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2010年5月2日日曜日

Think different. 本気で信じる人

 アップルのCMのコピーを載せましたが、少し違っているようですね。申し訳ない。ずっとずっと前から、ずっと頭の中に残っている素敵な言葉なのに、間違っていては申し訳ない。

 それは、本当は、こんな言葉です。

「自分が世界を変えられると、
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから」

  そう、もう古いCMだから、観たことのない人たちもいるでしょう。是非、観ておいて欲しいですね。忘れちゃいけません、こういう気持ち、こういう姿勢。ずっと、少年のように、若年寄りみたいなことを言わないで、本気で信じましょう。世界は、もっと良くなる。僕たち次第。

 便利になりました。You Tube。ありがたい世の中ですね。Macからはじまり、i Podやi Phoneやi Padと、完全に世界を一新してきたアップル。創業者のジョブズについては、そのスピーチを紹介したのですが。今回は、有名な「Think different」というCMを紹介します。


2009年12月24日木曜日

クリスマスイブの待合室

 今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
 今日、横須賀に来たのは病院に行って診察を受けるため。定期的にチェックしなければならない部分があるのですが、忙しさにかまけて3年ぶりになってしまいました。これじゃまずい、と思い、いろいろなことも重なっていますし、予定を探して、今日の診察となりました。
 診ていただくのは先住(父)も診ていただいていた先生で、もう10年以上お世話になっています。いろいろなことがあり、私は心の底から信頼しています。本当に、素晴らしい先生です。
 先住の闘病の際、うちひしがれる私たち家族に対して、懇切丁寧に対応してくださいました。私のご奉公、先生の朝から晩まで患者に向き合う姿、手術の日には10時間近く執刀することあれば、外来で何十人もの人と向き合う、入院中の方々の回診をされる、そんなすごい医師、先生の姿に学ばせていただいている部分があります。
 いつも突然のお願い。勝手な時間になってしまいました。予約してくださった瓜生さん、そして藤田さん、ありがとうございます。
 昔、意識不明の父の看病をしていた頃のこと。床擦れを防ぐクッションを買いに行きました。そうしたグッズが高島屋にあるということで、病院から横浜駅に行ったのです。
 重苦しい病室から一転して、賑やかな高島屋の店内。その一角にある小さなお店。その小さな店内で介護用品を探している私たち。数人、同じように看病に疲れておられるような方々がおられました。賑やかな世の中とのギャップが痛切に感じられて、何故か涙が浮かびました。あの時のこと、その情景、気持ち、忘れられません。いや、忘れないようにしています。
 今日、病院でよかった。仏教徒である私には何の関係もありませんが、世の中は「クリスマスイブ」という賑やかな日だから。だからこそ、病院に行けて良かった。クリスマスイブ、そういう日にも、ここには病気で苦しむ人がいて、それを見守るご家族がいる。体調が悪かったり、病気を抱えていたり、不安だったり、元気がなかったり、心が晴れないであろう多くの方々と一緒に、待ち合い室に並んで座れて、よかったです。
 私は、ジョン・レノンが好きです。彼の才能、曲や声が好きなのは当然のことですが、それ以上に、彼の考え方や生き方に共感しますし、感銘を受けています。
 「レノン・レジェンド」というDVDがあります。オノ・ヨーコさんが映像・監修をされたものですが、この中に、ジョン・レノンのクリスマスソングである「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が収録されています。これが、猛烈な、痛烈な、辛辣な、哀しいほどの皮肉に満ちていて、はじめて観た時、僕は涙が出て仕方がありませんでした。
 その、曲の、綺麗な旋律が流れる直前、彼女と彼は、自分の子どもたちの名前をささやきます。そして、ジョン・レノンのクリスマスソングが始まる。
 しかし、そのクリスマスソングの映像は、冒頭から、キラキラと輝くクリスマスツリーや電飾などを映すのではなく、足を地雷によって吹き飛ばされた少年、戦闘に巻き込まれ、誤爆(そんなものは最初からないと思っていますが。確信的爆撃以外に何があるでしょう)され、死にかけた子どもたち、憎しみに燃えた少年たちの瞳、そのベッドの傍らで途方にくれる父親、民族衣装を着た老人が毛布に包まれ足だけ見えている赤ちゃんの死体を抱きながら震えながらむせび泣いている映像、死体、涙、喧嘩、兵隊、子ども、赤ちゃん、爆弾、硝煙、死体、死体、兵士、埋葬、涙、戦地、別れ、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、戦車、人間、人間、人間…、涙、涙、涙、死体、少年兵、貧困、飢餓、子ども、子ども、と続きます。
 世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。
 誰もが、多くの戦争や紛争が宗教によって引き起こされてきたことを知っています。中でも、私は、イエスが「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは、敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、 自分の家族の者が敵となる。」と、その聖書の中で明言しているとおり、多くの愚かな紛争が旧約聖書を起源とするユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教によって引き起こされてきたと考えています。
 この聖書の言葉でも明らかなように、特にイエスによって創始されたキリスト教によって、植民地支配や民族間、宗教間の争いが助長されてきたと考えていますし、それは歴史的な、時事的な面でも、事実だと思います。なんといっても、「私が家族に平和をもたらしに来たと思うな。私は家族に争いをもたらしに来た」ということを言っているのですから。
 だからこそ、この曲と、この歌詞、この映像の、何と皮肉に満ちたことか。明らかに、強く、世界に、多くの人々に、何を祝ってるのか、何をやってるのか、何をやらなければならないのか、と再考を促しています。私は、そういう意図があると確信しています。それを考えずに、「メリークリスマス」などと言って乾杯しているのは、愚かの極みではないでしょうか。それで大丈夫でしょうか。おかしくないでしょうか。
 「正しい信を持たないかぎり、この世界が抱えている問題は解決しない。穏やかな、平和な日々が訪れることはない」。これが答えです。仏教の帰結するところ。これが結論です。立正安国論で説き明かされた御意です。「平和ではなく剣をもたらすためにきた」というイエス。その誕生を祝って、今夜はクリスマスをするのですか?是非、このリンクから、あなたも映像を観てもらいたい。もちろん、「メリークリスマス」と曲の中には出てきますが、その深い意図を、考えてみていただきたい。
 私は、今日や明日という「クリスマス」という期間や日を、「仏教再考の日」にしてはどうかと思っています。これを言うと笑う人がいますが、冗談じゃないんです(笑)。「仏教最高の日」でも「仏教再興の日」でも良いのですが、とにかく、今一度、キリスト教と、その宗教、今の世界、紛争、命、人類、人間というようなことを考え、そして、仏教の教えるところを考えていただきたい、仏教の尊さを考えていただきたい、仏教こそ、人類の宝であることを考えていただきたいのです。そういう日に、してはいただけないでしょうか。やはり、冗談に聞こえるかな(汗)。
 自分の病院の後、待ち合わせをして別の病院にお見舞いに行ってきました。やはり、重苦しい病室の中でしたが、意識が混濁しておられる方の手を握り、ご家族と一緒に御題目をお唱えしていると、苦しみも哀しみも、一つになって溶け出し、幸せや喜びに代わっていくのを感じます。最大の不幸も、幸せへと変わる。そうでなければなりません。
 そして、横浜に戻りました。夕方の空の色が、あまりにも綺麗だったので、写真を撮りました。本当に、地球は美しいです。かけがえのない、美しさ、尊さです。ここに、住まわせていただいて、本当にありがたいと思います。私たちの愚かさで、壊すことのないようにしてゆきたいものです。
 本当に、日々に感謝。美しい空、星、人々に、感謝です。
 ありがとうございます。では、PCでも携帯電話でも最近は観れるようになってきましたので、ジョンの曲をお聴きいただきたい。お坊さんが、クリスマスソングを勧めるのは変?謗法?いや、だからこそ、菩薩の誓いを、ご弘通の使命を、噛みしめていただきたい。

2009年5月21日木曜日

今こそ、スリランカへの支援を

 あの、スマトラ沖地震・津波の支援活動では、私たちはいち早く行動を起こした。今、また行動を起こす時が来ていると思う。
 スマトラ沖の地震で起きた津波がスリランカを襲い、数万人の命を奪ったのは、私たちがスリランカから帰国したわずか1ヶ月後だった。スリランカで御講にお参詣し、インドではスリランカの人たちとご奉公した。そのスリランカが津波に襲われたと聞いて、居ても立ってもいられなくなった。妙深寺の高島さんはお寺に駆けつけ、福岡御導師にも連絡をとり、支援活動は数日後に広がりを見せた。
 津波被害から数日後、福岡御導師はスリランカに行かれ、各地を慰問し、人々を励まし、ご奉公くださった。4月には、福岡御導師や御講師方をはじめ、妙深寺や近隣の佛立寺院から数名の青年たちが、日本にいる私たちからの義援金を手にスリランカへ渡り、各地で支援活動を展開してくださった。義援金が避難民に渡らないことのないように、スリランカでご弘通を展開する佛立宗らしく、手から手に渡る「見える支援活動」だった。
 いま、また、その時が来たと思う。何度か紹介してきたが、スリランカの内戦が終結を迎えたと報じられた。そして、いま、苦しみの底にいた人たちが解放され、さらなる助けを求めている。
 スリランカのラジャパクサ大統領は19日、議会で「全土がテロから解放された」と述べた。タミル・イーラム解放の虎(LTTE)との間で約25年にわたり続いた内戦の終止符を宣言したのだった。大統領は「自由になったこの国で、皆平等に生きよう」と述べたという。大統領は、タミルとシンハラという人種をを越えて、一つになるべき時であると呼びかけた。
 18日、国営テレビはLTTEの指導者・プラバカラン議長の死亡を報じた。しかし、LTTEに近い「タミル・ネット」では、政府軍に殺害されたとするLTTEの指導者・プラバカラン議長が「生存しており無事だ」とする在外幹部の声明を掲載したとのこと。これに対して、軍は直後に議長の遺体の映像を公開した。真相は、まだ分からない点も多いが、LTTEの組織は壊滅的な状態になり、7万人以上が死亡したとされる25年間も続いたスリランカの内戦は、ほぼ終結したと言えるだろう。
 美しいスリランカを覆っていた恐ろしい暗雲は、ようやく晴れようとしているのかもしれない。ただ、沖の向こうには、まだ厚い雲がかかったままだ。LTTEはこれまでも洗脳によって兵士を教育し、自爆テロを実行させてきた。民族紛争の根は深い。本当の意味で人種間の問題、歴史を越えるためには、もっと普遍的な何か(それは、法華経本門のブッダの教えであると信じるが)が必要なはずだ。これからも、危険なゲリラが各地に分散し、テロを行う可能性が大いにある。一般的な人の中にも、今回の一連の戦いを、腑に落ちないまま眺め、反発の火種を抱えている人も多いだろう。
 それにしても、恐ろしい戦いだった。帝国主義的な植民地支配に端を発し、第二次世界大戦後のアジアの独立と、そこから生まれた反動によって生まれた哀しい戦争とも言える。LTTEは、ラーフル・ガンディーの父、ソニア・ガンディーの夫である、ラジーヴ・ラトナ・ガンディーを女性自爆者によって殺害したとされている。ラジーヴ・ラトナ・ガンディーは、インドの初代首相ジャワハルラール・ネルーの孫に当たる(マハトマ・ガンディーとの血縁はない)。南アジアの歴史が凝縮されているようにも思う。
 内戦は終結した。しかし、これからがスリランカでご弘通を展開する本門佛立宗の、本当の出番であると確信する。今こそ、とスリランカHBSの人たちも思っておられる。
 数万人の人々が「人間の盾」として囚われ、危険な状態にさらされ、実際に傷つき、家族を失い、現在もおぞましい状態にあることは間違いない。彼らの生活、心、あらゆるものを癒やすことが急務だ。
 「立正安国論」にある。真に平等で、真に国家の平和や人々の安穏をもたらすために、ブッダが法華経に説かれた教えは欠かせない。そのことを、広く、説くために、私たちはご奉公させていただいてきた。これからも、地道に、スリランカの各地でご奉公を続けていく。そして、今こそ、北部で苦しむ人のために、ご奉公させていただきたい。さらに、偏狭な価値観にとらわれ、怒りを抱える人々のためにも、ご奉公させていただきたいのだ。
 ここに、スリランカ内戦難民支援を提唱したい。津波の時と同様、苦しむ人の手に直接届くように、責任を持ってご奉公させていただきたいと思っている。どうか、一人でも多くの方に、ご協力を要請したい。実際に、またスリランカに行き、みなさまの「気持ち」「思い」を、直接お届けしたい。もちろん、「お金」ではなく、「ご信心」をお伝えするために。
 どうか、義援金へのご協力を宜しくお願いいたします。ご協力いただける方に、口座番号をお知らせします。
三菱東京UFJ銀行 新横浜支店 
普通預金  口座番号 0272810
口座名義  HBS NETWORK 
 お振り込みいただいた後、またメールにてご連絡をいただけましたら、氏名などを確認させていただいて、ご宝前に言上、ご連絡させていただきます。なにとぞ、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

2009年4月7日火曜日

山際素男氏への追悼

 山際素男氏が3月19日午前11時18分、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなったと報道で知った。享年79歳。惜しい方を亡くしてしまったと、惜別の思いを抱く。
 私は氏の著作の多くに触れてきた。中村元氏とは違う、生のインド、インド社会と文化を、圧倒的な知識と洞察力で日本に紹介くださった。氏の功績で、日本人は幻想的な天竺から現実的なインドへ意識が昇華したと思う。
 著書「不可触民-もうひとつのインド」、訳書「アンベードカルの生涯」「ブッタとそのダンマ」などは、インド憲法の父、ドクター・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)を私が理解するために欠かせなかった。賛否両論あるとはいえ、不可触民階級出身だったアンベードカル博士は、近代インドにおける仏教革新運動の原動力となった人物である。
 彼は、かの世界から尊敬を集めるガンジーと真っ正面から対峙した。インドが抱える本当の問題、ガンジーが立ち入れなかった(立ち入ったが、それは不十分だった)インドの暗部・最深部・病巣、アンタッチャブル(アウト・オブ・カースト、不可触民)は「ヒンドゥー」という「宗教文化」によって派生し、数千年もの間、決して顧みられることのなかった虐げられた人々がいたことを訴えた。
 彼は、ヒンドゥーという宗教から、インドが生んだ唯一無比の存在・ブッダの教えに帰入しなければ真のインドの平和、人々の真の幸福も得られないと断言した。そして、30万人を超す民衆と共に、竜樹菩薩(ナーガルジュナ)が活躍されたというインド中央部の都市ナーグプルに於いて仏教への改宗式を行った。
 私が、アンベードカル博士の理解を深めるために山際氏の著書や訳書は不可欠だった。仏教学者としてではなく、インドという古代からアジアの中枢であった地域社会と文化を広く理解し、「マハーバーラタ」などヒンドゥーの深部まで造詣のあった山際氏の見解は、非常に重かった。「仏教」の価値、ブッダの説かれた「平和」と「平等」の意義を、深く理解するサポートをしてくださったような感覚でいる。
 実際、ぜひアンベードカル博士の生涯を日米印の三ヵ国で製作してもらいたいなぁ、とひろし君に話していた。何度も言うが、近代インドの仏教刷新運動やアンベードカルの説いた仏教については賛否がある。他の日本の仏教界でも良いように取り上げては利用されてしまっている。ただ、アンベードカル博士の実像を、その生涯を、黒人差別よりも根深い差別と戦う闘士、新興国として注目されるインドの憲法を書き上げた偉人、かのガンジーと対峙した政治家として実物大に描いていただきたい、と。
 そして、その生涯を描くことによって、真のインドの姿、インドの抱える問題と課題、インドの未来、真の平和とは何か、真の平等とは何か、そして仏教とは何か、真実の仏教をも示唆し、描いていただきたいと話していた。もし、その映画を作るとすれば、日本で山際氏以上のアドバイザーはいなかっただろう。ぜひ、ご指導をいただきたいと思っていたのだが。もう、それも叶わない。
 映画を作るなど、自分の夢について語り、その夢の中に登場する山際氏が亡くなったことで惜別の思いを抱いているのはおかしく思うかもしれないが、それでもいい。ダライ・ラマ氏と面会する前にも、氏の訳書を読みあさった。本当に、惜しい方を亡くした。本当に、感謝している。残念でならない。

2007年5月15日火曜日

アンベードカル博士のこと

 私たちにとってインドは三度目となった。平成18年は佛立開講150年ご正当年。私たちは福岡御導師を筆頭として、この記念すべき年に3度目となるインドへ上行所伝の御題目をお伝えしようと弘通行を実施したのである。
 インドへのご弘通は、インド出身の佛立信徒であるラジ女史の尽力に負うところが大きい。2度目の弘通行を終えて、彼女はいち早く次なる構想を描いていた。故国インドに上行所伝の御題目を流布することは極めて難しい。現在インドの仏教徒は11億の人口の1%しかおらず、ヒンドゥーとイスラムの対立は激化しており、原理主義的な傾向もある。御題目を聞かせ唱えさせる機会を設け、重ねて会合を持つことは勿論、様々な角度から次なるご弘通の一手を考えていた。それが、このダライ・ラマ師とのセッションであった。

 2度目のインドへの渡航も有意義この上ないものだった。それはアメリカを横断した時に訪れた公民権運動のルーツ、キング牧師に多大な影響を与えたガンジーの足跡を追い、彼と特に協調し、最終的には対峙したアンタッチャブル(不可触民)の指導者、インド憲法の父・アンベードカル博士の足跡を辿り、彼の信奉者たちとセッションを持てたからである。

 アンベードカル博士とは、数千年来ヒンドゥー文化の中で忌避されてきたアウト・オブ・カースト、つまり手を触れることも、見ることさえ毛嫌いされてきたアンタッチャブル出身であり、初代インド法務大臣、最後には50万人と共に仏教に改宗をした偉大な人物である。実は50年前、彼が出席した世界仏教徒会議に本門佛立宗の代表団は彼との邂逅を果たしていた。その50年後、彼がアンタッチャブルと忌避されてきた人々、50万人と共に仏教に改宗したナーグプルを私たちは訪れ、彼の弟子たちと共にチャンティング・セッションを持ったのであった。

 そして、その一年後。インドの地で、今やインドの1%の仏教徒が認識するマハー・ボディー・ソサエティーと、インドに亡命しているチベット仏教界の最高指導者とのセッションが実現するとは、この上ないことだと思えた。
 アンベードカル博士のことを語り出したら、この章は終わらない。またの機会にゆっくりと、仏教を再認識するために、書いてゆきたいと思う。



 

2005年4月25日月曜日

マーチン・ルーサー・キング・Jr

世に知られるキング牧師は、後に「ダディ・キング」として知られるマーチン・ルーサー・キングの息子です。もう、この時点で、僕はキングに少しだけ共感してしまうのですが、彼は悩みながらも父と同様に牧師としての人生を歩み始めます。そして、本人が望む、望まないに関わらず、キングにしか出来ないような課題、為すべきことが何であるかを知るのでした。
リンカーンが奴隷解放を宣言したにもかかわらず、アメリカの深南部では根強く人種差別が残っており、「ホワイト」と「カラード」と書かれ生活空間すら共有させない風習が残っていたのでした。食堂、トイレ、手を洗う場所、バスの座席に至るまで、まるで白人と黒人はすみ分けをされていたのでした。人間として、同じ権利を持つことが出来なかった、させなかったのでした。当時の黒人には選挙権すら与えられていませんでした。これが、わずか50年前のことです。
モントゴメリー事件という、疲れた初老の女性が、バスの中で腰掛けた白人シートに、運転手が猛烈に恫喝したことから、キング牧師は黒人の権利を獲得する、平等の権利を主張する運動のリーダーへとなっていきます。
彼や、彼とは別の団体も、このアメリカに巣くう病巣を変えるため、「人種隔離廃絶運動」「選挙人登録運動」を推進していきます。しかし、同時に、それを進めるための方法にも、様々な意見が出て、黒人の運動は激流のような流れを、どのように、どの方向に、上手に導いていけるかが、最も大きな問題となったのです。一触即発、過激な方法で「公民権」を獲得しようとする勢力、政府の転覆や社会不安をもっともっと煽ろうとする勢力が次々に現れてゆきました。
その中で、このキング牧師は、黒人や白人勢力の双方からいらだちや罵声を浴びながらも、「非暴力」「無抵抗」という主張を展開し、暴発寸前の黒人感情を、歴史に残る形、永遠に尊敬される運動へと導いていったのです。これは、キング牧師がインドで植民地支配のイギリス帝国と交渉していたマハトマ・ガンジーを敬愛していたことから考え出され、提唱・実行されたのです。
ところが、このキング牧師もまた、マハトマ・ガンジーやJFKと同じように、1968年4月4日、午後6時前後、黄昏のこのモーテルのバルコニーで、右のあごと首を狙撃され、命を落とすことになったのです。

13日の日曜日はベンヤミン。是非お参りください。

  昨日は長松寺の夜のお総講。横浜と京都、弾丸往復のご奉公をさせていただきました。 なんと言っても昨日の長松寺はベンヤミン君のお母さん、インカさんがお参りになるとのことで、お昼にお数珠のお開眼をお願いしますという連絡もあり、頑張って帰らせていただきました。 インカ、ステキなお母さ...