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2022年12月24日土曜日

戦争は終わる。あなたが願えば。

今夜はクリスマスイブ。クリスマスソングといえばこちら。

ジョン・レノンの代表作の一つ、John & Yoko Plastic Ono Band + Harlem Community Choirによる“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”です。

オノ・ヨーコさんご本人が付けた映像はこちらです。衝撃的な映像です。それぞれ確認してご覧ください。

人間の愚かさを痛感しながら過ごす夜です。

「我々が歴史を勉強すると我々が歴史から学んでいないことが分かる」ヘーゲル

「人間が歴史から学んだことは歴史から何も学んでないということだ」チャーチル

極寒のウクライナで震える人びと、戦争と紛争、差別や搾取、理不尽な理由で理不尽に扱われ、過酷な環境に置かれて苦悩している全ての人びとを想い、祈ります。

人間が成長しますように。
人間の価値観が少しでも上昇しますように。
人びとが妄想や幻想から抜け出しますように。
人びとに悟りの光が現れますように。

戦争は終わる。あなたが願えば。

Namu Myo Ho Ren Ge Kyo 

ヨーコさんがこの映像を付けた意味を受け止めましょう。

“HAPPY XMAS (WAR IS OVER)”
https://youtu.be/yN4Uu0OlmTg

2011年1月1日土曜日

『ここに、仏教があります』

世は混乱の闇の中にあります。暗中模索(あんちゅうもさく)、疑心暗鬼(ぎしんあんき)。魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)して、真と偽、正義と不正義を雑乱させています。このままでいいと思っている人はいないのですから、何とか、世の闇、心の闇から抜け出さなければなりません。

明治維新後の日本は大きく二つの時代に分けることが出来ます。一つは一八六八年の明治維新から昭和二十年(一九四五年)の敗戦までの七十七年間です。そして、もう一つは敗戦から平成二十三年(二〇一一年)の今に至るまでの七十年弱の期間です。この二つの時代を踏まえて、日本や日本人を捉え直さなければ次の時代の扉は開かないと思います。
前者は、明治維新後に誕生した国家神道の時代でした。そして、後者は連合国によって再出発した戦後の日本です。それは、戦中の全体主義によって傷ついた人々が復興を遂げてゆく時代でした。
ここで近代思想史を詳述しようとは思いません。しかし、二つの時代の特徴が、今の日本や日本人を作り出しました。

狂気の中で生まれる宗教や信仰があるように、多くの場合、思想とは、ある種の緊張状態、反逆や反骨の中から誕生します。

二つの時代の誕生には、壮絶な産みの苦しみが伴いました。前者には日本人同士の殺し合い、暗殺の連鎖、戊辰(ぼしん)戦争がありました。後者では凄惨(せいさん)極まりない世界大戦、全国民が決定的な災禍を味わった敗戦がありました。これら壮絶な出来事を数行で語り尽くすには、失われた命が重すぎて出来ません。しかし、この二つの時代の思想は、誕生の経緯に決定的な影響を受けて成立しています。

明治維新は、その内実は「尊皇(そんのう)攘夷(じょうい)」という、ある種の「宗教」を原動力とした革命でした。それは維新後の政策を見れば明らかです。

この「尊皇攘夷」という思想は、「宋(そう)」という特殊な事情を抱えた中国の王朝に誕生した学問体系で、後には朱子学(しゅしがく)となって江戸幕府の正学となりました。宋は、女真族(じょしんぞく)の侵略とそれに内通する家臣らによって危機的な状況に陥り、臣下の道義を説く大義名分(たいぎめいぶん)論、尊皇(そんのう)論や攘夷(じょうい)論を発展させました。「夷(い)」とは「女真族」を指していました。

日本は天平飛鳥(てんぴょうあすか)の時代から独特の精神思想文化を培っていました。しかし、この朱子学は鎌倉幕府が誕生した頃に来日し、その底流で生き続け、江戸期には国学と結びついて日本の思想を一変させます。「神仏(しんぶつ)」は「神儒(しんじゅ)」となり、「国学(こくがく)」は「神道(しんとう)」となってゆきました。過激に変容した思想は、幕末期の人々が信奉するものとなりました。
明治新政府は、頑迷な「攘夷」については早々に破棄しましたが、残された「尊皇」「神道」については国家として実現してゆきます。

 「木曾路(きそじ)はすべて山の中である」

この書き出しで有名な島崎藤村の「夜明け前」は、父をモデルとした小説で、信州木曾の馬籠宿(まごめじゅく)を舞台に、尊皇攘夷にかけた主人公、青山半蔵(あおやまはんぞう)の希望と絶望が描かれています。
半蔵は平田(ひらた)篤胤(あつたね)が唱えた国学を学び、今こそ日本人は日本古来の価値観を取り戻し、日本の自然に根ざした生活をすべきである、と王政復古に夢を懸けます。しかし、明治の世に翻弄され、家族からも周囲からも孤立し、最後には政府にも幻滅し、牢の中で狂死します。その不幸は言語を絶します。

半蔵が信じた平田篤胤の国学は、儒教や仏教と習合した当時の神道を批判し、独善的で排他的な復古神道を唱えました。膨大な著書の多くは、実際は奇っ怪(き  かい)で、滑稽(こっけい)な内容ですが、江戸末期の飽和した社会の中、ついに人々が信奉する思想にまでなってしまいました。極端な思想は後期水戸学と合体し、庶民層にまで爆発的な普及を遂げ、倒幕の原動力となりました。

慶応四年三月、復古神道は神仏判然(はんぜん)(分離)令として政府の政策となり、日本史上類を見ない廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という破壊運動に発展。この短期間に、日本の国宝級の文化財の約半数が破壊されたといいます。

維新を主導した薩摩では、藩主島津家の菩提寺までが廃寺となり、鹿児島から仏教寺院は一掃され、土佐藩でも高知市内の寺院を壊滅させました。これが行われたのは明治元年から僅か数年のことです。

 坂本龍馬を持ち上げて明治維新を美化しようとしても、実際には龍馬とは思想も宗教も異なる面々が乱暴に宗教国家を作り上げた、というのが明治維新の真相です。

平田派国学という完全に偏った復古神道を政策化したのは、権力の座に就いた岩倉具視(いわくらともみ)等の背後に取り憑いた薩摩諏訪神社の神職・井上石見(いのうえいわみ)、大国隆正(おおくにたかまさ)や福羽美静(ふくばびせい)、岩倉邸に仮寓(かぐう)した祐筆の国学者・玉松操(たままつみさを)、余生を岩倉邸で過ごした日吉大社の祠司・樹下茂国(じゅげしげくに)などで、最高権力者と共に「神国・日本」の国づくりに腐心しました。

幕府の下、権力に取り込まれて腐敗していた仏教僧にも非があり、屈辱を味わってきた神職の怒りの背景にも多くの理由がありました。しかし、日本の不幸は、こうして始まってしまった国家神道政策が、危険な遺伝子となって人々の心の中にくすぶり、最終的には全国民を地獄のような戦火の中に導いたことです。

明治の闇に光を当てなければ、日本人の未来も世界も見えません。
平田(ひらた)篤胤(あつたね)は、本居宣長(もとおりのりなが)の弟子を自称しましたが、生前の彼は宣長に会ったこともありません。ただ、夢の中で師弟の契りを交わしたと妄想を強弁しました。種々雑多な宗教や学問の断片から独善の著書を重ね、ついに狂気の心酔者らは日本を偏狭な方向に導いたのです。日本の不幸は倒錯者を信じたことから始まりました。今の教祖にも似た者がいます。
開導聖人の国学の師である城戸(きど)千楯(ちたて)は宣長(のりなが)の直弟子で、平田批判の急先鋒でした。開導聖人(かいどうしょうにん)はこの城戸(きど)門下四百人の中から選ばれて千草(ちぐさ)家での講義を勤められたほどでした。徹頭徹尾、平田派国学と異なるお立場にありました。

開導聖人や坂本龍馬らが唱えた仏教による日本の平穏は、維新後の七十七年間は公に語られることがなく、むしろ隠されていました。

そして、敗戦後の日本は、全体主義に辟易(へきえき)した国民の多くが宗教を怖れ、共産主義に惹かれ、資本主義に没頭して、その心は今なお漂流したままとなっています。

二つの時代に呪縛され、多くの人が本当の日本人の誇りを知りません。天下の乱れも心の乱れも、仏教によって取り除くべきです。ここに、仏教があります。いま、生きたお寺が仏教を再興します。

2010年10月30日土曜日

長岡謙吉がいない

 NHK大河ドラマの「龍馬伝」が人気ですが、前回から残念な気持ちで見ています。
 ドラマは、いよいよ坂本龍馬や海援隊が、これまでの全てを集約し、最も輝く時期に入りました。しかし、そこに最も大切な人がいません。
 ドラマでは、船中八策を龍馬一人で書いていると描きました。そこに少し陸奥が入ってきましたが。実は、NHKの「龍馬伝」では長岡謙吉がキャスティングもされていません。本当に、これは哀れです。
 「もっと綺麗な字で書き直さないと大殿様に見せられんき」と後藤のセリフ。清書のみの役割を誰かに設定していたことを示唆したのでしょうが、哀しい。綺麗な字を書いているアップが映りますが、誰が書いているのかは分からない。何たることでしょう。

 また、藤吉を中岡の紹介のように描きましたが、これも間違い。どんどん、間違いというか、残念なシーンやシナリオが増えていきます。
 龍馬や慎太郎と共に絶命した藤吉を龍馬の従僕にしたもの長岡謙吉で中岡ではありません。謙吉が行きつけだった先斗町の魚卯で出前持ちをしていた元相撲取りの雲井龍藤吉を可愛がって取り上げたのです。
 当時の土佐の重役たちは先斗町の近喜、瓢亭、大駒、木屋町の松力、伊勢竹、祗園の万亭、下河原の噲々堂などを利用していました。また、龍馬だけが危険な下宿住まいをしていたのではありません。ほとんどの上級武士は藩邸には住まず、その近くの民家や商家に止宿していました。
 陸援隊の本部は土佐藩白川屋敷にありましたが、後藤象二郎は壺屋、福岡藤次は大和屋、真辺栄三郎は越後屋、神山佐多衛は木屋町二条。海援隊関係でも、当時は陸奥陽之助は沢屋、海援隊本部が置かれた酢屋には白峰駿馬がいました。
 いずれにしても、長岡謙吉が描かれていないのは大欠陥です。
 現在は、重要文化財となって京都国立博物館に置かれている「梅椿図」は、近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された際に飛んだ血の痕が残っている掛軸です。この上部に書かれているのは急を聞いて駆けつけた長岡謙吉が涙ながらに書いた追悼の詞です。よく見ると、左側に「懐山樵史 長岡恂 謹誌」とあります。この「長岡 恂」こそ長岡謙吉です。その文章を書き出してみます。
「自然堂直柔先生、石川清之助と燈火炉を擁して閑談す。寂として人無きが若(ごと)し。忽ち三暴客有り、暗中より躍りて之を斬る。予の僕、雲井龍藤吉亦之に死す。予時に浪華に在り。変を聞きて到れば則ち満座狼藉、逬血壁幅に及ぶ。当時の状、想う可き也。実に慶応丁卯十一月十五日也 懐山樵史 長岡恂 謹誌」
 龍馬歴史館などにある船中八策を描く絵や人形の並びも、左から龍馬、長岡謙吉、後藤象二郎、土佐藩士四名を描くというのが通常なのに、これは残念でした。

2010年8月3日火曜日

慰問演奏

 書きたいことがあるのに書けないのは歯がゆいです。
 まず、書きたいことというのは、妙深寺の近くにある特別養護施設・羽沢の家に妙深寺のコーラス部と長野教区の篠原さんが慰問演奏に行ってくださったこと。なかなか、今の妙深寺は、お寺としての福祉活動が出来ていません。しかし、こうして、各教養部が協力して、自発的な活動をしてくださっています。ありがたいことです。
 篠原さんは、マウスオルガンの演奏をしてくださいました。篠原さんは、これまでもお年を召した方や身体に障害を抱えておられる方への演奏活動をしてこられました。特に、篠原さんは「何かをしてあげる」ということではなく、こちらから「学ばせていただく」という姿勢で一貫しておられます。いつも、こちらが勉強させていただいています。
 介護を受けなければならない人に演奏を聴いていただくのと同時に、介護をしているご家族への心と心の交流をしておられる。なかなか、佛立教務でも、佛立信徒でも、できることではありません。

 私たちは、一人ご病気の人が家にいたら、家族全員が同じ病気だと思ってご奉公しなさい、と教えられるのです。自他彼此の心なく、自分や他人という境界線を低くしてするのがご奉公だと教えていただきますが、それが実践できている人は少ないものです。でも、これは難しいことです。
 ほとんどの人が、境界線を引いて壁を高くしておかないと自分が守れないと思っている人ばかりです。
 自他彼此の心をなくして、向き合うこと。本当に、難しいことなのです。それを、篠原さんはしてこられたし、こういう慰問を通じて学ばせていただくことが出来ます。
 先日来、100才を越える方がどこにいるか分からないなどと報道されています。情けない話です。年金を不正受給していた問題は明らかな犯罪ですから司法にお任せしますが、親の消息が分からないと堂々と公言する子どもやコメントを避ける報道番組に違和感を感じます。親子です。「知らない」で済むことではありません。言語道断の事態。たとえば篠原さんのご両親を想う気持ちに比してこの当事者を考えると、その気持ちに天地雲泥の差があり、胸が締め付けられるような気持ちになります。「恩」や「愛」について。
 ご高齢の方の人権にも関係しますから不用意な発言は出来ませんが、110才前後の方が自分で引っ越しをしていくなどとは、明らかに考えにくいです。芸能人の事件や「長野サリン」事件などは、いらぬ詮索を繰り返してきたのに、これほど重要な事件に対してなぜか「のんびり」しているように感じます。

 年金受給者への管理を担当する方々が記者会見をしておられましたが、申し訳ない言い方を率直にすれば、その発言内容、態度、緊張感、危機感を含めて、いかにも無能そうに見えました。彼らは、社会を健全に保つことに情熱を感じているでしょうか。

 「一人信心でよしと思ふは、給銀メ当の実意なき臣下と云もの也。かやうの人々なれば不忠もの也。法に取りては大謗法となりて、仏祖の冥加にはずれたる人とならん事、疑ひなし。慎み給ふべし」隆師年譜(下)

 全国で同じ案件がないかチェックすると同時に、その背後にある一人ひとりの心の問題、社会問題を発見し、何とかしてゆかなければらないと思います。

2010年7月9日金曜日

甘すぎる本人確認です、憚りながら

 期日前投票に行ってきました。

 そして、帰り道に少しコーヒーを飲んで帰ってきました。何となく、選挙と投票に限定して、この国を案じていました。

 何度目かの期日前投票ですが、なぜ、こんなに本人確認が甘いのか、毎回不安に思います。そんな気持ちを、今回は直接聞いてみました。

 投票所の入り口で案内してくださっている女性に、「本人確認はしなくていいのですか?」と聞いてみると、「ええ、大丈夫ですよ(笑顔)。裏側に書いていただくだけでいいんです(笑)」と。

 その裏側とは、名前と生年月日と住所を書くだけ。後は、何にもなし、です。

 「いや、でも、これだけだと不正できてしまうのでは?」と言うと、キョトンとして「え?」と。今回は、ずっと疑問に思っていたので、投票所の中の監視員の方にもお聞きいただいて、「いえ、そんな不正を行う人はいないと思いますが、怖い団体や宗教団体は悪用する可能性があると思います」と言いました。すると、案内の女性から「こわーい」と答えられたので、ガクッとして、それ以上は突っ込まず、投票しました。

 さて、みなさんはどう思いますか?別のウェブサイトを見てみると、本人確認のずさんさを指摘する声が溢れています。国民から溢れているのに、10年ほど前に緩和されたというのだから驚きですね。本当に、ブッシュが大統領に選ばれた時の選管が糾弾されていましたが、当然。いくら人間が見たいものしか見ないと言っても、あの時は現実に少し気づいたのでしょう。民主主義って、どこで担保されているのか分からない、危うい幻想的なシステムだということに。

 期日前投票。投票日当日も危ないけど、名前と住所を確認して、パソコンで紹介して終わり。宣誓書を書いた人物と登録されている本人かの確認なんてしない。もし他人が、自分の代わりに勝手に不在者投票を行おうとしたら、その人物の氏名と住所と生年月日を調べておけば、簡単に「成り代わる」ことができてしまうシステムなのです。以前は、身分証明書の提示が義務づけられていたそうですが、それが1998年か、1999年に緩和された(涙)。

 躍起になって票を集めようとする団体が、ギリギリのところで、こういう「穴」を利用しないとも限りません。というか、そういう「穴」を事前にふさぐのが立法府の使命。シートベルトやら何やら、法律が次々に作られていくのに、選挙や投票という民主主義の根幹を為すシステムについては、「穴」を用意してくれているなんて。

 『憚りながら』言わせていただくと、公明党の党首が富士宮で元気に演説している姿が映っていましたが、よくここでできるなぁと、逆に感心してしまいました。大相撲の野球賭博どころか、ここまで暴力団との結びつきを暴力団の元組長本人から暴露されているのに(涙)。『憚りながら』、すごいと思いました。

 ま、とにかく、一人ひとりがしっかりするしかない。つまり、投票に行くことです。個人、個人が。一人、一人が。

2010年6月25日金曜日

『憚りながら』

『憚りながら』。すごい本ですね。

巨大宗教団体、政治団体。その実態を、闇の世界から明らかにしています。裏側を知り尽くした本人からの赤裸々な告白。証人喚問まで要求しているのですから、否定のしようがありません。

純粋な方々もいると思いますので、その方の未来を考えると恐ろしく、哀れです。しかし、そう言っているだけでは済みません。何とか、一人でも多くの方々に、目を覚ましていただかなければなりません。

選挙となれば800万票を集めるという団体の実態です。暴力団やこうした闇の活動によって、これだけの票を積み重ねてきたと考えれば、国家の危機です。

お祖師さま(日蓮聖人)は御妙判。
「かゝる日蓮を用ひぬるとも、あしくうやま(敬)はば国亡ぶべし。」

政治力や資金力を利用して、海外にも広く布教している団体ですから、もはや「悪く敬ったら、国が亡ぶ」では済みません。「世界が亡ぶ」ことになりかねない。

この本には、暴力が溢れていますから気分を悪くされる方もおられると思いますが、『憚りながら』、一読して世界中に伝えるべきことがあると思います。

圧力のために書店から消えているとも聞きますが、是非お読みいただきたいと思います。佛立とは、全く異なる価値観です。amazonで、買うのがいいかもしれません。

それにしても、暴力団の元組長だけではなく、過去の公明党委員長らが次々に告発本を出しているのは異常な事態です。矢野 絢也氏の著書「黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録」なども、壮絶な内容です。

世界各地に信徒を擁する宗教団体です。法華経とお祖師さまの教えをいただき、御題目を唱える宗旨です。「悪しく敬って」いることに、ほとんどの信徒が気づいていません。

その実態を知り、私たちの為すべきことにも気づかなければなりません。

御教歌
「わが店のはやらぬ故によその邪魔 むだに暮して棒を折る也」

2010年1月27日水曜日

未来宅急便

園美さんの掲示板に、「未来宅急便」なるもののことが書かれていました。私は、そんな素敵なサービスがあることを知りませんでした。

10年前に出した宅急便が昨日届いたということです。小さかったご長男の宗之くんが書いたものや作ったもの、お祖母さまやお母さんが書いたお手紙が届くなんて、あまりに素敵です。

宗之くん、感激しただろうなぁ。照れていたかなぁ。それでも、なにか、あったかいものが心に生まれたんじゃないかなぁ。園美さんは、素晴らしいお母さんですね。

時間は、素晴らしい薬です。時間は、素晴らしい先生にもなります。取り戻せないから、時間は、圧倒的な力を持って、私たちに教えてくれることがあります。

最近、人間とは、つくづく、「今」が、見えないものだ、と思います。「今」とは、感情や立場や状況によって影響を受け、左右され、情報も限られていて、「真実」や「真理」「真相」が見えなくなるものです。時間が経たなければ、「真実」は見えません。それこそ、人間の、最も愚かで、哀れなことだと思います。私たちが、「仏」と最も遠くなってしまうのは、こうしたことが理由ではないでしょうか。

今、政治の世界で大変な騒動が起きていますが、誰にも真実や真相が分かりません。真実を明らかにするはずの検察も、政治的な意図が見え隠れして、情けなくなります。小沢一郎氏も、断片的な説明に終始していますから、何らかの問題があったに違いありません。

しかし、今回の騒動で、「国民の知る権利」を果たそうとする記者の存在やその取材が、真相を明らかにするどころか、世論を操作するためだけに機能しているようで、また情けなくなります。「記者クラブ」というシステムの悪弊か、過熱する視聴率競争の結果でしょうか。明らかに、取材ではなく、意図的な情報のリーク、つまりメディアを使った世論の操作が、平然と、公然と、行われているようです。なぜでしょうか。

小沢氏をかばうつもりなど毛頭ありません。彼に限らず、今はまだ、政治がそれほどクリーンに行われているとは思えません。しかし、こうした政争や権力闘争の中で、政治的な意図によって、「今」を操作しようとする、操作しようとするだけではなく操作できてしまうこの国に、危機感を持つのです。恐ろしいし、愚かで、情けない。今回の騒動は、日本という国の断末魔のように感じます。

新聞は、また信じられないレベルまで堕ちてしまいました。テレビは言うに及びません。報道番組は観るに耐えない。メディアシンジケートの悪循環、巨大化した複合メディア企業の政治的な偏りは一層顕著です。そこから配信される情報は劣化し、信じるに値もしない。情けない限りです。

「ブッシュの戦争」で経験した悪夢のようなメディア戦略や世論操作で、誰もが気づき、反省したと思っていましたが、違うのでしょうか。「小泉劇場」のように、またヒステリーか一時的な熱狂か、幕末の「ええじゃないか」と踊り狂う不安に満ちた民衆のように、一方に走り出しかねないと心配です。

「今」を見ようと思っても見えない。見えないようにしている、いや、政治的な意図によって、あるいはメディアのマネジメントにある人、資金や権力を持つ人や団体の、思想や信条によって、一方しか見せなくする。こうしたことによって、私たちは混乱を深めます。もちろん、見なくてもいいこと、知らなくてもいいこともあります。しかし、メディアの立場、国家権力とメディアの関係において、こうした意図的な操作があるとしたら、本当に不幸なことです。「狂人走、不狂人走」となるのも容易になります。

国家の繁栄と人々の幸せを希求するのは誰しも同じです。しかし、そこに保守と呼ばれる方々や団体、右翼の方々も、社会主義と呼ばれる方々も、左翼の方々もいます。在日と呼ばれる方々もいます。日本は、いま、大きく二極化しながら闘争を激化させているのでしょうか。その裏舞台は分かりません。しかし、表舞台で、正々堂々と議論を重ねていただきたい。意図的な情報のリーク、世論の操作なと、暗澹たる気持ちになります。こうしたことが国民の精神を蝕んでいると思います。

いずれにしても、つくづく、私たちには「今」を見る力が欠落していると痛感します。テレビに出ているコメンテーターも、雇われの身。何かを期待しても無理なように思います。本当のジャーナリストは、独立系メディアの中にしかいないのではないか。記者クラブから追放されたり、省庁出入り禁止措置を受ければ取材できませんが、本当のジャーナリズムを追求するなら覚悟しなければならないのではないかと思います。

つまり、私たちは、時間が経たなければ、真実が分からないと思うのです。「いつか、真実は明らかになる」とは、こうした意味ではないでしょうか。

過去ばかり見ているのは良くありませんが、そこから見渡せば、きっと真実が見えてきます。「今」だけで生きている人は、どこか薄くなります。「今」を、どうにかして誤魔化しても、必ず真実は明らかになる、明らかになってしまうことを知らなければなりません。

開導聖人は、「辛抱せよ まことはつひにあらはれん しれずにしまふ 悪はなき世に」と御教歌をお遺しくださっていますし、日聞上人は「置いて見よ」とお示しです。一度、置いてからでないと、分からないことがあります。いろいろな物事を、「置いてから見てごらんなさい」と教えてくださっています。「御利益は三年経って振り返れ」とも言います。「今」は、分からない。まだ、分からないことがある、と。

未来宅急便、いいですね。僕も、子どもたちに手紙とプレゼントを送っておこうかな。大切なことを伝えたいし。自分に何かあって、10年後にこの世にいなくなっていても、未来宅急便が父親から届くなんて、本当に素敵です。ご信心のことやご奉公のことを教えたいし、父の思いを伝えておきたい。未来宅急便なら、伝えられるし、伝わりそうです。

妙深寺にも、未来宅急便を送ってみたいです。どこまでご弘通が進みましたか?異体同心でご奉公できていますか?とか。でも、僕がいなくなって次のご住職がご奉公されていたら、ちょっとご迷惑かもしれません(汗)。そんなことを、園美さんの掲示板を読んで考えさせていただきました。

とにかく、「未来からの眼」、「過去からの真実」を意識して、「今」を、精一杯、生きてゆきたいものです。未来の人に、誤魔化しはきかないでしょうから。宗門のご弘通が衰えていれば、未来の人から、「あの時代は暗黒の時代」と言われたり、今はおだてられていても「暗黒の時代の教務さん」と責任を問われるかもしれません。未来が楽しみです(笑)。

未来宅急便、本当に素敵です。私は、今から約20年前、開導聖人100回御遠忌の時、「未来へのメッセージを残そう!」という企画で、父が書いてくれた小さな石のプレートを大切にしています。

そこには、「息子よ、頼むぞ!未来に輝く佛立のために」と書いてありました。大切な、父からの未来宅急便です。そこに書かれた父からのメッセージを胸に刻んで、生きていきたいです。

さて、今度は私から息子たちへのメッセージ。何を書こうかな。

2009年11月28日土曜日

明日は妙深寺の朝市

 さて、明日は、妙深寺の朝市です。はじめての試みとなりますが、皆さまのご協力で、本当に素晴らしいお野菜やお米が取りそろえられました。
 かねてから御願いしていた深要師のご実家まで仕入れに行ってくれて、今日は夜遅くまで準備ご奉公をしてくだっさっていました。先ほど、私も見て驚きましたが、新鮮なお野菜、お米たち、輝いています。
 信が失われていく社会の中で、信を取り戻してゆくことが何より大切だと思います。疑うことでしか我が身を守れないのも分かります。産地や賞味期限の偽装行為で、命をつなぐ「食品」にも疑いの目を向けなければ、自分も、愛する家族も守れません。しかし、「信」を失った社会や人間が成立することは極めて難しく、不可能であり、不幸であると思うのです。
 「信」を、心と生活の中心に据える。その「信」というネットワークの中心に「お寺」があって欲しい。いや、実際に、そこにあるはずだ、と。
 まず、ご信者さんが作ったものを食べさせていただきたい、という思いがありました。上行所伝の御題目で結ばれた私たち。その「信心」で結ばれた私たちですから、ご信者さんで農業をされている方からお作りになっているものを分けていただきたい、と考えたのです。また、それらを食させていただく私たちも、その農業をされている方を、ずっとずっと支援させていただく。台風が来ても、災害で食物の実りが少ない時でも、都会の私たちが一緒に食物を作っている気持ちで支えさせていただく。
 全世界的な、「信」で結ばれたネットワークです。毎日口に入れるものですから、ご信心でいただきたい。競争だけでは得られない価値があると思います。作る側と消費する側の、新しい関係、「信」の関係を、作っていきたいものです。そういう繋がりを持ちたくて、妙深寺の「朝市」がスタートします。
 まずは、我らが深要師のご実家から、この野菜の少ない時期に、妙深寺の私たちのために、大切なお野菜を分けていただきました。本当に大変な試みです。ご協力いただけて、本当にありがたいです。
 明日、是非是非、妙深寺にお参詣ください。

2009年8月6日木曜日

クスリに冒された世界

 ゆっくりテレビを観ていないから分からないのだが、大きな芸能ニュースが2つある。それぞれ、関連しているのは「麻薬」「クスリ」による逮捕などだという。マイケル・ジャクソンの突然の死についても「薬物」の影響などが取りざたされており、もはや「クスリに冒された世界」ではないか、と恐ろしくなる。
 私は、トランペッターのチェット・ベイカーが好き。何ともいえない、やさしい音、人間っぽさ、哀愁のあるトランペットの音色が、本当に、好きだ。女性の声だと思っていた「My funny Valentine」という曲が有名だが、彼の風評を聞き、事実を知りたくなって本を読んだ。
 チェット・ベイカーは、ボロボロのジャンキーとして知られ、その美声とは裏腹におぞましい一生を送ったアーティストとして名を知られていた。あの頃の、数多くの音楽家たちがクスリによって命を落としたように、彼もアムステルダムのホテルで不可解な死をとげていた。伝記作家として著名なジェイムズ・ギャピン氏が、分厚い彼の伝記「終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて」を出版しているので、私は社会や人の心の暗部を知るためにも、この本(高額で、540Pと分厚いのだが)を取り寄せて読んでみた。
 題名のとおり、終わりのない闇を見せられた気がして、本当に、1ページづつ読んでいくことの辛い、苦しい、読み終わった後(きっと、多くの人が読み終えないと思うが。途中で読むのを止めてしまうだろう)の後味も極めて悪い。
 彼に限ったことではな。人間の心の弱さ、欲望、虚しさ、孤独、その不安、怖さは誰にでもつきもので、そこから逃れたいと、逃げ道を探していることも彼に限ったことではない。彼は、恐ろしい闇の中にいて、クスリに溺れるようになり、その闇から生涯を通じて抜け出すことは出来なかった。クスリを手に入れるためには、どんな手も使い、絶対に手放してはいけない人にも嘘をつき、裏切り、犯罪にも手を染めていく。彼のファンであった医者の協力を得て、特定の国では合法化されている薬物を処方してもらい、あるいは偽の処方箋を作ってクスリを手に入れることもあった。
 私たちからすれば、彼を弁護しようにも弁護のしようがないほど、その生活は荒み、一貫性がない。彼は特異稀な才能を持って生まれた。しかし、その才能によって、その他の人には理解も共感もできない孤高の頂に、たった一人で立ち続けなければならなかった。マイケル・ジャクソンの死に相通じるものがあり、私はマイケルの訃報に接して、なぜかチェットを思い浮かべた。その孤独も、専属の医師がいたことも、その医師から強いクスリを処方してもらっていたことも、チェットと共通することだったから。
 ブラジルのファベーラでも、ドラッグが蔓延している。無法地帯だから需要と供給が成立しているということではなく、この日本でも、これほどドラッグ、クスリ、麻薬、覚醒剤が蔓延し、そこから苦しみの人生に陥っている人が多くいることが、恐ろしい。暗闇、終わらない闇の中にいる方々が、大勢いる。有名人とか、一昔前の成功者、著名人など、人生を翻弄されてしまう人、クスリに逃げ道を探す人が多くいる。そこに、何とか光を当てられないのだろうか。
 ヒンドゥーでも密教でも、「非日常」を作り出すためにトランス状態を求める秘技がある。トランス・パーソナル心理学では、LSDやマリファナを使って、深層心理・無意識の領域を無理矢理開き、自己を見つめたり、精神的な問題を直そうと試みた。恐ろしい問題もあり、これは非合法化された。オウム真理教では、「修行(?)」の過程で麻薬を使用していたと報告されている。日常では知ることもなかった自分の心の奥底に眠る「自分自身」に気づかせて、狂気の信仰心を煽り、培った。結果は、誰もが知るとおり、それこそ「終わらない闇」だった。
 他人事にせず、我が身の心の弱さを知ることが、まず第一に必要なことだと思う。みんな、一生懸命、肩をはって、生きている。しかし、すぐそこに、恐ろしい闇が存在していて、フッとしたことから闇の中に堕ちていってしまう。そこに至らない、そこから抜け出すために、御仏が教えを説いてくださっている。その「信仰」、その「信心」を、みんなが普通に、身近に、していくことの大切さを思う。
 いま、こうしてクスリが蔓延している状況を知り、「心の闇に光を」というブッダの言葉を思う。
「斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」

2009年8月5日水曜日

CITY OF GOD

 ブラジルにおもちゃを送るご奉公について、佛立新聞や大放光等でご紹介をいただいた。昨年、第2回 青少年の一座に於いて開始されたのが、ブラジルのスラム街(ファベーラ)へ「おもちゃ」をプレゼントするご奉公。私たちの家に眠っていて、そのままであれば捨てられてしまう「おもちゃ」を、最も苦しんでいるであろう方々に対して、結縁とご弘通のために送ろうじゃないか、と始まった。ご信心をさせていただいていると、世界中の人とつながり、実際に結ばれていく。
 2008年9月24日付けの「ブラジルのスラム街へ」と題した記事には、サンパウロの斉藤御導師やリオの吉川師、吉川ご夫妻をはじめ現地のご信者方のご協力をいただいて、確かに私たちのおもちゃがファベーラに届いたことを載せさせていただいた。小泉氏からのメールで詳しいご奉公の状況が分かる。
 また、9月28日付けの「スラム街でのご奉公(動画)」では、その様子が動画によって見ていただけるようにした。私たちの「おもちゃ」が、確かに、「届いたんだ」「届くんだ」と感じていただけると思う。
 しかし、ブラジルのスラム街「ファベーラ」の本当の「惨状」を見たり、知ったりすることは難しい。そのことを知れば、もっともっと、このご奉公の意義を分かっていただけると思う。私たちの「おもちゃ」は、一体どのような場所で、どのような子どもたちに届くというのであろうか。それを、少しでも感じていただきたい。
 ここに紹介する「CITY OF GOD」という映画や「CITY OF MEN」、ドキュメンタリー作品である「ファベーラの丘」は、このファベーラを舞台としたものだ。戦争が起きている訳でもないのに、これほどまでに子どもたちが荒んだ生活を余儀なくされていることを、思い知れば知るほど、この活動、このご奉公の尊さを感じることになる。私たちにブラジルから呼びかけていただいたことに、感謝する以外ない。
 暴力が支配し、警察ですらギャングのボスの許可をもらわないと入れないという話が、「真実」であると実感できる。こんな世界があるのか、と思い知る。サンパウロの警察は本当に協力的で、誠意に満ちた人たちだったとひろし君のレポートにはあるが、ここで描かれているのは頼るべき警察の腐敗。明るい日差しや観光都市のイメージとはかけ離れた、麻薬に汚染された若者たち。これらの作品群では、ブラジルの数あるファベーラの中で最も危険とされるリオ・デジャネイロの地域、特に「CITY OF GOD(神の都市、山)」を舞台にしている。ラテンの気風なのか、絶望的なのか明るいのか、分からなくなる。しかし、これも「実話」というから恐ろしい。
 私たちは、ブラジルのリオといえば、サンバやボサノバ、カーニバルが頭に浮かぶ。事実、私も昨年の3月にはコパカバーナのビーチを行き来していた。しかし、表側しか知らない。見えない。あの場所に、あの裏側に、ファベーラという貧困に満ちた隔絶された世界に生きる人々がいて、日常的に銃声が聞こえるような危険地帯がある。ビーチで泥棒に遭ってしまうとか、そういう話は多いが、その背景に、貧困と暴力、子供たちの多くがギャングにならざるを得ない環境、ギャングの多くが25歳くらいで命を落とす世界があるということを知らなければならない。
 ここに、御題目をお届けする意味。ここの、子どもたちと、ご縁を紡ぐために、「おもちゃ」をお送りすることの大切さ。その尊い菩薩行の一端を担わせていただけることのうれしさを、かみしめなければならないと思う。そこに、斉藤御導師やコレイア御導師が入ってご奉公されたことを見聞きして、その「信心」のすごさ、強さに、ただただ、敬服するばかり。
 この映画は、ブラジルの、ファベーラに、「おもちゃ」を送るご奉公にご協力いただける方に、ぜひ観てもらいたい。
 このブログが、いろいろ人と人、情報、点と点を結ぶ、ご縁を作る役割を担えているのであれば嬉しい。特に、こうして日本の国内、佛立寺院と佛立寺院、ご信者さんとご信者さん、世界中の人たちと結ばれていくことが嬉しい。実際に、イタリアやスリランカやブラジルや韓国、フランス、オーストラリア、イギリス、インド、アフリカ各国と、徐々に縁が結ばれてゆく。それぞれが、花開いていく。私が知るとか、行くとか、そういうことは関係ない。無論、「妙深寺」という枠も関係なく、ただただ、上行所伝の御題目によって結ばれてゆく尊いご縁が有難い。
 以前も書いたかも知れないが、アルビン・トフラー氏は著書「パワーシフト―21世紀へと変容する知識と富と暴力」で、人類が「暴力」→「富(金)」→「知識」と、その「パワー(力・効力)」が移行してきたと説いた。暴力、財力、権力を中心に回っていた世界は終わり、これからは知識や情報力を持つ者が「パワー」を持つ、と。20世紀から21世紀に切り替わるのは、ここだ、と。大きく頷ける点ばかりなのだが、それが全く通用しない世界を目の当たりにして、一瞬戸惑うのだ。圧倒的に、暴力が支配する世界。金がものを言う世界が、そこにある、と。
 下記に動画もアップしたのだが、「ファベーラの丘(Favela Rising)」というドキュメントは、最も凶悪なリオのヴィガリオ・ジェラウというファベーラで、絶望的な状況でも希望ある未来を子供たちに示そうと立ち上がった男を追ったドキュメンタリー。音楽やダンスを通じて、世界的に評価を受けようとしてきている。たくさんの人が、いま、立ち上がろうとしている。本当に、ありがたい。
 とにかく、一つ一つを取り上げながら、「今、あなたのために、自分ができることは何か」を考えてみて欲しい。


2009年7月25日土曜日

ロッコ・ブランディ君からのメッセージ

 青少年の一座に、各国からメッセージが寄せられ、実行委員会の広報部が作成してくださっているウェブに次々紹介されている。ぜひ、ご覧いただきたい。
 ホスト支庁である九州の御導師方をはじめ、ブラジル、スリランカ、韓国、イタリアの佛立青年からのメッセージが並べられている。一つ一つの文章から、何とも言えない彼らの気持ちや情熱、ご信心やご弘通への熱い思いが伝わってくる。
 イタリア本門佛立宗からは、ロッコ氏がメッセージを寄せてくださった。フィレンツェの良誓師から送っていただいたのだが、私がご奉公させていただいた時の記憶では、彼はとても明るい青年。文章を拝見して、こんなに深くご信心を捉えておられたのかと、あらためて感心した。有難い。
 青少年の一座のウェブページを是非ご覧いただきたいと思うが、どうせなのでここでも紹介させていただきたいと思う。
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 ロッコ ブランディ(イタリア在住) 34歳です。私はちょうど20歳の時に日蓮聖人の教えに出会い、3年前にイタリアで本門佛立宗に入信させていただきました。御題目口唱と御講に参加させていただいたおかげで現実に向き合う勇気をいただきました。
 青年時代、人はそれまで味わったことのない様々な問題に直面してゆきます。誰もが困難を乗り越える強さを持ち、それを堪え忍べるとは限りません。そんな時、多くの人は最も簡単な方法として、目の前にある苦しみや困難に背を向け、一瞬の喜びや快楽に、逃避できる場所を探してしまうでしょう。隣に苦しむ人々や問題を抱えた人々がいても無視してしまうこともあります。
 これらは深い罪障です。なぜなら、もし現実を理解することなく、困難から逃げる癖がついてしまえば、幸せになれるチャンスを遠ざけていることになります。人生が私たちにもたらす出来事を認識し、把握することは難しいものです。御仏は、現実を理解する力が欠けているか間違った認識をする“無知(愚癡)”こそ第一の苦しみの原因であると教えておられます。
 しかし、私たちは勇敢に現実を直視できるはずです。そのためには多くの勇気が必要ですが、それもいつもあるとは限りません。ありがたいことに、私たちには御本尊さまがあります。御法さまは、全てをはっきりと見せてくださり、私たちに強さを与え、あらゆる場面でサポートをくださり、私たちを苦しめるものを変え、困難を通じて心を磨き、どうしたら人を助けることができるかを教えてくださいます。
 良誓師から教えていただいたお陰で、私は人生で遭遇する様々な場面に現証の御利益、幸せの種が隠されていることを知りました。勉強や仕事をしっかりする、自らの責任を果たす、信行の実践に努める、私たちの家族や友人を大切にする、私たちの身の回りにある職場や環境、そこにいる全ての人々を大切にする中に、幸せの種があることを体感しました。
 私たちがご信心によって生き方や見方を変えてゆけば、夢は日を追う毎に実現に近づいてゆきます。信行ご奉公をさせていただく人生であれば未来に起こる(現時点では起こっていない)事を案じることもなく、また過去に起こったことを悔やむ事もなく、「現世」をありがたく、感謝して生きていけるのです。若い人たちにとって、信心増進に踏み出す勇気を見出すこと、日々絶えず心から願うこと、人生の中で出会う人々を助けることは大変大切なことです。私たちが“もうこれ以上前には進めない”という困難に遭遇した時、自らの弱さを感じた時こそ、自分考えや我を捨てて御題目を唱えさせていただきましょう。本門佛立宗に関わるすべての方々とともに支え合い、ご本尊にいらっしゃる御仏(御法さま)の御力によって必ず助けてくださいます。
 今日、世界中の人々の暮らしの中で急進的な変化が必要とされていると懸念されています。そうした中、人々は様々なかたちで互いに影響を受けています。しかし、真の安定と恒久性を持った変化とは、政治的な活動や経済政策から生まれて来るものではありません。「世界の平和(Global peace)」とは、外から押し付けられるものではなく、“人間”によってもたらされなければなりません。なぜなら、あらゆる不安の始まりは人間の心の中に存在するからなのです。「世界の平和(Global peace)」は、多くの「個の平和(local peace)」が積み重なってこそ、ゆるぎないものとなります。
 「個の平和(local peace)」とは、真っ直ぐに人生を見つめ、心と魂を磨き、他の人々を大切にして生きる、と決めた一人の人間によってもたらされます。世界中のどこであろうと、そこに法華経(Lotus Sutra)のご信心をされる男女がいて、御題目を唱えていれば、そこに「個の平和」があります。御法(Dharma)が流布によって、尊い光明が世界全体を覆ってゆきます。これこそ人類を救済するために必要な唯一無二の進むべき道です。
◇原文英語によるメッセージ
My name is Rocco Brandi and I’m 34 years old. I met the Buddhism of Nichiren Daibosatsu when I was 20 and 3 years ago I joined HBS Italy.
Thanks to the practice of Odaimoku and the attendance of the Oko-meeting I’ve found the courage to see the reality for what it really is. During the youth-time happen to face up to several problems for the very first time. Not always one feels to be able to deal with the difficulties, to have the strength to get over them and to handle the suffering that they carry on. In this case the simplest way that one can act is to turn the head to the other side, seeking refuge in ephemeral and transient pleasure. Otherwise we ignore the sufferings and the troubles of the people next to us. This is an hard sin, because if we make the habit of escaping from problems, without realizing it, we start to avoid also what could be an opportunity to be happy. We couldn’t be able to recognize and catch the occasions that life offers us.
The Buddha teaches us that the very first cause for suffering is “ignorance”, meaning the lack of knowledge (or wrong knowledge) of reality. But we would be very brave to see reality straight in the eyes, it requires a lot of courage and we not always have it. But luckily we have the Gohonzon that allow us to see clearily and give us strength and support in every occasion and allow us to transform what make us suffer and to forge our souls through difficulties, so we can learn how help other people .
Thanks to the lessons of rev. Ryoseishi I’ve learn that the secret for happiness is TAKE CARE of the various aspects of our life: take care of studies or work; take care of our own responsibilities; take care of our own practice and faith ; take care of our family and friends; take care of the member of our community and the the environment in which we live. If we develop this attitude we’ll be able to build day by day a future where all our dreams will be accomplished. If we learn to take care of life, we’ll be able to fully live the present moment, the “here and now”, with no regret for what happened in the past and without anxiety for what could happen in the future.
It’s very important that young people find the courage and the constancy to realize every day their dreams and to support their friends in their path. When we feel that we can’t go ahead, or we lack of strength, then don’t hesitate to abandon ourselves in the sound of Odaimoku, to take refuge in the arms of the spirit of the Buddha that lay in the Gohonzon and to support each other with the member of our community
In all the world it is warned the need of a radical change in the way of live of people, in the way they interact between them and with the environment. But a change that could be stable and lasting can’t come out from policy or economic choices. Peace can’t be imposed, it must be conquered by every single human being, because first of all darkness lays in the heart of people. “Global peace “ could be stable only if it will be the sum of many “local peace”.
A “local peace” is made by a single person who decide to adopt a straight vision of life, to purify his heart and to take care of the people around him. Everywhere there is a man or woman that embrace the Lotus Sutra and invoke the Odaimoku, there can exist a “local peace”. Through the spread of the Dharma this areas of light (the light of Buddha), will cover the entire globe. This is the only concrete path for the salvation of the humankind.

2009年7月24日金曜日

ゲリラ豪雨

 先日、恐ろしい土石流がお年寄りの施設を直撃し、不幸にも多くの方々が命を落とされた。「ゲリラ豪雨」とは聞いていたが、本当にどこで起こるか分からない。映像で見る限り、非常に綺麗な施設と濁流のコントラストが何とも不自然で、言葉にならない恐怖を感じる。近代的な施設に押し寄せる自然の猛威とでも言うのだろうか。
 防府市に別院のある呉・妙泉寺の藤本御導師にお伺いしたところ、何とかご信者の方々は大丈夫であったとのこと。詳しい情報は追ってお聞きしなければならないと思うが、別院は被災地域からは離れているとのこと。後は引き続きご信者の皆さまの安全の確認をされるとのこと。ご信者さんに限らず、被災した地域では不安な夜を過ごされている方々がたくさんおらえると思う。本当に、お見舞い申し上げたい。
 そうしたニュースを聞いていると、新幹線が遅れているとのこと。青少年の一座が行われる九州北部を、なんと1時間に100ミリを越す豪雨が襲ったという。すでに、長崎市などで亡くなられた方が出ているようだし、大分でも小学生が増水した川で溺れてしまったというが、何とも恐ろしい。まさに、青少年の一座が開催される福岡市でも1時間に120ミリの雨というから、本当に心配だ。ライトをつけたまま水没したの写真も配信されていた。大丈夫か。
 今日、被災した防府市では「1時間に30ミリの雨が降る恐れがある」ということで避難勧告を出していた。21日の記録的な豪雨も1時間に70.5ミリとのことだから、九州北部は先日を上回るゲリラ豪雨に見舞われたことになる。
 立正安国論上奏750年の御正当。本当に、いろいろなことが起きる。十分に注意して過ごしていただきたい。防府市の被災した方の家に空き巣が入って、ノートパソコンなどが盗まれたという事件があったようだが、これを聞いて、憤るというか、本当に、世にも恐ろしい犯罪、そういう社会になっていると痛感した。

2009年7月22日水曜日

日蝕、見ました?

 京都からも、雲の切れ間から日蝕が見れた。
 すごいなぁ。天文少年の血が騒ぐ。少しだけ、気持ちがやわらぐ。地球、月、太陽。想像を絶する、壮大な営み。生かされていることに気づけば、今目の前にある問題も小さくかすんでしまう。
 宇宙に。太陽に。本当に、すごいなぁ、ありがたいなぁ、と感謝の言葉を伝えたくなる。
 漆黒の宇宙に浮かぶ、地球を感じられる、素晴らしい機会。戦場で戦っていた兵士たちが、日蝕を見て戦うのを止めたという故事を思い出す。
 人間が、その存在の小ささ、命の貴重なること、生きとし生けるものとの尊い絆を思い返したら、謙虚になれるのに。もっと、いい生き方ができるのに。御宝前に、御本尊に向き合う私たちは、いつも、こうした壮大なものに頭をひれ伏す大切さを知っているはず。
 それにしても、今年は、いろいろあるな。立正安国論上奏750年、人類月に到達して40年、ダーウィン誕生200周年と『種の起源』出版150周年。いろいろ、あるなぁ。

2009年7月14日火曜日

夏期参詣が始まった!

 13日から夏期参詣が始まった。今年も、一番暑い季節に行われる夏期参詣。毎朝、たくさんのお参詣者と一緒にお看経できるなんて、なんて嬉しいことだろう。
 社会情勢も混沌としている。解散・総選挙の「予告(?)」もあったし、円高と株安が急速に進んでいる。ここにきて、インチキな情報が世界を駆けめぐっている感もある。しっかり、良好な視界を保って、覚悟をして過ごさなければ。政治でも経済でも、一般的には見え隠れするだけだが、今やなりふり構わぬ狂気の沙汰が横行している。インチキどころか、何でもありの様相。いつも言っていることだが、極めて厳しい状況を前提に、備えておかなければならない。
 来年、日本は大インフレに陥る可能性もある。公的資金の注入でゾンビ企業と「土建立国」当時の企業もギリギリの息を吹き返した。せめて、この猶予期間に、経営者らが死にものぐるいで為すべきことをしたならいいが、多くはわずかな延命処置、その日を先延ばしにしただけになっている。やはり、実体(?)経済と雇用の悪化などは、来年本格的になるのではないかと思ってしまう。
 ここまでくると、昨年の9月に解散前提で誕生した麻生政権や自民党や官僚トップらは、合意の上でないにしても、一度民主党に政権を渡すことを前提に「バラマキ」をしたのではないかとさえ思ってしまう。つまり、民主党に政権を譲らざるを得ないことは自明のことで、それならば民主党政権になって、1年弱で世論が沸騰して民主党が政権を投げ出さざるを得なくなるように、時限爆弾をセットしたのではないかとすら疑ってしまう。そのくらい、これまでの政策は、来年には効力を失う、あるいは延命や先延ばしによって様々な指標の悪化は来年度にずれこむ。はたしてどうなるか。
 とにかく、負けるわけにはいかない。誤魔化されるわけにもいかない。悲観的になって気力を失うのではなく、危機感を力に変えて、泥臭くても、コツコツと手を打ち、戦略を練り、立ち向かわなければならない。立正安国論上奏750年の年。こうした混乱や困難を、「今年でよかった」と思えるようにしていただきたい。つまり、お祖師さまの教えによって、これほどまでに事前に危機感を抱かせていただけたこと、それによってフンドシを締め直して何事にも立ち向かえたと言えるようにしなければならないと思う。
 日曜日の夜には野崎家のお通夜のご奉公があり、月曜日には告別式となった。月曜日の朝から夏期参詣がはじまった。この厳しい修行により、おはからいをいただかれる方々が大勢おられるはずだ。月曜日には各教区から上半期のご奉公報告もお聞きした。各教区丁寧にご報告くださった。御正当年でもあり、一つの教区で7~8のお教化が成就したとのご報告が有難かった。
 今朝は、夏期参詣の特別ご奉公として、住職の日程を事務所前に張り出し、個別にフリートークができるようになった。空いている時間を全て書かせていただいて、いろいろなご相談やお話ができる。御正当年だからこそ、ご信者ではない方でもお連れいただきたい。
 とにかく、夏期参詣がはじまった。本気で、挑んでいただきたい。

2009年7月5日日曜日

7月4日に生まれて

 今日は、ガッツのいる一日だったぁ。御講席が3席。10時、12時、14時半。御講のご奉公が終わってから三ツ沢に戻り、それから相模原の妙現寺へ。日曜日の夕方ということもあり、保土ヶ谷バイパスはちょっと渋滞していて、18時半ちかくになってしまった。
 御講3席なんて、まだまだ大したことないのかもしれないが、妙深寺の御講は気合いが入る。思い切りスイッチを入れて、アクセル全開でご奉公させていただくので、もう電池がギリギリ。とにかく、今日も充実したご奉公をさせていただいて、みなさまに感謝、感謝。
 昨日は息子の誕生日だった。7月4日。彼はアメリカの独立記念日にアメリカで生まれた。彼が好きなマルガリータのピザを頼み、ムシャムシャ食べていた。
 それにしても、7月4日に生まれた息子。生まれた日、ドカーン、ドカーンと花火が打ち上がっていて、それはもちろん独立記念日のお祝いの花火だったのだけど、何か息子の誕生を祝ってくれているようで嬉しかった。町中もフェスティバルだったし。
 それにしても、ロム・クルーズが主演している「7月4日に生まれて」という映画があり、その映画を観ると心が沈む。フォレストガンプはアメリカの50年を明るく描いてくれているけれど、この「7月4日に生まれて」では徹底的に暗い部分を見せつけられる。当時、「トップガン」など格好良い役ばかりやっていたトム・クルーズがこんな暗い、深い映画に出るなんて。それだけで今までとはイメージが全く違っていて、最初は観る気持ちにもならなかったほどだ。
 この映画を観ていると、アメリカという国を愛して、信じていた若者たちが、「ベトナム」でどれだけ傷つき、その傷を抱えて生きてきたかを見せつけられる。「地獄の黙示録」や「プラトーン」や「キリングフィールド」や「フルメタルジャケット」など、その他いろいろな映画でもベトナムやカンボジアで体験した世界やそこにいた人々の苦悩、感じた矛盾を見せつけられるが、この映画は、一人の青年を通じて身近に見せつけられる。何よりおぞましいのは、愛国心に燃えて海兵隊に志願する青年と冷めた青年との対比。ベトナムで負傷し、下半身不随となる主人公を迎える病院のおぞましさ。命を捧げた国に裏切られた、騙されたと感じる主人公。確かに、国はずっと青年にウソをついてきたと描かれている。負傷兵にあびせられる反戦者からの言葉。国民の多くがこの戦争を支持していないという現実。傷ついていく。生きる道を見いだせずにもがく。最後は、政府を非難することに立ち上がるのだが…。
 だから、この映画のことを思ってしまって、7月4日生まれということについて、やはり考えさせられる。
 いま、イラクからのアメリカ軍の撤退が始まりつつあるが、そこに傷ついた兵士たちがいる。彼らは、どうしているだろう。イラク戦争の大義がゆらぎ、今でこそアメリカの世論は「イラク戦争は間違いだった」などと言っている。しかし、そこに従軍し、命を落とし、取り返しのつかない身体になってしまった人たち(もちろん、多くのイラク人たちもいるのだ)がいる。その人たちへ、いまさら「イラク戦争は間違っていた。戦争はんた~い」と叫んでいるのは滑稽だ。もっと、もっと、早く、なにかをすべきだったのではないか。「7月4日に生まれて」の主人公と、全く同じような境遇にいる青年がいると思うと、やりきれない。アメリカの人も、日本も、熱に浮かれ、うなされて、あの時ほぼ80%の世論が戦争を支持していたことを思い返さなければならないと思う。

2009年4月30日木曜日

タミフルとギリアド・サイエンシズ社か…

 世界保健機関(WHO)は、メキシコで159人が死亡し、米国でもメキシコ人の幼児が死亡したほか、ドイツ、オーストラリアなど9ヶ国で感染者が出ていることを受けて、29日、豚インフルエンザ(H1N1型)の世界的大流行(パンデミック)のリスクが差し迫っていると、警戒水準を「フェーズ5」に引き上げた。「フェーズ5」とは「パンデミック」を意味する「フェーズ6」の1つ手前である。
 今回、世界的大流行の恐ろしさは続くが、豚インフルエンザ(H1N1型)は「弱毒」ということで、鳥インフルエンザ(H5N1型)と比べれば遙かに危険度は低い。パニックを起こさぬよう、正確な情報と正しい予防行動によって「強毒性」の鳥インフルエンザ(H5N1型)の爆発的流行に対する予行演習となるだろうか。金融危機に引き続いて、世界は大きな試練を迎えている。
 ゴールデンウィークを目前に控えている中(既に休暇に入っている人も多いようだが)、旅行者は戸惑うばかりだろう。かのスペイン風邪の時は、これほどまでに人や物資が世界を飛び回り、行き交うことはなかった。時代はグローバルに発展を遂げている。人類の驚異である新型インフルエンザが世界中をあっという間に席捲するシステムは出来上がってしまっている。
 情報が曖昧なまま広がっていくと、復調を見せ始めた経済も大打撃を受けかねない。既にメキシコ政府は、豚インフルエンザの感染拡大を防止するため、5月1~5日までの間、食品、医療、輸送、金融サービスなどを除く経済活動を停止するよう求めている。各国の大手企業が工場などを閉鎖してゆけば、それこそ大きな経済的な損失は回避できなくなる。人命か経済か。いずれにしても、重要な選択を迫られるが、今回は「弱毒性」のH1N1型でよかったと思うしかないし、これがH5N1型であったことを想像すると背筋が寒くなる。正確な情報に従って正確に対応してゆくことしか、今のところ私たちの取る術はない。
 ただ、WHOが、抗インフルエンザ薬「リレンザ」を製造するグラクソ・スミスクラインや「タミフル」を製造するロシュとギリアド・サイエンシズに治療薬の製造拡大を訴えたが、中でも「タミフル」に関してはイヤな人物が頭に浮かんで、興ざめする。というか、今回のパンデミック騒動の裏に、また何か政治的な駆け引きでもあるのではなかろうかと、災いを呼びそうな「チーム」の人たちの顔が浮かぶのだ。
 米CNNの2005年10月31日の報道。その当時も、鳥インフルエンザ大流行の予測が世界中の人々を怯えさせていた。当時のアメリカ大統領は、あの、ジョージ・W・ブッシュ。そして、2006年11月8日の中間選挙で共和党が大敗するまで政権の実質的な権力を一手に担っていたのがラムズフェルド国防長官。この人たち、チェイニー副大統領がハリバートンのCEOを勤めていたのも含めて、世界的な事件となると、必ず関連してビジネスの臭いをさせる。だから、今回のパンデミック騒動も「ホント?」と疑いたくなってしまう。いかんな。
 カリフォルニア州に本拠を構えるバイオテック企業ギリアド社は、インフルエンザ治療薬として現在世界中から注目されている『タミフル』の特許を所有している。ラムズフェルド国防長官は、ギリアド・サイエンシズ社の株の多くを所有している。1997年からブッシュ政権入閣までの2001年の間、ラムズフェルド国防長官はギリアド社の会長を務めていた。ジョージ・シュルツ元国務長官や前カリフォルニア州知事の妻ピート・ウィルソンもギリアド社役員で多くの株を所有していた。
 サンフランシスコのシンク・イクイティ・パートナーズ社のアナリスト、アンドリュー・マクドナルド氏は「政界とこれほど繋がりの深いバイオ企業は他に類を見ない」と評している。
 これまでも、米国政府と日本は、世界最大のタミフル購入者だった。2005年度だけでも、米国防総省は兵士への配給用に5,800万ドル分のタミフルを注文していた。ロシュ社における2004年度のタミフルの売上は2億5800万ドル。それが2005年度になると10億ドルに跳ね上がった。今回、この騒動で、どれほどの売上を記録するのだろう。
 世界の人々の命を助ける医薬品企業が責任を果たし、人命を救うのは願っても止まない話で、どれほどの売上を上げようとも良いのだが、こういう政界との結びつき、しかも、近年災いをもたらしてきたであろう人々との癒着が明るみになると、「ホント?」という気持ちが湧き起こってしまう。イラクの時の、人命を軽視した政策や戦略を、見てきたから。まさか、政権を失って、金融危機に際して、「こんな手もあります」では、ないですよね?と聞きたくなってしまう。あ、お坊さんらしくないか。話題が。
 とにかく、末世の様相。正しく見て、正しく聞き…。正法を護持し、流布するしかない。お看経、してますか?

2009年4月28日火曜日

パンデミックに思う

 豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)が世界を怯えさせている。警戒レベルの「4」とは、極めて深刻な事態を想定して出されたものだと思う。「パンデミック」。サーズや鳥インフルエンザの時に懸念していた事態が、今年、このタイミングで訪れようとは。

 いま、妙深寺では立正安国論の上奏750年を記念して、「立正安国論」の素読を開始している。老若男女が集って、何とか一度でも立正安国論を通読していただきたいと思って開始した。毎回、原文の書き下しと現代語訳をプリントして配り、9~10回の講座として続けていこうと思っている。今月は第2段の拝読だった。

 天下が乱れていく原因、自然界と人間界のバランスが失われ、人々が苦しんでいる原因について明らかにされて行くのだが、あらためて拝読していくと、お祖師さまは努めて「自説」を控え、そこに展開せず、とにかく御仏の御経文を出して、文証を尊んでおられる姿勢を学ばせていただく。「私はこう思う」ということを控えておられるのだ。空海・弘法大師の姿勢と全く異なると思う。これが、「ザ・仏教」といわれる原点。お祖師さまほど、御仏のお経文の全てを尊び、そこをしっかりといただいた上で、御仏の御本意を導き出された。それも、能所・勝劣に迷って経文の山に埋もれてしまった人々に御仏の真意を届け明らかにする、上行菩薩としての使命であられたのだが。

 今回の段は、特に文証としての御経文が引かれている。ほぼ、今回通読した部分すべてが御経文であり、お祖師さまのコメントは最後の数行である。そこに挙げられた御経文は、明確に世相が悪化する原因を述べられている。よく、他宗から批判されるが、これは日蓮聖人(お祖師さま)の個人的な見解ではない。御経文に説かれるところなのである。

 「客(きゃく)の曰(いわ)く、天下(てんか)の災(わざわい)、国中(こくちゅう)の難(なん)、余(よ)独(ひと)り歎(なげ)くに非(あら)ず、衆(しゅ)、皆(みな)悲(かな)しむ。今(いま)、蘭室(らんしつ)に入(いり)て初(はじ)めて芳詞(ほうし)を承(うけたまわ)るに、神聖(しんせい)去(さ)り辞(じ)し災難(さいなん)並(なら)び起(おこ)るとは何(いずれ)の経(きょう)に出(い)でたるや、その証拠(しょうこ)を聞(き)かん。
 主人(しゅじん)の曰(いわ)く、その文(もん)、繁多(はんた)にしてその証(しょう)、弘博(こうはく)なり。」

 ここから、御経文が引かれていくのだが、今回拝読した人たちの多くが感じたように、いま報道されているパンデミックが、やはり750年正当の年にあたって「正法を護持しないために、守護の諸天善神がこの世界を離れて、三災七難が起こる」という部分に符合して捉えられる。

 薬師経「国民の間に疫病が流行する難、外国からの侵略されるという難、国内に戦乱が起こる難、星の運行が変異する難、日蝕や月蝕で太陽や月の光が失われる難、時ならぬ暴風雨が起こる難、旱魃(かんばつ)が起こる難の七つの災難があるであろう」

 大集経「一つには飢饉、二つには国の内外に起こる戦乱、三つには疫病が広く国内に蔓延することである。そして、一切の善神はその国を捨て去り、その国の人民は国王の命令に従わず、国の秩序は乱れ、常に隣国から侵略され続けるであろう。」

 あくまで、これらは御経の中にある御文である。再々度になるが、これはお祖師さまの個人的な見解ではない。いま、さまざまな懸念すべき事態の中で、やはり一人一人の心を、正法に沿って正してゆくことが求められていると思う。対処療法ではなく、それが失われた世の秩序を取り戻すために欠かせない本質的な療法であると思う。

 不幸中の幸いと言えるか分からないが、未だメキシコ以外での死者は出ていない。弱毒性との見解も出ており、極端な反応は控えるべき。正しい情報の下に、うがいや手洗いをしっかりとする以外にない。

 しかし、このタイミングで起きていることに、気づくべきだ。サインに違いない。

2009年4月6日月曜日

他国侵逼難について考える

 あまり、不穏なことを言い過ぎると、カルト宗教みたいと揶揄されてしまいそうだが、立正安国論上奏750年御正当の年に、実際日本の上空を、「人工衛星打ち上げ」名目で他国が長距離弾道ミサイルを飛ばした。これによって、近年まれに見るほどアジアを中心とした国際社会の緊張が高まり、特に北朝鮮と日本の関係は危機的な状況を迎えている。これは紛れもない事実。お祖師さまが「立正安国論」で仰せになったことを振り返るべき機会ではなかろうか。

 今から遡ること750年前、1260年(文応元年)7月16日、前執権で幕府最高実力者の北条時頼に上奏された「立正安国論」。時にお祖師さまは39才。この「立正安国論」はその後もお祖師さまご自身の手によって加筆されている。これは、「立正安国論」が、時の権力者・政治家に対してのみの書物ではないということを明らかにされたのである。身延に居を移された中の1278年(建治・弘安の交)聖寿57歳の御時に、この「立正安国論」は「広本」として後世の者に対して宣揚されている。このことの意義は大きい。

 新潟でジェンキンス氏とお会いした時にも書いたが、北朝鮮という国家の恐ろしさ、異常さは枚挙に暇がない。思想がもたらく国家、つまりは国民生活を、著しく危険な方向に導いている。

 大統領よりも権力のある一宗教者が国家を左右するイスラム国家、イランなどは現在もそうだ。選挙もあり、民主的な国家の体裁を整えているものの、これはこれで課題も多い。しかし、いずれにしても、事前に報告(警告?コンセンサスもなく一方的であったため)をしていたとしても、今回の発射によって緊張が高まっている。宗教と思想が国家にどれほどの影響を与えるかも考えさせられる。

 今回この時、今年に当たって、長距離弾道ミサイルの発射と他国との緊張の高まりの中で、いろいろと感じることがあるのではないか。少しでも、お祖師さまの立正安国論の中のお言葉に思いを馳せ、他国侵逼難をはじめとする自然界や社会の混乱や危機について考えるべきであろうと思う。

 恐れながら、何度もその御意を書かせていただいてきたが、つまり社会に満ちる「人の心」の間違い、誤りを、正しい御仏の教えに沿いながら生きれるように気づいていかなければならないということ。「信仰の寸心を改めて」と。

2009年1月31日土曜日

失業率10%へ

 失業率の悪化について報道された。
 確かに報道が経済の悪化を叫びすぎだというのも事実で、こうした報道が消費を冷え込ませ、経済をさらに悪化させているのも確かだ。今の状態は、俗な言い方をすれば「これまでのツケが回ってきた」ということだから、もっと人間の生活や社会について深いレベルでのリーダーシップがなければ行く先もない。このまま政治不在の日本であれば光は見えてこない。
 4月以降、失業率はもっとひどい数字になると思う。恐ろしいことだが、10%を越えるかもしれないと思う。財布のひもを固くして、消費を冷え込ませるために書いているのではない。しっかりと行動を起こさなければならないということを申し上げたい。この時代でも、伸びている産業、伸びている企業、明るい会社、売上が好調な店舗、充実した家業がある。その本質を学び、自分でも行動を起こし、そこに突き進まなければならない。止まっているだけでは、決して幸せにはならない。行動を起こせ。負けるな。
 信行ご奉公もしかり。功徳を積むということは、こうした時期こそさせていただくべきだ。

2009年1月21日水曜日

オバマ氏の就任演説

 1月20日、アメリカに新大統領が誕生した。
 アフリカ系アメリカ人、つまり黒人としては初の米国大統領である。当初、私はオバマ氏が大統領になることなどあり得ないと考えていた。そこまでリベラルな国であるとは信じていなかったからだ。自分の息子も米国民として生きる権利を得ていながら、近年のアメリカの傲慢さに嫌気が差し、ついには米国民を傲慢で保守的であると決めつけていたからかも知れない。
 ブッシュを選んだのもアメリカ国民であり、オバマ氏を選んだのもアメリカ国民である。オバマ氏を選べる素晴らしさをアメリカに感じると同時に、ブッシュを選ぶアメリカを危惧する。彼は団結を呼びかけているが、政治とは選択の連続である。誰かに支持されることを行い、支持されないことも行う必要に迫られる。それは、万民に期待される政治は徐々に万民の支持を失っていくことを意味する。多くの支持を得ている現在、万民に応えられる真の政治とは何かを追求する「旅(journey)」になるだろう。彼には、類い希な雄弁の才を持って、常に国民、あるいは世界市民と向き合い、それらとの対話を維持し、一部の人々に強いる忍耐を受け入れるよう説得を試みて欲しい。47才のリーダーシップに心から期待したい。
 もちろん、全幅の期待を寄せているわけではない。世界が歓喜した昨夜の就任式には、約4,100万ドルの献金が集まった。 大統領選の献金と同じように、大企業やロビイストの影響力を排除しようと試みてきたオバマ氏だが、実際には金融・保険・不動産業界を筆頭に、小売業界から広告業界まで幅広く献金を集めており、ロビイストからも300万ドルほど受け取っているという。
 選挙戦に於いて既に約600億円以上も出費し、就任式に41億円もの資金を使うアメリカ。それは、国威の高揚を目指し、危機を乗り越えるために必要な国家的なマーケティング・プロセスとも受け取れる。その背後に、やはり大企業からの献金と思惑がうごめいていることを注視しなければならない。国威を高揚させ、世界にアメリカのメッセージを発信し、国民に団結と義務を呼びかけた背後に、である。政治が、国民や大統領によって動かされているものではなく、金の掛かる政治という世界の背後で献金を続ける企業によって動かされている、動かされざるを得ないということにも、監視の目を光らせて欲しい。
 演説の中で彼が呼び上げた宗教名の中に「Buddhism(仏教)」や「Buddhist(仏教徒)」が無かったことを、仏教徒や仏教に関わる者は恥じるべきではないか。彼は「われわれはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教、ヒンズー教、そして無信仰の人々の国である」と言った。いつから仏教はヒンドゥー教に吸収されたのか?世界三大宗教の中の一翼を担ってきた仏教が、この世界から期待される米国新大統領の就任演説から外されてることに、何とも歯がゆいものを感じている。もちろん、それらと肩を並べることだけがいいのではない。なぜなら、真実の仏教は、相対の世界で各宗教と対峙するものではなく、彼が演説で述べた、本当の団結、本当の平等、本当の普遍的な価値と義務を与えるものなのだから。
 つまり、真実の仏教とは、彼の目指す世界の先にあるものに違いない。新文明と新文明生活をもたらすために、新しいパラダイムは真実の仏教から学ぶべきものだと思う。それを世界最強のリーダーに認識してもらえるように、地道なご奉公を続けてゆきたい。

9月2日のFMヨコハマ「横浜ラグーン」

  瞬く間に1週間が経過してしまいました。 ネパールの大規模土石流災害は8月26日の水曜日に発生しました。明日で2週間となります。 私は8月19日の水曜日までネパールにおりました。災害発生の1週間前です。実に、何が起こるか分からない無常の世を痛感いたしました。 この2週間、妙深寺...