朝と夜に三宝に帰依すると唱えなさい。しっかりと5戒を守りなさい。21日間、肉食を止めなさい。すでに、呪いは取れました。呪いを行った者に全て呪いは戻るのである。今までのことは、全て忘れなさい。そして、今日から生まれ変わりなさい」というものだった。

 続いて、家族は、それぞれが肩に手を乗せて、家族一体となった形で水を容器の中に注ぐ。その間、僧侶らは詠唱を再開する。その後、特別な水(まるでお供水)を僧侶から授ける。厳かに本人がコップを受け取り、僧侶の前で飲み干す。さらにその後、僧侶が水をひたした払子(塵を払うために使われるような仏具)を信徒の頭に向かって降り、彼女の頭に水をまく。まるでキリスト教のエクソシスト(悪魔祓い)が「聖水」を振りかけるように。

 続いて、日本の若者にもお馴染みの「ミサンガ」のような細い色つきの糸の束を手首に巻いてあげていた(これには驚いた。「ミサンガ」はヒンドゥーのお守りというイメージが定着していたのだが、ブッダ以来の伝統的仏事を継承するとされるスリランカ僧らがそれを使用していたとは)。また、詠唱の際に使っていた毛糸のようなものを切って輪を作り、それを本人の首にかけてあげていた。

 それらのセレモニーを受けた本人と家族は、最後に僧侶らに三宝に帰依することを意味する詠唱を行った。それで一座の法要が終わったのであった。

 さて、これらの一部始終を私たちは見ていた。ビデオにも収めさせてもらった。
 もちろん、単純に「勉強になった」などと言うつもりはない。しかし、スリランカ仏教は、あの国に残されている生態系と同じように、2500年の間、仏教を冷蔵庫に入れていたように守り続けていた国であり、仏教集団である。その彼らが守り続け、現在行うようになった衆生救済の方法(手法)の中に、私たち本門佛立宗の行う病者への「祈願」、苦悩する人のための「お助行」、「お供水(本法開眼功徳水)」をいただく、いただかせる、という意義など、さらに深く理解することが出来るようにも思う。北伝仏教の果ての日本。そこで仏教を信仰する私たちが、誰かの思いつきで始めた修行などではないことを、当然ながら知ることが出来る。

 同時に、本門佛立宗は「Primordial Buddhism(根本的な仏教)」と言われる。視点を変えれば、私たちの根本的な仏教と修行を、形を変えて上座部仏教が行わざるを得なくなったとも見て取れる。上座部仏教は模索しつつ社会の中で活動している。彼らが変わったのである。変わらざるを得なくなった。それは、上行菩薩が本仏釈尊から直取りに最も尊いマントラを拝領し、私たちに授け、具体的な行動に移せる形態として受け継がれている「Primordial Buddishm」の「修行(Practice)」の中に生きているということを知らないがために、別の経典を詠唱し、水を使っているがヒンドゥーの秘術のようになったり、「研究開発」しながら、新しい法要儀式を作り上げながら、村や町に入っていかなければならないと考えられる。

 その法要の後、私たちはスリランカの長老や僧らに囲まれて、また交流を行った。図らずも今日このような法要を見ることになったが、それを通じて新たな「お折伏」の糧を得たことになるし、彼らにも私たちのいただく修行と衆生救済の実践を知っていただかなければならないのだから。

 そして、明日は私たちが法華経の教えに基づく御題目口唱の実践と、その意義について詳しく紹介する。そして、彼ら自身に上行所伝の御題目を唱えていただく。全ての仏教は、Primordial Buddishmに統合され、御題目口唱という修行の一点に戻ることが大切である。しかし、それを実現するためには、まだまだ時間がかかるし、ある意味で「社会行動仏教」の在り方を、さらに深く洞察すべきであろうとも思う。いずれにしても、一方的で、独善的なスタンスでは、何も生み出さないのだから。

 彼らが、日本にまで来て活動し、そして多くの日本人が上座部仏教の彼らに期待を寄せている原因の一つには、日本の仏教団体や僧侶らが、葬式仏教となって衆生を救済することを忘れ、帰依を失っているからである。衆生と向き合うことを忘れた僧侶、儀式尊重型の仏教教団と僧侶、伝統しか残されていない仏教団体、観光寺院と化した寺院とそれを管理する者たちは、アジア各地で立ち上がっている上座部の僧侶らの脱皮から刺激を受けなければならないという側面もある。

 かといって、私たちの教えでいえば、「随他意(人々のニーズばかりを見て、ブッダの御本意や教えを曲げること)」になってしまったら、単なるパフォーマンスになってしまうのだから意味はない。 教・行・証の三つを、正しく継承し、歴史的にも現在でも、教義の上でも実践の面でも、全ての意味に於いてブッダの御本意と合致しなければならないのだから。それこそ、本化上行菩薩よりいただいた本仏釈尊の建立せられた本門佛立宗の使命、「お折伏」であろう。それ以外は、やはり迷っており、苦しみを深めることになると考えられる。

 やはり、上行所伝の御題目のご信心に、全ては極まっているのだという感慨を強く持つ。「社会行動仏教」の担い手は私たちでなければならず、「仏教ルネサンス」の中心には本門佛立宗があると確信している。

佛立宗とは釈迦独尊の所立の宗

 私たちは、本門佛立宗のご信心をさせていただいている。「本門」はブッダの説かれた「法華経」の、「本門(ブッダが普遍的な存在を自ら明らかにされた後に説かれた部分。法華経の後半)」の教えに基づいているという意味であり、「佛立宗」とはその名のとおり「久遠本仏によって建立された宗旨」であることを意味している。

 この名は、全世界の方々に説明するだけでその意義が会通してしまう本当に尊い、妙不可思議な名前である。しかも、後世の人間が勝手に付けた名前ではなく、約750年前に上行菩薩後身・高祖日蓮大菩薩(お祖師さま)が命名下さっているのだから、妙不可思議も極まっている。

「法華宗は釈迦所立の宗なり。其故は已説、今説、当説の中には法華経第一なりと説き給ふ。これ釈迦佛の立て給ふ所の御語なり。故に法華経をば佛立宗と云ひ又は法華宗とも云ふ。又は天台宗とも云ふなり。故に伝教大師の釈に云く「天台所釈の法華宗は釈迦世尊所立の宗」と云へり」

「当に知るべし、今の法華宗とは諸経中王の文に依つて、之を建立す。佛立宗とは釈迦独尊の所立の宗なる故なり」

「天台法華宗は佛立宗と申て佛より立られて候」

「経に云く「於諸経中最在其上」。又云く「法華最第一」。伝教大師の云く「佛立宗」云云」

「佛立宗 世尊法久後要当説真実」

 英語に翻訳しつつ、この名前とその説明を聞いただけで、私たちの信仰の意義を多くの海外の、仏教に精通する方々に分かっていただける。極東の仏教では、実在のブッダを軽んじて独特の教義を展開した故に、南伝の上座部仏教とは決して相容れないものもある。ブッダそのものの存在を否定したり、あり得ない教義になっていることが明白なものもある。

 もちろん、「仏教」という大枠で一括りにすることは、出来ないこともないし、世界平和への協調のために日本にある新興教団が仏教の名の下に集うこともある。しかし、世界情勢に対して「仏教」の名の下に集うことは大切かも知れないが、「ブッダの本意がどこにあるか」「ブッダの希求する平和を実現するためには、どのような方法が適しているか」ということについて、教義として本当の交流をすることは出来ないのではないか。

 単に、排他的な新興宗教のグループでもなく、完全に仏教3000年の伝統と決別したグループでもなく、宗旨や教義を蚊帳の外に置いて平和活動を提唱する新興宗教でもない。それが、本門佛立宗であることを、私は誇りに思うのである。

仏教の新しい夜明け

 シンガポールでのご奉公も、残すところ後1日となった。

 昨日の昼には、Ven. Dr. Galle師と、八王子に住んでおられるダンミッサラ師と大石師、現地のご信者らとお会いして昼食を共にした。また、どうしても夕食を御供養したいとのことで20:30にホテルに迎えに来られる言われ、ホテルのロビーでお待ちしているとシンガポール・エアラインでキャビン・アテンダントをしておられる女性信徒、Kamani女史が迎えに来てくださった。

 案内されるがままに、どのような場所で食事するのか分からなかったのだが、「現地で最も美味しい食事です」とイースト・コーストの海岸近くに林立する屋台村のような場所に連れて行ってくださった。

 そこに、現地の壮年信徒であるVaruna氏と大石師が合流して、夕食を共にさせていただいた。屋台で席に座る前、イースト・コーストの海を見せてもらった。昼間はインドネシアの島々が見えるという。「シンガポールの夜の海が明るいのです」という彼女の言葉どおり、夜は暗いはずの海がシャンデリアのように明るい。タンカーが停泊し、その明かりが点々と灯っている。

 Varuna氏はレストランを経営していたが、スマトラ沖大地震と津波被害をサポートしようと、年に3回くらい支援活動のためにスリランカに行ったという。シンガポールで育ったために、スリランカの暗い海が怖かったと言っていた。

 彼らは御供養を大変大切に考えており、私たちに屋台で食事を買うことを許さなかった。自分たちで走り回って、シンガポール特別の料理を選んで運んできてくださった。

 それは、東南アジア特有のスパイスが効いていて、とても美味しいネイティブの料理。本当に、不思議と美味しかった。特に、私はタイ料理などに入れられる「パクチー」という香草が苦手だった。タイに行った時も、最初に覚えた言葉は「マイサイ・パクチー(パクチーを入れないで)」というものだった。しかし、このシンガポールの現地料理で驚いた。パクチーが食べられる。美味しい。不思議だ。あれだけ苦手だったのに。

 嬉しいことは、本当の意味での仏教による東西交流が始まっていると実感できることだ。夕食の話も、北伝仏教と南伝仏教といわれるものの融合を考える貴重な機会になる。この融合は、ほんの数十年前に始まり、いま頂点を迎えていると言っても過言ではない。まだ始まったばかりなのだ。

 そして、多くの文化的な壁を超えて、ブッダの御本意を模索している。日本の仏教の抱える課題、南伝仏教の僧伽や僧侶が抱えている問題を共有し、それ以上にブッダの教説について御本意を求めていく。思わぬ反省点も見つかり、思わぬ教えの上での優位性にも気づく。

 たとえば、南伝仏教の僧伽や長老たちの多くは、日本でポピュラーとなっている『般若心経』を批判する。ブッダの教義にそぐわない、あり得ないと批判する。そして、その教説をアビダルマ教学などを持って批判解説した上で、般若心経が最後に陀羅尼(呪文)で結ばれることにさらに違和感を覚えるという。そうしたスリランカや東南アジアの僧伽や高僧たちの意見は、私たちにとって新鮮ですらある。

 法華経はどうか。もちろん、彼らの様々な見解も聞く。しかし、彼らは法華経を批判しない。なぜなら、法華経(サッダルマ・プンダリーキャ・スートラ)は、多くの大乗経典群の中でもサンスクリット以前の南マガダ国(ブッダが生きた国と地域)の言語で書かれており、同じ大乗経典である華厳経などよりも古く、スリランカですら尊ばれている経典であるからだ。しかも、その教説は古くから南伝仏教の中心的役割を果たしたスリランカでも受け入れられ、歴史的にもアヌラダープラなどでは経典の頂点に置かれていたからである。

 こうした東西南北の仏教交流は、近年ようやく草の根的に始まったと言って良い。特定の宗派によって創設された大学の僧侶、あるいは「学者」の交流ではなく、草の根的であることが貴重である。そして、新しい時代の幕が開き、ブッダの御本意が明らかにされ、お祖師さまの一天四海皆帰妙法の祖願が次のステージに入ると思われる。

2007年8月10日金曜日

佐野富雄氏のブラジルでのスピーチ

~佐野富雄氏の著述 「私のあゆみ」から抜粋~

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 小田原・法正寺の佐野氏は、当時御住職をされていた日博上人の強信者として、法正寺創立以来ご奉公された方である。

 横浜・妙深寺、小田原・法正寺、相模原・妙現寺の御住職をされていた日博上人は、体調を壊しておられたにもかかわらず、生涯もう一度ブラジルのご奉公をさせていただたいと決定(けつじょう:決意されること)された。日博上人の御師匠でもある当時の御講有・15世日晨上人に、遠いブラジルでご奉公している佛立教講をご覧いただくことと、臨終を前にご自身が現地のご信者に生涯の御礼を申し上げるためにブラジル行きを決断されたのだった。その際、強信者であった佐野氏も、身命財を投じて御導師に随行すると申し出た。

 佐野氏は、鈴木製餡所という神奈川県では大手の製餡業を営まれており、その社長を勤めつつ神奈川県製餡協同組合の理事長も歴任した。しかし、このご奉公のために家業を休み、ブラジル行きを決断したのである。

 案の定、日博上人は生涯最後のご奉公となり、時を経ずして帰寂された。しかし、こうしたご奉公によって、15世に同行した18世日地上人とブラジルのご縁がはじまり、ブラジルの今日までに至る礎を築くことが出来たとお喜びになっていると確信する。日博上人は常々、18世にブラジル弘通への支援について期待を寄せておられたということが文中にも明記されている。

 ここに掲載された文章は、佐野氏自身が出版した自分史「私のあゆみ」の中に所収されていたものである。文中にもあるが、当時のブラジルは大変なインフレであった。講有巡教であるというのに予定も決まらず、御有志も集まっていなかったという。日博上人の思いとは裏腹に、ブラジルの教講はインフレの前にご信心を鼓舞できていなかった。第二回目となる講有巡教そのものの計画経緯も理由の一つだったと思われるが、それにしてもご信心が立っておらず、ある意味ではブラジル第一回巡教前後の「勝ち組、負け組」の問題よりも重大な局面であった。

 そのような状況の中、佐野氏が日本の信徒を代表して、ブラジル信徒に呼びかけている姿は、涙無しでは読めない。ご自身が御導師を思う気持ちと、ご信者として御導師を外護しようとする気持ちが、全て表れている。ここまでご信者がお話くださるということに、後世の私たち佛立信者は驚きすら感じるし、日博上人門下に続く私たち教講としては恥ずかしくすら思う。海外へのご弘通ご奉公に随行し、ここまで現地の方々のご信心を鼓舞し、ご奉公される御導師を立て、護れるご信者が現在何人いるだろうか。観光旅行などではないのだ。

 ブラジル開教100年の記念すべき時に当たり、ブラジル弘通の歴史を語る貴重な資料として、ブラジル教講に紹介したいと思う。
                                     長松清潤拝、
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「海外ご弘通(ブラジル行き)」

 昭和三十九年八月、私は日博上人の御供をして遠くブラジルの地まで行くことになった。

 目的は御講有のブラジルご巡教の先き触れとして、御講有一行より一走先にブラジルへのりこみ、御講有ご巡教に手落ちが無いよう、準備に当たることと、遠い異国で、仏立宗ご弘通に邁進されている現地の方にお礼を申し上げることの二つであった。

 当時、日博上人は、ご奉公の過労から身体をこわされていたが、御講有に、折角下種が成就、法灯がともり続けているブラジルを親しく偵察していただきたい。お願いする以上、ご巡教が首尾よく成果をあげるように、万が一にも手落ちがないようにとの一念から、病躯に鞭うたれて渡伯されることになり、局長の私がお願いしてお供をすることになったものである。

 八月十七日夜羽田を出発、十九日ブラジルに到着した。

 二十一日サンパウロ市の日教寺へ着き、旅の疲れをいやすひまなく、四時十五分よりブラジル全信徒の歓迎会にのぞみ、そこで上人がブラジル到着第一声として「南無妙法蓮華経。信仰」という講演をされ、全信徒に多大の感銘を与えられた。
 次いで二十五日の御総講で、妙講一座の御講話のあと、挨拶がてら私がお話しさせていただいた。
 以下に記すものが、その時の話の全内容である。

『 妙法蓮華経に南無して 』

 ブラジルのみなさんありがとうございます。

 お導師のお伴をして無事にここに着きまして、皆さんに親しくお目にかかる事が出来、一緒に唱題し、お話を伺い、且つお話をすることの出来たのを、私は一生の光栄、一代の思い出とさせて頂くことが出来ます。

 ところで私も少しばかり皆さんにお話を申しあげたいと思います。と云うのは、「南無妙法蓮華経。信仰」この講話をお伺いいたしまして、私は痛切に感じるものがございますので、一言お話を申しあげたくなったのであります。

 皆さん、私達のお導師日博上人はご承知のお方もいらっしゃるでしょうが、本当に少年時代に、すでに大病で医者から死の宣告を受けられた身の上でございます。

 それをお母さんが命がけで、信仰に励まれる。「他の子供は束になって死んでも、この子だけは助けなければ」とお百度を踏み、夜中お詣りをなされたのだそうであります。そのお母さんの慈愛と、このご法の尊さで、遂に不治と言われた大病を克服し、全快をさせられたのであります。それで得度をするようにと言われたのだそうでございます。

 ところがお導師はお寺とお坊さんが大嫌いであったそうでした。というのは、叔父さん二人が禅宗の方の相当のお寺のご住職をしていらっしゃるので、時々お客に行く。そしてご馳走になる。それは好きなのです。けれども、お寺と、坊さんの姿が根から嫌いであったと言うのであります。それで何んとしても承知しなかったのを、強烈なお折伏を頂きましたところ、このご法で命を助けて頂いたので、「ではこのご法のため佛立の教務ならば」と、言うので遂に大正十五年得度をせられ、以来命がけで行学に励み、ご弘通に気張られたご導師でございます。

 東京の乗泉寺でも最弱年の青年教務として、ご奉公に励みながら、或は薫化子供会、或は婦人会に、又は青年会の参与として、大いに成果を挙げ、ご奉公経歴を積まれるばかりか、殆ど全東京にわたって責任講師としてのご奉公を遊ばされました。そして昭和三年には早くも会津の若松を開発し、昭和七年熱海では寺院建立を創立の御奉公にあたり、後に房州で御奉公をし、昭和十五年には宗門から選ばれて、内南洋のサイパン・テニヤン・パラオの方面のご弘通に出かけて、対外的にも講演会等で大いに気を吐き、官庁に交渉して、寺院設立の認可と土地の払下げも受け、一寺建立の基礎を築いて来られる等、早くから内外ともに活動して来られた方でございます。

 昭和十二年、日住上人のお弟子顕事師のあとを受け法正寺を受け持ち、昭和十九年横浜妙深寺担任、後、相模原の妙現寺も兼務して、三ヶ寺共々今日の隆盛の基礎をきづく一方、早くも昭和二十五年には、一実新聞を発行し、又国立箱根療養所の精神指導や社会福祉法人「ゆりかご園」の設立に努力して理事となり公益事業に尽くす等々、八面六臂のご奉公に日夜命がけで、昼寝、夜寝ず、時を定めないご奉公をなさいまして、一宗尊敬の的、全国教講の憧憬するところとなっておられたお方でございます。

 ところが、昭和三十年には梶本猊下の随伴をして、ブラジルへおいでになりましたが、その時の事は皆さんの方がよくご承知でございます。その渡伯の、実は三年程前に、余りのご無理がたたりまして、左の方の眼が眼底出血で殆ど見えなくなってしまいました。その時にドクターから休養するよう、療養するようにと喧しく言われたのであります。「眼と言うものは元が一つである。ほっておくと今度は右に来る。

 右に来ればもう盲目になるから」と言われたのが、片方の眼が見えるために、若さに任せて、そのまま無理を続けて来たのであります。それが三十七年の春、突然右の方の眼が出血いたしまして、左は前に見えなくなっております。右の方は今度の出血で新聞も読めないと言う状態になってしまいました。この時即死か、ヨイヨイの半身不随になるところ竹の中の紙の一重の薄さで不思議と助かったものの、到頭昭和三十七年横浜中央病院に入院をしたのでございます。で昭和三十七年四月十六日から六月の三十日の二ヶ月半にわたって入院をし、一応退院をなされ、医者の言う通りの療養をして来られたのですが、一寸動いて又出血、仕方がないので又安静、一寸動いても又駄目、再三度の出血悪化のために、「これはどうしても再起は不能である。医者の言う通りやって来て、尚且つこの程度というのではもうすでに寿命が尽きたのである。今日まで自分の身に過ぎたご奉公を成就させて頂いて、思い残すことは何もない。これはもう臨終の、寂光へ還える支度をしておかなければならんであろう」とこう思われまして、秘かにお葬式の支度までなさったのでございます。

 そうしてご自分が亡くなった時に着る特別のご法衣、お弟子さん達のまごつかないようにと言うので、その時に着るお弟子さんの法衣からお数珠等まで秘かに注文していたとききます。

 そのような状況を見まして、驚きもし、困ったのは我々であり、もっと困ったのがお弟子さん方であります。それで野口正糺師が皆を代表いたしまして、「お導師は満足してお遷化になってもよいかも知れませんが、後に残った信者が困ります。弟子が困るではありませんか。お導師が作られたお寺でありますから、寝ておられても目さえ黒ければ誰もどうも出来ませんが、ご遷化になれば我々は四分五裂しなければなりません。」こう言って強くお願いをしたのでございます。

 するとお導師は「私は自分の事ばかり考えて、これだけの身に過ぎたご奉公をさせて貰えて、本当にありがたい、何も思い残すことはない。寂光に還らせて貰おうと思っておったところが、成程言われて見れば私が死んでも、後が路頭に迷わないだけの体制の出来るまでは…、成程そうか、そういうことになるのか、私が間違っていた。」と御宝前に懺悔をなされ、そうして我々にもそうおっしゃって、改めて増益寿命を、もう一遍命をのばして頂きたいと、必死のご祈願を遊ばされたのでございます。が、如何せん入院をし医師の言う通りにして、尚且つ限度が来ているので、どうにもならないのですから、そこで又例の負けん気で医学書とか生理学書とか心理学の本までも実にご不自由な眼で一心に漁りまして、勉強なさいました。そして他人には出来ないような或は食養生、或は治療を、世間の人が一つか二つやるのを十以上もやると言うようになさいまして、目方はあの太ったお導師が現在のような六貫目もやせるというような、身体の全体的作り替えまでなされたのであります。医者も心配をすれば驚くと言うような状況でございました。漸くこれならと言うところまで来られたのでございます。

 すると、三十九年二月ブラジルから辻本さんが梶本猊下のご遷化に対して、あのブラジルの「勲章」をお持ち下さいました。その時ご講有にお目にかかり色々とブラジルのお話をなさいました。初めてご講有も宗門要路の方にも最近のブラジルの仏立宗門の詳しい事情を知られました。うちのお導師も「これは大変だ。梶本猊下のいらっしゃらない今日、ブラジルに通暁してるのは宗門でも私一人になってしまった。又ブラジルの人が頼ってるのは、現在私一人である。それが私はこのような重病である。このまま死んでも死にきれない。」とこうおっしゃって、一心に辻本さんと努力なさいまして、遂に宗門が賛成をし、ご講有が決意を固められ、突然に渡伯することになったのでございます。

 梶本猊下以来初めての、否佛立宗門にとり、ブラジルにとり、現職のご講有の初めての渡伯が決まりました。

「ご講有程のお方に現地を親しく偵察して頂いて、胸に納めて頂き、又大阪清風寺のお導師程のお方に現地で引継ぎが出来れば、私はこの生命が死んでも信仰生命を生かすことが出来る、信仰生命を生かす為に我が命を懸けて願わなければならぬ」

と、こうおっしゃってその準備にあたられ、そして又ブラジルの皆さんがご努力をしておられますのに、お礼を申しあげる意味と且つ手落ちがないようにと、一足先にこうして飛行機で飛んでおいでになったのでございます。

 これは「途中でたおれても止むを得ない。先方へついてこのまま寝込んでも仕方がない。若し死んでも本望である。」とこうおっしゃって、誰の止めるのもお聞き入にならず出かけて来られたのでございます。これは全く妙法蓮華経に南無しての実践でございます。給仕第一、信心第一、師孝のお手本でございます。

 ですから、唯今の講演は従来もそうでございますが、皆さんが目の前にしておられる日博上人の身をもっての実践の口演でございます。又私がそれを何よりもよく知っているのでございます。そして達者な身体で行くのではないから、ご奉公で行くのであるからと言うので、私がこうやってついてまいりましても、

「実に気の毒だ。世界を一周することになり、欧州を廻って行くのであるから、もっと日程をとって見物し乍らいってもいいのであるし、又行きたいのであるけれども、私はご法のご加護を頂かなければ一寸も動けない身体、ご利益で今度のこのご奉公をさせて頂くのであるから、見物とか我が身の楽しみとか言うものを一寸でも考えたならば、忽ちご守護がなくなり、命がなくなり、ご奉公は出来なくなると思うのでそれは出来ない。どうか飛石のように飛行機で飛んで行くのであるけれども我慢をしてもらいたい。」

とこのようにおっしゃいまして、それで八月一七日の夜羽田を発ちまして、そのまま一挙にアラスカへ飛びました。それから北極を縦断いたしまして、オランダへでました。そしてバリーに着いて、初めてバリーに一泊でございます。それから次の日はローマに出てホテルに泊りました。このブラジルまで来ますのにホテルに泊ったのはたった二泊でございます。途中或はミラノで休憩をし、西アフリカのダカールで給水給油のため休憩はいたしましたが、夜の大西洋を一飛びして、こうしてブラジルはリオデジャネ―ロに着いて、サンパウロで皆さんに迎えられ、この日教寺に着いたのでございます。

 実に一七日に立ちまして、途中日付の変更がございますから、十七・十八・十九日の三日間でこのブラジルへ来てしまった事になるのでございます。

 皆さん、こんなもったいない旅があるでしょうか?

 又こんなにする人があるでしょうか?

 これが我が「一身」の事を思わず一重に法のため、宗のため、恩師ご講有を思い、そしてブラジルの皆さんのために、「させて貰わなければならない」 と、「妙法蓮華経」に我が身を「南無」しての「実践」とその「信仰」のあらわれでございまして、「私のお伴するあなたは気の毒だ。申しわけがない。」と、このように私にまで言われておられます。

 どうか皆さんには今日色々な立場の相違もおありでございましょう。又感情の対立もおありでしょう。腹の立つこともあり、嫌いな人、好きな人、且つ色々な問題もあるでしょう。けれども是非ご法の精神に添い、この実践の講演の前に、一切を、法華経の御宝前に奉ってください。妙法蓮華経に南無して唯今より白紙になって下さい。ここまでのお話は私達も日本におりましても未だ一度も伺ったことがありません。私はここへ来て初めて南無。妙法蓮華経。信仰の講演を伺って感銘したのでございます。私はこの講演をお聞きする事が出来ただけで、もう今度ブラジルへ来た一番の御利益を頂いた幸せを受けたと喜んでおるのであります。

 皆さんどうか腹の立つこと、立場の相違、色んなこともありましょう。けれども、我が命を法華経に奉る、妙法蓮華経、本仏に奉ると言うことになるとしたならば、もう何物もないのではありませんか。信仰に、ご本尊に南無させて頂いて、そうして日博上人のその行いに皆、見習って頂くとしたならば、出来ないことは何もないじゃありませんか。どうかまたご巡教日程も確定しておらないそうでありますけれども、そんな意味において現職のご講有の日程と言うものはこれ以上はとれないのでございますから、この前の梶本ご講尊の時とは違いますので、どうかゆずりあって、お互に他の人の立場を立てあって、全ブラジルのために協力して急いで日程をお作りになりますよう、又その費用の点がまだまとまっていないそうでございますけれども、どうか「我が命を奉る」と言うことになったとしたならば何で出来ないことがあるでしょうか。

 私も旅先でございますけれども、二〇〇ドルお手伝いをさせて頂きたいと、お導師にご相談いたしましたところ、「それは結構じゃ。私も二〇〇ドルだけさせて頂こう。」と旅先の、然かも受ける立場のお導師も二〇〇ドルだすと言ってくれておられます。どうか皆さんもそういう信仰、それほどのお方がいらっしゃったのに、後になってあれをすればよかった、こうすればよかったと言うことのないように、真の信仰、真の南無、妙法蓮華経。信仰になって、心からご信仰を成就したい、又ご功徳を積むご奉公成就をさせて頂こうと言うご信心前にならさして頂いて、よろこびと「志」とをもってする、お互いに気張らさせて頂きましてやることにいたしましょう。

 お導師のお話に、
「真の信仰弘通の精神で日程を作り、内外教化の方針でご巡教をして頂き、一宗の管長として絶対対外的方面からも笑われない、内の中からもご信者に罪障を作らせない、恥ずかしい思いを残さないように『かくあるべきだ』と言う点に力をおきまして、それで或時には最高のホテルにお泊まりになって頂き、或時にはご信者のお家にお泊まりになって頂く、もっとも奥地の辺鄙なところも経験して頂き、ブラジル全般と寺と信者のいいところも見て頂くと言うような日程を組みたい」
と、こうおっしゃっておりますから、そういう立場をご理解の上で、どうか皆さんよろしくご協力して下さい。

 足らないところはお導師が、
「横浜、小田原、相模原がついているので何等心配はいらない。財政の事は足りても足りなくても引き受ける。」
「然し、ご講有猊下のお徳をもってすれば自然に風になびく草の如くに出来るから心配はない、見ていてごらんなさい。」
と申されていられるのであります。

 皆さんよしや万が一、足らん事がありましても皆さんがありったけの志をだして頂けば、いくら足りなくてもかまわない、全部お導師が引き受ける。そして横浜・小田原・相模原で引き受ける。こう言ってくださっておられるのですから、皆さん安心じゃありませんか。是非一つ気張ることにいたしましょう。それでは後悔のないように一緒に皆で立上がりましょう。失礼を申し上げました。

 ありがとうございました。

 右のような私の折伏の結果、その場で、日博上人の二百ドル、私の二百ドルを合わせ、四百ドルができたので、遂にはご巡教の日程を組むこともでき、我も我もと申込者が出て上人ともども感涙に咽んだ。

 こうして、ご巡教にこと欠かないようになったばかりか、一人でご巡教の飛行機代を持たしていただきたいという人もでてきたり、ご信者でないタワバテのある市会議員は牛を二頭も引っ張ってきて、これで歓迎会を開いて下さいと牛二頭を提供、牛肉料理で盛大な歓迎会を開催して下さった。かくて、御巡教も多大の成果をあげることができたのである。

 これを思い、あれを思うと、今さらに、ご法の尊さ、ありがたさが身にしみいるのであった。

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 長文になったが、以上のような佐野氏のスピーチを掲載させていただき、来年お迎えするブラジル本門佛立宗開教100年の盛儀に当たり、ご弘通の歴史をご披露して報恩ご奉公の一助となれば幸いと考える。

国際仏教徒会議にて

 独立記念日に併せて開催された国際仏教徒会議は、スリランカ出身の僧であるVen. Dr. Golleの提唱によって開催された。

 規模としては決して大きくはない。しかし、タイやマレーシアなどアジアを中心として、様々な仏教団体が招待されていた。ブッダの教えが現代社会に必要不可欠であるという確信から、仏教諸宗の教えを交換し、混迷の度を深める世界に生きる一人一人の心の安らぎ、豊かさを与えるブッダの教えとは何か、平和を希求するブッダの教え、青少年の育成についてのアイデアを交換した。

 基調講演として冒頭に福岡御導師からのスピーチがあった。御導師は冒頭から、「世界各国でHBSの僧侶としてブッダの教えを伝えている中で感じたことは、何より大切なのはブッダの示された『修行』を世界に伝えるということである。仏教は単なる哲学ではない。研究室や図書館の中だけで語られるのが『仏教』ではない。『修行』があってこそブッダの教えであり、その『修行』によって世界中の人々を幸福へ導き、世界に平和を築くことが出来ると考える」と話された。

 続いて、「その『修行』とは何か。大きく分けて『瞑想』と『口唱』があるだろう。ただし、『瞑想』は主に脳(ブレイン)や心(マインド)を使い、個人の修行になることに対して、『口唱』は五体を使い、多くの人と共にすることができる。しかも、『口唱』を何のためにするかといえば、人のために祈ることが出来るのである」と話された。

 御導師は、私たちが良く御法門聴聞させていただくお話を、分かりやすく約20分程度お話になった。

 「一念三千」の意味について、私たちの身体の中に収まる細胞、そしてDNA。それは即ち宇宙そのものではないか。その宇宙と私たちは一体であることは、科学でも証明されようとしているし、既にブッダが説かれていたことではないか。そして、私たちの『思い』は、必ず他のものに影響を与える。

 筑波大学の村上教授は、『笑い』による糖尿病患者への実験を行った。日本で著名なコメディ・デュオを呼び、笑う前後で血糖値を計ると圧倒的に大笑いした後の方が数値が良かったのである。このように笑うということだけでも、身体に良い影響を与える。しかし、それだけではなく、村上教授は「実は、もっと可能性があるのは『祈り』ではないか」と仰った。人間の心の働きの中で最も尊く、強い『祈り』を題材にして実験したならば、もっともっと良い結果をもたらすのではないか、と。

 水ですら『思い』を受け取り、その影響によって結晶が変化するといわれる。特に、『言葉』によって実験は行われた。『良い言葉』と『悪い言葉』である。その結果は、明らかに違っていた。私たちの身体も、ほとんどは水で出来ていることを想起してもらいたい。では、如何なる『言葉』を使い、如何なる『思い』を使うべきか。

 私たちHBSは、法華経の教えに基づく『口唱』を行う。それは、最も神聖で、最も尊いマントラ、「ナムミョウホウレンゲキョウ」を連続して唱えることである。そして、それを他の人のために、世界の平和のために祈ることである。その教え、その『修行』を、実践的に世界に伝えることによって、確かに多くの方々が苦悩を乗り越え、平和が近づいていくことを感じるし、私は確信しているのだ。

 今日、このようにスピーチする機会を与えていただき、感謝する。世界に平和をもたらすのは、ブッダの難解な教えではない。もちろん、仏教には現代人が受け入れなければならない数え切れないほどの尊い教えがある。しかし、「教え」だけで完結していたら、誰が幸せになるだろうか。紛争、戦争、テロ、人種差別問題。正しく、尊く、シンプルで、誰にでも出来る『修行』が大切なのだ。『修行』がなければ何もならないということを提唱させていただきたいと思う。

 以上のような要旨のスピーチをされた。会場からの拍手がその後のスピーチとは比べものにならないくらい大きかったことを明記したい。そして、セレモニーの終了後は、多くの若者たちがスピーチに感激して質問を重ねたのであった。

The movie summary of Sri Lanka HBS activity in 2018.

The movie summary of Sri Lanka HBS activity in 2018. スリランカHBSが制作した2018年の活動をまとめた短編映像です。