2015年2月28日土曜日

如説修行ということ

御教歌                 平成二十七年一月 教区御講

妙法は折伏せねばひろまらず

故に三類あだみねたまん

佛立要義録(四)62オ・扇全二十九巻二二八頁

佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌で御座います。

 

十五世日晨上人が、この御教歌に大意を寄せてくださっています。

「妙法の弘通は、坐り込んでお客が来るのを待つようなやり方ではだめ。お客を見付けて進んで売り歩く積極性が必要、自然風当たりが強くなり同業者にも憎まれる、その覚悟が肝要、但し功徳多し。」

 

待っていてはダメ。本当のご信心が出来たら、邪魔も怨嫉もつきもの。

三類の強敵の前に、三類の弱敵に負けているようではダメ。

罪障消滅、定業能転の、まさに正しい佛立信行、菩薩行をさせていただこうと、勧め励ましていただく御教歌で御座います。

 

御教歌を再拝いたします。「妙法は折伏せねばひろまらず 故に三類あだみねたまん」

 

年頭、元旦の御法門では、今年一年は恋する人のように、「よろこび」や「うれしさ」を胸に包み抱いてご奉公させていただこうと申しました。

 

「未(ひつじ)辛抱」って。

きっと当たらないけれど、辛抱しているだけでは始まりません。

何のために辛抱して、何のために苦労しているかが大切。

ジッと待っていても、ダメなモノはダメ。自分の謗法や罪障にやられて、トラブルに巻き込まれ、病気になり、人に騙され、苦しめられ、泣いて、哀しんで、もがいて、一生を終えるなんて、こんな馬鹿なことはありません。

それは、仏教徒の人生、佛立信者の人生ではありません。

何もしなくても、人生いろいろありますよね。

だから、何のために苦しんで、何のために辛抱して、結果、どうなるのか、ということが大事。

 

病気で苦しむよりも、病気が良くなるために苦しむ。病気を治すために苦しむ方がいい。

罪障に振り回される苦しみではなく、どうせ苦しむならば罪障消滅のために苦しむ方がいい。

それが、ご信心です。それが、菩薩行、折伏行という生き方です。

それならば、苦しんだって、いいじゃないですか。むしろ、よろこんで苦しめるじゃないですか。

 

「妙法の弘通は、坐り込んでお客が来るのを待つようなやり方ではだめ。お客を見付けて進んで売り歩く積極性が必要、自然風当たりが強くなり同業者にも憎まれる、その覚悟が肝要、但し功徳多し。」

 

このご信心は、お折伏できるようになったら、ご奉公が成就する。誰かが来るのを待っているのではなく、自分から進んでさせていただくことによって、本物のご信心になります。

 

「妙法は折伏せねばひろまらず 故に三類あだみねたまん」

 

罪障消滅のご信心、定業能転のご奉公、お折伏を受けて、なお、お折伏のご奉公が出来るようになると、誰彼と無く風当たりが強くなり、怨嫉が出てくるものです。

法華経の歓持品、まさに「歓んで持つ」と題された御法門の中に、「三類の強敵」という相手が出てきます。

 

「三類の強敵」というのは、三種類の、法華経の行者の敵、「素直正直に励むご信者さんが遭遇する三種類の敵」という意味です。

 

まずは、修行する人を小馬鹿にする一般の人たち。仏教に無知で無関心。「悪口罵詈」と説かれていますが、悪口や陰口、暴言、時には暴力まで使って邪魔をしようとする人。

これを、「俗衆増上慢」と呼びます。

「増上慢」という呼び方は、分かっていないのに分かっている、自分の方が偉い、優れている、と思い込んでいる慢心した人のことを言います。

 

第二には、「道門増上慢」と言います。これは、お坊さんのことなんです。習い損じたお坊さん。だから、「道門」「同じ門」とあるんです。外見は仏弟子、お坊さんなのですが、心が曲がっていて、法華経の行者を迫害しようとする、邪魔をする。

ちなみに、「師子身中の虫の師子を食む」という教えがあります。

百獣の王ライオンは、敵無しだけれど、その身体に住む小さな小さな虫が百獣の王を倒す、という意味です。仏教も、「外道」、つまり仏教以外の宗教の人たちには敗れないけれど、仏弟子の中の間違いや慢心からダメにする者が出てくる、という意味です。

 

お祖師さまの『佐渡御書』という御妙判に。(『佐渡御書』昭定六一三)

「外道悪人は如来の正法を破りがたし、佛弟子等必ず佛法を破るべし。師子身中の虫の師子を食む等云云。」

とあるのはこのことです。

 

第三は、「僭聖増上慢」といいます。この人は、実は「上人さま」のことです。多くの人から尊敬を集めた聖者のような人ですが、実際には信心を失い、習い損じていて、人びとを間違った道に連れて行く。そんな人ですから、法華経の行者とは水と油、絶対的に反対の立場で迫害する。

この三種類の中では最後の「僭聖増上慢」が最も悪質で、手強い。

 

お祖師さまは、こうした三類の強敵を相手にご弘通ご奉公をなさったのですね。その御一生を振り返ると、本当に、この三種類の人たちがいて、それぞれがお祖師さまのご奉公を邪魔する。

最終的には、やっぱり「僭聖増上慢」が一番ひどい人で、お祖師さまの命まで狙うんです。でも、それは出来なかった。おはからいでした。

 

さて、お祖師さまとは違いますから、私たちがこうした「三類の強敵」に遭うというのはなかなかありません。でも、よくよく考えてみると、「三類の弱敵」というのは確かに存在する。目の前に現れることがある。

あくまで、「三類の強敵」じゃなくて、「三類の弱敵」です。「弱い敵」(笑)。

そこに負けていて、どうする、ということを考えなければ、ご信心にも、ご奉公にもなりません。

 

私たちの普段のご信心前、ご奉公では、なかなか三類の強敵に遭遇しません。でも、それは、自分がまだ本物のご信心、罪障消滅のご信心、定業能転の、お折伏のご奉公が出来ていないからかもしれないのです。

ということはどういうことかというと、むしろ、自分自身が、知らず知らずのうちに、三類の強敵か弱敵、「俗衆増上慢」「道門増上慢」「僭聖増上慢」になっているからかもしれない。師子身中の虫。

悪世末法は、どちらか、なのです。

そんなの、イヤですよね。虫になるのも、イヤです。やっぱり、何のために苦労するかといえば、同じ苦労でも辛抱でも、良くなるため、罪障を消滅するため、幸せになるためにしたい。

 

三類の弱敵は、たとえば、一生懸命にご信心をしていて出てくるトラブル、災難、病気やケガ、様々な障害も含まれるでしょう。

「懺悔は悪魔退散の祈祷也」

「悪魔トハ病貧死の三神也」

疫病神、貧乏神、死神も、ご信者さんを悩ませます。

そこで破れたら、負けたら、大変なことになる。そこを乗り越えて、何とかご信心を立ててゆく。あだまれて、憎まれて、大変なこともあるけれど、ご信心をしていれば、何のために苦しいかということが違う。罪障消滅、定業能転のためです。

 

私たちは数多くのお祖師さまのお書き物の中で特に「如説修行抄」「四信五品抄」「観心本尊抄」を、「三部の如説抄」と定めて最重要の御書としています。実は、この順序にも意味があり、三つの中では最初の「如説修行抄」を第一に大切な教えとしていただかなければなりません。「如説」とは「み仏の説の如く修行いたします」との意味です。末法で修行する者たちの覚悟と実践を説かれたものです。

 

『如説修行抄』には、お祖師さまの燃えたぎるようなご信心、ご弘通ご奉公の情熱が記されているんです。

逃げない。迷わない。孤独でも負けはしない。混沌としている。しかし、私たちは思いを定める。妬まれたり、怨まれたりしても、それも力に変えて前に突き進む。人の意見ではなく、み仏の教えに従い、説かれたとおりに修行する。どれだけ誹謗中傷されても、耐えてみせる。今生で結果が見えなくても、命あるかぎり御題目をお唱えして、寂光参拝を果たす。これほど嬉しいことはない。

 

これが、如説修行抄第六段でしょ?だから、お葬式の時に第六段を拝見しているのです。

第一段から第五段まで、全く無視していて、最後だけ「寂光参拝を御願いします」というのは、ちょっと虫が良すぎますね。

 

三類の強敵は無理かも知れないけれど、三類の弱敵くらいはしっかりと相手にして、絶対に負けないぞ、という覚悟、心構え、準備、努力が必要です。

御題目、妙法を信じて、ご弘通ご奉公させていただきます。そうすると三類の敵が出てきて邪魔をするかもしれませんが、私たちは負けません、精進してゆきます。

 

「妙法は折伏せねばひろまらず 故に三類あだみねたまん」

 

この御教歌の御題は、「如説修行抄」なのです。

「折伏の心は信心よりおこるもの也。その信心の前にはちえ才覚は無益也。信なき時は猶無益也。」

 

絶対に、負けていただきたくない。せっかく、このご信心に出会えたのです。


確かに、迷うこともある、間違うこともある、でも、だからこそ、懺悔改良、なおお折伏、お教化のご奉公に精進させていただくことが出来るし、そうしなければならないのです。


今年の寒参詣は、その初日に、赤裸々な、大きなお懺悔から始まりました。これは、おはからいだと思います。ご信心の、尊いこと、厳しいこと、大切なこと、いろいろなことを、教えてくださるからです。

 

「懺悔は起信のスガタ也」

「懺悔の心起る時に、己れが我は破れたり」

「さんげの心に我慢(我と慢心)なし。我慢の心にさんげなし。改良の心に謗法なし」

お懺悔をなさる姿は、ご信心のお手本です。

たとえ壮絶な内容であっても、お懺悔できるようになった尊さを思うべきです。

 

「懺悔は悪魔退散の祈祷なり」

「億万の口唱をすとも、謗罪を懺悔せずして利生は蒙り難し」

「御罰にて驚き、懺悔して真の信者となる」

「正直なる者は早く懺悔す」

 

お懺悔させていただくことで、大きな罪障も消滅させていただくことが出来ると教えていただきます。

お懺悔が出来ない。

お懺悔がさせられない。

それでは、みんな、救えないし、救われない。

そのままではご奉公になりません。

 

こうしてお折伏をいただいて、お懺悔をして、改良させていただいて、三類に負けない、正しい、罪障消滅の、本物のご信心、菩薩行が出来るのです。

 

負けてはならない。

三類の強敵はまだまだこれからです。

まず、弱敵に負けてはならない。

 

「妙法の弘通は、坐り込んでお客が来るのを待つようなやり方ではだめ。お客を見付けて進んで売り歩く積極性が必要、自然風当たりが強くなり同業者にも憎まれる、その覚悟が肝要、但し功徳多し。」

 

故に、御教歌に、「妙法は折伏せねばひろまらず 故に三類あだみねたまん」


NHKと中国新聞

梅に鶯。

雪に桜。

春の足音が聞こえてきそうですが、僕は目と鼻がクシュンクシュン。

残念ながら、愛する春はつらい季節でもあります。

今日は2月の最終日。

怒涛の、前進の3月に向けて、しっかりと締めくくりたいと思います。

無事にスタートした「ヒロシマ・アピール・ポスター展」は、第2日目で468名の来館者数を記録。

お寺によっては御会式よりも多くの方々が訪れてくださっていることになると思います。

スタッフの地道な広報活動のおかげで、様々な方面から問い合わせが続いています。

NHKさまからもご連絡をいただき、本格的に取材をしていただき、放送していただきました。

京都放送局の「京いち」の中でしたが、小野山淳鷲師のインタビューも放送していただき、大変丁寧にご紹介くださいました。

こうしたことは、本当に大変なことなのです。

内向きだけの方だと、その価値も分からないと思いますが。

このほか、ラジオでもご紹介が続き、本当に有難く思います。

先日の、中国新聞の桜井記者が、まず最初に企画展の開催記事だけ載せます、と言ってくださっておりましたが、私たちは広島のJAGDAの方から「中国新聞に記事が出ておりまして、拝見しました」と教えてくださいました。

思いがけず、大変に嬉しいです。

記事をご紹介しますね。

「中國新聞2015年(平成27年)2月25日

「ヒロシマ・アピールズ」歴代ポスター展

反核の願い 京都で伝える

佛立ミュージアムで特別展

京都市上京区の京都佛(ふつ)立(りゅう)ミュージアムで24日、核兵器廃絶や平和を訴える「ヒロシマ・アピールズ」ポスターの歴代17作品を一堂に集めた展示会が始まった。趣旨に共感した同ミュージアムが、終戦70周年の特別展として企画し、作品を所有する日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA、東京)から借り受けた。

会場には、JAGDA初代会長の故亀倉雄策氏が、炎を引きながら落下する無数のチョウを描いた1983年の第1作「燃え落ちる蝶(ちょう)」から、アートディレクター井上嗣也氏が反核の思いを次代へ伝える象徴として親子の生き物を表現した「記憶」(2014年)までが並ぶ。

同ミュージアムは本門佛立宗(本山・宥清寺、京都市上京区)が運営している。来場した同市西京区の主婦森谷明根(あかね)さん(52)は「ただ美しいだけでなく、戦争の悲惨さも伝わり、平和とは何かを考えさせられる」と話していた。入場無料。6月14日まで。

ポスター制作は、90年から15年間の中断を経て2005年に再開。JAGDAとヒロシマ平和創造基金(広島市中区)、広島国際文化財団(同)が毎年、会員のデザイナーに依頼している。(桜井邦彦)」

ありがたいです。

2015年2月27日金曜日

シンクロニシティ

ブラジルの田尾ひとみさんが、教えてくださった素晴らしいニュース!!

このタイミングで、ヒロシマの「平和の鐘」がブラジルへ。

「ブラジルと仏教展」から「ヒロシマ・アピールズ」へ、一見、つながりが、全く無いと思っていると、違うのです。

すべては、つながっている。

すべてが、シンクロしています。

シンクロニシティ。

広島市の認可を受けた「平和の鐘」は、ブラジル佛立聖地の宝塔に奉安されました。

すごい。

言辞の相、寂滅せり。

ありがたい。

2015年2月25日水曜日

賀川浩氏 FIFA会長賞 受賞 祝賀会

「FIFAバロンドール2014」で、日本人としてはじめてFIFA会長賞を受賞された賀川浩さまのお祝い会に駆けつけて参りました。

それこそ、昨年の秋、サッカーワールドカップの開催に併せて開催した京都佛立ミュージアム「ブラジルと仏教展」に、セルジオ越後さまと一緒にお越しくださり、あの素晴らしい講演会をしてくださった、せめてものご恩返しに、この、筆舌に尽くしがたい栄誉ある賞を受賞されたお祝いをさせていただくことが出来て、本当に有難く思います。

その受賞の報を知ったのは、テラコヤスコラで講演いただいた後のことでした。

ペレやベッゲンバウアー、錚々たる方々が受賞してきたFIFA会長賞です(涙)。

本当に、すごい方に、来ていただいたのだと、つくづく身の震える思いがしました。

めちゃくちゃ楽しく、ゲラゲラと笑いながら一緒にお食事をさせていただいて、すてきな、すごい90才のジャーナリストであられることを、痛感していたのです。

それにしても、FIFA会長賞とは。

日本スポーツ界の栄誉です。

FIFA、すごいです。

賀川さんを表彰する、FIFAはすごい。

招待状をいただき、是非ともお祝いさせていただかなければ申し訳ないと思い、駆けつけさせていただいた次第です。

賀川さんも、セルジオさんも、しっかりと覚えてくださっていて、本当に嬉しく、有難く思いました。

また、賀川さんが第413飛行隊(特別攻撃隊)、つまり特攻隊員だったことから、ミュージアムの平和展へのご協力をお願いいたしました。

本当に、ありがたいです。

賀川さんは、1974年の西ドイツ大会から2014年のブラジル大会まで、10大会連続でワールドカップを取材してこられました。

やっぱり、昨年のブラジル大会が何よりのタイミングだったのですねー。

すごい。

いつまでもお元気でいてください。

ありがとうございます。

ビハンガ

昨日、スリランカのシャンタさんからメールをいただいて、去年の6月に会った3才の坊や、ビハンガくんが、口をきいたのだと、教えてくれました。

うれしかった。

本当に、美しい瞳をした少年でした。

きっと、大丈夫。

きっと、おはからいを、いただけると、信じていました。

ジナットと同じように。

去年の記事です。

全く、言葉をしゃべらない、口のきけない子なのだと、ご両親が大変に心配していました。

昨日、いただいたメール、とても、うれしかったです。

Dear Nagamatsu Odoshi

It is great pleasure for me to write to you after long time.
Can you remember Vihaga,  small boy who cant speak well according to his Age.
It was a miracle happened that, from last week he began to speak very well.
When your last visit you pray for him and you said that definitely he will speak very shortly.
it has happened as your prayed.
we all thank for HBS pure Damma and all the people around him wanted thank you on be half of Vihaga. yes it is a miracle.

皆さんにも、感謝を。

シャンタさんが書いておられるように、本当に、世界共通の、ユニバーサルな、パワフルな、シンプルな、尊いダンマです

昨夜、今日と、大本寺乗泉寺でご活躍されたご信者さまのお通夜、告別式のご奉公をさせていただきました。

普通、それで終了というところですが、昨夜は西麻布で大親友の誕生会があり、顔を出してきました。

今日は門祖日隆大聖人の祥月ご命日、今朝はお総講でした

京都では「ほんもんさんアート市」のご奉公を大々的にしてくださっていました。

とにかく、精一杯、誠意いっぱいの、ご奉公をさせていただいたいものです。

これから、またご奉公に向かいまする。

2015年2月24日火曜日

開館を待つ静寂のミュージアム

開館を待つ静寂のミュージアム。

真夜中、いや明け方まで、ここ数日間徹夜で作業を続けてくれていた亀村主任・学芸員をはじめ、駆けつけてくださったスタッフみんなのおかげで、ついに「終戦70年特別展示 序 ヒロシマ・アピール・ポスター展(HIROSHIMA APPEALS POSTERS展)」が完成いたしました。

今回も、京都佛立ミュージアムの、まさに金字塔のような企画展となりました。

一人でも欠けたら、出来なかったと。

食べ物を、噛む力すら残っていないと、亀村が書いていました。

本当に、ありがとう。

ありがとうございます。

ここでしか、伝えられないことを、伝えてゆきましょう。

行けば行くほど好きになる。

週末、京都。

そうはいかない、遠くの方もおられると思いますが、数日後には本企画展の図録も届きますので、どのような形になっても参加いただけると思います。

「終戦70年特別展示 序 HIROSHIMA APPEALS POSTERS展」

本日から、6月14日(日)まで。

ついに、始まります。

あなたのご来館を、心からお待ちしています。

長松清潤拝、

2015年2月23日月曜日

「ひとひらの詩情とひとすじのドラマ」 亀倉雄策

「ひとひらの詩情とひとすじのドラマ」

 

亀倉雄策

 

194586日。広島市の上空で強烈な閃光が走り、瞬時にして市街は炎に包まれてしまいました。この歴史的な原爆の炸裂から、すでに40年の歳月がたっています。もはや、日本のグラフィックデザイナーのなかで、この事実を少しでも体験したという人は少なくなっています。私は当時、東京に住んでいましたが、その原爆の日をよく憶えています。

その日は暑い日でした。朝から太陽がギラギラと照りつけ、蝉の声が激しく降るようでした。これは、あとで記録を読んだのですが、その日の広島は雲ひとつない、きれいな青空でした。空襲警報サイレンが鳴ると、美しく銀色に光ったB-29が小さく高空を飛んでいるのが見えました。すると突如、目もくらむ閃光が走りました。817でした。(注)

私は東京ですから、その情景は知りません。12のラジオのニュースで、広島上空に異常な閃光が走り、全市街は火災になっているが、新型の爆弾らしいということでした。

数日たって組織された専門の科学者の調査によって、原子爆弾に間違いないと報告されて、私はこのとき、正直な気持ちとしては、もしかしたら、この新型の爆弾のおかげで戦争は中止されるかもしれないと、一縷の希望をもつようになりました。

そのころの東京、いや日本の全市は空襲に次ぐ空襲で、ほとんどの人は住む家もなく、もちろん食料もなく、極度に貧困に陥っていました。それでも戦争に勝つという政府の言葉を信じて、耐え忍んでいるという毎日でした。要するに、政府や軍人は、正義の戦いをしているのだから、最後には正義が必ず勝つと国民に信じ込ませていました。私はこれが戦争の一番恐ろしいところだと思います。アメリカもソビエトもイギリスもドイツも、日本と同じく政府は自分たちの正義を力説します。アメリカはアメリカとしての正義があるというし、日本は日本としての正義があると主張します。だから戦争というのは、正義と正義の激突なのです。日本国民は、正義を守るための戦争だと信じているわけですから、もしこの時代に平和とか戦争反対とかを叫んだら、たちまちその人は生きる道を失ってしまうに違いありませんでした。

戦争というものは、いつの時代でも、どんな形の戦争にしろ、盲目的で身勝手で、独善的な正義がぶつかり合っているわけです。こうした独善的な正義の戦争が終わって40年の月日がたったいまになっても、戦争が好きだという人がいるでしょうか。私は、もうそんな馬鹿げた考えの人が存在しているとは信じられません。それなのに現在、現実に地球のどこかで戦争は行われています。理性では判断のつかぬ、おろかな行為が続けられているのです。

2次世界大戦までの戦争のほとんどは、国家利益を守ることが正義でした。しかし現在の戦争は思想が正義であり、宗教が正義であるという角度に変わってきました。この思想戦、宗教戦は、きわめて陰湿であり、残虐であります。ベトナム戦争は、子供や婦女子、そして小さな村落まで巻き込んだ戦いでした。イランとイラクの戦争は、宗教の違いによる憎しみで、私たちの理解の範囲をはるかに超えた正義の戦いでした。私は、十数年前のアフリカのある国で起きた異種族の戦いの記録映画を見たことがあります。アフリカでの異種族の争いは、違った宗教の争いなのです。勝利者は捕虜になった異教徒たちの両手首をナタで切り落としました。その手首が、いくつも山のように積み上げられていました。その異様な風景は、いまでも私の脳裏に焼きついています。

もちろんこれらの戦争も、その残虐な行為も、正義のためというキャッチフレーズのもとで、なんの疑念もなく実行されているわけです。これが、戦争というものの恐ろしさです。私たちは、なんとしても戦争をこの地球上からなくさなければなりません。人間は、動物と違って理性と英知をもっているといわれながら、なぜおろかしい正義をぶつけ合うのでしょうか。

それでも、わずかな救いは、まだこの時点まで原爆を使用していないということです。もし原爆を使用すれば、どういう結果が人類の上に襲いかかるかを、ほとんどの人は「核の冬」として知っています。しかし、将来原爆を絶対に使用しないという保証は、何もないのです。だから、戦争というメカニズムが狂う前に、人間の英知を結集して、広島、長崎以外の地に原爆をおとさせぬようにしなければなりません。

原爆戦を阻止する行動。原爆をもたない世界をつくる。これらのテーマに対して、いま、われわれグラフィックデザイナーは、何をしたらいいのでしょうか。こういう問題にぶつかった場合、デザイナー個人の力は、なさけないほど弱いのをよく知っています。しかしデザイナーとしての理性と感性は、自分たちの訴える手段を探りあてます。その探りあてたものが平和ポスターではないかと思います。ですから、この34年の間に、おびただしい数の平和ポスターが制作されています。もちろん日本もアメリカもたくさんつくっています。いかに平和に対して強く深い願望を多くのデザイナーがもっているか、この現象に私は、強い感動を覚えます。

私は1983年に、《HIROSHIMA APPEALS》のポスターを制作しました。このポスターは、あるいはみなさんのなかに記憶されている方もあるかと思いますが、美しいたくさんの蝶が燃えながら落下するという幻想的な情景が表現されています。美しいものが燃えながら消滅してしまうという悲愴感が、リアルな描写よりもむしろ、原爆の恐怖感を生むと思いました。このポスターは日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と広島国際文化財団の協力により、毎年1点ずつ世界にアピールしつづけるという企画によって制作されたものです。私のポスターは、この企画の第1回目の作品です。第2回目は、粟津潔がつくりました。彼は、著名なチェロリスト、カザルスの言葉からヒントを得てつくりました。鳥は“PEACEPEACE”と鳴いているというカザルスの言葉から、たくさんの鳥をポスターいっぱいに描きました。そして今年の第3回のポスターは、福田繁雄の手になったもので、彼独特のユーモラスな表現で、地球が地球のこわれた部分を修理しようとしているところを表現しました。

私はHIROSHIMA APPEALSのポスターを制作するにあたって、次のようなJAGDAの姿勢を公表しました。

 

HIROSHIMA APPEALSポスターは、あらゆる政治、思想、宗教を超えて純粋に中立の立場を守ってのみつくられるものである。

原爆の悲惨さだけリアルに突きつけたものや、公式的な反戦、平和の表現を避けて、新しい視点から平和ポスターの姿勢を探求したい。

美しさと品格がありながら、平和、反戦の祈りを込めたポスターこそが、広島市民の求めているものではなかろうかとJAGDAは考えている。

しかし、これに答えることは、デザイナーにとって、もっとも厳粛にして困難な戦いであると思う」。

 

私は、多くの人たちがつくった多くの平和のポスターを見て、じつのところいったい平和ポスターとは何なのだろうと考えさせられました。ポスターには、いろいろな違った表現がありました。声高く叫んでいるもの、静かにかたりかけようとしているもの、さては自己満足に終わってしまってアピールしてこないものまでありました。

平和ポスターは中国の壁新聞のようなものだ、と言った人がいます。自分の自由な表現でポスターをつくって、広場にある壁面に自分で貼って通行人に見てもらおうという考えです。たしかに平和ポスターには、そういった性質の一面があると思いますが、私には、どうも新聞の意見広告のように思われてなりません。壁新聞はマスコミュニケーションの発達していない国の伝達手段ですが、意見広告は十分にマスコミュニケーションが文化としての高さに到達した社会で、いま普通に行われている伝達方法です。

20年くらい前に『ニューヨークタイムズ』が、最初の意見広告を載せて世界を驚かせました。しかし、それ以後は、色々な主張が広告として掲載されて、民衆の反応を求めています。つい、この8月にも、ソビエト政府の意見広告が掲載されました。内容はアメリカの核軍縮の態度が明確でないという非難だということですが、これはたいへんすばらしいことだと思います。というのは、自国政府を非難した意見を堂々と載せるアメリカの新聞の寛大で公平な態度がすばらしいと思うのです。意見広告は民主主義のよさをいかんなく発揮していると思います。ところが、この意見広告が掲載されはじめた20年前に、こういうものは許せないと訴訟をおこした人がいましたが、アメリカの最高裁の判決は、次のようなすばらしい見識を示してくれました。「いかなる、公の問題についても、その議論は禁圧されず、力強く、辛辣で、時としては政府や公務員に対しても痛烈な攻撃をしても許される」というものでした。だから平和ポスターの精神に、この判例の見識の高さが生かされるべきだと思います。そしていま、現時点までに日本のグラフィックデザイナーは、たくさんのポスターをつくっています。300点に近いのではないかと推測します。これは、たいへんなエネルギーの集積です。しかも、これが全部自費による制作です。ですから、ポスターによる意見広告ということになるでしょう。

もちろん、これらのポスターのなかで当然、見る人の心を打つものもあるし、単に形式表現にとどまっているものもあります。たとえば、技術が優れていても訴えてこないもの、また技術が未熟でもアピールが伝わってくるもの。これは制作する人の感性であり、哲学であるわけですが、悪くすると平和ポスターというのは一種の流行化の傾向にあるのではないかと思われます。この現象には、危険な要素が含まれています。それは、流行現象だけに、「平和」というものが安易に語られすぎて、デザイン表現の自由な材料という単純な思考にとどまってしまう危険です。こういう思考が続くと民衆はそっぽを向いてしまいます。こうなると結果は意見広告の価値がなくなってしまうわけです。

私は、「平和」というものは厳粛なものだと思っています。姿勢を正して語り、思考するものだと思います。そうして、これほど身近な問題でありながら、これほど困難な問題は他に類を見ないと思います。平和は人類の最高の理想であり、なんとしても実現しなくてはならない問題なのです。このことは、人間であれば、だれでも理解、願望しているはずです。だから、いますぐにも地球のどこかで行われている戦争を終結したいと強く感じます。

戦争は、人間にひとかけらの喜びも与えません。大きな悲しみを与えるだけです。不幸にして、第2次大戦では、日本人はアメリカを敵にまわして戦う運命になりました。日本人の大半は、アメリカ人が大好きでした。アメリカの文化を一生懸命にそしゃくしていたからです。日本の映画館の大半は、ハリウッド映画を上映していました。そしてアメリカ人の大好きな野球も日本人は大好きでした。むしろ熱狂していました。野球の試合は小学校から大学まで盛大に行われていました。山の小さな村でも、大きな都市でも、アマチュアの草野球が盛んでした。アメリカと戦うようになって、急に政府は野球を弾圧しはじめました。敵国のスポーツだからという理由です。アメリカ映画も禁止されましたが、野球だけは、こっそり続けていました。

長距離爆撃機B-29がサイパンという遠い島から日本に飛んでくるようになりました。その頃空襲は決まって午前中でした。そのB-29の操縦士の空襲ノートという手記を読んだことがあります。それを要約すると次のようなものでした。

「眼下は日本の美しい緑だった。民家の屋根が陽に輝いて見えた。空地らしいところに白い点のようなものがたくさん走りまわっている。何だろうと興味をもった。同乗員に調べてくれと頼んだ。彼は強力な望遠鏡で見ていたが、すっとん狂な声で「あっ、少年たちが野球をやっている」と言った。それから重い沈黙が機内を支配した。誰もが口を固く結んだままひと言もしゃべらなかった」。

おそらくB-29の搭乗員たちは、心のなかで悲しさを痛いまでに感じていたことだろうと思います。

私は、平和ポスターには、ひとひらの詩情とひとすじのドラマがなければならないと思います。たとえばB-29の操縦士の手記を考えてください。日本の緑と少年野球の詩情があります。ところが数分後の空襲で、この詩情は地獄と化してしまうわけです。これが戦争の悲しさです。平和ポスターは、この悲しみを込めなければならないと思います。

再び、申し上げます。平和ポスターには、ひとひらの詩情とひとすじのドラマがなければなりません。この二つの要素がないと表現に深みがなく、浅薄で平板なものになってしまいます。平板では人びとの心の扉をたたくことはできません。人びとの心に深く食い入ることで、良心の魂を呼びさますことができます。

それにはデザイナーがやむにやまれぬ平和への情熱を燃やすことです。情熱を燃やすことで、ほんとうに人びとの心を動かすポスターがつくれると、私は信じています。

 

国際グラフィックデザイン団体協議会(Icograda/現「国際コミュニケーションデザイン協議会」)第11回ニース大会での講演、198595


(注)講演内容をそのまま掲載した文章です。広島では815を正式な原爆投下時刻として公表しています。

良潤師、清行師との打ち合わせ

スリランカのディリーパ良潤師と来年のご奉公について打ち合わせを行いました。スリランカ大白蓮寺として新年度を迎えようとしています。 そもそも仏教は国際宗教で民族も文化も言語も異なる国に住む人びとの心に浸透し、その支えとなってきました。 長老化したり、大衆化したり、土着化や密教化した...